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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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時間の共有

 夕食の席では、ロナンとライアンとも一緒になった。屋敷の主人の食事だからか、ソフィーではなくメイドたちによって準備されたようだ。


 気のせいかライアンの目の下の隈が濃くなっているように見える。

 ロナンも疲れたような顔をしていたが、先にダイニングルームにいた亜里沙を見ると笑みを見せてくれた。


 上座にロナン、ロナンの右手側にライアン、左手側に亜里沙と、その隣に翔が並び、ライアンの隣はキーランだ。

 ソフィーは後ほど部屋でイザベラと食べるらしい。


 ロナンが食前の女神への祈りを捧げて、皆での食事が始まった。



 しばらく他愛ない話をしていたが、ロナンが切り出した話でライアンの顔色が変わった。


「え、帳簿をですか?」


 ライアンの強張った顔が、翔に向けられる。

 翔と目が合うとライアンは慌てた。


「あ、いえ、カケル様がどうという事ではなく……すみません」


 翔も慌てて、いいえ、と首を横に振る。

 言い出した張本人は平然とした顔をしている。


「確かに来訪者様とは言え外部の者だから、ライアンが心配するのも分かる。だが来訪者様は、唯一信頼出来る外部の者とも言えるじゃないか」


「まあ、来訪者様ですしね……でも、これまでの方々とは事情が異なると聞きました」


「ああ。けれど本質的には変わらないよ。善良で、とてもひたむきだ」


 考え込むライアンに、「手が回っていないんだろう?」とロナン。

 ライアンはしばらく考えた末、息を吐き出した。


「手が回っていないのはほとんど兄さんのせいなんですが……でもまあ、兄さんがそこまで言うなら」


 よろしくお願いします、とライアンは翔に向かって頭を下げた。


「カケルは帳簿も付けられるようになったんだ」


 キーランが目を丸くして翔を見た。


「話すのは耳が慣れれば何とかなるかと思ったけど、読み書きは難しいのに。すごいね」


 改めて褒められて、翔が小さく「ありがとう」と答える。


「それも来訪者の力?」


 キーランは何気なく聞いたようだった。

 だが亜里沙も翔もどう答えていいか一瞬迷った。

 すると、ある程度事情を知っているロナンが、「そうでしょうね」と軽く話を流してしまった。


 ロナンには来訪者ではないという話をした。

 真相を知った今は、亜里沙たちも知らなかったとは言え、事態を複雑にしてしまったのだと思う。

 かと言ってクルスや来訪者の真実を話す訳にもいかないし、ロナンにはただただ申し訳ない。


「ロナンはカケルに商売でも教えるつもりなのか?」


 ロナンが首を横に振った。


「カケルくんには主にこれまでの帳簿を書き換える手伝いを頼んだのです」


 亜里沙とキーランの視線を受けて、翔が気恥ずかしそうに小さく笑う。


「約二十年前にいらっしゃったグスタフという来訪者の話を覚えていますか?」


 亜里沙はロナンを振り返った。こちらを見ているので、亜里沙に聞いたのは間違いないだろう。

 特に意図を含むような表情ではない。だが初めてロナンを怖いと思った夜の事が思い出されて、亜里沙はほんの少し緊張した。


「……うん、覚えてる」


「グスタフさんが領地の立て直しをされた際に残した帳簿があって、どういう訳か長い事放置されていたのですが、それがとても良いものだったんですよ」


 ライアンが大きく頷いて相槌を打つ。


「司祭としての役割があったグスタフ様が残した物ですから、我々の商売の正当性を証明出来るやり方になりますし」


 熱心に語るライアンに、ロナンが苦笑する。


「私は単に商売がやり易くなると思って取り入れたいだけですけどね」


「……お願いですから、それは外では言わないでくださいよ」


 亜里沙の感覚では理解しにくい事だが、どうやら商人は、宗教的にはあまり良いイメージではないようだ。


 まったく、とぼやくライアンを無視して、ロナンは話を続けた。


