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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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パーシヴァル

 門の中に走り込んだ馬は中庭を大きく旋回しながら足を止めた。


「ソフィー……ソフィーが……!!」


 亜里沙が知る限り、外にいる人々の中で唯一ソフィーだけが戦えない。馬にも乗っていない。

 それにロナンは、まだ体が完全に回復していない。


「ロナン……」


 呟いた亜里沙は、パニックに陥ってグラから飛び降りようとした。亜里沙を捕まえるキーランの腕に力がこもる。


「カケル、降りてくれ。エドワードはアリサを頼む」


 翔がグラから飛び降り、馬を降りたエドワードが亜里沙を抱きかかえて降ろした。


「兄上!」


 エドワードがキーランの意図に気付いた時には、キーランはグラを駆って来た道を引き返し、再び門から飛び出していた。


 亜里沙が驚いたのも束の間、門の中に駆け込む騎士と兵士を追うように大型のイドルが突っ込んで来る。

 もの凄い音がして、何人もの騎士と兵たちが吹き飛ばされた。


 硬直する亜里沙の側を、誰かがすっと通り過ぎる。


 襟元を分厚い毛皮で覆った紺色のマントが見え、その後ろ姿を見上げると目に入った髪は黒色だった。


「落とせ」


 大きくもない、だがよく通る声がそう指示した直後。大きな門の上部から、内側と外側それぞれに鉄格子が、門に体を捩じ込もうとしていたイドルを分断するように落下した。


 金属音と悲鳴が耳をつんざくような音量で鳴り響き、特にイドルの悲鳴はしばらく途切れなかった。


 門の内側の騎士と兵士が内側に残ったイドルの頭を狙って次々と攻撃する。


「待って……まだ……」


 亜里沙が掠れた声でそう言うと、黒髪の青年がこちらを振り向いた。


「きみたちが来訪者か。本当にふたり現れたんだな」


 穏やかな水の色をした瞳、柔和に見えるがどこか冷たい表情のその青年は、キーランともエドワードとも似ていた。だが、一番に浮かんだのは遠征前に見た王妃の姿だった。


「初めまして。パーシヴァル・レクス・カンドールだ。きみが、アリサだね」


「あ……あの……まだ外に……」


 王太子であるパーシヴァルの問いかけにも答えず、うわ言のように呟く亜里沙に、エドワードが呼びかける。

 しかしパーシヴァルは眉一つ動かさず、亜里沙を見下ろした。


「うん?」


 聞き返された事に、亜里沙は戸惑った。

 パーシヴァルは亜里沙の近くにいた。最初から外にいたはずだ。

 中に入ろうとしていた騎士や兵士の姿は、イドルが門に突っ込んでいても、この王太子にも見えたはずだった。弟が飛び出して行ったのも、見えていたはずなのだ。


「外に……」


 呆然と繰り返すが、亜里沙が期待するような反応はない。

 亜里沙はついカッとなって、声を荒らげた。


「どうして……どうして閉めたんですか!? まだ外に人が……!」


「……何故閉めたか?」


 おうむ返しのように口にして、やはりパーシヴァルは表情も変えずに答える。


「そうしないとここにいる千の民が危険に晒されるからだ」


 淡々と紡がれた言葉に、亜里沙は反論など出来るはずもなかった。それがとても正しい事が、頭で理解出来てしまったからだ。


 亜里沙の耳に戦いの喧騒がこだまする。

 いつ聞いても慣れない音の渦に、軽い眩暈を覚える。


「では今から聖王に謁見しようか。外にいる者たちを早く助けたければ、それが一番確実な方法だが。きみはどうしたい?」


 亜里沙はハッとして、食いつくように答えた。


「会います!」


「こちらにお越しになっているんですか?」


 エドワードが訝しげに尋ねると、パーシヴァルはああ、と短く言って踵を返した。


 騎士を呼び、翔を指して何か言うと、パーシヴァルは振り返らずに歩いた。


 騎士が翔を促して、パーシヴァルが向かう方とは別の、門の近くの建物へと誘導する。


「亜里沙ちゃん……!」


「大丈夫だよ! 後で迎えに行く!」


 亜里沙は不安げな翔の姿から目を逸らし、振り向いたが、もうパーシヴァルの姿はなかった。


「……僕が連れて行く」


 歯切れ悪くそう言ったエドワードについて、亜里沙は中庭を急いで横切った。すぐに灰色の小さな城のようなものが見えて来て、その奥には再び門と壁、水路、そして遠目に見える高台にまた別の大きな城が見える。エドワードは手前のこの小さな城に入り、亜里沙も続いて足を踏み入れた。



