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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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 アストリドが去った後、再び翔を部屋に呼ぶ。

 翔はずっと心配していたのか、亜里沙の表情を見ると安心したようだった。


 その後ビクトルに騎士の居館に行きたいと申し出てみたものの、あえなく却下された。


 イザベラのお見舞いをしたかったし、キーランに会えないかという下心もあった。

 今更ながら、部屋から出るなと簡単に命じていったパーシヴァルに不満が募る。



 それから少しすると、ロナンがやって来た。

 翔の顔色を確認したロナンは安堵の笑みを見せた。


「カケルくんはもう大丈夫そうですね」


 何も知らないのだから仕方ないが、亜里沙は複雑さを隠せなかった。

 翔は落ち着いてロナンに答え、心配をかけた事を謝っていた。



 亜里沙たちがあまり部屋から出られないという事はロナンも既に知っていたようだ。

 亜里沙たちの為に、本や、言葉を練習する為の道具を持って来てくれていた。


「イザベラも順調に回復しています。明後日には護衛に戻れるでしょう」


 ロナンはあまりここには来られないと申し訳なさそうにしながら、それでもその後しばらく一緒にいてくれた。


 雑談を交わしながら翔に何かを書かせていて、亜里沙はその間ソフィーに文字を教えた。



「……上手いものですね」


 翔が書いたものを受け取って眺めたロナンは、感心したように呟いた。


「これなら、ナイグラードに帰った後にライアンの手伝いを頼めそうです」


 翔はどこか嬉しそうな、緊張したような表情で差し出された羊皮紙を受け取る。


 だが亜里沙は別の事が気になった。


「ライアン?」


 ロナンが目を丸くして亜里沙を振り向く。


「おや、話していませんでしたか。ソフィーからも何も?」


「だって旦那様、ライアン様のお話をすると不機嫌になられるではないですか」


「いや、それは……いつもではないだろう」


 ロナンが小さくため息を吐いた。


「私の弟です。私の代わりに沢山の仕事をこなしてくれているんですよ」


「へえ……そうなんだ」


 亜里沙の表情を見て、ロナンは苦笑する。


「仲が良いとは言えませんけど、心配には及びません。これでもお互い付き合い方を心得ているので、上手くやれているんです」



 ロナンは弟との過去を少しだけ話して聞かせてくれた。


 多くない情報量だったが、聞いた限りでは、ロナンと3歳下のライアンは正反対の性格をしているようだ。


 奔放な性分で若い頃は父親や家業に反発してばかりいたロナンに対して、ライアンはとても真面目で、責任感の塊のような人。


 確かにロナンはたまに投げやりというか、そういった姿勢を見せる事はある。だが話に聞く過去のロナンは、今の姿からは想像もつかない。


「私が騎士を目指した時、周囲の人間が揃って反対する中で、イザベラとライアンだけはずっと味方でいてくれました」


 ロナンは懐かしそうに語った。


「ライアンはそれからどんどん生意気になって可愛げは消えてしまいましたけどね」


 そう言うが、弟を大事に思っている事が感じられる声色だった。



 ロナンが去った後、ソフィーが席を外した時に亜里沙は翔に聞いた。


「このままナイグラードに行くって話になっちゃったけど、その前に聖王様に穢れの事、相談出来るかな?」


 翔が難しい顔で考え込む。


「王太子に言わないと会うのは難しくなったかも知れない」


「そうなの?」


「王女がまた亜里沙ちゃんに会いに来るだろ? 聖王は話しもせず帰ってしまうくらいには、王女を避けてるようだし」


「あ……」


「多分王太子は亜里沙ちゃんと聖王を会わせたくないんだろうから、まずは王太子に言ってみないとだね……」


 亜里沙はしばらく考えてみた。だがどう考えても却下される未来しか見えない。


「ねえ、ニーズ、穢れってあとどのくらい残ってるの?」


『具体的に言い表せるものではない。だが、トランティア周辺の穢れは消えつつある。ここの穢れは特に酷いものだったから、それが取り除かれれば、多少は落ち着くだろう』


「じゃあ、もし聖王が何もしないとしたら、浄化が追い付かなくなる可能性はある?」


『しばらくは、そのような事はないはずだ』


「しばらく、か……女神次第って事だよな」


「でも、もし聖王様に相談出来なくても、穢れが落ち着いてる間に小さい巣とかを私が浄化出来れば」


「各地でどこにイドルの害があるとか、巣が出来たとか、そういうのを俺たちだけで追うのは難しいよ」


「あ……そうだよね」


「エドワード様に相談してみるのはどうかな。もしかしたら、小さい規模のものなら任せてもらえるかも知れない」


 翔がこの遠征中エドワードと良好な関係だった事は知っている。

 だが亜里沙は少し意外で、目を丸くした。


「話してみて分かったけど、しっかりした考え方の人だと思う。最初から彼に相談していれば良かったんじゃないかって思ったよ。……あ、ロナンさんがどうとかじゃないんだけど」


「でも……エドワード様は来訪者の存在自体を良く思っていないみたいだし……」


「だからだよ。来訪者が……俺たちが、帰りたいって望めば力を貸してくれそうだって思わない?」


 そう言われた亜里沙は腑に落ちた。

 確かに翔の言う通りだと思った。


「そうだね……エドワード様に、小さい穢れを浄化する手伝いをさせてもらえないか聞いてみよう。ロナンも帰る事に集中してって言ってくれたから、ナイグラードに行っても協力してくれそうだし」


