外事 2
台湾南部の鬱蒼たるジャングル。
蒸し返すような熱気の中、日本軍の上陸部隊は、道なき道を切り拓きながら奥地へと進軍を開始していた。
その最前線、最も危険な索敵と突破を押し付けられていたのが、滝脇慶家(徳川家康)率いる部隊であった。
彼に与えられた兵力は、約百二十名。
陸軍の編成において、これは明らかに「一個中隊」の規模である。通常であれば、十分な実戦経験を積んだ大尉、あるいは中尉が指揮を執るべき人数だ。
しかし、薩長閥の将校たちは、数えで十七歳の新米少尉である慶家に、あえてこの過大な兵力を丸投げした。
『旧幕の残党ども(懲罰部隊)を束ね、前線で勝手に死ね』という、露骨極まりない悪意である。百二十名もの素人同然の農民兵を、未経験の少年将校がジャングルで統率できるはずがない。指揮系統は崩壊し、原住民のゲリラ戦の前に為す術なく全滅するだろう、と。
しかし。
彼らは知らなかったのだ。
彼らが死地へ放り込んだその少年が、かつて関ヶ原で十万の軍勢を盤上の駒のように操り、天下を力でねじ伏せた『戦の神』の魂を持っているということを。百二十名の指揮など、慶家にとっては自らの手足の指を動かすよりも容易いことであった。
―――
「……止まれ。ここから先は地形がすり鉢状になっている。奇襲を受ける絶好の死地だ」
ジャングルの只中、慶家の低く通る声で、百二十名の部隊がピタリと足を止めた。
彼らは誰一人として勝手な行動を取らず、互いの背中をカバーし合うように陣形を維持している。
慶家がジャングル戦において最も優先したのは、敵を見つけて突撃することではなく、「退路(引口)の確実な確保」であった。
「地形を記録しろ。我々が今来た獣道を、三町(約300m)おきに目印をつけ、万が一分断された際の合流地点を定めよ」
部隊の中で、慶家は「絵心のある兵士」を数名抜擢し、彼らに周囲の地形、等高線、そして川の配置を精密にスケッチ(書写)させていた。
これは、近代の参謀本部が地図を作成する手法と同じだが、慶家はそれを最前線の歩兵レベルで即座に行わせていたのである。
退路が確保されているという絶対的な安心感は、農民兵たちから「未知のジャングルに対する恐怖」を完全に取り除いていた。
さらに、慶家の部隊の異様さは、その「役割分担」にあった。
「マタギ(猟師)出身の者は前へ出ろ。貴様らに三名ずつ護衛をつける」
慶家は、東北や信州出身の猟師であった兵士たちを最前衛に配置した。
「原住民も、我々と同じ人間だ。必ず『獣道』を通り、必ず『獲物(我々)を狙いやすい高所』に陣取る。……貴様らの長年培ってきた『狩りの勘』で、敵がどこに潜んでいるか、どこが狙い目かを探れ。貴様らには、私の許可を待たずに独自の判断で動く権限(裁量)を与える」
「は、はいっ!」
山の匂い、鳥の不自然な飛び立ち方、獣道の踏み跡。
猟師出身の兵士たちは、近代軍隊の画一的な教練では決して身につかない「野性の直感」を最大限に発揮し、原住民の仕掛けた罠や待ち伏せを次々と看破していった。
退路を記録する「絵師」。
索敵を担う「猟師」。
そして、それらを護衛し、指示通りに火力を集中させる「足軽(小銃兵)」。
近代陸軍の将校から見れば、それは兵科を完全に無視した、あまりにも異端で奇妙な部隊に見えただろう。
