将器 9
明治六年。
新政府は近代国家としての軍事力を確立するため、歴史的な大改革である「徴兵令」を施行した。
国民皆兵。四民平等の名の下に、武士だけでなく、平民や農民の次男・三男たちにも兵役の義務が課せられたのである。
しかし、この制度の滑り出しは、政府の思惑とは裏腹に極めて悲惨なものであった。
「……またしても、東の連隊で新兵の脱走騒ぎがあったそうだ」
「故郷で『血税(生き血を抜かれる)』という流言飛語を真に受けた者もいるらしい。
無理もない……昨日まで田畑を耕していただけの農民に、いきなり『国のために戦って死ね』と銃を渡して、はいそうですかと士気が上がるわけがないのだ」
陸軍兵学寮の教官室や講堂では、連日、将校や士官候補生たちが頭を抱えていた。
これまで、戦場で命を懸けるのは「武士」という特権階級の専売特許であり、彼らはそのために家禄を貰い、誇りを養ってきた。
しかし、農民にはその誇りも、戦う理由もない。荷が重すぎるのだ。
軍の上層部は、この最悪の士気低下を食い止めるため、かつてのように「腹一杯の白米を食わせてご機嫌を取る」という安易な手段にすがりつこうとした。
しかし、その『白米カード』は、滝脇慶家(徳川家康)による先の兵站改革と、それがもたらした劇的な脚気減少・体質改善の事実によって、永久に封じ込められていた。
「白米で釣ることもできず、精神論で殴りつけても逃げるだけ。……一体、どうやってあの烏合の衆を『軍隊』に仕立て上げろと言うのだ……!」
将校たちが絶望的な溜息を吐く中。
講堂の後方でその議論を冷ややかに聞いていた滝脇慶家が、立ち上がり、コツコツと軍靴の音を響かせて教壇へと歩み出た。
「……貴様ら、本当に戦場というものを知らんのだな」
慶家は、教官たちを押し退けるようにして黒板の前に立つと、チョークを手に取った。
「農民を徴用し、戦力として組み上げる。そんなものは、我々武士が戦国から嫌というほどやってきたことだ。
農民は白米では死なないし、国家の大義などという御題目でも死なない。
……彼らを戦う兵(足軽)に変えるには、確固たる『人間の理』が必要なのだ」
慶家は、黒板に迷いのない筆致で、一つの明確な「階層図」を描き出した。
それは、軍が兵の士気を構築するための、冷酷なまでに論理的な序列であった。
1. 使命感の共有(納得性・公平性)
▼
2. 統率と信頼(理不尽さの排除)
│
▼
3. 物資の充実・適切な休息(不満の解消)
│
【基礎土台】 4. 仲間意識(同期との連帯)
「見ろ。これが、兵の士気を練り上げるための序列だ」
慶家は、チョークで黒板を叩いた。
「貴様ら新政府の将校は、いきなり一番上の『使命感(国のために死ね)』を農民に押し付けようとしている。だから逃げられるのだ。
兵が戦うための最大の動機、そのすべての基礎土台となるのは『4. 仲間意識』だ。
……右も左も分からぬ恐怖の中で、隣で同じように震え、同じ不味い飯を食っている『同期の桜』。
人間は、国家のためには死ねなくとも、苦楽を共にした隣の仲間の背中を守るためならば、不思議と命を懸けられる生き物だ。
まずは徹底して、この連帯感を植え付けろ」
教官たちは、その泥臭くも圧倒的な心理の真理に、息を呑んで静まり返った。
「基礎が固まれば、次は『3. 物資の充実と適切な休息』だ。白米などという贅沢は不要。
だが、軍靴に穴が開いていないか、冬に支給される外套は十分か、弾薬は必ず届くか。
そして、死線を潜った後に確実に眠れる場所があるか。
……これが保証されて初めて、兵は軍という組織に不満を抱かなくなる」
