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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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聖杖

 部屋を出てルチアに追い付く頃、ルチアが何人もの聖職者のような格好をした人々を引き連れていた事が分かった。

 亜里沙が近付くと後方にいる数人がちらとこちらを振り向いたが、皆一様に表情がない。

 王都や他の都市では司祭と呼ばれる人たちには会った事がなかったが、皆こんなに冷たい雰囲気なのだろうか。



 城を出て門が見えてくると、あの時突っ込んで来た巨大なイドルがまだ動いているのが見えた。


「うるさい。攻撃をやめさせてちょうだい」


 ルチアがそう言って足を止める。パーシヴァルはやって来た騎士に命令し、少しするとイドルが発する音以外が消えた。


「門は開けなくていいわ」


 嫌々、といった口調で低くそう言い、ルチアは再び歩き出した。後ろに列をなす司祭たちに手を上げて止める。

 亜里沙もパーシヴァルがそのまま立ち止まったので、それにならった。

 ルチアは歩きながら袖口から何やら木の枝のような、杖のような、真っ白いものを取り出す。


『あれは……まさか』


 ニーズがひどく驚いた声を上げる。


(どうしたの?)


 ニーズが答える前に、亜里沙は目の前で起こった事に意識を奪われた。


 歩みを止めずに門に挟まれたイドルに近付いたルチアは、杖を下から振り上げた。


 するとその動きに合わせるように、轟音と共に巨大な何かが波のように地面を突き破った。

 それは石で舗装された地を破壊し、鉄格子が変形する程の力だ。

 それは、フロースの結晶によく似たものだった。


 轟音と鈍い金属音に少し遅れてイドルの断末魔が響き、門のイドルは現れた結晶と共に粉々に砕け散った。


 途端にルチアが体を折り、後ろからでも、その足元に鮮血がぶちまけられたのが見えた。


「ああ……内臓が一つ潰れたじゃない」


 けして大きくない声だったが、そのぼやきは亜里沙の耳にはっきりと聞こえた。


「聖王様っ……!」


『アリサ、奴は不死だ。落ち着け』


 ごぼごぼと不吉な音を立てて血を吐くルチアの姿に、亜里沙の体が震え出す。

 しかしルチアは背を伸ばすと、よろよろと門に近付いて舌打ちした。


「これじゃ通れないわね」


 声も掠れて満身創痍のように見えるのに、口調はいたって冷静だ。

 ルチアが言及した鉄格子は、確かに変形したとはいえ破壊された訳ではない。

 黙って見ていたパーシヴァルがルチアに歩み寄る。エドワードも動いたので、亜里沙もそれに従った。


 だがルチアは、パーシヴァルが声をかける前に再び杖を動かした。

 足を止めた亜里沙たちの目の前で、空気を裂くように杖を振る。そして、まるでドアでも開けるような仕草で手を動かした時、空間が裂けた。


『……これは……この女の力は……』


 愕然としたニーズの声。

 ルチアは不意に亜里沙を振り向いた。

 その綺麗な口元から、夥しい量の血が吐かれた事が分かる。


「アリサ、わたくしこれから動けなくなるから、あなたが迎えに来てちょうだいね」


 亜里沙は驚愕のあまり口がきけなかった。

 ルチアはその空間の裂け目の向こうに踏み出し、闇に吸い込まれるように姿を消す。

 そして、裂け目が閉じた直後門の外にルチアの姿が現れた。途端に、激しい咳き込みと共に、ルチアの足元に鮮やかな赤が広がる。


「アリサ、来なさい」


 パーシヴァルに声をかけられる。

 亜里沙は理解が追い付かないまま、言われるままについて行き、門のすぐ側の石段を上がって歩廊に出た。


 そこから覗くと、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。

 何体か黒くなった巨大な塊が見えるが、その周囲には数えられないくらい沢山の兵士が倒れている。


「壊滅は免れたようだな」


 何の感情もない言葉が亜里沙の隣から落とされた。

 痛い程に心臓が打ちつけるのを無視して、亜里沙は状況を確認しようとした。

 だがここからでは、地形に遮られて、見える範囲に動いている人がいないという事くらいしか分からない。


 ふらふらしながら門から離れるルチアの姿が見える。


 残ったイドルは形の違いはあれどどれも大きく、軽く十を超える数が徘徊している。

 その全てが、ルチアの存在に気が付いた。


 咆哮と共にルチアに突っ込むイドル。


「黙れ! 穢らわしい!」


