闇深まる
亜里沙は隣に腰を下ろしたソフィーと肩を寄せるように座っていた。ソフィーは静かに涙を流し、亜里沙も泣いたが、お互い何も言う事はなかった。
ロナンが戻って来て、翔を今日寝泊まりする部屋に送ったと聞いて、ほんの少し安堵する。
だが、やはりどうしても放っておけなかった亜里沙は、ロナンに頼んで翔を訪ねる事にした。
せめてドアの外から、出来る範囲で様子を確認するのでもいい。
ソフィーに事情を話して、亜里沙は城塔を出た。
中庭には思っていたより沢山の兵士が行き交っている。
「聖王猊下が聖国の聖水を用いて国境周辺の巣を浄化出来るようにしてくださるようです。今からまた戦いになるのでしばらく慌ただしいでしょう」
亜里沙の顔を見て、ロナンは口調を和らげた。
「大丈夫ですよ。これまでの戦いと比べたら簡単ですし、時間もかかりません」
巣を浄化する事の難しさは亜里沙にでも分かる。
だがそれも、比較すると簡単だと言える程の戦い。その過酷さはどんなものか、想像すら出来ない。
祈ってしまわないように、亜里沙は言った。
「……せめてこれ以上犠牲者が出ないで欲しい」
ええ、とロナンが小さく同意した。
翔の部屋の前にやって来る。
そこは最初に亜里沙がルチアと対面した、あの城の中にあった。
ドアの近くにいた騎士に話して、少しの間離れてもらう。
亜里沙は翔の部屋をノックしようとして、手を止めた。
微かに、翔の声が聞こえる。
悪いと思いつつ、そっとドアに耳を寄せる。
翔は泣いているようだった。
「……っ、ごめん……父さん……母さん……翼……俺、もう、帰れない……」
亜里沙はもう、その場から離れるしかなかった。
もう帰れない、とはどういう事なのだろう。
亜里沙に何も言わずに、何故ひとりでここまで追い詰められているのだろう。
(翔くん……一体何があったの……)
ロナンに言って、一度ソフィーの元へ戻る事にする。
『すまない、アリサ……カケルは恐らく……』
悲しそうな、消え入りそうな声が亜里沙の胸を締め付ける。
(ニーズ? どうして謝るの? 翔くんがどうしたの?)
『……もう、話すべきなのだろうな……だがあと少し……時間をくれ』
それきり黙ってしまったニーズの言葉は、亜里沙の胸に得体の知れない不安を残した。
夕刻。
イザベラを見舞った亜里沙とソフィーは、今は落ち着いて眠っている顔を見て安堵した。
隣のベッドにキーランはおらず、近くにいた騎士に聞くとパーシヴァルに呼ばれてここを出たらしかった。
キーランは先程ここで見かけた時は消耗していた以外は無事に見えた。だがやはり間近で言葉を交わさないと安心出来ない。
そんな事を悶々と考えていると、パーシヴァルがソフィーの父親を連れてやって来た。
「お父様……王太子殿下」
ソフィーが椅子から立ち上がり、パーシヴァルに挨拶する。
亜里沙も立ち上がって向き直った。
ソフィーの父親は亜里沙に向かって丁寧に会釈した。
「ご挨拶が遅れました。イバン・ヴァーロと申します。我が息子の……レオの最期を見届けてくださり……苦痛を取り除いてくださった事、感謝申し上げます」
亜里沙は口を開いたが言葉がなかった。
ただ黙ってイバンの礼を受け入れる。
イバンの言葉が終わると、パーシヴァルが口を開いた。
「トランティアにいる間、イザベラが回復するまでは私がきみを護衛しよう」
耳を疑う内容に、亜里沙はパーシヴァルを見上げた。確かに他の誰でもなく亜里沙を見ている。亜里沙は反射的にイバンを見た。
イバンは若干困った様子だが、異論はないようだ。
この部屋にいる騎士たちも何も言ってこない。
「あの……でも……」
「四六時中という訳ではない。必要な時に、私がきみの側にいる事を許可して欲しい」
必要な時。何となく、ルチアの顔が浮かんで寒気がする。
許可して欲しい、とは言えこれは実際は命令なのではないだろうか。
拒否権などないと思わせる静かな圧に、亜里沙は頷いた。
「はい……分かりました」