「そして、その上で『2. 統率と信頼』が活きる。
上官が安全な後方から喚き散らすだけでは、兵は絶対についてこない。
弾の雨が降る中、指揮官自らが泥にまみれ、理不尽な暴力を排除し、『この上官の命令に従えば生き残れる』という確信(信頼)を与えよ。
……過酷な訓練(訓練と自信)とは、この信頼を築くために行うものだ」
慶家は、振り返り、将校たちを大御所の眼光で睨み据えた。
「これら三つの階段を昇り切って、ようやく一番上の『1. 使命感の共有』に到達する。
己の命を預けるに足る仲間と、信頼できる指揮官がいて、初めて『この隊と共に、故郷と日ノ本を護る』という大義が、農民の血肉に宿るのだ。
……順序を間違えるな。一段でもすっ飛ばせば、軍は容易く瓦解するぞ」
将校や士官候補生たちは、声も出なかった。
十五歳の少年が提示したこの心理学的な軍事統率論は、机上の空論ではなく、何万という農民(足軽)を動員し、天下を獲った戦国の覇王の「血肉のノウハウ」そのものであった。
「……だが、滝脇」
一人の教官が、震える声で尋ねた。
「その『仲間意識』や『信頼』を築くと言っても、今の軍は歩兵、砲兵、騎兵と兵科ごとに縦割りで訓練されている。
それぞれが別行動では、軍全体としての連帯など生まれぬのではないか?」
「その通りだ。だからこそ、軍の編成そのものを根底から作り変える必要がある」
慶家は、黒板の横に、もう一つの重大な改革案を書き殴った。
【各兵科を統合した『混成部隊(諸兵科連合)』の常設化】
「歩兵は歩兵だけ、砲兵は砲兵だけで固まるから、戦場で互いに連携が取れず、『砲兵の援護が遅い』『歩兵が前に出ない』と身内で疑心暗鬼を生むのだ。
……ならば、最初から混ぜてしまえばいい」
慶家は、両手を広げ、軍の未来図を提示した。
「各師団の下に、歩兵、騎兵、砲兵、そして工兵や兵站(輜重)部隊をあらかじめ一つの編成として組み込んだ『混成部隊』を常設化する。
平時の訓練から、同じ演習場で汗を流させよ。
歩兵は、後ろで砲兵がどれほど苦労して重い大砲を運んでいるかを知り、砲兵は、歩兵がどれほど命懸けで突撃しているかを目の当たりにする。
……互いの兵科の苦労と役割を肌で知ることでしか、真の『部隊間の信頼関係』など醸成されん!」
この「諸兵科連合」という概念は、当時の欧州でもまだ発展途上であり、日本軍においては完全な未知の領域であった。
しかし、慶家の理屈はあまりにも完璧だった。
兵科の壁を取り払い、一つの巨大な「家族」として常設化する。
それこそが、農民からなる徴兵軍に「絶対的な連帯感」と「使命感の共有」を叩き込むための、唯一にして最強の劇薬なのだ。
「戦国のいくさにおいても、槍働き(歩兵)、鉄砲隊(砲兵)、小荷駄(兵站)は、一つの部隊として同じ飯を食い、互いに背中を預け合っていた。
……近代化だ西洋式だと浮かれる前に、この国が昔から持っていた『いくさの真理』を思い出せ、阿呆ども」
チョークを投げ捨て、教壇を降りる慶家。
静まり返った講堂の中、新政府の軍人たちは、この若き「軍神」が提示した冷酷にしてあまりにも人間的なシステムに、ただただ圧倒されることしかできなかった。
白米という安易な飴を奪われた日本陸軍は、この日、滝脇慶家が叩きつけた『人間の理』と『混成部隊の常設化』という強烈な劇薬によって、真の近代軍隊へと脱皮するための最も苦しく、最も確実な一歩を踏み出した。
―――
明治六年という年は、新政府にとって内憂外患が極限に達した「試練の年」として歴史に刻まれることとなる。
