束の間の癒し
亜里沙は迷った末、もう傷跡に包帯は巻かない事にした。影が出来れば目立たなくなりそうに見えたので、フードを被れば事足りる。
目深にフードを被って外に出る。
出発前にすれ違った何人かの兵士は、気遣うような目線を投げかけて来た。
しかし何人かはそそくさと避けるように通り過ぎる。
昨日のイザベラとヒューゴの決闘が、良くも悪くも影響を与えているようだった。
亜里沙はロナンが言っていた通り、キーランと共にグラに乗る事になった。
ここから更に高低差が激しい場所が多くなるらしく、翔の事が気掛かりで何度か様子を見たが、亜里沙よりは足取りもしっかりしている。
ただ、問題はキーランだった。
キーランは出発前に建物の外で会った時はいつも通りの様子で亜里沙に挨拶してしてくれた。
エドワードも側にいて、もちろん亜里沙の側には翔とソフィーとイザベラがいた。周囲には行き交う騎士と兵士たち。
そんな中、キーランはすぐに亜里沙の頬の傷が薄くなった事に気付いた。そこまでは良かった。だがキーランはごく自然な動作で亜里沙の頬に触れて、親指で傷跡を撫でたのだ。
亜里沙はすぐに顔を伏せて逃げたので誰がどんな反応をしたかも分からなかったが、こういう事をされると困るのだ。キーランが単に過保護だったりスキンシップ過多気味な性質というだけではない。
そんな彼からキスをされて告白された後だと話が変わってくるのだ。
(いや、これは……キーランっていうより私の問題だ……!)
ニーズがとても嫌な事を言っていたが、今はそれに頼るのが一番いいかも知れない。
つまり、アストラムの性質を受け継いでいるから亜里沙に告白したのであって、キーラン自身の気持ちではない。虚しさも感じるが、いちいち慌てて赤面して醜態を晒すよりはいいだろう。
それにしても告白する性質というのは、アストラムが恋愛体質という事なのだろうか。
そして、ここに至る。
今亜里沙は後ろからキーランに支えて貰う形でグラに穏やかに揺られていた。
「もう少し僕に寄りかかっていいよ。そうすれば楽だから」
耳元で優しい声がして体が硬くなる。
「……でも、キーランがきついでしょ」
「乗馬は慣れてるから、そんなにきつくない」
相変わらず優しく、いつも通り。
亜里沙は誰にも分からないように小さくため息を吐いた。
このペースで行くと、次の砦までは丸一日かかるという。ヒューゴが口にしたシーラという砦は、もっと先にあるらしかった。
この辺りは灰色の景色にほんの少し緑が加わっていて、遠目には小さいながら森もあり、ここからは見えないが集落も点在しているとの事だった。
この灰色が多い地域に人が住めるのかと亜里沙は驚いた。イドルの被害も多いという話だったはずだ。
この辺りの集落はこれまでイドルがもたらす難をうまく避けて来られたから存続出来ていたが、こうなってはそれも分からないとイザベラが教えてくれる。
四時間程かけて隊列は移動し続け、昼も近くなって開けた場所に到着した頃一度休憩になった。
グラと、亜里沙を支えてくれたキーランのお陰で思っていたより体が楽だ。
荷を運んでいる馬に水桶を差し出す兵士が見える。
亜里沙はグラから降ろしてもらい、グラの側にある道脇の石に腰掛ける。
キーランが隣に座り、遠慮がちに翔も近くにやって来た。
ソフィーからパンと干し肉とチーズを貰う。
皆で昼食を食べていると、水桶を持った若い兵士がグラの側にやって来た。
水はあまり入ってなさそうだったが、グラは少し飲んだだけでそっぽを向いていた。
ふと、兵士と目が合う。ビクッと肩を震わせる兵士に、亜里沙は慌てて目線を逸らす。
しかし、意外な事に兵士は亜里沙に声をかけて来た。
「あの……来訪……アリサ様」
「えっ?」
驚いて振り向く。イザベラにじいっと見られているからか、緊張した様子で兵士は続けた。
「ブラハド卿が言った事は……気にしないでくださいね。俺は、アリサ様とカケル様に感謝しています……その、ご一緒出来て、光栄です」
亜里沙が何か言う前に、それでは、と頭を下げて、兵士は足早に去った。
しばらく開いた口が塞がらなかったが、キーランに声を掛けられてハッとする。
不安げにこちらを見る翔に、今の話をして聞かせた。