「その帳簿の付け方が、私がギルドのマスターを継いだ後にアルデスペランの商人から伝わったので、大事な部分を書き換えようとしている訳です」


 それも戦えなかった来訪者であるグスタフの成した事の一つ、という事なのだろう。


「ですが、これがなかなか捗らなくて」


 ライアンはもはや何も言わずに兄の顔を見た。何も言わなかったが、その目はまだ「それは兄さんのせいだ」と訴えているようだ。



 その後は祭りの準備の話になり、それが難航していると知ると、祭りが楽しみな亜里沙は手伝いをすると申し出てみた。

 だが商売の話になるから、と、ロナンとライアンの両名から断られてしまった。


 それから少しして、キーランが席を立った。


「キーラン?」


「……ごめん、眠い」


 そう言って、キーランは亜里沙を見て微笑んだ。


「おやすみ。また明日話そう」


 どこか表情が暗いように見えて心配だったが、キーランは引き留める間もなくダイニングルームを後にした。




 キーランが去った後。

 ふたりが難しい顔で話し合いをする傍ら、亜里沙は翔に先程の帳簿の事を、具体的に何をするのか聞いてみた。


「単式から複式への移行って事みたいだよ。それと、算用数字が用いられる事になるんだって」


「算用……? ああ、あれか、アラビア数字?」


「うん。まだだったんだなって、意外だった。異世界だし、俺たちの世界と同じ歴史にはならないだろうけどさ。それでも、この世界の文明は来訪者の影響を受けているだろ?」


「うん」


「だったらもう少し似通うと思ったんだけど、偏りが酷い気がする。例えば、衣服やこの屋敷のように進んでいる部分もあれば、武器だとかは遅れている印象を受けるし……これまでの来訪者がどの時代から来ていたのか気になるよ」


『これは我にとっても難しい話になるが』


 亜里沙と翔は揃ってビクッと肩を揺らした。


 幸いロナンたちは気付いていないようだ。


『この世界とお前たちの世界は時空間を共有している訳ではない。だがこれが接する時があり、それは入り口を開いた時と、来訪者がこの世界に滞在している時だ。逆に言えばそれ以外に接点がないのだから、どの時代に繋がるかは、恐らく入り口を開く者に影響されるのだ』


 翔が眉を顰めてこちらを見るが、日本語とは言えニーズとの会話となると、この場で話してもいいのか迷っているようだ。

 亜里沙は翔に代わってニーズに質問した。


(それって、どういう意味?)


『つまり……我が来訪者を呼んだとして、一年後に再び呼ぶとする。その時、このふたりの来訪者が生きている時代に百年の開きがあってもおかしくない、という話だ』


(え!? そうなの!? え、それじゃあ、もしかしたら……すごい未来人を呼んだ後に、原始人を呼ぶ事もあるかも知れないって事?)


『ああ、そうなるな……だが実際には、そうはならない』


(ん……? それはどうして?)


『入り口を開く我に、時間の概念があるからだ。だから、我の意識に影響を受けるはずだ。つまり、我が最初に呼んだ来訪者からは、お前たちの世界とこの世界の時間は、共有されていると見ていい』


「全く接点のないはずの二つの世界だけど、来訪者を通じて擬似的に時間を共有した世界になっているってこと?」


 翔は我慢出来なかったのか、声を落としてそう呟いた。


「うう……何それややこしい……」


 亜里沙は頭が痛くなって唸った。


『我にとっても難しい話だからな。疑問に思ったようだったから答えたが。あまり難しく考えなくていい』


 では、それは余計な情報だったのではないか。

 そう思った後、ばつが悪い気持ちが伝わってくる。


「……要するに、二十年前にここに来たグスタフさんは、ちゃんと俺たちの世界でも二十年前の人だって事だね」


『ああ、そういう事だ』


 答えるニーズの声も、ばつが悪そうだ。


「最初の来訪者は何年前に呼んだの?」


『あれは……千年ほど前になる』


 千年、と翔が呟く。


「それで、二つの世界のそういう仕組みを……きみは、どうやって知ったの?」


『……二つの世界に通常接点がないという事は父から教わった。時間については、最初の頃に呼んだ来訪者たちに暦や起こった出来事などを聞いて照らし合わせていたので分かったことだ』