その激動の最中、一つの巨大な星が政府の中枢から静かに、しかし確固たる意志を持って身を引いた。
新政府の金庫番として大蔵省の実務を牽引してきた男、渋沢栄一の下野(辞職)である。
表向きは、各省庁の放漫な予算要求と、財政の均衡を重んじる大蔵省との対立が限界に達したためとされた。
しかし、渋沢の真意は、単なる権力闘争の敗北や逃避などでは断じてなかった。
この数年、大蔵省という国家の頂点から日本経済を見渡し、彼は一つの冷酷な真理を悟っていたのだ。
「政府の主導(官尊民卑)だけで産業を育成することには、いずれ必ず限界が来る」と。
真に国を豊かにし、列強に対抗する力をつけるためには、民間の力(資本と商い)そのものを底上げし、束ねる強大な柱が必要である。ならば、官のぬるま湯に浸かるのではなく、自らが野に下り、泥にまみれて民間経済を先導する『最初の機関車』とならねばならない。
それは、かつて絶対的な権力を持っていた「征夷大将軍」という座を自ら手放し、己の首(生命)と名誉を賭して日ノ本の統一と未来を切り拓いた主君・徳川慶喜の決意と、本質的に全く同じものであった。
「国を活かすために、己の地位を殺す」。
渋沢栄一は、晴れやかな顔で大蔵省の執務室を後にした。
―――
一方、大蔵省を去る渋沢と入れ替わるように、政府内で重い決断を迫られていたのが、留守政府の筆頭・西郷隆盛であった。
この頃、西郷の巨体は長年の戦労と持病によって深く蝕まれ、立っていることすら辛い日があった。しかし、彼は休むことを許されなかった。先の司法省警保寮を通じた天皇の激怒と叱咤を受け、西郷は政府が推し進めようとしていた最大の難題――『地租改正』の抜本的な見直しに着手せざるを得なくなっていたのである。
当初、新政府が目論んでいた地租改正案は、極めて西洋的で冷酷なものであった。
「土地の価値(地価)の3パーセントを、豊作・凶作に関わらず、毎年必ず現金で納めさせる」というものだ。政府の歳入を安定させるためにはこれ以上ない制度だが、農民からすれば悪魔のような搾取である。不作の年に現金で3パーセントもの重税を絞り取られれば、村はあっという間に飢餓と借金地獄に陥る。
(……このまま重税を強行すれば、暴動が起きる。いや、国が割れるごわす)
西郷の元には、軍から切り離されて司法省警保寮に組み込まれた『諜報網』から、ダイレクトに「民衆の生々しい怨嗟の声」が届けられていた。
「新政府は徳川様より酷い」「血税で殺される」
地方の代官や役人が握り潰していたであろう農村の爆発寸前の不満が、フィルターを通さずに西郷の耳に飛び込んでくる。そのリアルな危機感は、留守政府全体を青ざめさせるに十分な深刻さを持っていた。
実は、渋沢栄一が大蔵省から身を引いたのには、この「地租改正の抜本的見直し」を成立させるための『強烈な政治的取引』という側面があった。
渋沢は、下野する直前、西郷に対して一つの強固な置き土産(法案案)を突きつけていたのだ。
「旧幕臣である俺が、大蔵省の要職から潔く身を引く。その代わり……基本地租を3パーセントから『2.5パーセント』に引き下げ、かつ、税率負担を『検見法』と『定免法』を基幹とした完全連動性のシステムに改めよ」
それは、西洋の無機質な税制を根底から覆す、驚くべき提案であった。
基本の税率を下げるだけでなく、不作の年には役人が実際に田畑の作柄を見て税を減免する『検見法』と、豊作の年には一定の税率で固定して農民に利益を還元する『定免法』。