 翔を見ると、賛同するように頷いてくれた。




 その後は言葉の勉強や本を読んで過ごした。

 翔やソフィーの勉強を手伝ったお陰で思っていたより窮屈さを感じなかった。

 だが焦りが募って居ても立ってもいられなかった亜里沙は、ビクトルに頼み事をした。



「殿下に、ですか?」


 先走ってただエドワードに会いたいとだけ言ってしまった。亜里沙は慌てふためいた。


「あっ、違うの! えと、相談したい事があって、会えないかなと……」


 少し迷うような間があったが、ビクトルは優しく微笑んだ。


「お伝えしてみましょう」


「ありがとう……!」


 ビクトルにお礼を言い、部屋の中に顔を戻してドアを閉める。

 振り返ると、目を丸くするソフィーと視線が合った。


「ん? どうしたの?」


「いえ、何でもございません」


 ソフィーは首を横に振って微笑んだ。




 その後、ビクトルは亜里沙の望みを伝えた事を教えてくれたが、今日はもう難しいだろう。

 部屋の中にも寒さと暗さが染み込んでくる。もうすっかり夜だった。


 寝る支度を整えていると、外から控えめなビクトルの声がした。


「ソフィー」


 呼ばれたソフィーが小走りで駆け寄り、そっとドアを開ける。


 何やら密かな声がして、ソフィーはドアを閉めて亜里沙を振り向いた。


「……キーラン様がいらっしゃっています」


「キーランが?」


 まだ複雑な思いがあるようで、ソフィーの声がほんの少し硬い。


「お会いになられますか?」


「うん」


 ソフィーの事が気掛かりだったが、気付けば亜里沙は即答していた。



 ソフィーがドアを開けると、入って来たキーランは亜里沙を見て微笑んだ。


「大丈夫?」


 亜里沙は自分の格好が問題ないかしっかり確認した上でキーランに駆け寄った。

 開口一番、そう問いかける。


「うん。アリサはもう大丈夫? 倒れたって聞いたけど……」


 亜里沙の顔色を見ようとしたのか、心配そうなキーランの顔が近付いて、亜里沙は慌てて止めた。


「大丈夫! あれはただ目眩がしただけで」


 キーランの表情が曇る。


「……エドワードのために……」


「え?」


 聞き返すと、キーランの表情がほんの少し硬くなった。


「エドワードは明日ここに来る」


「あ、そうなんだ」


「どうしてエドワードを呼んだの?」


「え? それは」


 キーランの咎めるような口調に一瞬尻込みする。


「……ていうか何でそれを知ってるの?」


「エドワードが僕を訪ねて来た時に騎士が伝えに来たから」


 キーランの視線を痛い程に肌に感じて若干目を伏せる。だが、亜里沙は正直に話した。


「私じゃあんまり力になれないかもだけど……小さい巣の浄化とか、軽傷の人の手当てだけでもさせて貰えたらと思って」


「どうして?」


「どうしてって……だって、穢れはまだなくならないし、それに来訪者だったら」


「来訪者がここまでやらないといけないとか、そういう決まりはないよ」


「それはそうかも知れないけど」


「アリサ」


 キーランはまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように優しい口調になった。


「僕と一緒に戦いたいって言ってくれたから力の使い方を教えた。そしてちゃんとここまで来ただろ? アリサはもう充分に戦ったよ。だから後はパーシヴァルやエドワードに任せておけばいい」


「え、でも……」


「小さい巣なら兵士たちだけでも何とかして来たんだし、これ以上アリサが危ない目に遭う必要はないんだよ」


 亜里沙はキーランを見つめ返した。


「人間の武器だけで戦うのは時間がかかりすぎるよね?」


 キーランはほんの少し目を見開いた。そして、すぐに眉を顰めた。


「アリサ、どうして焦ってるの?」


(しばらくは落ち着いているって言ったって、それがどれくらいの時間なのか分からない)


 亜里沙は首を横に振った。


「ただ、放っておいたらまたトランティアみたいな場所が出てきてしまうかも知れないでしょ」


「どうしてそこまで気にかける?」


「だって……」


 亜里沙にとって一番大切な事は、翔と共に帰る事、だ。

 もし自分に出来る事ならこの世界を助けたい気持ちがあるのも否定しない。だが、それだけをここで言うのは、不誠実な気がした。


 自分に想いを寄せてくれて、いつか、そばに居てと言ってくれたキーランに、亜里沙は真剣な眼差しを向けた。


「……穢れが酷いと、帰れないから。私、翔くんと帰りたいの」


 キーランは目を見開いた。傷付ける事が怖かった亜里沙だが、キーランは意外にも納得したように頷いた。


「ああ……そうか。家族がいるんだっけ」


 亜里沙は拍子抜けしてキーランを見つめた。


「帰っても、いいの?」


 キーランはどこか寂しそうな微笑みを浮かべる。


「ずっと一緒にいたいけど、仕方ないから」


 亜里沙は、ほっとしたような、少しだけ残念なような複雑な心境だった。だが納得してくれた事は素直にありがたいと思った。


 そして、その気持ちを口にしようとした時、キーランが先に口を開いた。



「向こうの事が落ち着いたら、また僕に会いに来て」


 向けられる純粋な瞳に、亜里沙は硬直した。


「あ……キーラン、でも」


「ん?」


 どう説明すればいいのか分からない。考えた末に出て来たのは、曖昧な言葉だった。


「でも、そう簡単に世界が繋がるとは思えないし」


 言いながら顔を伏せる。


「大丈夫だよ」


 そっと頰に触れられて肩が揺れた。顔を上げるとその手はすぐに離される。


「こうして会えたんだから、また会えるよ」


 キーランの目を見た亜里沙は、それ以上否定する事が出来なかった。


『……アリサ。もう会う事は出来ないのだと、ちゃんと言ってやってくれ』


 ニーズがそう言っても、亜里沙はそうする事が出来ない。


 やがて小さく出た言葉は、肯定の言葉だった。


「うん……そうだね」


 ニーズが深く息を吐く声を聞いて、途端に、罪悪感が亜里沙の胸を圧迫した。


 そんな亜里沙にキーランが見せた微笑みは、とても綺麗だった。


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