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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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一通の手紙

 キーランに連れられて庭園に出る。


 こうして三人で歩いていると、昨夜の事が思い出されて、イザベラにあんな場面を見られたのが今更ながらに気にかかった。


 誰にも言わないと分かっているが、本来の主人であるエドワードには報告したりするのではないか。

 報告は仕方ないにしても、誤解されるのは何だか嫌だった。




「庭園の中でもこの辺りが一番綺麗だと思うよ」


「わ……ほんとだ、すごい綺麗!」


 来客向きに表に面した庭園ではなく、敷地奥に少し入り込んだ所に、高い生垣で囲われた、緑のアーチを潜った場所。


 そこはまるで切り離されたような空間だった。御伽話の世界観に入って来たような気分にさせられる。


 石段を上がった先に白い石造りの円形のガゼボがあって、そこに至るまでの石畳の道もあえて整えられていないようだ。

 生垣や花々も他の整然とした所と違って、自然に咲き乱れるように造られているのが分かる。

 近くには浅い池もあり、飛び石で渡れるようにしてあった。

 そしてこの空間だけ他よりも圧倒的に色が多い。


 けして広くはないが、疲れた時に閉じこもりたいような、満たされるものがある。


「気に入った?」


「うん!」


 亜里沙が笑顔で振り向くと、キーランは嬉しそうに目を細める。


「ここで休んだり、本を読んだり、食事したりも出来るよ」


 そう言ってキーランは、過ごしやすそうなガゼボを見やる。


「文字の勉強も出来るし、気分を変えたい時はここに来るといい」


 確かに、優しい風が吹き抜けて、花の香りも柔らかいのでとても心地良い。ここなら、より集中出来そうだ。


「ここで勉強したいかも。翔くんとソフィーも呼びたいな」


 キーランが頷いて、イザベラを見る。

 だがイザベラは困ったようにキーランに視線を返した。


「……分かった、僕が呼んでくる」


 小さく息を吐いて、歩き出す。


 亜里沙はハッとしてキーランを呼び止めた。


「私が言い出したんだし、私も行く」


 キーランは目を丸くして亜里沙を見つめた。


「そんなに遠くないし、ひとりでも大丈夫だよ」


 亜里沙も、自分の過剰反応に自身で呆れた。

 昨夜のあの弱った姿が浮かんで、ついやってしまった。引っ込みがつかなくなって、キーランの判断に任せる事にする。


 キーランはしばらく亜里沙を見ていたが、口の端に笑みを浮かべると、イザベラに聞こえないように言った。


「そこまで心配してくれるなら、これくらいは許してくれる?」


 亜里沙が反応するより早く、キーランの片腕が背中に回って抱き寄せられる。

 少し高めの体温が伝わって亜里沙の体が緊張で強張ると、キーランは離れた。


「ぐ、具合悪かったの?」


 何か言おうとして、辛うじて出たのが、この問いかけだった。


「……きみはもう、戻って来ないんだろ」


 笑みを浮かべているはずのキーランの目は、どこか暗さを感じる。


「だったら、帰るまでは僕のそばにいて。僕を見ていて欲しいんだ……他の誰かじゃなく」


 亜里沙は目を見開いた。

 確かに助けたいとは思ったがそんな事を言われるのは困る。昨日は同じ気持ちじゃなくてもいいとまで言ったのに、強引な言葉にほんの少し寒気がする。


 はっきり断らなければならないと思った。

 だが口をついて出て来た返答は、キーランを傷付けない為の、曖昧なものだった。


「……キーランを助けたいと思ってる。私に出来る事ならしてあげたいって……それで、いい?」


 キーランは亜里沙の言葉に満足そうに笑った。


「うん」



 ここで待ってて、と言ってキーランが去ると、イザベラが心配そうにこちらを見ているのが分かる。


「あ……あの、これ、誰かに話したりする?」


 イザベラはいいえ、と首を横に振った。


「アリサ様とカケル様に危険が及ばない限り、誰にも話したりしません。ご安心ください」


 亜里沙はひとまず安堵した。




 翔とソフィーがキーランに連れられてやって来て、ガゼボで勉強会が始まった。

 ソフィーはここが好きなのか、やって来た時は満面の笑みだった。

 翔も感動したように言葉を失って、その空間を眺めていた。


「本当なら街も案内して差し上げたいのですが」


 ソフィーが何気なく呟くと、亜里沙の隣で羊皮紙を眺めていたキーランが目を上げた。


「今のアリサたちの格好なら、マントを着れば誤魔化せそうだけど」


 亜里沙と翔は、立襟のシンプルなシャツの上にオーバーチュニックを着ている、この世界でよく見る町人のような格好だ。

 翔は王都の城でも同じような形の服を着ていた。色や装飾はだいぶ平民らしくなっているが。

 対して亜里沙のオーバーチュニックは、どちらかと言うとワンピースのような形でスカート丈が長い。

 シンプルだが動きやすくて着心地も悪くない。

 このワンピースは体に沿って裾がひらひらとなびくのが可愛かった。こういうのをドレープと言ったか。シャツの袖もひらひらしている。


 後は亜里沙の靴さえこの世界のものに履き替えてマントを着れば街に馴染めそうだ。


 ソフィーは思案した後、頷いた。


「旦那様に聞いてみます」



 昼になるとロナンとライアンもやって来て、皆でガゼボで食事をした。

 ピクニックのようで亜里沙は気分が良かったが、ソフィーが街に行けないか尋ねると即却下されてほんの少し落ち込んだ。いくらナイグラードが来訪者に対して好意的でも、やはりあの噂の影響は軽いものではなかったのだ。