要するに、「苦しい時は税を軽くし、平時は一定にしてやる(農民を生かさず殺さず)」という、あの滝脇慶家(家康)が語っていた『飴と鞭の税制』の完全なる復活である。
「……渋沢。おはんの言う通りにすれば、確かに一揆は防げるじゃろう。だが……」
西郷は、このシステムの「絶望的なまでの難しさ」を痛いほど理解していた。
豊作・凶作に合わせて税率を完全に連動させるということは、毎年、あるいは数年ごとに、全国の無数の田畑の価値と収穫量を正確に算定し、農民と直接交渉して税を決めなければならないということだ。
これを実行するには、農業の知識、算術、そして農民との泥臭い交渉術に長けた『熟練の役人』が山のように必要となる。
海外の書物を翻訳してふんぞり返っているだけの、新政府の若きエリート官僚たちに、そんな現場の泥にまみれるような仕事(徹底的な管理)ができるはずがないのだ。
「……新政府の人材だけでは、到底賄いきれんごわす。どうするつもりだ」
西郷の問いに、渋沢はニヤリと笑って答えていた。
「だからこそ、連中の出番でしょうが。維新で職を失い、算盤を持て余して燻っている『旧幕府の勘定方』や『地方の代官・手代』どもですよ。あいつらを、新政府の徴税官として丸ごと雇い入れなさい」
「……っ!」
西郷は、目を見開いた。
旧幕臣である渋沢が辞め、代わりに無数の旧幕府の末端実務者たちが、新政府の経済の毛細血管として入り込んでいく。
短期的に見れば、彼らを大量に雇い入れ、全国の田畑を調査するための莫大な人件費(支出)がかさむ。大蔵省としては頭の痛い出費だ。
しかし、長期的に見ればどうだ。
血も涙もない一律の重税で全国的な一揆(内乱)を招き、それを鎮圧するために莫大な軍事費と血を流すことに比べれば、遥かに安上がりであり、何より国家の根幹(農業)が極めて安定するシステムなのだ。
そう。
それは、徳川幕府が二百六十年の長きにわたり、日ノ本という巨大な列島を内乱なく統治し続けてきた、絶対的な「実証済みのシステム」であったからだ。
「……参ったごわす。完全に、あの狸爺たちの掌の上というわけか」
西郷は、執務室で一人、渋沢が遺した地租改正の法案に裁可の印を押し、深い溜息を吐きながらも、その顔にはどこか憑き物が落ちたような晴れやかさがあった。
新政府は、体裁こそ西洋の近代国家を装い始めた。
しかし、その実態はどうか。
治安と情報を握る司法省(警保寮)の裏には、旧幕府の『影』が潜み。
国の血流である税を徴収する現場には、旧幕府の『勘定方』が配置されることとなった。
そして、その強大な暴力装置である陸軍の兵站と教育の根底には、大御所・徳川家康の『いくさの理』が静かに、しかし強固に根を張り始めている。
陸軍兵学寮の講堂で、新聞に小さく載った地租改正(税率2.5%への引き下げと、柔軟な徴税システムの導入)の報せを目にした滝脇慶家は、誰にも気づかれぬように、口元を薄く歪めて笑った。
(……ご苦労だったな、渋沢殿。これで、日ノ本の臓腑は完全に落ち着いた。西郷殿も、病を押してよくぞ己の役割(政治的決断)を果たしてくれた)
官を辞し、野に下って「民の力」を育てる渋沢栄一。
己の命を削りながら、天皇と民のために「法の理」をねじ伏せた西郷隆盛。
そして、闇に潜んで国を護る影たち。
明治政府という巨大な器の中に、二百六十年の歳月が鍛え上げた「徳川の機能」が、見事に溶け込み、融合していく。
十三歳の少年が描いた途方もない盤面は、多くの怪物たちの血と汗と決断を吸い上げながら、いよいよ列強の蠢く世界という『真の戦場』へ向けて、その強靭な牙を剥こうとしていた。