「うん」
表情がないと思っていたパーシヴァルが小さく笑みを浮かべたので、亜里沙は驚いた。
「早速だが聖王が呼んでいる。きみの意思を優先してくださるそうだが、どうしたい?」
亜里沙は一度ソフィーを見た。
まだ悲しみが残る顔に心配を浮かべているが、ソフィー自身は落ち着きを取り戻しているようだ。
「ソフィー、翔くんのこと頼んでいい?」
「お任せください」
だが、パーシヴァルがそれを否定した。
「カケルも聖王から呼ばれている。もうエドワードが連れて行ったはずだ」
亜里沙は戸惑って、再びソフィーを見た。
そうなれば尚更亜里沙には、今ルチアに会う選択肢しかない。
「じゃあ、私も行ってくる。後でね」
ソフィーは、はい、と頷いた。
パーシヴァルが命じたのでイバンはソフィーの側に残った。代わりにふたりの騎士を伴って、亜里沙たちはルチアの部屋へと向かう。
パーシヴァルは亜里沙を待って歩き出した。亜里沙は緊張から、ほんの少し歩を緩めて真横を歩くのを避ける。幸いパーシヴァルは気にかけなかった。
「聖王がああいうお方で、驚いたかい?」
「えっ」
見上げると、小さく笑われる。
「王太子となって聖国を訪問した際にお会いした時とは、別人のようにお変わりになっていたから、私は驚いたよ。まあ、それ以前から多少変わったお方ではあったけれどね」
後ろを歩く騎士が咳払いをしつつ、「殿下」と焦った小声を出す。だがパーシヴァルは悠々としている。
「誰にも聞こえていないさ。少なくとも味方以外には」
それからルチアの部屋に着くまで、亜里沙はパーシヴァルと会話を続けた。
特に盛り上がるでもないが、緊張するような沈黙が挟まれる訳でもない。
パーシヴァルが一方的に亜里沙に話しかけて来るのだが、何か重要な事を聞かれた訳でもなかった。
今のパーシヴァルは、イドルと戦っている時とは違って、砕けた人柄に見える。
だが、こっそり盗み見てもすぐに視線を返されるし、他愛ない内容でも、会話中は観察されている気がしてならない。
そういった言動の端々が、やはり亜里沙には居心地悪く感じられる人だった。
そして、亜里沙たちはルチアの部屋の前にやって来た。
両開きの扉を守るのは騎士でも兵士でもなく司祭たちだ。
司祭がルチアに声をかけると、とても不機嫌な声が返って来た。入室を許可され、部屋に入る。
扉の先には、ここで見た部屋の中で一番豪華な部屋が広がっていた。
少なくとも飾り気のないこの城の中にあって、ここには最低限の装飾がある。
天蓋付きの大きなベッドを背にしてソファに腰掛けたルチアが、こちらを振り向く。
亜里沙を見て微笑みながらも、パーシヴァルに目を移すと大きなため息を吐いた。
「兄弟揃って考える事は同じということね」
ルチアの向かいにあるソファに、翔が落ち着かない様子で座っている。その近くにエドワードが立っていた。
翔と目が合うと焦った亜里沙だが、さっと逸らされるとそれはそれで悲しかった。
「どうせあなたも、護衛騎士の代わりとでも言うんでしょう、王太子。キーランでも連れて来れば可愛げがあったのに」
護衛ならあなたも立っていなさい、とルチアが冷たく言い放つ。
そしてルチアは司祭に命じて、扉を閉めさせた。
部屋の中にはルチアを含めて五人だけとなった。
「アリサ、カケルの隣にかけてちょうだい」
パーシヴァルは亜里沙を促して、ソファの横、エドワードとは反対側に立った。亜里沙もひとり分空けて翔の隣に座ると、ルチアは満足げな笑みを浮かべる。
何を言われるのかと身構える亜里沙を、ルチアは目を細めてじっと見つめた。
「ごめんなさいね、アリサ。わたくし、どうしても待ち切れなくて」
そしてルチアは笑みを深めた。
「早速だけれど、わたくしの要求は簡単よ」
亜里沙は思わず肩を揺らす。だがルチアは遠慮もなくそれを口にした。
「“わたくしは死の間際に、あなたの顔を見ている”……わたくしの要求は、この予言を、あなたが実現させること」