 ルチアの罵声が轟き、杖が振られると同時に再び結晶の群れが突き出してイドルを貫く。

 すぐにそれが粉々になって消えると、押し寄せるイドルに向かってルチアはその攻撃を繰り返した。


「このっ! ゴミ虫共がっ! 散れぇっ!!」


 圧倒的な力でイドルの群れを蹂躙したルチア。


 イドルの声も止み、垂れ込めていた暗雲が晴れるように周囲に明るさが戻って来ると、ルチアは狂ったように笑い出した。


 しかし、すぐにルチアの笑い声も途切れ、倒れ伏す姿が見える。パーシヴァルが門を開くよう命じる声がして、亜里沙は我に返った。

 亜里沙が歩廊を降りようとした時、ひとりの司祭が上がって来た。


「聖王猊下がお待ちです」


 抑揚のない声で言われ、亜里沙は戸惑った。


「私も行こう」


 パーシヴァルに促された亜里沙は歩廊を降りた。

 後ろでエドワードが生存者の捜索を命じる声を聞きながら。




 亜里沙が駆け付けた時、ルチアは司祭に囲まれていた。そのうちのひとりに抱き起こされて、とめどなく血を吐いている。投げ出された手の平が、あり得ない方を向いている。

そしてあの杖は、もう隠されたのかどこにも見当たらなかった。


 聞いた事のないような激しい呼吸音の合間に口を開いたルチアは、信じられないくらい冷静だ。


「……内臓が、沢山やられたわ。痛いじゃないの。これじゃ、アリサに肩を貸してもらっても……歩けないわ」


「我々に何か出来る事は」


 パーシヴァルを睨み付けるルチアの目にも、まだ力が宿っている。


「お前に、出来る事は……黙ってわたくしが休む部屋を、整える事よ」


「そのように致します」


 しかしパーシヴァルはついて来た騎士に命じて、自分はその場を動かなかった。


 ルチアは舌打ちし、直後に再び吐血した。


 震える亜里沙に目を移したルチアは、恍惚とした笑みを浮かべる。


「そんな顔をしないでちょうだい……この苦痛は、すぐに終わるから……大丈夫よ」


「で、でも……」


「どうやって、やるのかしらね」


「え……」


「わたくしに()()()のは……死の間際にあなたの顔を見ている、その光景だけ」


 亜里沙は息を呑んだ。背筋が凍り付く。


「あなたが……わたくしを、ついに終わらせてくれるの」


 ルチアはそう言って口角を吊り上げた。恍惚とした中に狂気を孕んだような笑いが、途切れ途切れに口から漏れる。


『馬鹿な……アリサにそんな力はない。それにこの女、本物の予言が出来るとでも言うつもりなのか』


 亜里沙は頭が真っ白になって、何も考えられなかった。

 ルチアの呻き声とも笑い声ともつかないその声を、ただ聞いていた。




 とても奇妙だった。

 ルチアを囲んでいた司祭は、彼女の口から不吉な言葉が出ても特に騒ぎもせず、それどころか顔色すら変えなかった。


 しばらくその場にいて、ルチアがそろそろ動かしていいと指示すると、無言で抱きかかえる。

 その様は歩く人形のようだ。


「後ほど、再び猊下に謁見していただきます」


 無感情に告げると、返事も待たないまま司祭たちは去った。


 パーシヴァルから声をかけられた亜里沙は言われるまま城に引き返した。

 開かれた門の内外を騎士と兵士が慌ただしく行き交う。


『あの女……奴に祈られた事を思い出してからは、意図的に近付かないようにしていた。迂闊だった……監視していなければならなかったのに……』


 亜里沙は少しずつ冷静さを取り戻したが、ニーズの言葉がどういう意味なのかは聞かなかった。まずははぐれてしまった人たちを捜したいと思ったのだ。

 だがパーシヴァルはそれを許可せず、亜里沙はホールで待つよう指示された。


 ホールも様々な人々が行き交っていたが、数人の騎士がいて、その中にエンリクの姿があった。


「アリサ様」


「アリサを見ていてくれ」


 エンリクが答えると、パーシヴァルは踵を返して去ってしまった。


「あ、あの、みんなは無事でしょうか」


 亜里沙は、エンリクに順を追って説明した。

 ソフィーとロナン、イザベラとはぐれた事。そしてキーランが外へ出て門が閉められた事。


 エンリクは難しい顔をしていたが、亜里沙が話し終わると躊躇いがちに口を開いた。


「……外にいた者たちがあのまま戦うはずがありません。兵士だけならば分かりませんが、騎士もいたので……避難場所を見つけたはずです」


 エンリクは迷いながら、亜里沙の左肩にそっと手を置いた。

 そうされて、亜里沙はまだ自分の体が震えている事に気が付いた。

 涙が出そうになって、歯を食いしばる。

 今の亜里沙に出来る事は、皆の無事を祈る事だけだった。

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