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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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恵まれた都市

 ナイグラードは王都から東、馬で数時間の距離にある。

 ナイグラードに続く街道は整備されて美しく、川に沿って壁で囲まれた都市は城塞と言える立派なものだ。だが戦いを連想させる物々しい雰囲気はない。周辺には農民の家がいくつも集落を作っており、緑に溢れ畑が多かった。

 それはトランティアまでに通った地域と同じ世界かと疑うくらい牧歌的な景色だった。


 そして想像以上に広大だ。土地が豊かで人の行き交いも多い。



 この前日は王都に近い宿で過ごした亜里沙たち。

 そしてこの日、どうやって用意したのかエドワードとイザベラを含む数人の騎士は、朝から平民のような格好をしていた。

 平凡な服とマントを着ていても、特にエドワードなどは生まれが隠しきれていなかったが。

 亜里沙と翔も着替えさせられて、今やただの町人のようだ。


 馬車も乗って来たものとは別のものに替えられており、二台になったそれに、キーランとエドワード、イザベラ、エンリクも乗り込んだ。


 兵士たちと残った騎士たちとはここで別れ、二台の馬車は王都を通らず、ナイグラードまで直行した。



 のどかな風景の中をナイグラードの大きな門まで迫った時、門を守る兵士の近くに、懐かしい人物が立っているのが見えた。


 最初にこの世界に来た時、警戒心剥き出しの亜里沙を優しく迎えてくれたひとりだ。

 その後、無理をさせられそうならここまで逃げて来いとも言ってくれた。



「ルイ!」


 窓からその姿を確認した亜里沙が思わず大きな声を上げる。


「アリサさん、念のために窓に寄らないで。おふたりは降りる前にフードをかぶってくださいね」


 ロナンの言葉に亜里沙と翔は頷いた。



 門までたどり着くと、窓越しに亜里沙を見たルイはにこやかに会釈した。

 ロナンが降りてルイと話している。


 その間に、目深にフードをかぶったエドワードが、ソフィーと入れ替わるように馬車に乗った。

 何事かと目を丸くしていると隣にエドワードが座る。驚いた亜里沙の心臓は大袈裟に反応した。



 車内は特に会話もなく、ロナンが再び乗り込むと、二台の馬車はすぐに通された。


「表立って来訪者様に反発する者はおりません。ですが用心するに越した事はないでしょうね」


 ソフィーに替わって乗り込んだエドワードに、ロナンがそう話した。


「だが王都より状況は悪くないな……このまま予定通りナイグラードに滞在させる事になりそうだ」


 こちらを見たエドワードと目が合って緊張する。


「責任を持ってお預かりしますのでご安心ください」


 ロナンの言葉にエドワードは黙って頷いた。



 何故かいつまでも緊張が解けない亜里沙は、外を眺めて落ち着こうとした。


 ナイグラードの街並みは、石造りではあるものの重厚さや暗さを感じさせないものだった。外からの景観とはまた違っていて、印象としては近代的で、華やかさと賑わいを感じる。