 ふうん、と言って、翔は何やら考え込んだ。

 対して亜里沙は混乱しそうだったので考えるのをやめた。


「あれ……? でも、そうなると……あの時何であんな事を」


 翔が何か呟いている。亜里沙が首を傾げたその時。



「お話は終わりましたか?」


 振り向くとロナンがこちらを見ていた。ライアンは気を遣ってか、黙々と食事を続けている。


 咎められた訳ではないが、亜里沙は身が縮こまる思いだ。


「終わりました。来訪者の話をしていました」


「……なるほど」


 翔が冷静に答えて、ロナンはそれ以上は聞いてこなかった。


「結局偏りが酷い理由の説明にはなっていなかったね」


 翔が最後に小声で囁いて、ニーズは小さく唸った。




 食事の後、亜里沙と翔はロナンに案内されて彼の執務室へと向かった。


 ダイニングルームを出る際、扉の近くに来た時、イザベラが何事もなかったか確認してきた。相変わらずいつも心配してくれるが、それがロナンの前だと何となく気まずい。

 だがロナンは亜里沙の不安をよそに、気にかけなかった。



「ここへはいつでも訪ねて来てください。ただし、誰もいない時は入らないでくださいね」


 まるで国王の執務室のような部屋を見せてくれたロナンは「今日はもうお休みください」と、部屋へと引き続き案内してくれた。



 亜里沙と翔は二階にある並んだ客室へと通された。

 部屋の前には数人の、護衛だと分かる格好の人々がいる。


「伯爵……」


 何か言いたげなイザベラに、ロナンは首を横に振った。


「遠征中とは事情が違うだろう。ランドストル卿もちゃんと休まないといけないよ」


「……はい」


 渋々と言った様子でイザベラは答えた。


 亜里沙用の部屋のドアを開けるとソフィーがベッドを整えている所だった。

 ロナンは部屋の奥にある小さなドアを指す。


「就寝中はあの向こうにイザベラとソフィーが控える事になります。部屋の外は護衛が交代で立ちますので、用がある時に間違えないように」


「うん、分かった」


「カケルくんは私の寝室の近くでも良かったのですが……」


「いえ、ここで充分です」


 翔が答えると、ロナンは若干心配そうにしながらも頷いた。


「ああ、それから、問題ないとは思いますが、お互いの寝室に入るなら必ずイザベラがいる時にしてくださいね」


 余計な心配をされた気がしたが、客を預かる屋敷の主人として譲歩してくれたのだと思うとありがたかった。



 ロナンが去って、翔ともおやすみと言い合うと、亜里沙は部屋に入った。


 そこは王城で過ごした寝室に似ているが、窓が大きく中庭が見えるようになっていて、装飾もより豪華に見える。

 心境が変化してきた事もあるだろうが、長く過ごすなら断然こちらの方が居心地が良さそうだった。




 まさかここに来て今更ひとりで寝るとは思わなかった。

 ソフィーとイザベラが隣の小部屋に入った後、何となく寂しくなった亜里沙は窓に立って中庭を見た。


「中庭もすごい……ロナンってお金持ちなんだ」


 見事に造り込まれた庭園の真ん中に大きな噴水が一つある。どうやって水が出ているのだろうと興味津々で眺めた時、気が付いた。



「……キーラン?」


 月光に照らされて、辛うじて姿が見えた。

 噴水のへりに腰掛けて、屈んだような後ろ姿。

 片手で頭を押さえているように見える。



 キーランが苦しんでいると思った亜里沙はほとんど無意識に、隣の小部屋のドアを開けていた。


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