しかし、戦国時代において、忍びや草の者を放って地形を探り、猟師に獣道を案内させ、それをもとに大将が完璧な陣を敷くというのは、ごくごく「当たり前の戦術」であった。
慶家は、明治の軍隊という近代の皮袋の中に、戦国の世で極限まで洗練された「いくさの真理」を注ぎ込んでいたのだ。
結果として何が起きたか。
慎重を期し、退路の確保に時間を割いているはずの慶家の部隊の「進軍速度」は、他のどの部隊よりも圧倒的に早かった。
迷いがない。罠にかからない。敵の奇襲を事前に察知して迂回し、あるいは逆に高所を奪って先制攻撃を仕掛けるからだ。
「……少尉殿の言う通りだ。虫に刺されねえように袖を降ろしてりゃ、熱病にもかからねえ」
「陣形を崩さなければ、蕃人(原住民)の奇襲も怖くねえぞ!」
船倉で怯えていた農民兵たちは、今やジャングルの中で完全に「最強の三河武士」へと変貌しつつあった。
彼らは慶家という絶対的な指揮官の脳細胞の一部となり、百二十名という一個中隊が、まるで一つの巨大な生き物のように、台湾の熱帯雨林を淀みなく、そして冷酷に食い破りながら前進を続けていたのである。
―――
明治七年五月二十二日。
台湾南部の峻険な地形において、日本軍本隊と台湾原住民(パイワン族)との間で、この遠征における最大の激戦が火蓋を切った。
――『石門の戦い』である。
「石門」という名の通り、そこは両側を切り立った断崖に挟まれた、極めて狭い天然の隘路であった。
近代兵器の火力に自信を持つ日本軍本隊は、この渓谷を「力押し」で強行突破しようと試みた。しかし、それはジャングルにおける最悪の愚策であった。
「……撃てっ!!」
断崖の上、樹木の陰、そして岩の隙間。
地の利を完全に掌握しているパイワン族の戦士たちは、眼下で一列になって進む日本軍の頭上から、旧式銃と毒矢による猛烈な『奇襲』を仕掛けた。
狭い谷底に押し込められた日本軍本隊は、身を隠す場所もなく、次々と銃弾に倒れていく。大混乱に陥った本隊は、後方から重砲(山砲)を引きずり出し、崖上に向かって無差別に砲撃を加えることで強行突破を図ろうとしていた。
その地獄のような渓谷の入り口で。
遊撃部隊として本隊の側面に配置されていた滝脇慶家(家康)は、伝令から「本隊の突撃に呼応し、正面から突入せよ」という命令を受け取っていた。
「……阿呆が。谷底から崖上に向かって突撃するなど、飛んで火に入る夏の虫だ。いくさの素人め」
慶家は、その命令書を鼻で笑い、即座に破り捨てた。
「本隊の命令は無視する。……マタギども、事前に見つけておいた『あの獣道』へ部隊を案内しろ。我々は崖の裏側に回り込む」
慶家の部隊は、あらかじめ猟師出身の兵士たちによって退路と地形を完全に把握していた。彼らは正面からの突撃を放棄し、本隊が囮となって敵の注意を引きつけている隙に、原住民すら使わないような険しい獣道を音もなくよじ登り、パイワン族の背後(崖上)へと完全に回り込んだのである。
眼下では、パイワン族が谷底の日本軍本隊に向かって夢中で銃を撃ち下ろしている。
その彼らの背後に、音もなく慶家の百二十名の部隊が、三日月型の包囲陣を敷き終えていた。
「……構え」
慶家の冷酷な声が響く。
「撃て」
ダアァァァンッ!!
