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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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秘密

 キーランが去った後、ソフィーが遠慮がちに亜里沙の側に立った。


「あの……アリサ様」


 亜里沙が振り向くと、ソフィーは眉尻を下げる。


「……帰られてしまったら、もうお会い出来ないのですよね」


 寂しそうな呟きに、亜里沙は思わず目を伏せる。


「私……翔くんを連れて帰らないと……」


 口をついて出た言い訳のような言葉。

 ソフィーは間を置いて、言った。


「今まで、来訪者様が残られた事も、戻って来られた事もないと、キーラン様もご存知のことです」


 そこに隠された残酷な真実を知ったばかりで、亜里沙は動揺を隠せない。

 ソフィーは亜里沙にそっと寄り添った。


「……アリサ様もお辛いのですよね。キーラン様が何故あのように考えていらっしゃるのか……でも、無理にお話しになる事はございませんよ」


 そのまま帰ってしまっても問題ないとソフィーは仄めかした。


 亜里沙がソフィーの目を見ると、悲しげに揺れる。


「私も、アリサ様とカケル様にお会い出来なくなるのは寂しいです。でも……お帰りにならないといけません」


 ソフィーは亜里沙の両手を取った。その指先の冷たさに、思わずソフィーの手を包み込む。


「アリサ様。カケル様を連れて帰らないといけないのではなくて、アリサ様ご自身も、カケル様とご一緒にお帰りになるのですよ」


 まるで念を押すように言われて、亜里沙は目を見開いた。



 こんな時に、翔が一緒ではないのなら帰る意味があるのかとニーズに問いかけた事を思い出す。


 亜里沙自身が、帰る理由を見失いかけている事に、気が付いてしまった。


 ──それは恐らく、自分だけが生きている事への深い罪悪感が原因だ。




 翌日、朝食後に翔が部屋に戻った後、昨日と同じくらいの時間に再びアストリドがやって来た。


 真っ先にキーランの様子を教えてくれるアストリドに、昨夜会ったとは言えず申し訳なさを感じる。


 そして、どこかで少し期待したものの、ルチアは姿を現さなかった。



「私の国には白いものが沢山ある。春先まで残る雪などは油断すると命を取られるが、その代わり暖かい毛皮が手に入る。兎に狐、狼、鹿や熊などだ。私は全ての白い毛皮を持っているぞ」


 得意げに言って亜里沙を見たアストリドは、首を傾げた。その大きな瞳に不安が宿る。


「……元気がないようだがどうした? この話はつまらないか?」


「えっ」


 顔に出てしまっていたのだろうか。

 アストリドの話の内容ではなく、昨夜のキーランとの会話が時々亜里沙の脳裏によみがえって来るのだ。

 むしろアストリドの話には政治的な難しいものがなく、楽しいまであるのだが。


 亜里沙は慌てて口の端に笑みを作った。


「あ、ちょっと考え事をしていて。白い熊もいるんですね」


 亜里沙の世界で白い熊と言えば北極圏に生息するあの熊だが、とするとアルデスペランは相当寒いという事だろうか。


「うん。国の中でも更に北に行くと時々見かける。珍しいからアルデスペランの王族にしか許されない毛皮だ。私は部屋に敷いているが、父は気に入ってよく頭からかぶっているぞ」