 ここに至って、翔が最初に言っていた「ちぐはぐ」という言葉が何となく分かるような気がした。

 余裕がなくてちゃんと目にしていないが、王都の街並みもこれに似ていただろうか。


 綺麗な石畳の広い道を、建ち並ぶ建物の間を馬車が走る。

 中学の時の修学旅行先が、こういう外国の街並みを再現したテーマパークだった。



 あの日は雨で最悪で、旅行前に起こった出来事を引きずっていたせいで、石畳の隙間から跳ね返る雨水にさえ苛ついた。


 途中、趣のある東屋のような風情のバスの待合所に座っていると、雨の音が段々と心地良くなった。

 頭の中から雨音以外が消えて、秋雨の空気も怒りを冷ましてくれるようだった。


 やがてみおと友人たちが迎えに来て騒がしくなって、それにも内心で苛ついたりした。


 ──三年前の事だが、もっとずっと遠い記憶のように感じる。



「ねえ、こんな場所だったよね、中学の修学旅行」


 思わず言ってしまい、ハッと口をつぐむ。


「……日本語だったよ」


 翔が苦笑するのを感じる。

 ばつが悪くて振り返らなかったが、翔は小さく「そうだね」と同意した。



 エドワードもロナンもそっとしておいてくれたので、亜里沙は再び窓の外の景色に集中した。


 亜里沙にとっては、高校の修学旅行の方が楽しかった。

 だがこの街並みのせいか、その時の事ばかりが思い出されて、心が深い穴に引きずり込まれるようだった。




 しばらく走っていると、円形の大きな広場に出た。中央には誰を模ったものか分からないが石像があり、行き交う人々には笑顔が見える。


「思った以上に滞っているな……」


 ロナンがそう呟いた。亜里沙が視線を向けると、気付いたロナンがこちらを振り向いた。


「もうすぐ春の祭りがあるんですよ。春の訪れを祝い、夏の豊穣を願うものです」


「それは王都での祝祭だろう。商人の街では色々意味合いが変わってくるんじゃないのか」


 エドワードの皮肉った言い方にロナンがため息で答える。


「商人だって収穫がなければ生きていけないんですから、そこは真摯に向き合っているんですけどね」


 ご存知でしょうに、とロナン。エドワードはフンと鼻を鳴らした。


 もう馬車は広場を過ぎてしまった。


「まあ、王都では出来ない楽しみ方があるのは否定しません」


 言って、ロナンは亜里沙に微笑んだ。


「祭りが始まったら私が案内して差し上げますよ」


「それはいいが、あまり目立つ行動をさせるなよ」


 エドワードが咎めるように口を挟む。

 ロナンは訝しげに眉を顰めた。


「王都での祝祭に聖王をお招きする事になるのでは? 祭りの開催は王都が先ですし、その頃には落ち着いているでしょう」


「ああ、恐らくそうなるが……だが、保証がない。今の段階では何も言い切る事が出来ない」


「……確かに、それはそうですが」


 心配になってふたりを見比べる亜里沙に、ロナンは「大丈夫ですよ」と再び微笑んだ。




 それからはロナンが簡単に街の要所を指して教えてくれて、それについて多少言葉を交わすくらいだった。

 亜里沙は口数が少なくなったエドワードが気になったが、かけるべき言葉がまるで浮かんでこない。


 対して翔は、一つ一つは短いながらごく自然にふたりと会話をしているので、亜里沙は羨ましく思った。


 思えばエドワードとはイドルや来訪者に関係する話ばかりしてきた。

 イザベラはこのまましばらくは亜里沙と翔と共にナイグラードで過ごす事になっている。

 だがエドワードは王都に帰るはずで、話す時間があるか分からない。

 こうしてロナンの屋敷に一緒に向かっているので、この後少しは話せるだろうか。




 そうしているうちに、馬車は大きな通りに入り、建物ではなく緑が多い景色に移行する。その中を進むと、石壁と立派な門が視界に入った。


 すんなり通された門の内側。奥にある建物が屋敷でかなりの大きさだと分かる。

 だがその屋敷までに民家が数軒入りそうな広さの敷地があって、そこは道以外は庭園だった。


 そして目前で馬車から降り立った亜里沙たちを、豪華な屋敷が出迎えた。



「わあ……すごい……」


 こういった建物に詳しくはないが、例えるなら小さな宮殿や、洋風のホテルの様な外観だ。亜里沙がイメージしたものよりは古く見えるが。

