明治の帳 6
滝脇慶家の名は、瞬く間に風に乗り、沼津の地を越えて全国の兵学校や新政府の軍中枢へと伝わっていった。
「西洋の無敗の戦術論に、真っ向から反証を突きつけた童がいるそうだ」
「それも、ただの詭弁ではない。国家の戦略と兵站、そして『戦わざる勝利』を説き、教官たちを沈黙させたらしい」
人の口に戸は立てられぬ。話というものは人伝に尾鰭や胸鰭がつくものであり、いつしか慶家は「合理の極致を知る秀才」あるいは「西洋の軍神すら論破する天才」として、畏怖と好奇の入り交じった噂の的となっていった。
しかし、出る杭は打たれるのが世の常である。
その特異な存在感と名声に対し、激しい不満と敵意を燃やす者たちがいた。
それはまず、新政府軍の主流派――すなわち、薩摩・長州・土佐・肥前(薩長土肥)出身の、各地の兵学校の師範や将校たちであった。
「朝敵の残党、それも乳臭い童が、偉そうに軍学を語るなど笑止千万!」
「西洋の戦術を否定するとは、新政府の近代化を愚弄する旧弊の戯言に過ぎん!」
彼らにとって何よりも許しがたいのは、その少年の「名」と「血筋」であった。
滝脇という家名は、旧幕臣の中でも三河十八松平家の血を引く、いわば徳川の正統な枝葉である。
その上、有ろうことか「慶家」という名は、朝敵の筆頭であり、自分たちが本来ならば首を刎ねたかった元将軍・徳川慶喜から直々に賜ったというではないか。
しかもその一字には、憎き徳川の開祖・家康の「家」が刻まれている。
薩長の者たちからすれば、滝脇慶家という少年は、単なる生意気な秀才ではない。
「朝敵・徳川が、新しき世に遺した最大の『呪い』であり『敵』」に他ならなかった。
一方で、慶家に対する風当たりは、味方であるはずの旧幕臣の側からも容赦なく吹きつけていた。
戊辰戦争を戦い抜き、あるいは徹底抗戦を主張して破れ、辛酸を舐めながら各地の兵学校で教鞭を執っている旧幕臣の師範たち。彼らにとってもまた、「慶喜の庇護を受けた慶家」は目障りな存在であった。
「あの男は、味方を見捨てて江戸へ逃げ帰った腰抜け(慶喜)から名を貰い、それを誇らしげに名乗っているのだぞ」
「会津を見殺しにし、五稜郭で散った同志たちを裏切った『卑怯者』の威光を借りるなど、武士の風上にも置けぬ!」
彼らにとっての慶喜は、大局を見た賢君などではなく、徳川の意地をへし折った裏切り者である。その慶喜の息がかかった慶家は、旧幕臣の矜持を汚す「犬」のように映ったのだ。
新政府の傲慢な勝者たちからは「徳川の怨霊」として憎まれ。
旧幕府の敗者たちからは「裏切り者の手先」として蔑まれる。
当然、沼津兵学校の内部や、他校からの視察団が訪れるたびに、慶家への風当たりは尋常ではない強さとなった。
あからさまに厳しい教練を課されることもあれば、すれ違いざまに陰湿な嘲笑を投げつけられることも日常茶飯事であった。まだ十三歳の少年が受けるには、あまりにも理不尽で、精神をすり減らすような四面楚歌の状況である。
だが――。
(……心地よい風だ)
夜の演習場。
重い小銃の銃剣突きの型を一人黙々と繰り返しながら、慶家は額の汗を拭い、フッと暗闇の中で冷たく笑った。
前世において、大御所・徳川家康が歩んできた人生は、これ以上に理不尽な「風当たり」の連続であった。
幼少期は今川と織田の人質としてたらい回しにされ。
青年期は武田信玄という理不尽な暴力に蹂躙され。
壮年期は豊臣秀吉に屈服し、全国の諸大名から「底知れぬ野心家」「腹黒い古狸」として蛇喝のごとく嫌われ、常に命を狙われ続けてきたのだ。
それに比べれば、薩長の将校や旧幕臣の意地を張った嫌がらせなど、春のそよ風にも等しい。
(勝者は己の権力を脅かされる恐怖からわしを憎み、敗者は己の惨めさを誤魔化すためにわしを憎む。……よき事だ。感情で動く者は、盤面において最も『操作』しやすい)
慶家は、自らに向けられる敵意を、一切の反発も弁解もせずに、スポンジのようにただ黙々と吸収していた。
敵対する者たちが彼に注目すればするほど、彼らは慶家という特異点から目を離せなくなる。それこそが、家康の仕掛ける最大の罠であった。
「見ているがいい、薩長の小童ども。そして、過去の亡霊に囚われた幕臣ども」
慶家は、銃剣を鋭く虚空へと突き出した。
空気を裂く鋭い音色が、明治の夜闇に響き渡る。
「貴様らがわしを憎み、わしという壁を越えようと躍起になればなるほど……貴様らは、わしの描く『強国』への盤面の上で、無自覚に踊らされることとなるのだ」
孤立無援。四面楚歌。
しかしそれこそが、かつて天下を簒奪した男にとって、最も己の力を発揮できる「玉座」であった。
吹き荒れる逆風をすべて推進力に変えながら、滝脇慶家は全く揺らぐことなく、強靭な軍人としての牙を静かに研ぎ澄ませ続けていた。
―――
沼津兵学校の教室の片隅。
同期であり、隣席で机を並べる古川宣誉は、ペンを走らせる手をふと止め、隣の滝脇慶家を横目で観察していた。
四面楚歌の逆風。薩長出身者からの露骨な敵意と、旧幕臣からの陰湿な冷笑。
普通の十三歳の少年であれば、とうに心が折れ、学校を逃げ出しているか、あるいは怒りに任せて刃傷沙汰を起こしていてもおかしくないほどの重圧である。
しかし、慶家は涼しげな、というよりも「全く意に介していない」仏頂面のまま、分厚い洋書のページを淡々と捲っていた。
(……気味が悪いほどの落ち着きだ。いや、落ち着きなどという言葉では足りない)
古川は、筆の端を噛みながら思考を巡らせた。
後から入学してくる下級生や、他校からの転入生たちも、初めは周囲の噂や評価に踊らされ、慶家を「朝敵の残党」「腰抜けの犬」と色眼鏡で見る。だが、演習や会読でひとたび慶家の『底知れぬ深さ』に触れると、皆一様にその評価を裏返してしまうのだ。
ある者は畏怖し、ある者はその合理性に心酔し、いつしか彼の背中を追うようになる。
言葉で扇動するわけでも、武力でねじ伏せるわけでもない。ただそこに在り、圧倒的な結果と論理を提示し続けるだけで、周囲の空気を自分の色に染め上げていく。
(この滝脇慶家という男……単なる秀才や天才という枠には収まらない。その奥底に、何かもっと途方もなく巨大な『芯』のようなものを持っているのではないか?)
