ただの獣避けではない
部屋の中に入って来たパーシヴァルは、唇を引き結んで俯くアストリドを見ると、ため息を吐いた。
アストリドの肩がさらに強張る。
亜里沙はアストリドの味方をしてあげたくて、それとなく彼女の側に立つ。
パーシヴァルは亜里沙の行動には言及しなかった。
「アストリド。ここに滞在する条件として自ら口にした事を忘れましたか?」
「……勝手な行動はしないと申しました。忘れてはおりません」
けれど、と声を上げる。だがパーシヴァルの厳しい視線を受け、それ以上は言葉にならなかったようだ。
パーシヴァルはもう一度ため息を吐き、今度は亜里沙に目をやった。
アストリドの形の良い眉がギュッと寄るのを亜里沙は見てしまった。パーシヴァルは気にもかけない。
「この地は国境に近いから、きみの安全を考慮して三日はここに滞在してもらう事になる。窮屈な思いをさせるだろうが、安全のためにも各階への出入りを制限させてもらうよ」
「それって……つまり」
「要するに、あまり部屋から出ないように、という事だ」
叱られたアストリドをどう慰めようかと心配していたのに、そんな事は頭から吹き飛んだ。
「出られないんですか?」
「きみはあまり外を出歩かないと聞いているが、不都合があるかい?」
確かに進んで辺りを散策したりなどはしなかった。というかそんな余裕がそもそもなかった。
そして、たとえ不都合があったとしても、そうか、と流されて終わりそうだ。
だが、亜里沙はそれらを訴える気力もなく、ただ「分かりました」と返事をした。
「……それでは、アリサがここに滞在する間、私がアリサを訪ねる許可をくださいませんか」
意外な申し出に亜里沙は目を丸くしてアストリドを見た。
そして、反応が心配になってパーシヴァルに視線を移すと、更に意外な事にパーシヴァルは微笑んで頷いたのだ。
「私からそれをお願いしようと思っていたところです。ただし、二度と護衛を置き去りにしないように」
アストリドはパーシヴァルに頷くと、亜里沙を見て小さく微笑んだ。
その笑みが子供のように無邪気で、亜里沙の気持ちはほんの少し軽くなった。
亜里沙の予想に反してパーシヴァルは早々に話を切り上げて出て行った。
忙しいのだろうと言うアストリドは、理解を示しているように見えて、やはりどこか寂しそうだ。
アストリドが亜里沙を訪問する時、翔の同席は許されなかったが、ソフィーは出入りしていいという事になった。
亜里沙は翔が心配で、出来るなら一緒にいたかった。
一度その事を相談する為に廊下で顔を合わせて事情を話していた時、ちょうど司祭を引き連れたルチアが突然廊下に姿を現した。
その輝いた表情からも、亜里沙を訪ねて来たのは一目瞭然だ。
「まあ、アリサ! 歓迎してくれているようで嬉しいわ!」
「えっ、いや……」
確かにわざわざ廊下に出て待っていたように見えなくもない。
亜里沙は一瞬対応に困ったが、昨夜の話を思い出して翔を振り向いた。翔が緊張を滲ませた顔で小さく頷く。
そして、亜里沙がルチアに話しかけようとした時。
ルチアは、騎士に紛れて立つアストリドの護衛に気が付いた。
「……まさかあの小娘がここに来ているの?」
「王女殿下が来訪者様をお訪ねになっておいでです、猊下」
護衛のひとりが王女殿下、と若干強調して言うと、ルチアはあからさまに不機嫌になった。
「羽虫のようにわたくしに付き纏って鬱陶しい……もういいわ」
ルチアは大仰にため息を吐くと、亜里沙を見て眉を下げた。
「残念ね。また後で会いましょう、アリサ」
亜里沙が事情を飲み込めないまま、ルチア一行はさっさと退散した。
「なるほど……」
翔がどこか呆れた様子で呟く。亜里沙が振り向くと、翔は微笑んでみせた。
「聖王とはまた話す機会があると思う。それと、俺のことなら大丈夫だから、王女様と話してきなよ」
「でも……」
「……心配しないで、どうしてもきつくなった時は、ちゃんと亜里沙ちゃんに言うから」
亜里沙は翔の表情を窺った。もう心配ない、とは言い難いものがある。だがどことなく吹っ切れたような、確かにそんな眼差しが亜里沙に向けられていた。
亜里沙が部屋に戻ると、アストリドはソフィーが出したお茶を優雅に飲んでいるところだった。
ソフィーはいつもと違って少し遠くに、控えるように立っている。
まるでそこにいないかのような気配の消し方に亜里沙は驚いた。
「聖王がアリサを訪ねて来たのか?」
「あ、はい……もう帰られましたけど」
アストリドは不満げに唇を尖らせた。
「私は王族だがこう見えても敬虔な信徒だ。だというのにそれがまるであの方に伝わっていない。訪ねても挨拶さえ受け入れてもらえない」