「そっか……否定的な人だけじゃないんだ。それが分かっただけでも良かったね」
「うん……」
亜里沙の顔を見て、翔は改めて「良かったね」と言った。
じわっと胸が温かくなるのを感じながら亜里沙は頷いた。
イドルの急襲やその他の危険とは遭遇せず夕方が迫る時刻、先に到着して野営の準備をしていたエンリクの隊と合流した。そして、ヒューゴがエンリクの隊に組み込まれていた事を知る。どうりで近くにいなかった訳だ。
遠目に目が合って、恨めしそうに睨まれたが亜里沙は顔を背けて無視した。
適度に開けた場所にいくつものテントが並び、もう美味しそうな匂いが立ち始めている。
切り立った崖のような岩場が近くにあるが、ここまでの道と比べると視界は悪くなかった。
亜里沙たちはエドワードに呼ばれて一番大きなテントに入った。その隣にあるテントが亜里沙とソフィーとイザベラが使うテントらしい。どれも小さく簡易的に見える中で、この二つだけ、しっかりした造りのようだ。
中に入るとやはりそこはシンプルな部屋といった印象だった。二台のベッドに挟まれるように大きめの机と椅子があり、エドワードはもうそこに座って難しい顔で何かを読んでいる。
亜里沙たちがやって来るとエドワードは顔を上げた。
「聞いたと思うがアリサは隣のテントを使え。兄上とカケルは今後野営の時は僕と同じテントだ。伯爵は騎士たちと同じテントを使ってもらう」
言って、エドワードはロナンを見て笑みを浮かべた。
「待遇が悪くて申し訳ないな、伯爵」
対してロナンも笑顔で答える。
「元から期待はしていませんので大丈夫ですよ。それよりカケルくんがちゃんと休めるか心配ですね」
ふたりの微妙に嫌な会話にハラハラした亜里沙だが、エドワードは何事もなかったかのように亜里沙を見た。
「野営中は絶対にイザベラの側を離れるな。もし何らかの襲撃を受けた際は必ずイザベラの指示に従う事。いいな?」
「は、はい」
エドワードは亜里沙の返事を聞くと、亜里沙とソフィーとイザベラに下がるよう言って再び羊皮紙に向かい合う。
テントを出る時に視線を感じて振り向くと、キーランと目が合う。亜里沙はつい、逃げるように外へ出た。
亜里沙はソフィーとイザベラを連れて隣のテントに向かった。
エドワードのテントより狭く、置いてある物も更にシンプルだが、他のテントと比べると雲泥の差だろう。
小さなテーブルと椅子が二脚、ベッドが一台。
「これ、寝る時どうするの?」
ベッドが亜里沙用なのは明白だ。
狭いが何とかソフィーは一緒に寝れそうだ。だが今はイザベラもいる。何とか詰めれば三人寝られるだろうか。
「私はこれがあれば充分休めます」
イザベラはにこにこと椅子を指差した。
まさか座って寝るのだろうか。
「分かった……ありがとう。でも辛かったらちゃんと教えてね」
「もっと酷い環境でも寝てきましたから、比べるとここは宿の部屋くらい安眠出来そうですよ。なので心配はいりません」
頼もしい言葉にひとまず安心する。
夕食まで時間があるらしく、迷った亜里沙はイザベラに頼んでエドワードのテントに舞い戻った。
ロナンと話し込んでいたエドワードは戻って来た亜里沙たちを見て怪訝な顔をした。
しかし翔は亜里沙を見て緊張が和らいだようだった。
「……何だ?」
身構えられているようで、緊張する。
「あの……野営の時、空いた時間で翔くんの言葉の勉強がしたいんですけど」
「ああ、構わないが……」
「なので、良かったら机の端っこを使わせて欲しいんです。私のテントの机は小さくて」
嫌な予感が当たったらしい事を、エドワードの表情が物語っていた。
「……分かった、邪魔にならないよう静かにしているなら使ってもいい」
エドワードの机はかなり広いので、こちら側に椅子を置けば翔とソフィーが並んでも問題なく使えそうだ。
ロナンが用意してくれていた羊皮紙とペンとインクを机のこちら側に並べ、椅子を二脚並べる。亜里沙は立って翔とソフィーを見守った。いつの間にかキーランとロナンとイザベラも参加して、ふたりの勉強の見守り役になっていた。
少し賑やかだったかも知れないと亜里沙が顔を上げた時、数日振りにエドワードの苛立った表情を見てしまった。エドワードには申し訳ない事をしたが、彼の怖い顔を見ても不思議ともう嫌な気分にはならなかった。




