明治の帳 9
東京へと向かう東海道に足を踏み出す前。
滝脇慶家は、駿府に居を構える徳川慶喜の私邸を訪れていた。
かつて日本全土を統べた十五代将軍の住まいにしては、あまりにも静かで、質素な佇まいである。
案内された縁側には、隠居の身となった慶喜が一人、秋の庭を眺めて座していた。
趣味の写真機材や油絵の道具が部屋の隅に置かれており、日々健康には気をつけているのだろう。その身は年相応の落ち着きと健やかさを保っていた。
しかし、慶家が密かに注目したのは、その「目」であった。
慶喜の双眸は、目の前の庭木を愛でているようでいて、実はもっと遥か遠く——新政府が治める今の日本という枠すら超えた、何処か途方もない未来の盤面を見つめているかのように、深く澄み切っていた。
「……そうか。東京の、陸軍兵学校へ行くか」
慶家が、兵部省の命により東京へ編入される旨を伝えると、慶喜は静かに頷いた。
その声に驚きや落胆はない。まるで、最初からそうなることが分かっていたかのような、淡々とした響きであった。
慶家は、居住まいを正し、ずっと胸の内に燻っていた「一つの問い」を、かつての主君へと真っ直ぐにぶつけた。
「……一つ、お伺いしたき儀がございます」
「何だ」
「沼津兵学校が事実上閉鎖され、兵部省に吸収されることも。そして、廃藩置県により、徳川の残された地盤(静岡藩)が完全に解体されることも」
慶家は、慶喜の横顔から目を離さずに問うた。
「すべて……上様の盤面の上。初めから『織り込み済み』であったのですか?」
鋭い問いであった。
もし慶喜が、新政府が旧幕府の痕跡を徹底的に消し去ることまで予測した上で、あえて無血開城と恭順を選んだのだとすれば。彼は自らの家臣たちの居場所すらも、国家統一という「大義」のための『生贄』として冷徹に計算していたことになる。
風が吹き抜け、庭の木の葉がカサリと音を立てた。
慶喜は、黙した。
こちらを振り向くこともなく、表情を変えることもない。
『はい』とも『いいえ』とも言わなかった。
肯定すれば冷酷な策士となり、否定すれば読みの浅い愚者となる。だが、慶喜の沈黙は、保身からくる逃げの沈黙ではなかった。
それは、自らの決断がもたらしたすべての結果——流された血、奪われた地位、旧幕臣たちの恨み——その一切合切を、弁解せずにただ一身に背負い続けるという、途方もなく重い『沈黙』であった。
やがて、慶喜はゆっくりと口を開いた。
過去の答え合わせではなく、ただ一つの「願い」だけを口にするために。
「……この日ノ本を、良き国にしてこい」
短く、しかし万感の思いが込められたその一言に、慶家は息を呑んだ。
(……ああ。何という男か)
慶家——大御所・家康の魂は、目の前の男の背中を見て、静かに、しかし激しく震えていた。
それは、国家のための強烈な決意か。
それとも、すべてを投げ打った自己犠牲か。
確かなことは一つだけである。
慶喜が生きている間、彼が世間から「国を救った英雄」として正当に評価され、救われる日は決して来ないだろうということだ。
薩長からは「朝敵」と蔑まれ、旧幕臣からは「裏切り者」と恨まれ続ける。
彼は自らその泥沼に沈むことを選び、沈黙したまま一生を終える覚悟を決めているのだ。
(誰に称賛されるでもなく、ただ国を残すために、永遠の汚名を被り続ける。……これほどの凄絶な忍耐を、わしは他に知らぬ)
かつて、織田信長や豊臣秀吉の理不尽に耐え、泥を啜りながら天下を待った家康。その『忍耐の権化』である家康の目から見ても、徳川慶喜という男の背負ったものの重さと、それを耐え抜く精神力は、畏怖を通り越して神々しさすら感じさせた。
