将器 3
一週間の営倉(重謹慎)が明け、分厚い扉が開かれた日。
滝脇慶家は、やつれるどころか、まるで湯治場から帰ってきたかのような清々しい顔つきで、日の光の下へと歩み出てきた。
彼が兵学寮の日常へと復帰して、まず明確に「変わった」ものがあった。
それは、彼を指導する旧幕臣の師範(教官)たちの態度である。
以前の彼らは、朝敵・徳川慶喜の庇護を受け、その名を名乗る慶家に対して露骨な敵意と軽蔑を抱いていた。すれ違いざまに冷笑を浴びせ、演習ではことさらに厳しい、あるいは理不尽な難題を押し付けて粗探しをしようとしていた。
しかし、謹慎明けの慶家に対する彼らの眼差しから、あの陰湿なトゲが完全に消え去っていたのである。
「滝脇。次の教練は射撃だ。準備をしておけ」
「……はっ」
特別扱いをするわけではない。ただ、他の生徒と全く同じように「一人の生徒」として、極めてフラットに、厳正に接するようになったのだ。
理由は明白であった。
慶家が山県有朋の長官室にドアを蹴り破って押し入り、大音声で陸軍の矛盾を叩き斬ったという事実は、師範たちの間にも知れ渡っていた。「慶喜の腑抜けの犬」だと思っていた童が、自分たち旧幕臣が束になっても言えなかった正論を、薩長の最高権力者の顔面に叩きつけたのだ。
(……ふん。現金なものよ)
慶家は、淡々と教練をこなしながら内心で小さく笑った。
(武士という生き物は、いかに御託を並べようと、結局は『誰が一番肝が据わっているか』で相手を測る。わしが新政府の親玉に噛み付いてみせたことで、連中の中の『腰抜けの犬』という色眼鏡が砕け散ったというわけだ。……扱いやすくなって重畳)
慶家にとって、彼らに傅かれる必要などない。感情的な嫌がらせが消え、合理的な教育機関として機能してくれさえすれば、それで十分であった。
しかし、兵学寮全体において最も劇的かつ、全生徒に衝撃を与えた「変化」は、教官の態度などという生易しいものではなかった。
それは、学寮の食堂(兵食)の内容であった。
「……な、なんだこりゃあ!?」
「白米じゃない! 米に麦だの粟だのが混ざってやがるぞ!」
ある日の夕食時。食堂に集まった生徒たちから、悲鳴にも似た驚きの声が上がった。
入寮当初、彼らの膳に山盛りにされていた「白米九割五分」という豪奢な銀シャリは、姿を消していた。
代わりに配膳されたのは、大麦や粟、稗などがたっぷりと混ざった、少し茶色みがかった『雑穀米』。
そして、その脇を固めるのは、具沢山の温かい味噌汁、沢庵などの漬物、さらには納豆や豆腐、小豆の煮物といった、植物性の副食の数々である。
「俺たちの銀シャリはどこへ行ったんだ! こんな田舎臭い飯、食えるか!」
白米を軍隊の最大の恩恵と信じていた薩長出身の生徒たちが、不満の声を上げる。
しかし、その騒ぎの喧騒の片隅で、慶家はただ一人、運ばれてきた雑穀米と味噌汁を前に、深く、深く満足げな息を吐いていた。
(……見事。わしが営倉で書いた計算書の通りだ)
それは、慶家が山県に突きつけた「完璧な兵站と兵食の設計図」が、陸軍の中枢において完全に採用されたという何よりの証左であった。
(麦や粟で腹持ちを良くし、味噌や納豆、豆腐で戦に必要な力(タンパク質)を補う。そして何より、これで兵が江戸わずらい(脚気)でバタバタと倒れることはなくなる)
「いただきます」
慶家は、箸を取り、大麦の混ざった飯を口に運んだ。
白米のようなとろける甘さはない。
しかし、噛めば噛むほどに雑穀の野性味あふれる滋味が染み出し、身体の芯から力が湧いてくるような、生命力に満ちた味がした。
(これぞ、真の『兵の飯』よ)
もちろん、毎日この雑穀米ばかりというわけではない。
慶家の提出したローテーション通り、演習で極度に体力を消耗した日や、特別な日には、以前のように真っ白な白米が支給される日も設けられていた。
