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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第五章

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トランティアの門

 その日、朝から翔の様子がおかしかった。


 夜明けのまだ空に闇を残す時間に、テントの外からキーランに声をかけられた亜里沙は目を覚ました。


「どうしたの?」


 そっと幕を開いて顔を出す。

 もうソフィーもイザベラも起きていたし、外にも動き出した騎士や兵士が多い。だがキーランの困惑したような様子で自然と声が控えめになった。


「カケルの具合が悪いみたい。夜中に起きたんだけど、何度か吐いたんだ」


「え!? 病気!?」


「いや、最初はそう思って様子を見てたけど、どうも違うらしい。とにかく僕たちでは話にならなくて……」


「分かった、すぐ行く!」


 亜里沙はソフィーとイザベラに事情を話し、キーランについてエドワードのテントに入った。



 テントの中には翔とエドワードの他にロナンがいて、ベッドに座って項垂れる翔の側に立っている。

 翔はここから見ただけでも分かるくらい震えている。


 ニーズの囁くような声が言った。


『我の破片が不安定になっているのを感じる。カケルに触れてくれ。破片が安定すればカケルが落ち着く助けになるかも知れない』


 三人が黙って見守る中、亜里沙は翔に近付いた。


「翔くん……大丈夫? 隣に座ってもいい?」


 翔の肩がビクッと跳ねて、そして恐る恐る顔を上げる。


 亜里沙は息を呑んだ。


 昨日までは普通だった。むしろ亜里沙より高い適応力に感心するくらいに動いていたように見えた。

 だが今の翔は、この世界で再会した日よりも憔悴していて、目に光が宿っていない。


 消え入るような声で名を呼ばれて、亜里沙は咄嗟に翔の目の前に膝を付いて目線の高さを合わせた。


「どうしたの? 私に話せる?」


 翔はしばらく血の気の失せたような顔で、亜里沙を見つめた。

 居心地悪さを感じる程無言で見つめられて、たじろぐ。

 腰が引けそうになったが、亜里沙は耐えた。



「そうか……きみは……違うんだ……」


 やがて、翔はそう呟いた。


「えっ?」


「俺……俺は……」


 亜里沙は、自分に向かって僅かに伸ばされた翔の両手を取った。痛い程握り締められて、思わず顔が歪む。


『もう少し近付いてくれ』


 亜里沙は弱りきった翔を見ていて、自然と体が動いた。両手を握られているのでちゃんとした形ではなかったが、翔の肩に頭を預けて、抱き締めるように。


 翔の体が強張るのが分かったが、亜里沙はしばらく「大丈夫」と繰り返し語りかけた。



 そうしている内に、翔の体から力が抜けていくのを感じた。

 次第に震えが止まり、呼吸が落ち着いたのを耳元で感じる。


『……我に出来るのはこのくらいだ。すまない、アリサ、少し寝る……』


(うん。ありがとうニーズ、おやすみ)