慶家は、畳に手をつき、言葉ではなく態度で、その男に対する最大限の『敬意』を示した。
深く、深く、額が畳に擦れるほどに平伏したのである。
「……御意。この滝脇慶家、粉骨砕身し、必ずや良き国を創り上げてご覧に入れまする」
慶喜は振り返らなかった。
しかし、その背中はどこか安堵したように、微かに息を吐いたように見えた。
この日、数え十三の少年は、最後の将軍から「日本の未来」という最も重い呪いと祈りを受け取った。
顔を上げた慶家の眼差しには、もはや一切の迷いはなかった。
時代を終わらせた男の沈黙を背に受け、時代を創り上げた男は、いよいよ新政府が待ち受ける帝都・東京へと、力強い足取りで旅立っていったのである。
―――
沼津兵学校から東京の陸軍兵学寮へと編入される生徒たちは、本来であれば極めて優秀な人材として厚遇されており、移動のための船が特別に用立てられていた。
しかし、慶家はあえてその恩恵を辞退し、自らの足で東海道を東へと向かう道を選んだ。
理由は単純にして、極めて為政者らしいものであった。
徳川家康としてこの世を去り、久能山から日光へと葬られてより、実に二百六十年余り。かつて己が命じて整備させ、天下の血流として機能させた大動脈・東海道が、長い泰平の世を経てどのような姿へと変貌を遂げたのか。
宿場町はどのように発展し、市井の人々はどのような顔をして日々の暮らしを営んでいるのか。それを、どうしても自らの目で直に確かめておきたかったのである。
(……良い道だ。これほど見事に踏み固められ、街道が息づいておるとはな)
わらじ掛けの足から伝わる土の感触を確かめながら、慶家は深く感慨に耽っていた。
箱根の険しい山道を越え、小田原、藤沢と宿場町を歩く。街道沿いには茶屋や旅籠が軒を連ね、かつての参勤交代の名残を感じさせる本陣の立派な門構えも残っている。
一方で、ちょんまげを切り落とした散切り頭の男たちが歩き、一部には電信柱という西洋の柱が立ち始めているなど、明治という新しい風が確実に吹き込んでいるのも見て取れた。
(大名行列こそ消えたが、商人の荷車や旅人の行き交う活気は失われておらん。……これぞ、国力よ。この豊かな民の暮らしと物流の基盤こそが、わしが二百六十年の時間をかけて遺した最大の財産だ)
慶家は、額の汗を拭いながら、道行く農民や商人たちの顔をじっと観察した。
軍隊の強さとは、大砲の数や将校の知識だけで決まるものではない。銃を撃ち、米を運び、税を納めるのは彼ら『大御宝(民草)』なのだ。
彼らがどれほど健やかに生き、国を支える気力を持っているか。それを知らずして、机上の空論で軍を動かすことなどできはしない。
途中、峠の茶屋で休憩を挟みながら進んでいると、慶家は同じように東へと向かう何人かの若者たちと道を共にすることとなった。
「ふう……っ、まさか船に乗りそびれて、江戸まで徒歩で行く羽目になるとはな。足が棒のようだぜ」
「こら、泣き言を言うな。我々は新政府の兵学校へ入るのだぞ。この程度の行軍で根を上げてどうする」
彼らは、真新しい学生服や粗末な袴に身を包んだ、十代半ばから後半の少年たちであった。言葉の訛りからして、遠方の県(旧藩)から上京してきた者たちらしい。
どうやら彼らもまた、東京に新設される陸海軍の兵学校や、関連する軍の教育機関へと向かう途上であるようだった。
「おい、そこの君。君も東京へ向かうのか?」
若者の一人が、荷物を背負って涼しい顔で歩く慶家に声をかけてきた。
十三歳という年少でありながら、歩幅が広く、まったく息が上がっていない慶家の姿が目に留まったのだろう。
「ええ。東京の陸軍兵学寮へ」
慶家が短く答えると、若者たちは驚いたように目を丸くした。
