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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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アマリアが遺したもの

 翌朝、朝食の準備が済んだ頃に翔が亜里沙の部屋にやってきた。


 だが翔は中に入らず、亜里沙を廊下に呼ぶ。


「亜里沙ちゃん、ちょっと出て来られる?」


 亜里沙が顔を出すと、そこには翔と、そしてドアの横に立つイザベラの姿があった。


「イザベラ!」


 ソフィーが亜里沙の後ろから驚いた声を上げる。


「ランドストル卿? いつからそちらに?」


 イザベラは決まり悪そうに笑みを見せた。


「落ち着いてからご挨拶を、と思っておりました」


 少し痩せたように見えるが、大怪我と侵食を負って重症だったとは思えない。

 亜里沙は心底ほっとして声が上擦った。


「良かった……! 心配したんだよ……!」


「アリサ様」


 イザベラは泣きそうな亜里沙を見て困った様子で微笑む。


 日に何度かイザベラを見舞っていたソフィーも、安心したように微笑んでいる。


「アリサ様、カケル様、お側を離れてしまい申し訳ございません。また護衛としてお側につく事を許してくださいますか?」


 亜里沙は一瞬イザベラのあの状態を思い出したが、イザベラの気持ちを無碍にしたくはなかった。


「もちろんだよ! またよろしくね」


 亜里沙が言うと、翔も頷く。

 恭しく礼をしたイザベラは嬉しそうだった。




 朝食後、アストリドの訪問に備えて翔は部屋に戻ったが、時間を過ぎても彼女は現れなかった。

 亜里沙が何かあったのか心配すると、ソフィーが席を外した。


 しばらくして戻って来たソフィーは、今日はアストリドの訪問が遅くなると教えてくれた。


 そうなると亜里沙はルチアが来るのではないかと身構えたが、一向に現れない。


 外の様子が分かりにくくて不安になった亜里沙は翔を部屋に呼んだ。




「私、聖王様はもっと何度も来るのかと思ってたんだけど、そんな事なかったね」


 気が抜けた亜里沙はため息を吐いた。


「パーシヴァル様が何かしたのかな? もしかしたら例の子孫の人を使って脅したとか……」


「うーん……あり得なくはないけど……」


 翔は首を横に振った。


「いずれにしてもこのままずっと会わない事はないと思う。もしかしたら本当に、王都まで聖王が来る事になるかもね。例の噂もその時に解決すればいいけど」


 噂と聞くと、アストリドが誤解から亜里沙を訪ねた事を思い出す。


 明日はナイグラードへ向けて出発する日だ。

 今日はちゃんとアストリドに会えるのか考えて、亜里沙は寂しい気持ちになった。



 その後は翔とソフィーとの勉強会になった。

 亜里沙も文字を書いたが、やはり書くとなると大変だ。


(どうして聞き分けられるし読めるのに、書くのは大変なんだろ)


『……書く機会があまりなかった』


(そんな理由? 書く練習をしなかったからってこと? じゃあどうやって文字を覚えたの?)


『父が文字を書いて見せてくれ、読み方を教えてくれたのだ。我はそれを見て覚えた』


 この、中にいるものの状態が反映されるのも一種の共有なのだろうかとぼんやり考える。


 翔の視線を感じて目を向けると、不思議そうな顔があった。

 日本語の練習をしながらソフィーが質問を投げかけたので、翔はそちらに集中する。


 翔にはニーズの声だけが一方的に聞こえている状態だ。亜里沙はそこでニーズとの会話を終えた。




 日も暮れ始めた頃、アストリドが亜里沙を訪ねて来た。


 自分で思う以上に顔がにやけてしまい、恥ずかしい。だが亜里沙は素直に喜びを表してアストリドを迎えた。

 だが、何かを胸に抱えたアストリドはどこか浮かない顔で、その笑みもぎこちない。


 そして部屋に入るも、その場から動かない。


「アストリド様? どうしたんですか?」


 アストリドはほんの少し躊躇った後、胸に抱えていたものを亜里沙に差し出した。


「……これを、アリサに持っていてもらいたい」


 それは一冊の、厚めの本だった。


 丁寧に装丁されたもので、見るからに高級なものだ。古さがあるが、その使用感さえ味わいがある。


 亜里沙が慎重に受け取ると、アストリドはその手の中の本に目を落とす。


「私とアマリアが文字を勉強し始めた頃に、父から贈られたものだ。私は……これをあまり活用していないが、アマリアはずっと日々の記録をこれに取っていた」


(じゃあ、これは日記帳?)


「……これを、どうして私に?」


「これはアマリアが、自分が死んだら読んでもいいと、生前私に託してくれたものだ。私だけが許されたものだったから、父にも母にも、きょうだいたちにも、これの所在を秘密にしている」