古川の空間把握能力(直感)は、目の前の少年の内側に、かつて天下を統べた巨大な「城郭」のような精神の構造を、無意識のうちに感じ取っていたのである。
―――
そんな折、沼津の町に一人の傑物が滞在していた。
江戸城無血開城の立役者でありながら、新政府の役職を辞して野に下っていた旧幕府の重鎮、勝海舟である。
海舟は、駿府から静岡、そして沼津へと移り変わる旧幕臣たちの状況を視察するためにこの地を訪れていたが、彼の頭の片隅には、常に一つの「気がかり」があった。
(……西郷どんが震え上がり、あの慶喜公が直々に、ご自身と大御所様(家康)の字を授けたという童……)
二年前に西郷隆盛の口から聞かされた、「江戸城無血開城を予言した十一歳の化け物」。
その童——市之進が、今や滝脇慶家と名を変え、この沼津兵学校で猛烈な頭角を現しているという噂は、隠遁生活を送る海舟の耳にもしっかりと届いていたのである。
「どれ。天下の西郷どんと慶喜公をたぶらかしたというその面構え、俺が直々に見てやろうじゃねえか」
べらんめえ調で独りごちた海舟は、ふらりと散歩にでも出かけるような身軽さで、旧沼津城跡——沼津兵学校へと足を向けた。
彼にとって、旧幕臣の巣窟であるこの学校は庭のようなものである。顔見知りの教官たちに挨拶もそこそこに、海舟は演習場へと歩みを進めた。
兵部省の影と、迫る視察
一方で、同じ頃。
沼津兵学校の教官室には、重苦しい緊張が走っていた。
「……兵部省の役人が、近々この学校を『視察』に来るそうだ」
その報せは、瞬く間に校内を駆け巡った。
新政府における軍政の最高機関である兵部省。そこを牛耳っているのは、大村益次郎の意志を継ぐ長州閥や薩摩閥の将校たちである。
彼らが、旧幕府の息がかかった沼津兵学校をわざわざ視察に来る。その意味は、火を見るよりも明らかであった。
「視察など名ばかりだ。我々の教育に難癖をつけ、この学校の自治を奪い、最終的には新政府の陸軍兵学寮へと吸収・解体するための『粗探し』に決まっている」
教官たちは顔を青ざめさせ、歯を噛み鳴らした。
薩長にしてみれば、旧幕臣たちが独自に高度な近代軍事教育を行っているこの沼津兵学校は、目の上のたんこぶ以外の何物でもない。
特に、薩長の軍学を公然と「欠陥がある」と批判し、あまつさえ慶喜の名を冠する「滝脇慶家」という存在は、格好の標的になるはずであった。
「おい、滝脇! 兵部省の連中が来たら、お前は絶対に目立つな。余計な口を叩けば、お前だけでなくこの学校そのものが取り潰されるかもしれんのだぞ!」
教官の一人が、半ば八つ当たりのように慶家に釘を刺した。
しかし、当の慶家は、小銃の手入れの手を止めることすらなく、ただ静かに顔を上げただけだった。
「……教官殿。我々は、異国から日ノ本を守るための将校を育成しているのですよね?」
「あ、当たり前だ! それがどうした!」
「ならば、薩長であろうと旧幕臣であろうと、関係ありません。彼らが真に国を憂う軍人であるならば、私の論理を否定はできないはず。……もし感情で難癖をつけてくるような痴れ者ならば、その時は」
慶家は、布で磨き上げられた銃剣の刃先を、ギラリと光らせた。
「新政府の軍部がいかに腐っているか、この私が直々に『検分』して差し上げるまでのこと」
底冷えのするような、大御所の凄み。
教官は思わず息を呑み、後ずさった。古川宣誉は、その横顔を見て背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
滝脇慶家という男は、兵部省の圧力を恐れるどころか、自らその権力の中枢に食らいつき、その力量を測ってやろうと待ち構えていたのだ。
嵐の前の静けさが漂う沼津兵学校。
勝海舟という旧時代の傑物と、兵部省という新時代の権力。
二つの巨大なうねりが、十四歳の「狸爺」のもとへと、急速に引き寄せられようとしていた。




