外事 3
帝都・東京の太政官(政府中枢)に、台湾からの戦勝報告がもたらされていた頃。
この出兵の「真の決着」は、台湾のジャングルではなく、遠く離れた外交交渉という盤面において、極めて静かに、そして日本に圧倒的に有利な形で進められていた。
それを成し遂げたのは、他でもない。司法省警保寮に組み込まれた『諜報部(旧幕府の影たち)』の暗躍であった。
彼らは台湾出兵の部隊が動くよりも前から、水面下で大英帝国の外交官や特命全権公使に対し、周到な「根回し(事前通告)」を行っていたのだ。
『この度の出兵は、決して清国への侵略にあらず。台湾の化外の地で殺害された我が国の民(琉球島民)を弔い、世界の航海者の安全を確保するための「文明国としての正当な討伐」である』と。
当時のイギリスは、清国における利権を重視し、東アジアでの揉め事を極端に嫌っていた。
そこに、日本側から事前の情報提供と「これ以上は戦線を拡大しない」という確約がもたらされたことで、イギリスは完全に日本側の主張に理があると判断した。
結果として、大英帝国の駐清公使トーマス・ウェードが、清国政府に対して強烈な圧力をかけ、日清間の和議(北京専約)をイギリス主導で執り行うこととなったのである。
清国は、強大なイギリスの介入を前に完全に屈服した。
日本側の出兵を「義挙(正当な行為)」と認め、史実よりも多少割増しされた多額の賠償金(慰撫金)を支払うことに同意。
さらに最も重要な成果として、清国が琉球島民を「日本国属民」と認めたことで、曖昧だった『琉球の帰属権』は、国際法上、完全に日本のものとして確定したのである。
武力による局地的な勝利を、最高位の外交的果実へと見事に変換してみせた新政府。
それは、大御所・徳川家康の描いた「情報と外交による事前の孤立化」という盤面が、国際社会においても完璧に機能した瞬間であった。
―――
しかし、帝都がその外交的勝利に沸き立っている一方で。
最前線である台湾南部の陣地は、目を覆うような凄惨な地獄絵図と化していた。
「……水、水をくれ……っ」
「熱い、体が焼けるようだ……!」
陣地のあちこちに急造された天幕からは、昼夜を問わず兵士たちのうわ言と呻き声が響き渡っていた。
戦闘は事実上終結していたが、真の恐怖はそこからだった。マラリアやデング熱といった熱帯特有の風土病が、日本軍の陣地を猛烈な勢いで蝕み始めていたのである。
次々に倒れていく兵士たちは、すでに三百名を超えていた。
これは、遠征軍全体の約一割に達する異常な数字である。
薬は底をつき、軍医たちは次々と運び込まれる高熱の患者を前に為す術を持たなかった。
薩長出身の指揮官たちは、昨日まで威勢よく蕃人(原住民)を追いやっていた己の兵たちが、目に見えない病魔によって次々と骸に変わっていく様に、ただ青ざめることしかできなかった。
そんな死の香りが充満する陣地の中にあって。
唯一、ただの一人の病人も出さず、完全な警戒態勢を維持している百二十名の部隊があった。
滝脇慶家の小隊である。
「……少尉殿。隣の小隊の兵たちが、また数名息を引き取ったそうです」
マタギ出身の兵士が、暗い顔で慶家に報告した。彼らは、長袖の軍服を一切脱ぐことなく、己の身を守り切っていたが、同郷の者たちまでもが無惨に死んでいく光景には、耐え難いものがあった。
慶家は、野戦病院と化した天幕群を冷ややかな目で見渡した。
(……阿呆どもが。軍隊がいくさ場以外でこれほど死傷者を出してどうする。
使えなくなった手駒を本土へ送り返すだけでも、莫大な国費と船の場所を無駄に食うのだぞ)
私情ではない。あくまで為政者としての「損耗の計算」であった。
だが、このまま遠征軍全体が壊滅状態に陥れば、日本軍の「脆さ」を世界に露呈することになり、せっかくの外交的勝利にも泥を塗ることになりかねない。
「おい、お前たち」
慶家は、自らの部隊の兵士たちに短く命じた。
「直ちにジャングルへ入れ。そして、まだ水気をたっぷりと含んだ『生木』と、湿った葉を大量に集めてこい。陣地の周囲を囲むように配置するのだ」
「生木……ですか? 少尉殿、薪にするなら乾いた木の方が火が点きやすいですが」
「馬鹿者、暖を取るためではない。『煙』を出すためだ」
兵士たちは慶家の意図を完全には理解できなかったが、この指揮官の命令が彼らを生き残らせてきた絶対の真理であることだけは骨の髄まで理解していた。
「はっ!」と返事をすると、彼らは直ちにジャングルへ散り、大量の青々とした生木と湿ったシダの葉を刈り集めてきた。
―――
数時間後。
台湾遠征軍の陣地は、異様な光景に包まれていた。
モクモクモクモク……ッ!
