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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第六章

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ナイグラードへ

 早朝、そして三日ぶりの外で、澄んだ空気が冷たく感じる。

 春というにはまだ早い気がしたが、隣でイザベラが「暖かくなってきましたね」と言っている。

 亜里沙は自分が弛んでいるせいかと思い、密かに気合いを入れ直した。



 パーシヴァルと初めて出会った場所に来た時、そこにはあの時のようにパーシヴァルが立っていた。

 騎士と兵士が出発の準備に追われている。

 何となく目で追うと、開け放たれた門が視界に映る。

 内側の吊り上げられた鉄格子は下の部分が変形したままだ。

 そしてそれ以外には、もう戦いの気配は残っていなかった。



「おはよう」


 近くに来るとパーシヴァルが微笑んでそう言った。

 亜里沙と翔は緊張しながら挨拶を返す。


「私はまだやるべき事があるから一緒には行けないが、エドワードが責任を持ってきみたちをナイグラードに送り届ける。街道を通る事になるから比較的安全だろう」


 そしてイザベラに目をやる。


「頼んだよ、イザベラ」


「はい、お任せください」


 答えたイザベラの声も、いつもより緊張しているようだ。



 少ししてロナンが合流して、その後すぐにキーランとエドワードがやって来た。


 亜里沙は何となくアストリドが見送りに来てくれると思っていたので、出発の間際まで辺りを何度も確認した。


 だが、一向にその姿を目にする事はない。


 用意された馬車に乗り込む時間になって、ようやく誰か現れたと思ったら、司祭たちを引き連れたルチアだった。

 ルチアを見ると重苦しく感じるこの気持ちは、もしかしたらニーズのものなのだろうか。


「猊下」


 真っ先に挨拶するパーシヴァルに、ルチアはため息で答える。

 そして亜里沙を見ると一転して笑みを浮かべた。


「わたくしは近いうちに王都を訪問するから、その時はナイグラードから出ていらしてね、アリサ」


「あ、はい」


 勢いで答えてしまった亜里沙は、パーシヴァルがこちらを見た事でハッとする。

 幸い咎められなかったが、ルチアの笑みが深まると不吉な予感がしてならなかった。


「どういう名目になるのかしらね。いずれにしても公的な訪問でしか会いに行けないというのは本当に厄介だわ」


 ため息を吐いたルチアは、すぐに別の事に気が移ったようだった。


 少し離れた場所にいるキーランに目を向ける。


「キーラン、久しぶりね。やっとわたくしから隠れる事をやめたの?」


 キーランはルチアを見たが、答えもせず目を逸らした。


 だがやけに機嫌の良いルチアはそれを気にかけなかった。そして見送ると言ってきかなかったので、亜里沙は緊張しながら馬車に乗った。


 やはりアストリドの姿はなく、思った以上に名残惜しさを感じてしまう。



 そうして、パーシヴァルとルチアに見送られながら、亜里沙たちはトランティアを後にした。




 馬車には亜里沙と翔、ロナン、ソフィーが乗った。

 馬車の側を行く馬にはキーラン、エドワードと、イザベラを含めた数人の騎士がいる。

 グラを操るのはキーランだ。


 そして出発前には見分けが付かず、分からなかったが、兵士の数はかなり少なくなっていた。


 これが遠征隊の生き残りなのか、やはり見分けは付かない。

 半数程に減っている騎士の中に、エンリクやヒューゴ、他にも見覚えのある顔がある事から、どうしても生き残りがこれだけなのだとしか思えなかった。


 不意に翔が声をかけてきた。


「亜里沙ちゃん、もう犠牲者の事を気にし過ぎるのはやめよう」


 はっきりと言われて、目を瞬く。

 窓から外を何度も確認していたせいか、それとも考えが顔に出てしまっていたからか。


 思わずロナンとソフィーの反応を確認する。

 ふたりとも不思議そうにこちらを見ていた。


「日本語で話してる。俺が喋るから、きみはただ聞いていて」


 亜里沙は翔を見ておずおずと頷いた。


「この世界の人たちに同情する気持ちがないとは言わない。俺にだって、助けたいって思う人たちはいる」


 一瞬ソフィーに目をやって、翔は声を落とした。


「でも、背負い切れないなら、降ろすしかないだろ。俺は、帰りたいよ……きみと帰りたい」


 そう言い切った翔の目に、迷いは感じない。


「だから、亜里沙ちゃんもそのつもりでいて欲しい。戦うにしても、それを忘れないで」


 亜里沙はしばらく翔を見つめた。

 色々な思いが浮かんでは消えたが、確実に分かる事は、翔を連れて帰らないといけない、という事だ。


「……力もないのに、偉そうに言ってごめん」


「ううん」


 亜里沙は翔と目を合わせて、しっかり頷いてみせた。帰ろう、という意思を込めて。



 幸いロナンもソフィーもこの会話に疑問を投げかけては来なかった。

 たとえ聞かれても、このふたりならきっと協力してくれただろう。



 最初の休憩地点に着くまでの数時間の道中、亜里沙はロナンに北方の文字の事を尋ねてみた。


「王女殿下に手紙を?」


「うん。その言語で書けば絶対喜んでくれると思うし」


 日記の存在を知るソフィーは黙って成り行きを見守っている。


「また随分と打ち解けられたのですね」


 微笑ましく言われると、何だか気恥ずかしい。


「いいですよ、私で良ければ。ナイグラードに着くまでは簡単な内容になってしまいますが、構いませんか?」