「兵学寮へ!? こんな子供が……いや、失礼。しかし、それならばなおさら船や馬車を使えば良かっただろうに。なんでまた、こんなご苦労な徒歩の旅を?」
若者の素朴な疑問に、慶家は前方の街道——果てしなく続く江戸(東京)への道をスッと見据え、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……己の足で踏みしめねば、この国の『広さ』も『重さ』も分かりませぬゆえ」
「広さと、重さ……?」
「いざ戦となれば、兵はこの道を自らの足で歩き、重い荷駄を引かねばなりません。地図の上で尺を測るだけでは、どの坂で馬が息絶え、どの宿場で水が尽きるかは見えてこない。
……国を守る軍人となるならば、まずは自分の足で、守るべきこの国の土の匂いを知っておくべきかと思いまして」
そのあまりにも達観した、そして軍事的合理性に裏打ちされた答えに、若者たちは絶句し、互いの顔を見合わせた。
つい先程まで「足が痛い」と愚痴をこぼしていた自分たちが、ひどく恥ずかしく思えてきたのだ。
「……恐れ入った。君、ただ者じゃないな。俺は岡山の出で、名を……」
若者たちが次々と名乗りを上げ、慶家に敬意を持った眼差しを向けてくる。
慶家は、彼らの名を聞きながら静かに頷き返した。
(薩長閥が牛耳る軍の中枢に乗り込むのだ。こうして地方から上京してくる志ある若者たちと道中で縁を結んでおくのも、決して悪くはない)
東京までの道程は、天下を統べた大御所にとって、ただの移動ではない。
それは新しい日本の経済と民情を検分する視察であり、同時に、来るべき中央での権力闘争に向けた「新たな手駒(同志)探しの旅」でもあった。
秋の高く澄んだ空の下、東海道を東へ。
滝脇慶家は、偶然出会った未来の将校たちと共に、日本の中心・東京へと向けて確かな足取りを進めていった。
―――
東海道をひたすらに東進し、幾つかの宿場を越え、やがて潮の香りが微かに風に混じり始めた頃。
一行の視界がふっと開け、江戸湾(東京湾)の青々とした海面が広がった。
「見ろ……っ、海だ! 異国の船も見えるぞ!」
「着いた……っ。ここが、帝都・東京か……!」
高輪海岸に達した若者たちは、長旅の疲労も忘れ、目を輝かせて歓声を上げた。
海岸線には、かつてとは比べ物にならないほど巨大な蒸気船が煙を吐き、陸には真新しい西洋式の煉瓦建築や電信柱が、古い武家屋敷と混ざり合うようにして立ち並んでいる。それが、新時代を象徴する「東京」の第一印象であった。
しかし、その喧騒を他所に、慶家はただ一人、静かに周囲の地形を見回していた。
(ふむ。江戸の入り口たる高輪の景色も、随分と様変わりしたな。……どれ、この街の『今の造り』を確かめるには、あそこへ登るのが一番手っ取り早いか)
「皆の者。帝都の全容を拝むのなら、少しばかり寄り道になるが、あそこに見える『御殿山』へ登るのが良い。案内しよう」
慶家がそう言って先導すると、若者たちも「おお、あの桜で名高い御殿山か!」と喜んでその後へ続いた。
前世において、御殿山は品川宿を見下ろす小高い丘であり、家康自身が江戸に入府した折には、そこに品川御殿を築いて茶会や鷹狩りを楽しんだ思い出の地である。江戸の南の防衛線としても、そして街を一望する物見としても、最高の立地であったはずだ。
しかし、歩みを進め、いざその御殿山へと差し掛かろうとした時。
慶家は、ピタリと足を止め、微かに眉をひそめた。
(……おかしい。山が、小さくなっておる)
記憶にある雄大な御殿山の姿と、目の前にある削られた丘の形が、どうしても合致しないのだ。
周囲の土が大きく抉り取られ、山の形そのものが無惨に変形してしまっている。