 亜里沙の脳内で、たちまち熊のような大男の王様が出来上がる。


「何より珍しいのは白い鹿だな」


 確かに、と亜里沙は頷く。

 ホッキョクオオカミやホッキョクギツネなら聞いた事があるが、鹿はない。


「これは父が若い頃に母の為に狩ったが、あまりに少ないから、それ以降は王族でも制限された。私はその毛皮を母から譲り受けた」


 そして、アストリドの声が落ちる。


「アマリアが死んだ後に。よくアマリアと一緒にあれを羨ましがっていたから、私を慰めたかったのかな」


 アストリドはハッとして、眉をハの字に下げる亜里沙を見た。


「もう三年も経つのだから私は大丈夫だ。案ずるな」


 九年経っても茉利咲の死を受け入れられない亜里沙は、その言葉にただ頷いてみせるしかなかった。



 その後もアストリドは色々な話を聞かせてくれた。

 上に優秀な兄がふたりいて、下には可愛い弟がひとりいる。王女も、アストリドとアマリアの上にひとりいるのだと教えてくれた。


 オルマは王女だけでも五人いるという話だったが、アルデスペランもなかなか子供が多い国らしい。

 対してカンドルヴィアは少ないが、それは王族として大丈夫なのだろうか。


 話に聞くアストリドの家族は、王族に対するイメージを和らげるものだった。

 実際に会えば違うのだろうが、少なくともアストリドにとっては仲睦まじい温かい家族である事に違いない。



 最後は何故かまた恋愛の話になって、せめてもう少し背を伸ばしたいとアストリドはしきりに言っていた。


「お前と話すのは楽しい」


 紅潮して輝いた笑みを見て、亜里沙の頬まで熱くなる。


「家族以外にこんな風に話せるのはアンナしかいなかった。でもアンナはお説教が多いから」


 言われて初めて、今日もあの侍女が来ていない事に気が付いた。


「アンナさんはどうしたんですか?」


 また怒られてしまうのではないかと心配した亜里沙に、アストリドはくすりと笑った。


「護衛は置いて来ていないからそう心配するな。……アンナはいくら噂の件で腹を立てていたからと言って、無礼が過ぎた。今は反省しているが、アリサに会わせる事はもうない」


「あれはもう、気にしてないですよ」


「いや、これはけじめの問題だ」


 ぴしゃりと言って、アストリドは立ち上がった。


「そろそろ行かなければ。また明日も来ていいか?」


 亜里沙も慌てて立ち上がり、前のめりに頷いた。


「はい、ぜひ」


 アストリドはまた、花が咲くように笑った。




 その後、昼過ぎた頃にエドワードが亜里沙を訪ねて来た。


「あれから体調はどうだ?」


「はい、もう大丈夫です」


「そうか」


 エドワードのほっとした表情に、亜里沙も安堵する。


 翔は再び自分の部屋に戻ったばかりだったので、亜里沙はひとりでエドワードを迎え入れた。


 部屋に入ったエドワードは、室内を見て若干落ち着かない様子を見せる。


「……カケルはいないのか? 侍女は?」


「あ、翔くんは部屋にいて、ソフィーはもうすぐ戻って来ると思います。翔くんを呼びますか?」


「いや、いい。先に来る時間を伝えるべきだったな」


 エドワードの謝罪に亜里沙は慌てて首を横に振る。


 座ってもらおうとしたが、エドワードは申し訳なさそうに断った。


「すまない、あまり時間がないからこのままで話してくれ。足りないなら別の日に席を設けてもいいが」


「あ、いえ、すぐ済ませます」


 亜里沙は急いで頭の中を整理して、自分に出来る事をさせて欲しいと簡潔に述べた。


 予想通り、エドワードの反応は良くない。


「お前は何でも自分が背負わないと気が済まない性分なんだな」


「え? そんな事はないけど……でも、私は来訪者なんだし……それに」


 帰らないといけないから、という言葉が、何故か出て来ない。その躊躇いは強いもので、亜里沙は口を閉ざすしかなかった。


 少し待っても亜里沙が黙ったままだったせいか、エドワードがおもむろに言った。


「騎士も兵も、イドルが生まれる限り犠牲は避けられない」


 諭すような声色だ。


「もちろん、王族も貴族も民も、この世界に生まれた以上例外はない。それはお前がこの世界に来る前からずっと、変わらない事だ」


 淡々と告げられる事実に亜里沙は顔を上げる。

 エドワードはじっと亜里沙を見ていた。


「責任の所在を求めるなら、それは来訪者に対してではない。強いて言うなら、この世界の創造主である女神に責任があるだろう」


 亜里沙は目を見開いた。

 日本に生まれたためか亜里沙にはあまり馴染みがないが、この世界では宗教の影響はとても強く、いくら王族でも女神にそんな事を言っていいとは思えなかった。


「そ、そんな事言っていいんですか……?」


 エドワードは目を丸くした後、少し考えた。


「……駄目だろうな。だがアリサが黙っていてくれれば問題ない」


 ふっと笑うエドワードに、思わず見入ってしまう。

 しかしすぐにいつもの表情に戻ってしまって、ひどく残念に感じる。と同時に亜里沙は、一瞬強い感情を覚えた。


 あの笑顔をもっと見ていたい。

 その思いに亜里沙が内心で首を傾げた時、エドワードが話を戻した。


「ひとまず、お前の考えは分かった」


 我に返った亜里沙は話に集中した。


「トランティアではもう聖水が用いられているから、来訪者の力は必要ない。王都に帰った後……アリサたちはナイグラードだが、近辺の状況を調べて教えてやる事なら出来る」


 だが、とエドワードは続けた。


「これまでの記録からも、イドルの害が集中している地域の浄化が済むと、その周辺だけではなく全土の情勢が落ち着く傾向にある。だから身を危険に晒してまでアリサがやるべき事ではない。それに、来訪者は存在だけでも穢れを落ち着かせるという話だが」