平時は粗食で胃袋を鍛え、時に白米という甘露で士気を跳ね上げる。見事なまでの『飴と鞭』の使い分けである。
最初は不満を漏らしていた生徒たちも、数週間、一ヶ月とこのローテーションで食事を摂るうちに、次第に身体の変化に気付き始めていた。
白米ばかりを食べていた時特有の「身体の重さ」や「息切れ」が減り、過酷な教練をこなしても、翌日にはしっかりと疲労が抜けるようになってきたのである。
「……なんだかんだ言って、この麦飯、噛みごたえがあって腹にたまるな」
「ああ。納豆や味噌汁と一緒にかき込むと、不思議と力が湧いてくる」
食堂のあちこちから、そんな声が聞こえ始めるようになった。
陸軍の首脳陣は、誰一人として「これが十五歳の滝脇慶家が立案した兵食である」とは公表しなかった。彼らのちっぽけなプライドが、それを許さなかったのだろう。
だが、そんな名誉など、慶家にとっては便所の落書きほどの価値もない。
重要なのは、事実として「慶家(家康)の設計した盤面の上で、新政府軍の全生徒が飯を食い、血肉を造り上げている」という絶対的な現実であった。
(食を制する者は、軍を制す。……まずは胃袋から、貴様らをわしの色に染め上げてやる)
味噌汁を啜りながら、慶家は仏頂面の奥で、大御所としての獰猛な笑みを深く刻んでいた。
陸軍兵学寮という新たな戦場。滝脇慶家による「軍の内部侵略」は、誰にも気付かれぬまま、極めて静かに、そして致命的な形で第一歩を踏み出したのである。
―――
陸軍兵学寮の講堂には、熱気と、どこか重苦しい静寂が入り交じっていた。
教壇の壁一面に広げられているのは、遥か西欧の地で起きたばかりの大戦争――「普仏戦争(プロイセン・フランス戦争)」の巨大な盤面図(戦略地図)である。
仏蘭西から招かれた軍事顧問団の将校が、通訳を介して苦渋に満ちた表情で当時の戦況を語り、新政府の若き士官候補生たちは、食い入るようにその地図に釘付けとなっていた。
「何故、無敵と謳われたフランス陸軍が、新興のプロイセンにこれほど無惨に敗れ去ったのか」
講堂のあちこちで、教官や生徒たちによる白熱した議論が交わされていた。
彼らの焦点は、もっぱら両軍の「組織形態」と「戦術」に向けられている。
「プロイセンの勝因は、『統合参謀本部』という軍政の仕組みにある! モルトケという天才が中央で大まかな戦略(号令)だけを決定し、実際の戦場での判断は、現場の指揮官に大幅な権限を委譲して任せたのだ!」
「そうだ。中央集権的で硬直していたフランス軍に対し、プロイセンは鉄道網を駆使し、徴兵された軍団が現場の判断で柔軟にフランス軍を包囲・殲滅した。これぞ新時代の軍隊の在り方だ!」
皆が、セダンやメスといった激戦地の戦術的な機動や、シャスポー銃とクルップ砲の性能差、そして参謀本部という画期的な組織の優秀さに目を輝かせている。
しかし。
講堂の後方、腕を組んでその盤面図を見上げていた滝脇慶家(徳川家康)の視線は、群がる生徒たちとは全く別の次元を捉えていた。
(……阿呆らしい。戦術や軍政の優劣など、結果論の枝葉に過ぎん)
慶家は、とうの昔にその結論に達していた。
確かにプロイセンの参謀本部制度は優れている。
大方針だけを示し、現場に裁量を与えて臨機応変に動かすというのは、かつて家康自身が徳川四天王や優秀な譜代大名たちに戦を任せた手法と全く同じである。
それは軍の硬直を防ぐための極めて合理的な仕組みだ。
だが、慶家が着目したのは、プロイセン軍の強さではなく、「何故、フランスは孤立したまま、あのような不利な状況で開戦に踏み切ったのか」という点であった。
慶家の目は、戦場となった国境地帯ではなく、盤面図のさらに外側——英国、露西亜、墺太利といった、欧州の周辺列強国へ向けられていた。
(これほどの大戦。もしフランスに一つでも強力な同盟国がいれば、プロイセンといえども容易く勝てたはずがない。