 夕刻になって屋敷に戻る頃、名残惜しかった亜里沙は空を見上げた。


「ここで星を見たら最高だろうな……」


 思わず漏れた呟きは翔に聞こえたらしく、翔も空を見上げる。

 そして何を思っているのか、空を眺めたままのその顔が僅かに曇った。


「やっぱり……共有していないんだよな……」


「え?」


 翔は亜里沙を振り向いた。


「俺、ここにいる間は、この世界の事を調べてみるよ。帳簿の件を引き受けたのもそれが理由だし」


『そんな事をしなくてもいい』


 視線を下げた翔は間を置いて、静かに言った。


「……単に気になるだけだ。知っていそうなやつは話してくれないだろうし」


 ニーズはそのまま黙ったが、もどかしい気持ちが亜里沙の胸の奥に広がった。ニーズがああ言ったのは、知る事で負担になると危惧したからだ。

 だが亜里沙は、これを翔には言わなかった。




 それから一週間が経った。



 亜里沙と翔は屋敷から出られないものの、これまでの日々が嘘のように平穏な生活を送っていた。

 翔は本格的に帳簿の書き換えの手伝いが始まり、時々亜里沙も翔の質問に答える形で手助け出来た。

 翔は帳簿を書いたり本を読んだりしながら、たまに難しい顔で考え込んだ。


 亜里沙はようやく日記を少しずつ読めるようになっていた。だが一ページ読んでは本と睨めっこという、非常に進展が遅いものだった。

 まだ、アマリアの人物像は見えて来ない。



 屋敷の人々は皆親切で、常に気を配ってくれているのを感じた。

 ルイとベンも時々出入りしており、最初にこの屋敷で再会した時は亜里沙は嬉しくて手を取り合って喜びを表した。

 ルイもベンもそんな亜里沙のスキンシップに照れていたようだ。


 亜里沙だけではなく翔にも、使いやすい羽ペンや珍しい菓子などを差し入れてくれた。



 忙しいロナンも合間にふたりの勉強を見てくれて、そして時々、ライアンと寸劇のようなやり取りを見せてくれた。

 ふたりにその気はなかっただろうが、揉めていても心配になるようなものではなく、翔と共につい笑ってしまうものばかりだった。



 そしてこの一週間、亜里沙の心配は杞憂だったかのようにキーランの体調は安定しているようだった。

 ただ、ソフィー並みに亜里沙のそばにいて、時々驚くくらい距離を詰めてくるので心臓がもたない。亜里沙が警戒していたからか、控えめではあったが。

 そして、あれ以来危うい発言も、あの夜のような事もなく、いたって平和だった。




 そんな日々の中、亜里沙の元に一通の手紙が届いた。


 その日、この一週間で慣れて来た亜里沙は、席を外したソフィーとイザベラを待たずに、ひとりでロナンの執務室を訪れていた。

 ロナンに呼ばれたからだが、訪ねるとそこに居たのはライアンひとりだった。

 侍従やメイドもいない。


 珍しく扉の外にも誰もいなかったので、ノックをする。だが返事はなく、誰もいなければ入るなというロナンの言葉を忘れて、亜里沙は扉を開けた。


 そうするとライアンがひとりで机の前に立っていたのだが。


「あ、ライアン」


「……うわっ!!」


 大層驚かせてしまったのだ。


「な、何だ……アリサ様」


「あっ、ご、ごめんね!」


 いいえ、と苦笑したライアンは、今まで読んでいた手紙をさっと折り畳んで上着の内側にしまうと、机の上の手紙の束を手にした。


「アリサ様に手紙が来ているんですよ。それで兄がお呼びしたんですが、今は席を外してまして」


 亜里沙宛の手紙を見つけたライアンはそれを亜里沙に手渡した。