 亜里沙が小さく安堵の息を吐いた時だった。



「……俺に何をしたの?」


 少し怒気を含んだ、低い声が亜里沙の耳元で囁いた。

 寒気が走り咄嗟に離れようとした亜里沙の両手を翔が強く引き止める。

 亜里沙は慎重に、上体を起こしてほんの少し翔から距離を取った。


 亜里沙は翔にもニーズの声が聞こえるのを忘れていた。

 暗い目でこちらを見つめる翔に、何と説明したらいいのか分からない。


「“彼”が助けてくれたの……心配だったから……」


 言えたのは、それだけだった。


「具合は良くなった?」


 キーランのどこか冷たい声が割り込んで来て、翔はハッとした。

 ごめん、と呟いて亜里沙の両手を解放する。


「もう……大丈夫、です……」


 恐らくこれは、この世界の言葉だ。

 キーランは「そう」と短く答えて、亜里沙の腕を優しく取った。


「大丈夫? 立てる?」


「あ……私は全然大丈夫だから」


 亜里沙は立ち上がりながら、慌てて平常心を装った。

 キーランだけではなく、ロナンとエドワードの心配そうな顔が視界に入って、亜里沙は居た堪れなくなった。


「あの……翔くんとふたりで話したい、です」


 キーランの表情が曇った。しかし、エドワードが分かった、と答えてキーランを制する。


「外にいる。大丈夫だとは思うが何かあったら呼べ」



 テントには亜里沙と翔だけが残された。


 翔は今ベッドに腰掛けたまま目を伏せて黙り込んでいる。


 亜里沙は椅子を引っ張って来て、翔の向かいに座った。


「私に話せる事……ある?」


 遠慮がちに聞く。しばらく反応がなかったが、翔はゆっくりと目線を亜里沙に向けた。


「ニーズに何をさせたの?」


 吐き出される声も言葉も冷たい。

 その顔には何の感情も浮かんでいないようで、明らかにおかしい。


 亜里沙はじんわりと染みるような恐怖を感じながら、勇気を振り絞って口を開いた。


「翔くんの中に入ってるニーズの破片が不安定だから、安定させるって……そうしたら、翔くんの具合が良くなるかも知れなかったから」


 翔は亜里沙の言葉が終わると、再び目を伏せた。


「そう……ありがとう。助かったよ」


 心の無い物言いに口を引き結ぶ。


「翔くん、どうしたの? 何があったの? 私には話せないの?」


「話せる訳ないだろ……こんな事!」


 怒鳴られた訳ではなかった。だが激しい怒りを叩き付けられたような、そんな衝撃を受けた。


「……少しひとりで考えたい。整理する時間が欲しいんだ」


 亜里沙は少しの間ショックで口がきけなかった。

 ややあって、亜里沙は分かった、と答える。


 立ち上がってテントを出ようとした時、翔が焦ったように亜里沙を追う気配がした。


 亜里沙は振り向こうとして翔に手首を掴まれた。


「待って……」


 呟かれた声はとても弱々しかった。先程は何の感情も無いと感じたが、今、翔の目には強い怯えが浮かんでいる。


「ごめん亜里沙ちゃん……俺……」


 そして、翔は結局何も言わずに口をつぐむ。亜里沙の手首は力なく離された。


「大丈夫だよ、翔くん。翔くんが落ち着いたらちゃんと話を聞くし、話せないなら無理しなくていい。それに」


 亜里沙は表情を繕う余裕もなかったが、せめて伝わるように翔の目をまっすぐ見つめた。


「絶対にひとりにしない。何があっても、一緒に乗り越えよう」


 翔の顔が苦しげに歪む。顔を背けられたが、確かに「うん」と声が聞こえた。

 亜里沙は不安を抱きながらも、翔を残してテントを出た。



 亜里沙がテントを出た後、待っていた三人は何も聞かずにいてくれた。




 そうして翔の状態に不安が残るまま、出発となった。雲行きが怪しく、空が暗く感じる。

 トランティアの門はここから近く、急げば午前中には到着するとの事だった。


 翔は亜里沙から離れて歩いていた。先程の件もあって、もしかしたらニーズに近付きたくないのかも知れない。

 ソフィーが翔の様子を気にしているのが分かる。

 亜里沙はソフィーに、自分の代わりに翔の近くに居てもらう事にした。


 翔は煩わしそうにする事もなかったが、ただしソフィーの気遣いを受け入れるような素振りも見せなかった。




 もうそろそろトランティアの門が見えてくるという頃、前方からふたりの若い騎士が馬に乗ってやって来るのが見えた。


 先発したエンリクの隊が到着した事を受けて、エドワードと来訪者を迎えに来たらしかった。


 ソフィーがお兄様、と小さく声を上げる。


 亜里沙が驚いて騎士を見ると、気さくな雰囲気の騎士が明るい笑みを浮かべてソフィーに向かって片手を上げた。


「ソフィー! 可愛い我が妹よ、久しぶりだな! まさか来訪者様にお仕えしているのか?」


「騒ぐな、レオ」


 もうひとりが苦言を呈し、馬を降りながらエドワードに謝っている。


「殿下、こちらにお乗りください」


 レオと呼ばれた騎士が馬を降り、その馬をもうひとりの騎士がエドワードに差し出した。

 レオはエドワードへの挨拶が終わるとにこにこしながらこちらに来た。そして亜里沙と翔に向かって礼儀正しく会釈する。


「初めまして、レオ・ヴァーロと言います。ソフィーの兄です」


 そしてレオは後ろを見やって、もうひとりの騎士を親指で指す。


「あっちはビクトル・ヴァーロ。俺たちの長兄です。怖い顔してますけどカタブツなだけなので安心してくださいね」


「騒ぐな」


 こちらを見たビクトルがもう一度レオを嗜めた。


 ふたりともソフィーと同じ色の髪と瞳。優しそうなレオは少しソフィーに似た顔立ちだ。


 亜里沙と翔が挨拶を返すと、馬に乗ったエドワードが言った。


「アリサ、カケル、キーランとグラに乗れ」


 今グラにはロナンが乗っていたが、エドワードの指示で交代となった。

 一番前に亜里沙、それを支えるように手綱を握るキーラン、そして後ろに翔だ。



 隊は再び動き出し、少しスピードを上げた二頭の馬は少しずつ前方に移動した。


 小走り程度とは言え足でついて来るソフィーとイザベラが気にかかる。だが詰めて乗っている為動きが制限され、あまり後ろを確認する訳にもいかない。




 そうして、遠目に、地形が邪魔していても分かるくらい長く高い石壁と大きな門が見えて来た時。その異変は唐突に起きた。



 ふと、空が翳った。雲行きは確かに怪しかったが、それでは説明のつかない暗さに。

 いや、と言うよりも、空気が澱んだかのようだ。


(何……?)


 亜里沙の胸がざわつく。それは少し前方を行くエドワードも同じようだった。


「これは……」


 辺りを見回し、エドワードは突然声を張り上げた。


「全隊、走れ!!」


 エドワードの指示を受けて、騎士たちが即座に前後にそれを伝える。


「アリサ、カケル、掴まって」


 そうキーランが声を上げた直後、グラの速度が上がった。


 そして、それと同時に、空気が唸る様な音が耳鳴りと共に辺り一帯に轟いた。


 聞き覚えのある不快な咆哮が四方八方から上がり、視界の端に巨大な腐肉の塊がいくつも見える。それは信じがたい程の数だった。


「あっ……!」


 それに気付いた亜里沙の心臓が一際強く打ちつけた。

 ソフィーは、馬に乗っていない。


「ソフィーッ!!」


「駄目だアリサ!」


 キーランの片腕に強く抱き締められ、振り返る事は出来ない。怒号も咆哮も風の音も全て混ざり合って亜里沙の耳に叩きつけてくる。



 日が暮れるかのような暗がりの中、飛ぶように駆けた二頭の馬は、門の内側へと飛び込んだ。

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