少し考えを巡らせた後、慶家の明晰な頭脳は、その理由を即座に弾き出した。
視線を海の方へと向ければ、品川沖の海上に、かつては存在しなかった幾つもの人工の島——砲台を備えた「お台場」が浮かんでいる。
(なるほど。黒船が来た折、海防のためにあのお台場を築くべく、この御殿山の土を大量に切り崩して海へ運んだのだな)
それだけではない。
今まさに、削られた御殿山の麓では、無数の労働者たちが山の真ん中を真っ二つに切り開くようにして、鉄の軌道を敷くための大規模な工事を行っていた。
後に日本初の鉄道となる、新橋・横浜間の鉄道敷設工事である。
「すげえ……山を切り崩して、鉄の道を造ってやがる……」
同行する若者たちが度肝を抜かれている横で、慶家は小さく息を吐いた。
(諸行無常、とはよく言ったものよ)
かつて自分が愛し、江戸の守りの要とした美しい山が、防衛のための土くれとなり、近代化という鉄の道を通すために真っ二つに切り裂かれている。
普通の旧幕臣であれば、徳川の遺産が破壊されていく様に涙し、新政府を恨むところだろう。
だが、大御所・家康の魂は、それを感傷ではなく、冷徹な『時代の必然』として受け入れていた。
(異国から国を守るためならば、山の一つや二つ、削り取って海に沈めるのが道理。富国強兵のためならば、山を割ってでも物資を運ぶ鉄の道を通さねばならぬ。
……これもまた、国家が生き残るための、正しき『時代の流れ』よ)
過去の感傷に浸るつもりはない。
慶家は、削られ、低くなってしまった御殿山の中腹へと登り、そこから北——東京の中心部へと視線を向けた。
「おおお……っ!」
「なんと広大な……これが、日ノ本の中心……!」
若者たちが圧倒されて声を漏らす中、慶家もまた、眼下に広がる途方もない大都市の威容を、静かに見下ろしていた。
確かに、そこは「江戸」であった。
かつて、彼が秀吉の命によって初めてこの関東の地へ足を踏み入れた時、そこはただの葦が茂る湿地帯と、ひなびた漁村に過ぎなかった。
それを、山を崩し、海を埋め、利根川の流れを捻じ曲げて、力技で創り上げた世界最大の巨大都市。
電信柱が立ち、ガス灯の準備が進み、洋館が建ち並ぶようになっても、その都市の骨格——堀の配置、街道の繋がり、町割りの基本構造は、間違いなく己が設計し、築き上げた『江戸』そのものであった。
(見事だ。わしが泥まみれになって開拓したあの湿地が、二百六十年を経て、これほどまでに途方もない都に育ちおったか)
そして、その広大な都市のド真ん中。
慶家の視線は、幾重にも連なる巨大な水堀と、堅牢な石垣に囲まれた広大な空間——かつての江戸城、今は天皇の住まう『皇居』へと吸い込まれた。
明暦の大火で焼け落ちて以来、ついに再建されることのなかった天守閣。
今は無きその巨大な影を、慶家は心眼ではっきりと捉えていた。
(わしの城よ。今は新しき主(天皇)を迎え入れ、この国を守る盾となっておるのだな)
寂しさはなかった。
あるのは、己が創り上げたこの国の土台が、形を変えながらも未だに日ノ本を支え続けているという、途方もない誇りである。
「皆の者。あれが、我らの往くべき帝都の中心ぞ」
慶家は、眼下の皇居を指差し、傍らの若者たちに力強く告げた。
「あそこに集まる薩長のお歴々に、我ら地方の若武者が、新しき時代の軍の在り方を叩き込んでやるのだ。……行くぞ」
「おうっ!」
東京の風が、学生服の裾を力強くはためかせた。
削られた御殿山から江戸の街を見下ろした十三歳の狸爺は、自らの進むべき「中央での権力闘争」という新たな戦場を前に、その牙を研ぎ澄まし、悠然と歩みを再開した。




