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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
外つ事
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外事 4

台湾の苛烈なジャングル戦から帰還した滝脇慶家は、休む間もなく陸軍兵学寮へと舞い戻った。


彼の肌は熱帯の陽射しに焼かれ、その瞳には実戦という極限状況を経験した者だけが持つ、刃のような鋭い光が宿っていた。


寮に戻るや否や、慶家は自室に籠もり、数日間ぶっ通しでペンを走らせた。


台湾で自らが実証した「兵站の重要性」「衛生管理」、そして何よりも「諸兵科連合と現場裁量による流動的な戦術」のすべてを、近代兵学のロジックに変換して書き殴ったのである。


完成したその分厚い論文は、一介の士官候補生(新米少尉)が提出するにはあまりにも異端で、そして完璧すぎた。


そのまま提出すれば、反・旧幕派の将校たちによって「生意気なガキの妄言」として黙殺されるのは火を見るより明らかである。


そこで慶家は、持ち前の悪辣な政治力マキャベリズムを発揮した。


彼は、日頃から自らの軍事センスに舌を巻いていたフランス軍事顧問団の代表、シャルル・アントワーヌ・マルクリー中佐の元へ赴き、この論文を『共同著書』としてフランス軍の権威の皮を被せることに成功したのである。


マルクリー自身も、慶家の構築した理論がフランス本国の兵学すら凌駕する極めて高度なものであると認め、その名を連ねることを喜んで承諾した。 


かくして、フランス軍事顧問団代表との共同著書という、誰も無下には扱えない最強の権威の装甲を纏った一冊の論文が、陸軍兵学寮の教育科へと叩きつけられた。


論文の題名は、

『散兵戦と諸兵科による流動的連動部隊』

   

―――


数日後、陸軍兵学寮の大講堂において、この論文を巡る大激論が交わされることとなった。


教壇に立つのは、著者の一人である滝脇慶家。

彼を取り囲むのは、眉を顰める明治陸軍の上級将校や教官たちである。


「滝脇少尉。貴官の論文は拝読したが……これは、あまりにも従来の軍事教範を逸脱している」


一人の教官が、論文を叩いて立ち上がった。


「歩兵、砲兵、騎兵をあらかじめ一つの部隊に混ぜ合わせる『混成部隊』の有用性は、先の台湾出兵で貴官が証明したとしよう。

だが……この『流動的連動』とは何事だ。指揮官の厳密な命令を待たず、各部隊が戦況に応じて勝手に陣形を変え、独自の判断で動くなど……そんなものは、近代軍隊ではなく、ただの烏合の衆ではないか!」


教官の指摘は、当時のヨーロッパ式近代軍隊の「常識」であった。


司令官が絶対的な権限を持ち、兵隊はただ命令通りに動く機械(チェスの駒)であるべきだ。それが、統制のとれた強力な軍隊の姿であると信じられていたのである。


しかし、慶家は涼しい顔で、黒板にチョークを走らせた。


「烏合の衆になるのは、兵と下士官に『教育』が足りていないからです。

……教官殿、私はこの論文で、西洋の全く新しい戦術を説いているわけではありませんよ」


慶家が黒板に描いたのは、複雑なブロック状の陣形図であった。


「これは……?」


「かつて、この日ノ本において。百年にも及ぶ血みどろの殺し合い(戦国時代)の果てに、我々の祖先が編み出した、野戦における基本隊形……『そなえ』です」


慶家の言葉に、講堂の空気が一変した。


「備」


それは、戦国大名が軍を編成する際の基本単位である。


一つの「備」の中には、槍組(歩兵)、鉄砲組(砲兵)、弓組、騎馬隊、そして小荷駄(兵站)がすべてパッケージとして組み込まれており、自己完結した戦闘能力を持っていた。


「私の提唱する『諸兵科連合』は、この『備』のシステムを近代戦(銃火器の時代)に当てはめ、戦場の広さをより広大に設定し直しただけのものに過ぎません」 


慶家は、黒板の図を力強く叩いた。


「西洋の近代軍隊は、司令官という一つの『脳』が、巨大な手足を動かそうとしている。

だから、命令が届くまでに時間がかかり、不測の事態(奇襲や地形の変化)に対応できずに崩壊するのだ。

……だが、戦国の『備』は違う。

各部隊を率いる大将(侍大将)たちが、それぞれに『小さな脳』を持ち、互いの意図を汲み取りながら流動的に動いていた。だからこそ、臨機応変な対応が可能だったのです」


慶家は、講堂の教官たちを鋭く見回した。 


「私がこの論文で最も重視しているのは、戦術の形ではありません。『小隊長(尉官)』に対する極めて高度な戦術教育の徹底。そして、可能であれば『軍曹(下士官)』レベルにまで、十名程度の兵の運用を『現場の判断で一任できるだけの裁量と知識』を与えることです!」


