贈り物
王都、マグヌフィリア。
帰還した時は側を通っただけなので、ここに踏み入れたのは実に一ヶ月以上ぶりだ。
迎えに来てくれた騎士はエンリクと見慣れない騎士だ。
亜里沙は翔、ソフィー、キーランと乗り、騎士たちは馬に乗った。
馬車はマクベルド伯爵家のものと分かるようになっていて、そのせいか、窓から見る限りでは馬車を見る人々に悪い感情は見えない。
人々の視線が窓に注がれる度にフードを引っ張ってしまう。それにマントの留め具の調子が悪い気がする。気になって、何度も留め具を弄った。
馬車に乗ったままだが、王都が賑わっているのは充分伝わってくる。祝祭の為に通りが飾り付けられているのだ。
緑の葉を付けた枝でリースのように飾りが作られ、家々の壁やドアを飾っている。
紋章が描かれた布や旗も通りに彩りを与えていて、露店らしきものもぽつぽつと見える。
ここへ来る前に見たナイグラードの街中では準備がこれより少し遅れていたが、もっと華やかに見えた。
やはり祭りの意味が二つの都市で違っているのだろう。
「もう少し祝祭が近くなると花が飾られて、とても素敵なんですよ」
ソフィーが亜里沙にそう言った。その声にいつもの明るさはない。
「きっと大丈夫です、アリサ様。祝祭が始まれば、おかしな噂はなくなりますよ」
だが、その噂は現実になる恐れもまだ残っている。
ルチアの予言が実現するとして、その原因になりそうな事を何度も考えているが、いまだに不明のままだ。
『あの女の不死は、恐らく我が、力を分け与えた事で叶った。我の肉体の消耗と共に、その分の力があの女に移ったのだ』
翔がほんの少しこちらを見たのが分かる。
『不老はともかく、不死などと……我自身が、外的な要因があれば死ぬというのに。だが、もしこれを破るなら、相当の力で臨まねばならない。お前にも、そして今の我にもその力はない』
ニーズはもう何度も同じように言ってくれるが、それでもルチアのあの確信に満ちた眼差しが脳裏から消えてくれないのだ。
『大丈夫だ、アリサ。たとえ何が起こっても我が守る』
気持ちを口にしてからというもの、ニーズは時々このような事を伝えてくるようになった。
ニーズのした事を思えば素直に喜べないが、良くも悪くも絆のようなものは、亜里沙も確かに感じている。
馬車は速やかに街中を移動し、王城へと入った。
エドワードの侍従、確かテオドールが出迎えてくれて、亜里沙たちはすぐに執務室に案内される。
遠征前に入ったきり、二度目のエドワードの執務室。中に通されて、机に座るエドワードと、若い貴族の青年が目に入った。
エドワードと目が合って、慌てて挨拶しようとした亜里沙は、マントの留め具から勢いよく手を離した。
その時、ずっと握り締めていたせいか、とうとうそれはマントから取れてしまった。
「あっ」
「私が」
ソフィーがすぐに拾ってくれるが、亜里沙は強い羞恥から、せっかく取ったフードを再びかぶりたい衝動に駆られた。
辛うじて肩に乗っているマントを掴もうとするも、間に合わず滑り落ちる。
ソフィーが再び拾ってくれた。
(何やってんだ私……)
亜里沙が壊した留め具は、質素なデザインとは言え、なかなか可愛くて気に入っていた部分だった。マントに縫い付けられていた物なので留め直す事も出来ない。
エドワードはテオドールに何か指示したようで、テオドールは再び執務室を出て行った。
挨拶の後ソファへと促される。
亜里沙の両隣にキーランと翔が座り、ソフィーはイザベラと共に後ろの方に控えている。
あの若い貴族は机の周辺で何やら忙しく動いているようだ。
「こんな時に呼び出してすまない。何も問題はなかったか?」
向かいに座ったエドワードが心配そうに亜里沙を見て言った。
「はい、大丈夫でした」
亜里沙が答えると「そうか」と安堵する。
「早速だが、本題に入っていいか?」
亜里沙と翔が頷いたのを見て、エドワードはこの周辺を描いたであろう地図をテーブルに広げて見せてくれた。
「各砦の周辺で、トランティアの件が解決した後に巣が出来た場所を確認し、視察すべき砦を絞った。思いのほか多かったが……アリサが手を貸してくれるなら」
意思を確認するように目を向けられて、亜里沙は膝の上で拳を握り締めた。
「はい、やらせてください」
エドワードの顔に一瞬、複雑な表情が浮かぶ。
再び視線を地図にやると、エドワードは三箇所を指でさす。
「アリサが行動出来る範囲を考えると、この三箇所」
亜里沙は少し身を乗り出して地図に目を落とした。
「トランティア以降この一ヶ月弱の期間で一度も巣が出来ていない場所は、これまでの傾向から、ほぼ安全になったと言える」
再びイドルが増加するまでは、と呟く。
「規模が小さくすぐに片付くような巣であった場合も同様の事が言えるが、こちらは放置は出来ない。だから、この三箇所の砦周辺の定期的な視察を頼みたい」
「この三つだけですか?」
咄嗟に出たのは何だか意欲的な言葉だった。だがこれは、焦りから出たものだ。
そしてそれは、エドワードにも伝わったようだった。
「ここより遠方の地となると移動に難があるだろう。確かに数は多いが、情勢は落ち着きつつあるから僕たちに任せて欲しい」
亜里沙は地図でもう一度三箇所を確認した。
地図にはリンネア砦も載っていて、これを見る限り任された三箇所の砦は、いずれも都市からリンネア砦までと同じような距離にある事が分かる。早ければ全てを一日で回れそうだ。