にもかかわらず、周辺国は皆、見事なまでに沈黙し、フランスを見殺しにした。……偶然か? 否、あり得ない)
慶家の脳裏に、海を越えて届いた断片的な国際情報や、外交の経緯がパズルのように組み合わさっていく。
(……事前の密約によって露西亜の介入を防ぎ、英国の中立を確約させる。
その上で、バラバラだった南ドイツの諸邦に『フランスという共通の脅威』を抱かせて団結させる。
そして極めつけは……意図的にフランスの誇りを逆撫でし、激昂させ、『フランスの方から先に手を出させる(宣戦布告させる)』ように仕向けた)
慶家の口元に、大御所特有の、底知れぬ獰猛な笑みが浮かんだ。
(見事。あまりにも見事な『手回し』よ。……ビスマルクとやら。西欧にも、わしと同じような盤面を描く『古狸』がいたということか)
鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルク。
普仏戦争という歴史的対決の決定的な決着は、決してセダンの戦場という「軍事の盤面」で決したものではない。
すべては、ビスマルクという一人の宰相が、事前に外交という「政治の盤面」においてフランスの四方を完全に塞ぎ、孤立無援の絶望的な状況を作り上げた上で、焦った相手を自らの土俵(戦場)へと引きずり込んだのだ。
戦う前に、すでに勝敗は決していた。
軍隊の衝突は、その「確認作業」に過ぎない。
(大坂の陣の折、わしが豊臣の孤立を誘い、鐘銘事件で難癖をつけ、淀殿を激昂させて城から引きずり出したあの手口と、本質は全く同じ。
……政治的謀略によって敵を孤立させ、怒りで目を曇らせた上で、自滅へと誘い込む)
周囲の若き士官候補生たちは、未だに「どちらの大砲が優れていたか」「包囲陣形がどうだったか」と、戦場という極めて狭い盤面での勝敗に熱狂している。
彼らは気づいていないのだ。プロイセンの真の恐ろしさが、軍隊の強さではなく、軍隊を単なる「外交の小道具」として冷徹に使いこなす政治家(為政者)の存在にあるということに。
「……滝脇? どうした、ニヤニヤと笑って。お前もプロイセンの参謀本部の仕組みに感心しているのか?」
隣にいた古川宣誉が、不思議そうに尋ねてきた。
慶家は、フッと笑みを消し、静かに首を横に振った。
「いや。……洋の東西を問わず、真理とは変わらぬものだと、改めて確信しただけだ」
「真理?」
「ああ。『百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』」
古代中国の兵法書『孫子』の一節。
慶家の口から自然とこぼれ落ちたその言葉に、古川は怪訝な顔をした。
「孫子だと? 古臭い。今は西洋兵学の時代だぞ。現にプロイセンは、武力で徹底的にフランスを叩き潰して勝ったではないか」
「武力で叩き潰すしかなかったから、叩き潰しただけのことだ。
……戦端が開かれる前に、敵の同盟を断ち、大義名分を奪い、己の陣営を磐石にする。
真の勝敗は、最初の銃弾が放たれる前に『政治』という盤面ですでに決しているのだ」
慶家は、盤面図の奥に潜むビスマルクの影を心眼で睨み据えながら、静かに、しかし断言するように言った。
「戦術や軍政は、確かに重要だ。だが、それはあくまで『政治の目的を果たすための刃』に過ぎん。
刃の切れ味ばかりに気を取られ、その刃を振るう『国家の意思(外交と謀略)』を見落とす者は……いずれ必ず、国を滅ぼすことになる」
その言葉は、軍事力という目に見える暴力にのみ傾倒しつつある新政府軍の危うさを、あまりにも正確に突いていた。
講堂の熱狂をよそに、滝脇慶家は一人、冷徹な為政者としての牙を研ぎ澄ませていた。
西欧の地でビスマルクが体現した『孫子の兵法(真の謀略)』の完成形。
それを己の血肉として完全に吸収したこの数え十五歳の狸爺にとって、陸軍兵学寮の机上の空論など、もはや通り過ぎるべき小さな通過点に過ぎなくなっていた。