「な……っ!」


「下士官に現場の判断を一任するだと!? 馬鹿な、彼らはただの平民の出だぞ!」


講堂は、怒号と驚愕の入り交じった大騒ぎとなった。

当時、下士官(軍曹や伍長)に戦術的裁量を与えるなど、欧米の軍隊でも考えられないことであった。

兵士は命令に従うだけの肉壁であり、自ら考えることなど求められていない。


「平民だからなんだと言うのだ!」


慶家の一喝が、騒ぎを切り裂いた。


「大将が討ち死にすれば、部隊が立ち往生して全滅する軍隊など、近代戦では使い物にならん!

小隊長が死ねば軍曹が指揮を執り、軍曹が死ねば古参の兵が十人をまとめる。

……命令がなくとも、現場の末端が自ら考え、大戦略ミッションに合わせて動き続ける。

それこそが、どんな過酷な死地でも決して崩壊しない、真に恐るべき『連動部隊』の姿だ!」


「理想論だ! そんな高度な教育を、農民上がりの兵隊に施せるわけがない!」 


「できる! 私が台湾で証明してみせたはずだ!!」


慶家と、反旧幕派の教官たちとの間で、一歩も譲らぬ大激論が展開された。


フランス軍事顧問団代表のマルクリー中佐は、通訳を介してその議論を聞きながら、慶家の提唱する「末端への裁量委譲ミッション・コマンド」の先進性に戦慄し、同時に、この東洋の島国が抱える「旧来の権威主義」との激しい摩擦を興味深く見つめていた。


―――


激論の末。 


陸軍上層部が下した結論は、極めて政治的な「玉虫色の決着」であった。


慶家の論文『散兵戦と諸兵科による流動的連動部隊』は、フランス軍事顧問団代表との共同著書である以上、完全に否定して破棄することはできない。


その理論の正当性(台湾での戦果)も無視できない。


しかし、彼の提唱する「下士官への裁量委譲」や「現場の独断専行の肯定」は、現在の軍の指揮系統を揺るがしかねないとして、即時の採用は「保留」とされた。


そして、この危険思想の持ち主である数え十七歳の特異点(滝脇慶家)を、これ以上国内の陸軍内部に置いておくのは、派閥争いの火種になるとして、一つの辞令が下された。


『滝脇慶家少尉。フランス本国への二年間の官費留学を命ず』


それは、名誉ある軍事留学という体裁をとった、事実上の「海外への体よく厄介払い(追放)」であった。


「……なるほど。私をフランスへ飛ばし、その間に己らの都合の良いように軍を固める腹積もりか。阿呆どもが」


辞令を受け取った慶家は、兵学寮の自室で荷物をまとめながら、冷ややかに笑った。 


彼にとって、フランスへの留学は決して左遷ではない。


むしろ、近代兵器の製造工程、欧州列強の外交の裏側、そして何より「ビスマルクが普仏戦争で使った謀略の跡地」を、己の目で直接見ることができる絶好の機会であった。


「……私の撒いた種は、すでに日ノ本の地中に根を張っている。せいぜい私が留守の間、大事に育てておくことだな」 


台湾のジャングルで彼に忠誠を誓った百二十名の『明治の三河武士』たち。 


海軍で頭角を現し始めた『共犯者』斎藤実。 


そして、警保寮の闇で蠢く『影』たち。 


慶家が不在の二年間。彼らはそれぞれの場所で、慶家の思想を体現し、やがて来る内乱の時代に向けて密かに力を蓄え続けるだろう。


―――


静岡の滝脇家に、横浜港の消印が押された一通の分厚い封書が届いたのは、秋風が心地よい季節のことであった。


「お父様! あにさまからのお手紙です!」


数えで十五歳となり、娘らしい快活さと落ち着きを見せ始めた妹の松が、弾むような足取りで父・清孝の書斎へと駆け込んできた。その後ろからは、母の菊も嬉しそうな顔で続いている。


清孝は、県立学校の教鞭の疲れをふっと緩め、家族揃って縁側に腰を下ろすと、遠く離れた帝都の息子――市之進(慶家)からの手紙の封を切った。


手紙の冒頭には、驚くべき事実が淡々と記されていた。


『――急な沙汰ではありますが、私は軍の命により、これより二年間、仏蘭西フランスへと官費留学に出ることとなりました。出立の準備に追われ、一度静岡へ帰り、直接顔を見て挨拶することが叶わぬ不孝をお許しください。

