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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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アストリド

 アンナが怒って去ってしまってからしばらくして、部屋の外がにわかに騒がしくなった。


「ソフィー、ドアを開けてもいいか」


 焦ったようなビクトルの声がして、こちらを見たソフィーに亜里沙が頷く。


 ソフィーは急いでドアを開けると、一瞬僅かに体を揺らした。

 そしてすぐにお辞儀のような姿勢でその場を下がる。



 ソフィーがそうしたお陰で、誰が来たのか亜里沙にも見えた。


 ソフィーよりも更に小柄な少女。波打つ豊かな長い黒髪。色白で水色の大きな瞳の、見た事もない程美しい少女がそこに立っていた。


(わ、綺麗な子)


 あと、顔が小さい。亜里沙が咄嗟に抱いた感想はこれだった。


 よく見るとこの少女も、どことなく王都で見たあの王妃の面影があるように感じる。髪と目の色がそう感じさせるのだろうか。


 着ているものは首元まで覆う紺色の衣服で、露出された部分は頭と手くらいしかなく、ドレスとは言い難い慎ましさだ。

 だがこの少女が着ているからかとても上品だし、その纏う雰囲気からも、一目で王族だと分かる。



「王女殿下……侍女と護衛の者はどちらに?」


 ビクトルが控えめに尋ねると、王女と呼ばれた少女──恐らくアストリドは、目線だけビクトルに寄越した。


「アンナは粗相をしたから置いて来た。護衛は私と来訪者が会う部屋の中にまで入ると言い出したから」


「……また撒いて来られたのですね」


 ビクトルの声が力なく沈む。


「本城においでにならないのも問題なのです、せめて護衛を撒くのはおやめください」


「聖王もここに滞在中なのに何の問題がある」


 まだ何か言いかけたビクトルを無視して、アストリドは亜里沙を見た。


「来訪者。私は身一つでここに来た。だからお前もひとりで私と対面するように。他の者を下がらせなさい」


 アストリドは部屋の中に踏み入れて、ふと翔に目を止めた。


「お前は……」


 翔が緊張すると、アストリドはふむ、と唸った。


「そうか、もうひとりいるのだったな。だがお前には用はない」


 翔は驚いて言葉もないようだった。

 ソフィーが姿勢を低くしたまま硬い声を絞り出す。


「……王女殿下。恐れながら、王太子殿下より」


「許可なら得て来たぞ。これで文句はあるまい」


「どちらに」


「エドワード様だ」


 そう言われては、ソフィーも黙るしかなかった。



 心配を通り越して不安げに何度も亜里沙を見ながら、翔とソフィーは部屋を出た。

 亜里沙も嫌だったが、仕方がない。


 ふたりを安心させる為にドアの近くまで見送りに来た時、ビクトルが素早く囁いた。


「念のため王太子殿下に確認を取ります」


 亜里沙はビクトルと目を合わせて小さく頷く。


 そしてドアを閉めて振り返ると、アストリドが射抜くように亜里沙を見ていた。


 だが、その鋭い視線が少しも怖くない。

 確かに王族のオーラみたいなものは感じるが、パーシヴァルと比べると、アストリドからはそういう怖さを感じなかった。


 亜里沙が不躾に見つめたからか、アストリドの小さな唇が僅かに曲がった。


「よもやお前も私を子供だと侮りはしないだろうな?」


「えっ?」


「成人の儀は半年前に済ませている」


 ではキーランと同じ年齢か。亜里沙は何故か、途端に親近感を覚えた。

 原因はその黒髪のせいか、年齢のせいなのか、分からなかったが。



 座りなさい、と言われて、食卓に使う小さなテーブルに対面して座る。

 そう言えばこういう場ではお茶などを出さなければならないのではないだろうか。


「あの……お茶とか、飲まれますか……?」


「メイドもおらず、互いの侍女も下がらせた意味が分からないか? そういうものは必要ない」


 そしてアストリドは目線を伏せた。


(まつ毛、長)


 無意識に抱いた感想だったが、ニーズがそんな亜里沙の態度に不満を持ったようだった。


「先程はアンナが無礼を働いた。あの者は私の事となると頭に血が上りやすいのだ」


『少しは集中しろ。どんな意図があって近付いて来たか分からないのだぞ。今お前はひとりで、我の力も人間には通用しない』


「許してやってくれ」


 亜里沙は口を開いたが、アストリドの言った事だけを脳内で拾うのに手間取って、言葉は遅れて出て来た。


「あの……大丈夫です……」


 言った側から、ニーズに文句を言う。


(お願いだから喋るタイミングは考えて!)


 小さな唸り声がして、ニーズは黙り込んだ。


 亜里沙の表情がおかしかったのか、アストリドは訝しげに亜里沙を観察する。

 居心地悪くなった亜里沙は切り出した。


「あの、私に何かご用でしたか?」


 アストリドは我に返ったように目を丸くし、そして一瞬で警戒心を露わにした。

 猫みたい、という感想に、今度はニーズの横槍が入る事はなかった。


「口さがない者たちが言った事だとしても、噂が立ったからには確かめなくてはならない」


「噂……」


 まさか、聖王の死の予言についてだろうか。

 亜里沙が緊張すると、アストリドは重苦しく口を開いた。


「お前は……来訪者でありながら、一国の王太子を誑かしていると噂になっている」


「……え?」


 亜里沙は一時、言われた言葉の意味について考え込んだ。


 いつまでも理解しない亜里沙に業を煮やしたのか、アストリドの語気がほんの少し荒くなった。


「私は王太子殿下の……パーシヴァル様の婚約者だ。それはいくら来訪者に特権があろうと、覆せるものではない。お前にいくらあの方を慕う気持ちがあっても、それでどうにかなる事ではないのだ」