陣地の外周、および病人が横たわる天幕の周辺で、数十箇所の焚き火が焚かれた。
生木と湿った葉を燃やしているため、炎は上がらず、代わりに咽ぶような「強烈で濃厚な白い煙」が大量に発生し、陣地全体を燻し始めていたのだ。
「ゴホッ、ゲホッ! な、なんだこの煙は!」
「目が痛い! 敵の夜襲か!?」
煙に巻かれた他の部隊の将校や兵士たちが、涙目をこすりながら天幕から転がり出てきた。
その騒ぎの中を、慶家は煙を意に介する様子もなく、悠然と歩みを進めた。
「騒ぐな。敵の襲撃ではない」
慶家が声を張り上げると、将校の一人が激怒して食ってかかった。
「た、滝脇少尉! 貴様の部隊の仕業か! ただでさえ熱病で苦しんでいる兵たちを、煙で窒息死させる気か!」
「窒息はせん。煙たいだけだ」
慶家は、冷酷に言い放った。
「目に見えぬ病原菌を運んでいるのは、空を飛ぶ『虫(蚊)』だ。西洋の医学でもそれは推測されている。
……戦国の昔より、獣や害虫を追い払うのに最も効くのは『煙』と相場が決まっている。陣地全体を燻し続け、虫を一匹残らず追い払え。さもなくば、貴様らの部隊は全滅するぞ」
それは、最新の西洋医学の仮説(蚊が媒介するマラリア)を、戦国時代から行われていた『蚊遣り(かやり)』や『燻煙』という極めて原始的かつ確実な手法で陣地全体に適用した、強引な生存戦略であった。
煙たさに文句を言っていた将校たちも、慶家の部隊が誰一人として病に倒れていないという「絶対的な証拠」を見せつけられては、もはや反論の仕様がなかった。
「……た、滝脇少尉の言う通りにしろ! 絶やさず生木を燃やし続けろ!」
かくして、台湾遠征軍の陣地は、昼夜を問わず濃厚な煙によって燻し続けられることとなった。
兵士たちは咳き込み、目は真っ赤に充血したが、慶家の読み通り、その強烈な煙の壁を越えて吸血性の虫が陣地に侵入することは激減した。
結果として、これ以上の新たな熱病患者の発生は劇的に抑え込まれ、日本軍は陣地の崩壊という最悪の事態を、原始的な「煙の防壁」によってすんでのところで免れることとなったのである。
圧倒的な軍事の才能を示すだけでなく、兵の命(損耗)を泥臭い手段で守り抜く。
台湾のジャングルにおいて、十七歳の若き少尉が放った圧倒的な存在感と統率力は、厄介払いを企てた使節団組の思惑を完全に打ち砕き、軍内部に「滝脇慶家」という男の底知れぬ恐ろしさを、否応なしに刻みつけることとなった。
―――
台湾出兵という明治政府にとって初の海外遠征は、外交的な大勝利と、熱病による多大な犠牲という教訓を残して幕を閉じた。
しかし、遠征軍が帝都・東京へと帰還した直後、陸軍の中枢である参謀局(後の参謀本部)の将校たちの間では、一人の若き少尉に対する「評価」を巡って、極めて冷ややかで批判的な空気が蔓延していた。
滝脇慶家(徳川家康)、数えで十七歳。
石門の戦いにおける彼と彼の部隊の活躍は、被害を最小限に抑え、完璧な戦果を挙げたという点で疑いようのないものであった。
さらに、ジャングルでの熱病蔓延を防いだ煙幕(燻煙)の機転も、遠征軍崩壊の危機を救ったと評価されている。
だが、軍の参謀たちから見た滝脇慶家は、「近代軍隊において最も危険で、よろしくない男」であった。
「いかに結果が良かろうと、本隊の突撃命令を無視し、独断専行で別ルートから敵を包囲するなど言語道断である!」
「左様。命令の絶対遵守こそが近代軍隊の根幹。下官が勝手に現場の判断で動き回れば、いずれ軍の統率は完全に崩壊する」
フランス式の厳格なトップダウン(中央集権的)な指揮系統を学んでいた当時の明治陸軍にとって、慶家の行動は「軍紀を乱す癌」そのものであった。
彼らは、慶家の才能を認めつつも、その在り方を極めて危険視したのである。
―――
しかし、当の慶家の考えは、参謀たちの硬直した軍事論とは真っ向から対立していた。
(……阿呆どもが。中央で地図を眺めているだけの参謀が、刻一刻と変わる前線の地形や敵の息遣いを完璧に予測できるとでも思っているのか)
慶家にとって、軍隊の指揮とはガチガチの命令書に縛られるものではない。
大きな目標(大戦略)を共有し、各々が全力で戦いながら敵の陣形を揺さぶり、防衛線のどこかに「虚弱な部分(隙)」を見つけたならば、前線の指揮官が自らの裁量で即座にそこへつけ入る。