「分かってます、でも……あまり、時間をかけたくなくて」


 亜里沙にさえ言葉が足りないと分かっていたが、エドワードは追及しなかった。


「急ぐ理由があるんだな?」


 亜里沙が頷くと、エドワードは分かった、と呟いた。


「帰還した後に状況を確認してからにはなるが、それで良ければ協力しよう」


 亜里沙の中のもやが一つ晴れたようだった。

 精一杯感謝を込めて礼を言うと、エドワードはまた小さく笑みを見せてくれた。

 その笑みを目にして感じた喜びは、亜里沙の中にしばらく残り続けた。




 結局ソフィーが帰って来る前にエドワードは部屋を出て行った。


「何か良い事がありましたか?」


 ソフィーは帰って来て亜里沙を見た開口一番、嬉しそうに聞いてくる。

 亜里沙はうん、と頷いただけだったが、その返答だけでソフィーは満足そうだった。




 この日ロナンは姿を見せなかったが、その夜もキーランがやって来た。


「アストリド様が言ってたけど、キーランは騎士の居館にいるんだよね?」


「うん。聖王のせいでパーシヴァルから軟禁されてる」


「軟禁……でも、夜なら出ていいの?」


 うーん、と考えるように唸ったまま、キーランは答えなかった。


「ダメなんだね……」


 騎士からすると、やはり止める事が出来ない相手なのだろうか。


「ロナンに叱られたけど、アリサの様子が気になるし……アストリドに聞くだけじゃ心配だから」


 言葉通り心配そうなキーランの顔を見ると、色んな感情が浮かんでくる。そしてそれを、罪悪感が包み込んでしまう。


「ロナンは……今日、会えなかったな」


 誤魔化すように亜里沙は言った。


「ロナンはパーシヴァルのお気に入りだから、よく呼び出されて忙しいみたいだ。そのうち宰相にでもなるのかも」


「そんな事あるの?」


 確か王都にいた宰相は公爵と呼ばれていた。亜里沙の認識が間違っていなければかなり高位の貴族で、王族と親戚だったりすると思ったのだが。


「あんまり聞かないけど、絶対宰相を置かないといけない決まりだから、それがロナンだって言う人間もいるよ」


「へぇ……」


「各国には秘密の議会があるんだ。表向きには、主にイドルに対しての事を話し合う場だけど。カンドルヴィアではその議会に呼ばれるひとりがロナンで、王や王太子もいる。あと、先日死んだエイルセン伯爵もそのひとりだった」


 父親の跡を継いだんだ、とキーラン。


「ちょ、ちょっと。それ話していい事?」


「駄目だけど……アリサが聞きたそうだったから」


 確かに興味津々な姿勢だった事は否めない。

 だからと言って、だ。


「そんな、話しちゃダメな事を話しちゃダメでしょ」


「アリサにしか言わないよ。それにその議会で何を話してるかまでは知らないし」


 亜里沙はふと、少し離れた場にいるソフィーに目をやる。

 気付いたキーランが「ああ」と声を上げた。


「あの子はアリサの侍女だから大丈夫だ」


 信頼されているのは良い事だが、それでもこの話を続ける訳にはいかない。


「そうだ、アストリド様って楽しい人だね」


 強引に持ち出した話題にキーランはすんなり乗ってくれた。


「アストリドは良い子だ……アマリアも」


 キーランは懐かしむような、優しい目をした。


「アマリアが死んでしまって寂しいよ……アリサに会わせてあげたかったのに」


 アマリアは幼い頃によくカンドルヴィアの城に招かれていたと聞いた。キーランがいつ城を出たのか詳しく知らないが、その時に出会ったのか。

 という事は幼馴染と言えるのだろう。


 少し寂しげに伏せられた目を見て、亜里沙は言葉をかけてあげる事が出来なかった。


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