王族だから警戒されている、と悩む様子のアストリド。
ルチアはもう役目に辟易しているのだと、亜里沙は教えてあげたかったが我慢した。
「あの、アストリド様」
「何だ」
「アストリド様は王妃様……王太子様のお母様に、少し似てますね」
アストリドの機嫌が悪く見えたから、咄嗟に思い付いた事を口にした。
少々強引な逸らし方だったが、アストリドは特に気にかけなかった。
「ああ、それは当然だろう。私の母の従姉妹でいらっしゃるから」
「親戚なんだ……」
納得してひとり頷く。
「私の亡き姉……アマリアを大層可愛がっておられた。アマリアが寒さで体を壊さないようにと、何度か王都に招いてくださったのだ」
亜里沙の顔を見て、アストリドは付け加えた。
「もちろん私も可愛がって頂いている。だがアマリアは特別だったから」
アストリドは憂うように目を伏せた。
「女神様は何でもアマリアに授けてくださったのだと思っていた。だが、一番大事な体だけは、あのように脆く……時々、アマリアの代わりに私の体が脆ければ良かったのではないかと思う事がある」
何の感情もないような顔で呟かれた言葉が、亜里沙の胸を貫いたような、そんな痛みが走った。
「そんな事ないです……そんな風に言わないでください」
まるで自分に言い聞かせるように、亜里沙は言った。
アストリドは亜里沙を見たが、次の瞬間ハッとした。
「こ、これは、王族の内情だから、他言せぬように!」
「絶対言いません」
顔を赤くして慌てるアストリドを見て内心ほっとする。先程の感情が消えたような顔はもうどこにもなかった。
自分が代わりに、だなんて、そんな事を誰にも考えて欲しくはない。
亜里沙はそれからしばらく、アストリドと他愛ない話をした。
何故か話題が婚約や結婚へと移り、亜里沙は最初気後れした。だというのに、気付いたら熱心にアストリドの話に耳を傾けていた。
「オルマの第五の王女で、ルージェンという」
「その人が……エドワード様の婚約者」
「ああ。だが年齢が合わなくてな。生まれた順ならば第二くらいのはずなのだが」
「オルマの王様は沢山子供がいるんだ……その、ルージェン様は何歳なんですか?」
「18歳だ」
「……私と一緒だ」
「何? アリサは18歳なのか?」
一瞬、アストリドの目線が下に移った。
ほんの一瞬だったが、見間違いではない。その一瞬、その目がどこに向けられたか分かってしまった。
亜里沙は顔が赤くなるのを自覚しつつ、言い訳をしたくなって口を開いた。
だが、アストリドの視線が今度は自分の体に落とされているのを見て、一度口を閉じた。
「……ルージェン様って、もしかして、とても……その」
「ああ……ここがな」
言って、アストリドは、その可憐な人形のような姿からは想像も出来ないような真似をした。
自分の両手に丸みを持たせて、胸の辺りに掲げたのだ。
「ア、アストリド様……」
アストリドは我に返ってもの凄い勢いで両手をしまった。その白い頬がみるみる赤くなる。
「す、済まない……アンナからも、はしたないとよく注意されるのだが……この事は誰にも言わないで欲しい」
逆に誰に言えというのだろう。
亜里沙は「絶対に言いません」と再び力強く宣言してアストリドを安心させた。
そして、また他愛ない話を続けたが、アストリドが帰る時間となった。
「楽しかった、アリサ。また来てもいいか?」
アストリドの笑顔は柔らかく、その可憐さに目が奪われるようだ。
亜里沙は照れながら、はい、と頷く。
「そうだ、キーラン様がアリサを心配していた」
「キーランが?」
抑えていた心配が再び顔を出す。もう回復しただろうか、また残響が聞こえていたりはしないだろうか。
「あの……体調は良さそうでしたか?」
「ああ、私がお会いした時はお元気そうだった」
アストリドが事も無げに言ったので、亜里沙はほっとした。
「キーラン様は今は騎士の居館におられるはずだ」
確か、イザベラがそこで療養している。
「アリサはこの部屋から出られないし、キーラン様も今ご滞在の場所から出られないようだから、私が代わりに様子を確認しておこう」
本当なら自分自身でキーランに会って、確認したかった。だがアストリドは今自分が出来る最大限の事を提案してくれたのだろう。
亜里沙はほんの少し残念な気持ちを押し込めて、精一杯笑みを浮かべた。
「はい、ありがとうございます」
多少変わってはいるが、アストリドは心根の優しい少女だ。
亜里沙はそんなアストリドと出会えた事を嬉しく思い、少し名残惜しさを感じながら見送ったのだった。