それは、かつて家康が徳川四天王や譜代の将たちに陣頭指揮を任せ、関ヶ原や大坂の陣で敵を崩したのと同じ、戦国の世における「いくさの常道」であった。
己の功名心だけで勝手に突出する『抜け駆け』は厳罰に処すべきだ。
しかし、全体の大義を達成し、味方の損耗を防ぐための合理的な『臨機応変』ならば、指揮官は積極的に現場の判断(裁量)を優先すべきである。
後の世で言うところの『ミッション・コマンド(任務訓令)』である。
(これこそが、真に強靭な軍隊の血流だというのに。……今の明治陸軍の石頭どもには、まだ理解できんか)
結果として、陸軍上層部は慶家のこの異端な行動に対し、多大な戦果を考慮して「咎は無し」としたものの、軍紀の維持を名目として『厳重注意』の沙汰を言い渡した。
使節団組の将校たちは「やはり旧幕のガキは統率を欠く」と溜飲を下げていた。
しかし、呼び出された慶家は、上官たちからの長々とした小言を、馬耳東風といった涼しい顔で聞き流していた。
そして、説教が終わるや否や、慶家は懐から一冊の「黒革の手帳」を取り出し、上官たちの机にドン、と置いた。
「厳重注意の件、確かに承りました。……それはそれとして、軍務局に一つ『要求』がございます」
「要求だと? 厳重注意を受けた身で何を言うか!」
「台湾の最前線において、我が小隊の百二十名は、劣悪な環境と原住民の奇襲を完全に凌ぎ切り、一人の病死者・戦死者も出さずに任務を全うしました。
彼ら全員に対し、相応の『褒賞(金一封および特別休暇)』を要求いたします」
上官たちは目を丸くした。
「ば、馬鹿な! 貴様の部隊は、全員が旧幕領出身の寄せ集め(懲罰部隊)ではないか。それに、貴様自身が命令違反の厳重注意を受けているのだぞ!」
「だからこそです」
慶家は、冷酷な目で上官たちを睨み据えた。
「指揮を逸脱した責は、指揮官である私が一人で被る。私自身への勲功、勲章、一切の褒賞は不要。
……だが、私の指示を信じ、ジャングルで一歩も引かずに戦い抜いたあの『兵士たち』には何の罪もない。彼らの働きは、他のどの部隊よりも完璧でした。それに対し、軍が『旧幕の者だから』『上官が命令違反をしたから』と出し惜しみをすればどうなるか」
慶家は、手帳をトントンと指で叩いた。そこには、台湾行きの船倉で書き留めた、百二十名の農民兵すべての名前が記されている。
「一度でも兵を裏切り、見返りを反故にした軍隊のために、二度と農民は命を懸けませんよ。
……この国の徴兵制を根底から腐らせたくないのなら、現場で血を流した者には、相応の『実利』を与えなさい」
それは、ただの少尉が口にしていい権限を遥かに越えた、軍中枢に対する強烈な恫喝にして、為政者としての理詰めの要求であった。
上官たちは、この十七歳の少年の放つ大御所の覇気に気圧され、結局、慶家への褒賞を見送る代わりに、彼の部下たちへの「恩賞」を認めざるを得なくなったのである。
―――
数日後。
兵営に戻った百二十名の兵士たちは、軍から正式に授与された褒賞金と、長めの特別休暇の報せを受け取り、歓喜に沸き立っていた。
しかし、彼らはすぐに一つの事実に気づく。
自分たちを死地から生還させてくれた絶対的な指揮官である滝脇少尉には、何の勲章も、褒賞も与えられていないということに。
「……少尉殿が、ご自身の褒美を蹴って、俺たち下っ端のために軍の上層部に掛け合ってくださったそうだ……」
台湾行きの暗い船倉で、慶家が手帳に名前を書き込みながら言った言葉が、彼らの脳裏に蘇る。
『お主らの名前と顔は、この滝脇慶家がすべて記憶した』
『生き残って、私の前に立って褒美を要求してみせろ』
あの若い指揮官は、命懸けの約束を、たった一つも違えずに守り抜いたのだ。己の出世や名誉をかなぐり捨ててまで。
(……このお人のためなら。俺たち、次こそ本当に死んでもいい……!)
薩長から厄介払いされた旧幕領の農民たちは、この日、明治陸軍という組織に対してではなく、「滝脇慶家」という一人の男に対して、永遠の忠誠を誓った。
軍の参謀たちが「統率を乱す異端児」として慶家を白眼視している間に。
十七歳の狸爺は、軍の内側に、己の命令一つでいかなる死地へも飛び込む狂信的な手駒――『明治の三河武士』の第一陣を、完全なる形で鍛え上げていた。