 王都の城より立派とは言えないものの、だが正直に言うとこちらの方がオシャレに見える。


 呆けたように見入る亜里沙の隣で、翔も驚いているようだ。


「マナーハウス……いや、カントリーハウスって言った方がいいのかな」


 庭園もすごく立派だし、と周囲を見回す。

 つられて亜里沙も庭園に目をやった。


 よく見ると庭園で働いている人が何人か見えて、彼らはこちらに向けてその場で挨拶するように頭を下げていた。

 亜里沙は小さく会釈を返す。



 もう一台の馬車からもキーランたちが降りて来て、屋敷の前の階段付近で集まる。侍従がやって来てエドワードとロナンに挨拶をした。

 そして、亜里沙と翔にも丁寧に会釈をしてくれる。


 その時、屋敷の中から慌てたように、品のある貴族のような格好をしたひとりの青年が走り出て来た。

 栗色の髪に緑の瞳、ロナンに似た顔立ちだ。ロナンは優しげだが、この青年の表情からは優しさよりも生真面目さが窺える。


「もうお越しでしたか」


 階段を急いで降りると、姿勢を正して会釈をする。


「殿下」


「ああ」


 エドワードは短く答えて、ロナンを見た。


「アリサとカケルを頼んだ。分かっていると思うがくれぐれも用心してくれ。後ほど連絡する」


 ロナンが返事をすると、エドワードは踵を返して馬車に戻った。もう少し話す時間があると思っていた亜里沙は驚いた。


「あの!」


 思わず声が出て、今度は自分に対して驚く。

 馬車に乗ろうとしていたエドワードが足を止め亜里沙を振り返る。


「どうした?」


「えっと……」


 自分は一体何を話したかったというのか、言葉の続きが出て来ない。

 すると、見かねたように翔が助け舟を出してくれた。


「穢れの件です」


 エドワードは、ああ、と頷いた。


「心配するな、忘れていない。ただ、すぐにとはいかないから待っていてくれ」


 亜里沙は内心で翔に感謝しながら、「はい」と答えた。



 エドワードとエンリクは馬車に乗って去ってしまった。

 もう二度と経験したくはないが、トランティアへの遠征、そしてナイグラードへの旅路で一緒にいた人々と別れるのはやはり寂しいものだった。


 もう二度と会えない訳ではないだろうが、元の世界へ帰る以上、あとどれくらい機会が残されているのか分からない。



 ふう、と緊張が解けたようなため息が聞こえて、振り返った亜里沙と翔に、先程の青年が向き直った。



「アリサ様とカケル様ですね。私はマクベルド伯爵の弟で、ライアンと申します。ようこそお越しくださいました」


 きっちりとした挨拶をされて、亜里沙と翔も挨拶を返す。


 ふたりの挨拶を受けて笑みを見せたライアンは、ロナンを振り向くとその笑みの代わりに険しい表情を浮かべる。


「兄さん、本当に面倒な事をしてくれましたね」


「何だ、いきなり。お客様の前で」


「今言わないと、この後逃げるつもりでしょう?」


 ロナンは答えない。その顔を見てみると、どうやら図星のようである。


「まずは兄さんの祭りまでの日程……いや、その後しばらくの予定も決めさせてもらいますよ。絶対逃がしませんからね」


 よくよく見ると、ライアンの目の下に隈が見える。

 ロナンは流石に逃げられないと判断したのか、亜里沙を見て困ったように微笑んだ。


「屋敷を案内して差し上げたかったのですが、その役目はソフィーに譲ります」


「兄のせいで申し訳ありません。アリサ様とカケル様はどうぞゆっくりとお過ごしくださいね」


 亜里沙と翔は顔を見合わせた後、ライアンに従うように揃って頷いた。



 中へどうぞ、と言って、ライアンは真っ先に階段を上がる。ロナンがそれに続き、亜里沙も足をかけた時。


「アリサ」


 キーランに声をかけられ、振り返る。


「ん? どうしたの?」


 キーランはじっと亜里沙を見て何か言いたげだ。

 だが、イザベラだけでなく翔とソフィーも振り向いたせいか、何も言わずに首を横に振った。


「……何でもない」


 そう言ったキーランの顔に浮かんだ微笑みは、どこか翳っているようだった。

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