背後からの、百二十丁の小銃による無慈悲な一斉射撃。
地の利を得ていたはずのパイワン族は、突如として真後ろから降り注いだ銃弾の雨にパニックを起こした。逃げようにも、前方は切り立った崖、後方は慶家の部隊による完全包囲である。
そこからは、もはや戦いではなく「一方的な狩り」であった。
重砲を使用して強行突破を図ろうとしていた本隊が、ようやく反撃の準備を整えた頃には、崖上のパイワン族の部隊は、慶家の部隊の正確な射撃によって完全に瓦解し、沈黙していたのである。
―――
数時間後。
制圧された石門の崖上で、遠征軍の司令官である西郷従道(隆盛の弟)は、目の前の十七歳の少尉に向かって激しい怒声を浴びせていた。
「滝脇少尉!! 貴様、本隊からの突撃命令を無視し、独断専行で部隊を動かしたそうだな!!」
従道の怒りはもっともであった。近代軍隊において、命令違反はすなわち軍の紀律の崩壊を意味する。いかに結果として敵を殲滅したとはいえ、前線での命令無視は銃殺刑に処されても文句は言えない重罪である。
「はっ。軍規違反の責は、甘んじてお受けいたします」
慶家は、微塵も悪びれる様子もなく、ただ淡々と頭を下げた。しかし、その直後に顔を上げ、西郷従道の実直な瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「ですが司令。……あのまま谷底で重砲を放ち、正面から強行突破を図っていれば、本隊からどれほどの死傷者が出たとお考えですか?」
「な……っ」
「敵が待ち構える隘路に兵を押し込むなど、下の下。不必要な進軍によって、己の兵(手駒)に要らぬ損害を強いることは、指揮官として最大の『愚行』にございます」
慶家は、周囲に転がる原住民の亡骸と、無傷で整列している己の部隊を顎でしゃくった。
「私の独断専行により、本隊の被害は最小限に抑えられ、我が小隊の負傷者もゼロ。……結果がすべてではありませんか?」
西郷従道は、奥歯を強く噛み締めた。
兄・隆盛譲りの情の深さと、軍人としての理性の間で葛藤していた。
確かに、この少年将校の言う通りだ。あのまま正面突破にこだわっていれば、日本軍は甚大な被害を免れなかっただろう。
彼の冷徹なまでの戦術眼が、多くの日本兵の命を救ったことは、誰の目にも明らかであった。
「……軍隊は、結果がすべてではない。規律こそが命だ。貴様の理屈は正しいが、次はないと思え。厳重注意とする!」
従道は、あえて厳しい口調でそう言い捨てると、それ以上の咎め立てをせずに踵を返した。
(兄(隆盛)が警戒するのも無理はなか。……あれは、軍人の皮を被った『化け物』だ)
従道は内心で冷や汗を拭いながら、この異端の少尉の恐るべき才能を痛感していた。
―――
石門の戦いでの勝利により、日本軍は台湾南部の制圧に大きく前進した。
しかし、本当の「地獄」はここからであった。
数日後。
台湾の熱帯雨林に潜む「見えない敵」が、日本軍の陣地に猛威を振るい始めたのである。
マラリア、デング熱、赤痢。
長袖を疎かにし、生水を飲み、不衛生な環境で野営を続けていた他の部隊の兵士たちが、次々と高熱にうなされ、血を吐いてバタバタと倒れていった。前線の野戦病院はあっという間にパンクし、陣地は死と呻き声に満ちた地獄絵図と化した。
戦闘による死者が十数名であったのに対し、病による死者・戦闘不能者は数百名規模に膨れ上がり、本隊は事実上、進軍不可能な状態にまで崩壊した。
しかし。
その死の蔓延するジャングルの中で、ただ一つの部隊だけが、異常なまでの「完全さ」を保っていた。
「……第三哨戒班、戻りました。異常なし」
「よし。手洗いと軍服の消毒を徹底しろ。水を煮沸せずに飲んだ者は、営倉送りだぞ」
滝脇慶家率いる百二十名の部隊である。
彼らは茹だるような暑さの中でも、首元から手首まで軍服をしっかりと閉じ、決して肌を露出させなかった。そして慶家の厳命により、宿営地の衛生管理と水の煮沸を徹底していた。
結果として、慶家の部隊からはマラリアの罹患者がただの一人も出なかったのである。
他の部隊が熱病で壊滅し、前線を維持できなくなる中、無傷の慶家部隊は平然とジャングルの最前線に立ち続け、警戒網を維持し続けた。
「……少尉殿の言った通りだ」
「俺たち、化け物みたいな虫や熱病から、本当に守られてるんだ……」
旧幕府の怨念を背負った捨て駒の農民兵たちは、誰一人欠けることなく、自分たちを死地から完璧に生存させている十七歳の少尉に対し、もはや狂信にも似た絶対的な『忠誠』を抱くようになっていた。
戦術による物理的な勝利と、衛生管理による見えない敵からの勝利。
台湾という過酷な実験場において、滝脇慶家が叩き込んだ『戦国の理』と『近代の医学』の融合は、他の追随を許さぬ完璧な結果をもって、その正しさを証明したのである。