 亜里沙の頭は疑問符だらけになった。


 ひとまず飲み込めた事だけでも反応しないといけないと思い、口に出してみる。


「あの、私は昨日ここに着いたばかりで、王太子様と会ったのも昨日が初めてですけど」


 長い一日だった。抱えきれないくらいの事が、亜里沙と翔に無情にも降りかかって来た。

 また暗い気持ちが染み出してきそうになって、小さく唇を噛む。


 しかしアストリドは亜里沙の心中になど全く気付かず、その声に更に怒りを滲ませた。


「その短い間で、どうやってあの方に取り入ったのだ! 私があの方にお会いするのでさえ難しいというのに!」


「えっ? あの、何の話を」


 亜里沙は強い苛立ちを感じてアストリドの瞳を見つめ返した。


 そして、ハッとした。その微かに潤む瞳から、緊張した表情から、とても切実な思いが伝わってくる。


 それが理解出来た亜里沙が真っ先に感じたのが、呆れ。そして疲れにも似た脱力感だ。

 だが、それと同時にほんの少しの同情も抱いた。


 そして亜里沙は、アストリドに寄り添う気持ちを優先した。


「……王太子様の事が好きなんですね」


「なっ、違う! これは立場の問題だ! 政治の話で」


 アストリドは慌てて否定したが、亜里沙を見ると、その勢いはみるみる萎んでいった。



 部屋の中に静けさが満ちる。


 顔を伏せてしまったアストリドは、今や王族の威厳など漂わせていなかった。


 ひとりの恋する少女。


 それは亜里沙が置かれた状況、この世界の今の状況から見ればひどく場違いのようで、そして歪だった。


 それでも疲れ切った亜里沙の心がアストリドを優先した理由は、考えると色々思い付いた。

 だが一番大きかったのは、アストリドの気持ちが理解出来るから、だろう。


 キーランやロナンとの事は少し違う気がしたが、以前に亜里沙も人を好きになった事があるからだろうか。



「どうしてこの短い時間でそんな噂が立ったのか、誰が言ったのか知りませんが」


「……メイドたちから聞いたと、アンナが」


「ああ……そっか、えっと」


 亜里沙は改めてアストリドを真っ直ぐ見た。


「王女様、安心してください。王太子様とは来訪者だとか政治だとかの話しかしてませんし、それどころじゃなかったんです……沢山、人が死にました」


 もはや大事な友と言える人の家族も、死んでしまった。そして翔の真実も──


 アストリドの頬が赤く染まった。

 眉尻を下げて狼狽えたような表情になる。


「あ、ああ……そう聞いている。そうか、済まなかったな」


 若干焦った口調だ。


 亜里沙は、この王女はとても素直な性格なのだと思った。少々思い込みやすく、考えるより先に行動してしまうような。

 王族ともなるとみんなパーシヴァルやエドワードのような感じだと思っていたから、ほんの少し可愛いとさえ思ってしまう。


 もしかしたら、これを言っても問題ないかも知れない、と思った亜里沙は思い切って告白した。


「それに、私、王太子様は何を考えているのか分からないからちょっと怖くて。そういう風には考えられません」


 それどころではないから聞き流したり知らない振りをした。それ以上詮索していないだけで、不穏な事がいくつもある相手だ。

 あの容姿だから、もし元の世界で配信者でもしていようものなら大騒ぎする自信はあるが。


 すると、アストリドの表情が落ち込んだ。

 本当に分かりやすい少女だ。


「あの方は、以前はああではなかった」


「以前?」


「王太子となられる前、何度かお会いした。その時の私はまだ幼かったから、ただ優しくして頂いたに過ぎないのかも知れない。でも……」


 アストリドの眉根がキュッとなる。


「本当は私の双子の姉が婚約者にと望まれていた。王太子になられる前は想い合う女性がいるという話を聞いた事もある……だが、私が婚約者となった」


「それは……王太子様が王女様を好きになったから、ではないんですか?」


 亜里沙は何とかアストリドを励まそうとしたのだが、アストリドの顔は更に険しくなった。


「そうではない……噂が、あるのだ」


「噂……」


 ハッとしたアストリドは目を見開いて亜里沙を見た。


「なっ、何を言わせる! 今聞いた事はけして口外するな! 分かったか?」


 自分から話したのでは、という思いは押し込めた。

 アストリドの口から可憐なため息がこぼれる。


「それに、私の双子の姉は体が弱くて、三年前に亡くなった。だから私が婚約者の役目を引き継いだのだ」


「あ……」


 亜里沙が言葉に迷うと、アストリドはまじまじとその様子を眺める。


「……お前はその私の姉に少し似ているような気がする。何故か近しく感じて、余計な事まで口にしてしまったのはそのせいかも知れぬな」


 亜里沙は目を丸くした。亜里沙もアストリドに妙な親近感を覚えていたからだ。


 もっと話してみたくて亜里沙が口を開こうとした時。



「アリサ様、王太子殿下がお越しです」


 ビクトルの硬い声がした。

 そして、アストリドの顔から血の気が失せるのを見てしまった。


「……許可は、得てるんですよね?」


 アストリドは一瞬迷ったが、白状した。


「エドワード様は私と会ってくださらなかったから……キーラン様に、来訪者と会ってもいいか聞いたのだ」


 キーランはどうやらちゃんと無事なようだ。間接的にでも無事を確かめられたが、安堵している場合ではなかった。


 嘘を吐いたあげく、聞いたのがキーランというのは、非常にまずい気がする。


 この状況をどうしたらいいのか分からない亜里沙は、アストリドと一緒にその場に硬直したのだった。

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