 この城が何なのか亜里沙には分からなかったが、王都のものとは造りが随分と違うようだった。

 冷たい灰色の壁と床が続き、広く、また天井が高い為、少し恐ろしさを感じる。華美な装飾など一切ない。

 大きなホールから伸びる廊下に出て角を曲がると少し遠くにその後ろ姿が見えた。そのまま歩み寄ると、パーシヴァルがふいに立ち止まってこちらを振り向く。


 パーシヴァルがいるそこには大きな両開きの扉があった。ふたりが追い付くと扉を開いて中に入る。

 亜里沙とエドワードもそれに続いた。


「ここで待っていなさい」


 パーシヴァルは扉の近くに立ったままそう言った。


「エドワード」


 名を呼ばれたエドワードがパーシヴァルを振り向く。


「お前にしては浅はかだったな。アリサは街道から向かわせ、遠征に同行させるべきではなかった」


 エドワードは眉間を寄せた。


「……はい」


 エドワードの返事を聞いたパーシヴァルは、それ以上何か言うでもなく部屋を出た。


 亜里沙はエドワードが拳を握りしめている事に気が付いた。

 エドワードのせいではない。それを伝えたところでどうなると思いながら、亜里沙は言わずにいられず、口を開いた。


「あ、あの……!」


「すまない……アリサ」


 亜里沙が何か言う前に、エドワードがそう呟いた。


「これは、僕の失態だ……」


 まるで自分の未熟さを呪うような響きに、亜里沙はもう何も言えなかった。



 通された部屋は無機質な雰囲気だが、廊下と違って窓が大きく、外の光で明るい。そして小さく殺風景な中庭が見えるようになっていた。

 もっとも、今は曇天に覆われたように空が翳っていて、明るさはあるものの不穏な空気が漂うようだ。


 ここは応接室のような部屋なのだろうか。

 玉座やベッドなどはなく、質素なテーブルとソファがあり、大きな絵画が飾られている。


 エドワードが動かないので亜里沙もその近くに立ったまま待った。

 キーラン、ロナン、ソフィー、イザベラ、それに、沢山の騎士と兵士たち。あの門の向こうに締め出された皆の事を思うとどうにかなりそうだ。

 亜里沙は必死で冷静さを保とうとしながら、同時に、早く、早く、と念じるように祈った。



 ふと、亜里沙はエドワードの呼吸が少し荒い事に気が付いた。


「あの、大丈夫ですか?」


「ああ」


 エドワードは亜里沙を見ずに答えたが、こちらを向かなくても顔色は見える。

 亜里沙は咄嗟に侵食を疑ってエドワードの体を見た。

 すぐに、金属に覆われていない首元、黒い襟の下に痣のようなものを見つける。


 無意識に手を伸ばすと、驚いたようにこちらを振り向いたエドワードは、ほんの少し亜里沙から離れた。


「侵食が……治療しないと!」


 エドワードは思い当たるのか、痣の辺りに触れる。


「ああ……近かったせいで掠ったようだな。イドルがあんな風に、巣もない場所に大量に出現するなんて……」


「そんな事より治療を」


「大丈夫だ。この程度なら急ぐ必要はない。後でパーシヴァルから聖水を分けてもらう」


 聖水なら、と言いかけて亜里沙は思い出した。

 あの聖水はエイルセンを治療した時に使ってしまったのだ。


 見ているうちにエドワードの顔色はどんどん悪くなるようだ。後回しにしていたら取り返しがつかなくなるかも知れない。


 亜里沙は唇を噛み締め、エドワードに歩み寄った。

 エドワードは目を見開いたが、今度は亜里沙から距離を取らなかった。


「……治療、させてください」


「アリサ……」


 少し困ったような声だった。

 だが、亜里沙の顔を見たエドワードは諦めて、小さく頷く。



 ニーズは今深く眠っている気配がする。ニーズが眠っている時は力の扱いが安定しないが、それでも自分でやるしかない。

 エドワードにはソファに座ってもらう。亜里沙はよりやり易いように、エドワードの目の前に膝立ちで向かい合う。

 深呼吸して不安定な気持ちを無理矢理整えた亜里沙は、そっと左手をかざし、右手を添えた。


 どのくらいそうしていたのか、一向に終わる気配がない。

 痣が少し薄くなり、広がりが止まれば大丈夫なはずだと、亜里沙は意識を集中した。


 何度かエドワードの視線を感じる。


 亜里沙の左手が震え始めると、エドワードは口を開いた。


「もういい、アリサ。無理をするな」


 痣の範囲は、エイルセンよりも大きい。

 だからと言って、こうも上手く出来ないものなのか。


(何で……何で……!)


 亜里沙は歯を食いしばって、更に意識を集中させた。ガンガンと耳の奥を突くような耳鳴りがして、亜里沙の顔を見たエドワードが右手を掴む。


「やめろ、もういい」


 だが亜里沙は右手を掴まれても、左手をもう少し伸ばして直接痣に触れた。

 エドワードが息を呑む音が聞こえる。

 だがそのまま動かないでいてくれたので、亜里沙は目を閉じてあの音をより受け入れた。



「アリサ……!」


 エドワードの焦った声がして、目を開けると、痣の侵食は止まっていた。

 安堵と同時に生暖かいものが鼻の下を伝い、口に入って鉄臭い味がする。

 自分の周囲が波打ったような感覚と共に体が大きく傾いて、亜里沙はエドワードに支えられた。


 亜里沙を呼ぶエドワードの声を遠くに聞きながら、意識が途切れる寸前、亜里沙は何とか水を止めるイメージだけは思い浮かべる事が出来た。

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