「こちらです」


 受け取った手紙は、羊皮紙の封筒に赤い封蝋がしてある。少し厚めでこの質感が何とも言えない程亜里沙の好みだ。


 初めて貰う手紙に顔を綻ばせる。もしかしたらアストリドが書いてくれたのだろうか?


「……ここで開けるんですか? おひとりの時にした方が……」


 真面目な彼らしく戸惑いながらも、亜里沙に請われて開け方を教えてくれる。


 そうして開いた手紙は、封筒と思っていたら手紙そのもので、折り畳まれた上から封をしたようだった。


 ライアンに言われたので少し離れて、ソファに腰掛けて読むと。


「……エドワード様からだ」


 緊張する反面、嬉しい気持ちが広がった。

 内容が亜里沙の期待した事への返事だったからか、その嬉しさは顔まで込み上げてきた。


『周辺の状況を調べてくれたのだな。王城へ来るようにとあるが、大丈夫なのか?』


(迎えが来るって書いてあるし、イザベラもいるから心配ないよ)


 迎えは二日後としてあり、急な事に対して丁寧な謝罪もあって、エドワードらしいと亜里沙は思った。


「殿下からですか? それなら兄さんに話さないといけないでしょうね」


「うん」


 どこかで、偉い人は手紙を代筆させると聞いた記憶がある亜里沙は、その事をライアンに聞いてみた。


「第二王子殿下はご自分で書かれる事が多いですよ」


「そうなの?」


「ええ。私も」


 一度言葉を切って、ライアンは続けた。


「頂いた事がありますから。昨年、妻との結婚を祝ってくださって」


 不自然な間があったが、ライアンは特に変わった様子はない。亜里沙もすぐにその小さな疑問を手放した。

 という事は、この手紙もエドワードの直筆の可能性が高いだろう。内容はともかく王子様から手紙を貰うなんてなかなかない経験だ。

 亜里沙は嬉しくなって手紙を丁寧に畳むとそれを大事に握り締めた。


「ライアンは奥さんとは別に住んでるの?」


「今は……時期が時期ですからね」


 はぐらかされた。話したくなさそうだったので、亜里沙はそれ以上は聞かなかった。


 しかし、エドワードは商人を嫌っていると思っていたが、ライアンとは友好的な様子だ。もしかしたら単にロナンが嫌いなのだろうか。


 そんな事を考えていると、ロナンが戻って来た。



 亜里沙が王城へ行く二日後、翔とソフィーも同行する事となった。キーランも連れて来るように書かれていたのは意外だったが。

 護衛は迎えと共に騎士が来るのでイザベラひとりだ。

 ロナンは自分が一緒に行けない事を非常に懸念したようだった。


「お前も空けられないのか?」


「無理ですよ……兄さんが一番ご存知でしょう」


 険しいため息を吐いて、ロナンは心配そうに亜里沙を見た。


「キーランとイザベラもいるし、呼び出したのが殿下なので大丈夫だとは思いますが……くれぐれも用心してくださいね」


「……王都の様子、そんなに悪いの?」


 この世界に来てから旅した間に出会った人々。

 砦や、遠征の日の王都で、亜里沙と翔を見て嬉しそうにしてくれていたあの人々の顔が思い出される。

 そんな彼らが、聖王に死をもたらすという噂を信じて亜里沙に敵意を向けてくるのだろうか。


 ロナンは答えなかったが、亜里沙を見る表情がとても気遣わしげだった。




 そして二日後、亜里沙たちは迎えに来たエンリクたちと、馬車に乗って再び王都へと向かった。


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