なお、私の嫁取りなどの心配は一切無用にございます。今は学業と軍務に専念する時期ゆえ、勝手な見合い話などは進められぬよう、くれぐれもお願いいたします』


「まあ……! 仏蘭西へ!」


菊が口元を押さえて驚きの声を上げた。

当時、洋行(海外留学)といえば、選ばれたごく一部のエリートにのみ許される国家の一大事業である。数え十七歳の若さでそれに選ばれた息子の出世に驚きつつも、嫁取りを牽制する小言のような一文に、清孝は思わず苦笑した。


手紙は、妹と母への私信へと続いていた。


『松へ。顔を見せに帰るという約束を反故にしてしまい、すまなかった。詫びと言っては何だが、同封した小包に横浜の異人館で手に入れた「クッキー」という西洋菓子と、約束していた浅草の練り羊羹を入れてある。二人で喧嘩せぬよう、両親と一緒に食べるように』


「あにさまったら、もう子供じゃないんですから、喧嘩なんてしませんのに……!」


松は、頬を膨らませて不満げに口を尖らせたが、その視線はすでに手紙と一緒に届いた小包の包みに釘付けになっていた。


『母上。ここ数年、顔を合わせることも叶わず申し訳ありません。ですが、私は軍の厳しい生活の中でも至極元気にやっておりますゆえ、どうか御心配なさらぬよう。遠い異国の空の下からも、ご両親と松の息災を祈っております』


「……本当に。お顔を見せてくれないのは寂しいけれど、市之進が立派にお役目を果たし、元気にしているのなら、それが一番の親孝行です……」


菊は、手紙を胸に抱きしめ、安堵と少しの寂しさが入り交じった涙をそっと拭った。

数年ぶりの手紙のやり取り。そこにあるのは、どこにでもある温かな家族の情景であった。


しかし。


家族を下がらせ、一人書斎に残った清孝の手元には、またしても「宛先のない一通の手紙」が残されていた。


清孝は、静かに姿勢を正し、その手紙を開いた。

それは、かつての江戸城無血開城の折のように、あるいは警保寮の目録を求めた時のように、駿府に隠棲する絶対の主君・徳川慶喜へと宛てられた極秘の書状であった。


『上様(慶喜公)へ。

表の手紙にも記しました通り、私はこれより仏蘭西へと発ちます。

思えば、あの普仏戦争の盤面図を見た時から、あの国がどうやって敗戦から立ち直りつつあるのか、そして列強がどのような野心を抱いて動いているのかを、一度この目で見ておきたいと思っておりました。

日本の内部(軍と政府)のことは、私が不在の間も狂わぬよう、各所に手配を済ませてあります。

私は、真の西洋を見て参ります。

列強の真の実力、息遣い、そして日ノ本が喰い破るべき「世界」という巨大な盤面を。

二年後、必ずや土産話(報告)を持って帰還いたしますゆえ、どうかそれまで、楽しみに御待ちください。』


文面こそ清孝宛てのものと似たような近況報告の体裁をとってはいるが、そこから放たれるのは、国家の命運を背負って立つ「為政者(覇王)」としての力強い決意表明であった。


「……市之進。お前というやつは」


清孝は、その手紙を丁寧に折りたたみながら、深く、長く息を吐き出した。


父親としての清孝の胸中には、もはや手の届かない、あまりにも遠い場所へと駆け上がってしまった息子に対する「呆れ」があった。


十七歳という年齢で、薩長の元勲たちを手玉に取り、軍の仕組みを作り変え、あまつさえ最後の将軍と直接言葉を交わして、ついには海を越えて世界へと飛び立っていく。


「我が子」と呼ぶには、あまりにも規格外すぎるのだ。


だが、その深い呆れと同時に、清孝の胸の奥底から込み上げてくる強烈な感情があった。

それは、間違いなく父親としての「誇り」であった。


(……行ってこい、市之進。いや、滝脇慶家よ)


かつて、徳川の終焉と共に、この国はどうなってしまうのかと絶望した日があった。


だが今、自分の息子が、その徳川の魂を受け継ぎ、日ノ本という国を背負って、世界という途方もなく巨大な盤面へと挑もうとしている。


狭い国内の派閥争いや不満を飛び越え、より大きな世界を観て、この国を正しい方向へと導いてくれるはずだという、確かな「安心感」。


「上様にも、この手紙をしかとお届けせねばな……」


清孝は、書斎の窓を開け、横浜がある東の空を見上げた。


高く澄み切った秋の空の向こうへ。

規格外の息子は今、家族の温かな愛情と、かつての主君への密かな忠義を背負い、大いなる希望と共に、新しい世界へとその羽を大きく広げていた。



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