 途端に手が汗ばむ気がした。

 受け取った姿勢のまま身じろぎ出来ない


「読んでみたが、私には分からなかった。アマリアが何を思っていたのか、何を望んでいたのか、私では理解してやる事が出来ない。でも……」


 アストリドは日記を受け取ったままの亜里沙の両手を、外から包むように支える。


「何故か、アリサなら、これを理解してくれる気がしたのだ。私に分かったのは、アマリアが本当は、皆が思っていたよりも苦しんでいた事と、何かを切望していた事だけ」


 アストリドは憂いを吐き出すように小さく息を吐くと、亜里沙と目を合わせた。


「アマリアが遺したものの中で一番貴重で大事な、アマリア自身とも言えるものをアリサに託したい。何故かそうするべきだと思ったのだ」


「どうして……」


 亜里沙は困惑した。

 だが同時に、このたった僅かな間でアストリドがそれを判断した理由も、分かる気がした。


 黒髪のせいか、年齢のせいか、理由ははっきりしないが、亜里沙とアストリドはどこか通じるものがあるのだ。

 それはとても口で言い表せない感覚だった。



「い、いきなりこんな話をして困らせたか? それとも、おかしいか? 形見だからとこんなものを持ち歩いて。手元が一番安全だったから……」


 亜里沙の沈黙を誤解して慌てるアストリド。

 亜里沙はハッとして首を横に振った。


「いいえ!」


 そして、アストリドを真剣に見つめる。


「……分かりました。お預かりします」


 亜里沙はアマリアの日記を大事に抱えた。

 顔をほころばせたアストリドの目に美しい雫が光る。


「……あっという間だった。寂しいな」


 亜里沙も思わず目を潤ませる。


「あの、私ナイグラードに行くんです」


「ああ。そう聞いた」


「どれくらいかは分からないけど、そこにいる事になると思うので……もし、出来ればでいいんですけど」


「……うん! 絶対に遊びに行く」


 亜里沙は目を丸くしてアストリドを見た。アストリドは頬を紅潮させて胸の前で両手を握りしめる。


「何としても行く! だからまた話そう」


「……はい」


 亜里沙は大きく頷いて、笑みを見せる。


 ふたりして涙を拭って、もう一度笑い合った。


「ナイグラードの春はアルデスペランでも有名だぞ。何たって商人ギルドが力を入れて準備する祭りがあるからな。オルマからの珍しい品々が露店に並ぶという。人気の芸人も来るらしい」


「へえ、そうなんですね! 一緒に見て回れるといいですね」


 アストリドは弾むような笑みで頷いた。そして、その笑みが僅かに翳る。


「……もう行かなければ」


 そう言って、アストリドは亜里沙を抱き締めた。


「また会おう、アリサ」


 アストリドが笑顔でいるので、再び溢れそうな涙をぐっと堪える。

 そして亜里沙もアストリドを抱き締め返した。


「はい、また」




 アストリドが去った後、亜里沙はベッドに上がって託された日記を膝に抱えた。


 ソフィーは亜里沙に気を遣ってか、用事を済ませてくると言って外へ出る。


 ソフィーを見送って、見た目以上の重さを感じるそれに目を戻した。

 表紙を怖々、剥がすように開く。


 そうして現れた日記の最初のページ。

 そこに書かれていたのは──



「…………読めない」


 亜里沙は次のページを見てみる。しかし読めない。

 それから数ページめくっても、全ての文字が読めなかった。


『済まない……我は聞き分ける事は出来ても話せる訳ではない。そして読める文字も限られる』


「ええ……」


『この形は恐らく北方特有の言語の文字だな。学べば読めると思う』


 それは当然そうだろう。


 だが問題は、言語の習得はとても難しいという点だ。更に、身近な英語も得意ではなく、母国語さえ怪しい亜里沙に、それが成し遂げられるのかという問題もある。


『……我も共に学ぶ事になるから、その分容易くなるとは思うが、確実ではないな』


 亜里沙はひとまず日記を枕の下に隠した。



 戻って来たソフィーに北方の文字について聞こうとして、手にされた物に目がいく。


 ソフィーは亜里沙にそれを見せて笑みを浮かべる。


「アリサ様がお持ちになるかと思って、これを」


 ソフィーが言わんとする事はすぐに理解出来た。

 肩から掛けられる、革製の丈夫そうなサッチェルだ。

 亜里沙は喜んでそれを受け取り、丈夫な布で日記を包んでサッチェルに入れた。


「ありがとう、ソフィー」


「いいえ」


「ねえ、ソフィーは北方の言葉を話してたよね? 文字は読める?」


「あ……、申し訳ございません、あの言語に関しては耳で覚えただけですので、文字の方はあまり詳しくなくて」


「そっか……」


「旦那様か、王子殿下なら読み書きも習得されていますよ。もちろん王太子殿下もですが」


 その三人なら、やはりこれから一番一緒にいるであろうロナンだろうか。


「ロナンに教わりたいけど、出来るかな?」


「ええ、多少忙しくてもきっとどうにかしてくださいますよ」


 ソフィーはにっこりして言った。

 最近のソフィーはロナンの扱いが雑な気がするが大丈夫なのだろうか。



 夜になって、キーランが亜里沙を訪ねて来た。

 騎士たち、特にイザベラが困った様子なのを見て、申し訳なくなる。


「キーラン、あんまり騎士の人たちを困らせたらダメだよ」


 今更ながらそう言ってみると、キーランは素直に「分かった」と答えた。

 早く言えば良かったと後悔しつつ、亜里沙はキーランと他愛ない話をした。


 念のために聞いてみたが、やはりキーランも北方の言語には詳しくないらしい。


「急にどうして? 読みたい本でもある?」


「あ、えっと、アストリド様に手紙を書きたいなって……」


「アストリドは公用語を使ってる。アルデスペランの公用語はカンドルヴィアと同じだから、カンドルヴィアの言語で書けばいいよ」


「う、うん……そうなんだけど、ほら、仲良くなったし、アルデスペランの言葉で書いてみたいって思って」


 キーランは、ああ、と納得したように頷いた。


「その気持ちは分かる。僕もアリサの国の言語に興味があるから」


 そう言って微笑むキーランを見ると再び罪悪感に襲われる。もう何度目か分からない。本当にこのまま誤解を放置して帰ってしまってもいいのか。


 亜里沙の沈んだ表情を見て、キーランは言った。


「大丈夫、アストリドともまた会えるよ」


 純粋に慰めてくれようとしたその言葉は、逆に亜里沙の胸に棘のように刺さった。




 そして翌日、亜里沙と翔は三日ぶりに城の外へと出た。

 ナイグラードへ向けて出発する日がやって来た。


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