亜里沙が頷いてみせると、エドワードは次にキーランに目を向けた。
「兄上にはアリサの護衛と補助を依頼したいのですが」
「ああ、もちろん」
「報酬は出します」
「別にいらないよ」
エドワードはそれ以上は口にしなかった。
キーランが地図を取って丸めるのを見届けると、エドワードは亜里沙と翔に視線を移した。
「それで、ナイグラードでの暮らしはどうだ? 不都合な事はないか?」
「はい。すごく良くしてもらってます」
「カケルは? 帳簿を付けているそうだが」
「書き換えを手伝っています」
そうか、とエドワードは呟いて、ほんの少し思案するような顔をした。
エドワードはそれ以上亜里沙と翔に何か言うでもなく、会話は思ったより早く終わってしまった。
今は長居すべきではないと言われ、亜里沙たちは再びナイグラードへ帰る事となった。
エドワードは机の方に移動して、キーランとイザベラに砦について何やら話している。
亜里沙は少し残念な気持ちだったが、自分が一体何を話したくて残念なのかは分からなかった。
少しするとテオドールが戻って来て、話し込んでいたエドワードがそれに気付いた。
「……では兄上、頼みました。ランドストルもくれぐれも用心するように」
キーランとイザベラがドアへと移動したので亜里沙と翔もソファから立ち上がった。
エドワードはテオドールから何かを受け取ると、亜里沙の元へやって来る。
「使い古した物ですまない。良ければこれを」
そう言いながらエドワードがその何かを差し出した時、キーランが口を挟んだ。
「ソフィー、きみが付けてやって」
亜里沙が振り向くと、キーランは明らかに不機嫌な顔をしていた。目が合うと顔を背けられる。
「ああ、そうだな。頼む」
エドワードは気にした様子もなく、それをソフィーに手渡した。
ソフィーは亜里沙の正面に立ち、マントを羽織らせる。
そして胸元に何かを付けると、亜里沙のマントが綺麗に留められた。
「これ……」
亜里沙はマントの布地を持ち上げて確認した。
そこにあったのはブローチ型の留め具だ。シンプルなデザインで、輪にピンを通すだけのものだが、花の紋章を模ったその輪は上品で、亜里沙の目にはこれ以上ないほど素敵に映った。
もしかしてエドワードの私物なのだろうか。
亜里沙の認識が合っていれば、これは下賜品という物になるだろう。
畏れ多い気持ちと嬉しい気持ちが混ざりながら、亜里沙はエドワードと目を合わせた。
「ありがとうございます。大事にします」
そう言って亜里沙の顔が自然とほころぶと、エドワードはほんの少し目を見開いて、そしてその視線はすぐに逸らされる。
亜里沙は我に返った。ここは一度は遠慮すべきだったのではないかと焦る。
「先程も言ったが使い古した物だから、後で取り替えてくれていい」
どことなく硬い口調で言って、エドワードは机に戻った。
「見送りは出来ないが、気を付けて帰ってくれ」
取り替えていいだなんて、とんでもない事だ。亜里沙が改めてお礼を口にすると同時に、キーランが亜里沙を呼ぶ。
「帰ろう」
「あ、うん」
エドワードに挨拶し、部屋から出て、無意識に振り返る。
閉まるドアの向こうで、亜里沙を見たエドワードと一瞬目が合った。
「……ん?」
完全にドアが閉まったのに、亜里沙の足は動かない。急に苦しくなる胸をマントの上から掴んだ。
『……アリサ、お前は』
「アリサ様?」
ソフィーの声で現実に引き戻される。形になろうとしていたおかしな考えが隅に行った事で、ほっとした。
きっと、ここに来るまでの間に緊張し過ぎたせいで気持ちが浮ついているのだ。
「ごめん、何でもない」
一瞬キーランの曇った顔が見えた気がしたが、彼はすぐに背を向けて歩き出してしまったので、確認する事は出来なかった。
馬車まで戻って来た時、キーランは亜里沙を引き止めて先に翔とソフィーを乗せた。
「どうしたの?」
「……僕が、もっといい物を贈ってあげる」
キーランの視線が亜里沙の胸元に注がれ、その先を追うとブローチがあった。
「えっ、大丈夫だよ、これ好きだし。すごくいい物だと思う」
「そう……」
小さく呟かれた声を聞いて亜里沙はハッとした。
つい何も考えず素直な感想を口にしてしまった。
庭園での会話を思い出す。これはつまり。
『嫉妬しているのだろうな』
(え……でもこれは、そういうんじゃないのに)
キーランが無言で差し出してきた手を、恐る恐る掴む。
少し身構えたが、亜里沙を先に馬車に乗せてくれただけだった。
キーランがもしこのまま不安定になれば、また体調を崩してしまう。このブローチの留め具を、外した方がいいのだろうか。
(いやいや、外したらマントが取れちゃうし)
それならば、もう今後は使わない方がいいのだろうか。
(でも……すごく気に入ったのに……)
『キーランにも分別はある。それにこれまでも上手くやって来たのだから、そこまでお前が気にかけてやる必要はない』
自問自答にニーズが横槍を入れてきたので、亜里沙は一旦考えるのを止めた。
王都からナイグラードに帰りついた時、午後を過ぎて夕刻に差し掛かろうとしていた。
用意周到に整えて向かった王都では何も問題が起きなかったというのに、ナイグラードの門をくぐった時、亜里沙たちの馬車にとある問題が降りかかって来たのだった。