「うん! ありがとう、よろしくね」


 ロナンは微笑んで頷いた。




 何度か休憩を挟み、夕刻より少し前、今日の宿に入る。

 次の宿までは距離がある為、明日はいつもより早い出発だそうだ。


 亜里沙が翔とソフィー、イザベラと、部屋に上がろうとした所で、エンリクが追い付いて来た。


「ソフィー」


「はい、叔父様」


 足を止めて振り向くと、エンリクは亜里沙を見て躊躇いを見せた。


「叔父様?」


「あ、ああ……こんな所で、すまない。なかなか渡せなくてな……」


 そして恐る恐る、ソフィーに左手を差し出す。


「これ……」


 呟いたソフィーは、エンリクの左手に乗ったシンプルなデザインのペンダントに手を伸ばした。鈍い色の金属のチェーンの先に、紋章が彫られたペンダントトップが付いている。


 ソフィーの、それを掴む指先が震えたのが見えた。


「レオはこれを肌身離さず付けていたようだ……お前は立ち会えなかったから、せめてこれを」


 ソフィーはペンダントを受け取ったまま、その上に視線を落として立ち尽くした。


 エンリクは姪のその様子に途方に暮れたようだった。だがソフィーが「お戻りください」と呟くと、亜里沙に会釈して立ち去った。


「叔父様ったら、何も今でなくても」


 無理矢理言葉を吐いているかのようだった。ソフィーはそうぼやくと、亜里沙と翔を振り向いて笑みを作る。


「レオの物です。私が贈ったんですよ」


 その声の震えが抑えきれていない。


「ソフィー」


 亜里沙が思わず名を呼ぶと、イザベラが静かに言った。


「……部屋はこちらです」


 イザベラについて移動する。



 亜里沙が使う部屋に着くと、イザベラは黙って促した。それに従って、亜里沙はソフィーの肩を支えて中に入り、翔も後に続いた。


 木造の簡素な部屋には最低限の家具しかない。

 ソフィーを支えたまま移動した亜里沙は、ベッドにソフィーと並んで腰掛ける。翔は遠慮がちに近くに立った。


「アリサ様、私なら大丈夫です」


 貼り付けられた笑みが歪む。


 聞いていいのか分からなくて避けていた。だが、もう聞かなければならないのだと思った亜里沙は、迷いを振り切った。


「……レオさんの事、聞かせてくれる?」


 ソフィーの表情が崩れた。慌てたようにその顔が伏せられる。


 一呼吸置いて、ソフィーの弱々しい声が答えた。


「……あの戦いで死んだ者は……まだ周辺が安定しないという理由で、埋葬される事なく焼かれました。離れた地で、壁の外で行われたので私は立ち会う事が出来ませんでした」


 レオの体はイドル化の危険はなかった。だが、それも確実とは言えず、他の者同様、焼かれたという。


 亜里沙には、とても想像が出来なかった。それはどれほど凄惨な光景なのか。

 そして立ち会えなかったソフィーの悲しみや苦しみが、どれだけ深いのかも。


 ソフィーの小さな泣き声を包むように、亜里沙は小柄なその肩を抱き締めた。翔はただ黙って見守っている。そうして、三人でしばらく寄り添っていた。




 王都、そして王都に近いナイグラードへは、およそ二週間の旅路。

 それでも遠征の時とは、天と地ほどの差がある行程だとすぐに分かる景色だった。



 亜里沙は翔に、アストリドから日記を託された事だけは話した。

 すると翔は公用語であるカンドルヴィアの言語の勉強と並行して、アルデスペランの言語も習うと言い出した。

 翔が直接日記を見る事がなくても、亜里沙を助けられるかも知れない、という理由だ。


 こうして亜里沙と翔は、簡単な内容でしかなかったが、旅の間は勉強漬けの日々となった。



 この旅の間、さすが街道とでも言うべきか、イドルと遭遇する事はほぼなかった。

 それはトランティアでの問題が解決した影響もあるのだろうが。


 ただ、何度か小さな巣が確認される度に真っ先にキーランがグラを駆った。グラは本気を出すとかなりの速さで、騎士や、まして歩きの兵士はなかなか追い付けない。


 誰が声を掛けても間に合わず、あっという間に遠ざかる。

 遠征から続く一連の出来事が後を引いていたせいか、そんなキーランの姿を最初に目にした時は、亜里沙は生きた心地がしなかった。


 キーランが戻って来ると馬車を飛び降りて駆け寄る。


「何でひとりで行っちゃうの!」


 キーランは目を丸くして、叫んだ亜里沙を見た。


 そしてグラを降りると、周りを気にしてか亜里沙の近くに立って声を落とした。


「怒らないで。小さな巣なら僕ひとりで充分だから」


「まさか……私があんな事言ったから……」


「違うよ」


 だがその否定は嘘だと分かる。愕然とした亜里沙に、キーランは眉尻を下げた。


「アリサ、そんなに心配しなくても大丈夫だ」


「でもまた……その、具合悪くなったらどうするの」


「その時はきみに助けてもらう」


 悪びれもなく微笑まれては、亜里沙は何も言い返せなかった。



 意外だったのがエドワードで、キーランのこうした行動をあまり強く咎めなくなっていたのだ。


 もしかしたらエドワードも、亜里沙が言った事を気にしてくれているのかも知れない。

 そう思い至った時、ほんの少し嬉しく思った反面、申し訳なさはそれを覆う程に込み上げた。


 キーランがイドルの気配を感じてはひとりで向かう、その度に、亜里沙がエドワードから感じたのは、迷いだった。



 勉強と移動に明け暮れ、時々疲れたキーランに寄り添って。

 そうした日々を過ごしながら東へと向かう。


 そして、トランティアから出て十四日目の午後、亜里沙たちはナイグラードへと到着した。


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