「実現って……」
そんな事を言われても困る。
亜里沙が困惑すると、パーシヴァルが口を挟んだ。
「猊下、その予言には具体性がありませんがアリサに何をお求めなのでしょう?」
「護衛のくせに黙っていられないのね。せっかくあのうるさい老いぼれが死にかけているからここで快適に過ごせているのに、不愉快にさせないでちょうだい」
パーシヴァルが黙ると、ルチアは改めて亜里沙に微笑んだ。
「ああ、ごめんなさいね、アリサ。そんな顔をしないで。死にかけている、は言い過ぎたわ。ブレストル伯爵は重傷を負って眠っているの」
亜里沙がそれを飲み込めなくても関係ないようで、早々に話を戻す。
「具体的な事なら、あるじゃない。わたくしが死ぬ事、そしてそれがアリサの目前で起こる事よ。普通に考えたらアリサが原因であるのは明白でしょう? 直接的にしても間接的にしても。まあ、わたくしとしては直接的である方が話が早くて助かるのだけれど」
(この人……やっぱり死にたがっているんだ……)
不老不死を祈ったというのに、死を願うとは、どういう心境の変化なのだろう。
亜里沙が必死で考えを巡らせていると、翔がどこか躊躇うように亜里沙の名を呼んだ。振り向くと、翔は僅かに緊張した。
「聖王に、俺と亜里沙ちゃんで話してもいいか聞いてくれる?」
亜里沙は頷いてルチアに尋ねた。
「このわたくしの目の前で? あちらの世界の言葉で話すというの?」
「アリサ」
パーシヴァルの声に冷たさが滲む。しかし、ルチアは声を上げて笑った。
「いいわよ。こんなに可愛らしい子たちですもの。何を疑う事があるというの?」
最後の言葉はパーシヴァルに向けたようで、パーシヴァルはそのまま口をつぐんだ。
翔は顔を強張らせたが、亜里沙を見やって声を落とした。
「例の……死の予言の事を話してたよね?」
「うん……」
「聖王はニーズの行動を予知していたけど、それとは違うって事なんだよな……つまり、正真正銘の未来視だ」
「あ……そうだよね」
「まずはどうやってそんな事が出来たのか、聞いてみる?」
亜里沙は頷いて、興味深げにこちらを見るルチアを振り向いた。
「あ、あの。その予言は、どうして出来るようになられたんですか?」
ルチアは、あら、と口の端を歪めた。
「わたくしは今までも予言をしてきたわよ? 今更わたくしを疑うの?」
「でもそれは、来訪者の事に関して、ですよね……今回のとは、違う、というか」
ルチアは再び「あら」と言ったが、今度のものには嬉しそうな響きがあった。
「ちゃんと気付いているのね。いいわ、話してあげる。と言っても、これについては、それこそ具体性がない話になるの。そうねえ……どこから話そうかしら」
ルチアは少し思案するように目を伏せた。
そして目線を亜里沙に戻した時、そこには不気味な笑みが浮かんだ。
「アリサ。あなたはこの世界の成り立ちを知っていて?」
「え……?」
「猊下、何をお話しになるのですか」
パーシヴァルが口を挟むと、ルチアは今度こそ不機嫌を隠さず舌打ちした。
「何度も何度も、本当にうるさい護衛ね。せめて発言する前に許可を求めてくださらない?」
「では、猊下」
「今は駄目よ」
言い捨てて、ルチアは鼻で笑った。
「心配しなくても“あの事”は話さない。
どこかの地方の領主みたいに、お前の不興を買って消されるのは面白くないもの」
ああでも、とルチアはうっとりした。
「アリサ以外にはわたくしを殺せないんだったわ」
ルチアの言葉に引っかかりを感じるどころではなかった。強い恐怖を覚えて亜里沙の体が震える。
「わ……たし、誰も、殺しません……」
「いけないわ、アリサ」
ルチアは亜里沙を見つめたまま、目を細めた。
「これからわたくしが話す事をよく聞いて、そして決めてちょうだい」
硬直する亜里沙に、ルチアは優しい笑みを浮かべて首を傾げた。
そして、再び繰り返す。
「あなたが、わたくしの予言を実現する……その覚悟を、ね」




