互いの言葉で
翌早朝、目覚めた亜里沙はソフィーと共に体操をし、準備を整えた。
ソフィーに言われて鏡で確認すると、まだ傷跡はあるが、思ったよりも薄くなっていてこれならこの傷跡は消えると改めて希望を持てた。
元の世界に帰った時に残っていたら困る。そう考えて、以前感じた疑問が再び湧き上がる。
朝食まで少し時間があるとの事で、忙しくしているソフィーに申し訳なさを感じつつ亜里沙は部屋に残った。
そして、先程気配を感じたニーズに亜里沙は挨拶した。
(ニーズ、おはよう)
『……ああ、おはよう』
昨夜と比べて眠そうな声だ。
(眠いの? 昨日あまり眠れなかった?)
そう言えばドラゴンの生活サイクルはどうなっているのだろう。
『……お前が寝た後、疲れたからまた寝ようとしたが、よく眠れなかったのだ』
(そっか……じゃあ定期的に子守唄を歌ってあげないとね)
『あまり我の意識の中に入って来るのは良くないのだが……だが、助かる事は事実だな……』
(何で意識の中に入っちゃダメなの?)
『感覚を共有しやすくなってしまうからだ』
それを聞いた亜里沙が考え込むと、ニーズが例えばそれだ、と言った。
『今不安を感じただろう? 何となく伝わって来たぞ』
(でも……しょうがないよね、ニーズには回復してもらわないとだし)
『ああ』
小さなため息が頭の中で響く。
『それはそうと、我に何か聞きたい事があったから話しかけたのではないのか』
(別に、質問がなくても話しかけるよ……まあ、今は質問があるんだけど)
『言ってみろ』
亜里沙はこれが理に触れないでありますように、と願いながら切り出した。
(ここで過ごした時間って、元の世界に帰った時にどうなるの?)
しばらく、沈黙が続いた。
迷うような気配があって、理に触れる事だったか、と亜里沙が諦めかけた時、ニーズが小さく言った。
『来訪者はここに来る時、元いた時空間に強い痕跡を残す。そしてここから帰る時、その痕跡を追うように元の時空間に現れる』
(それはつまり……)
『ここで過ごした分の時間は元の世界には影響しない。だから何日、何年過ごそうと、元いた場所に帰った時、時間は経過していないのだ、恐らく』
恐らく、は余計だが、これは亜里沙にとっても翔にとっても、とても良い知らせだった。
(じゃあ、この世界でケガするとどうなるの?)
『それは……こちらで体の状態が変化すると、帰ってもそのまま残るようだ』
迷いながら、ニーズが答える。
これは悪い知らせだ。
(じゃあやっぱり、絶対危ない目に遭わないようにしないとって事だね)
そう考えて、ここで死んだ兵士たちの事が頭を過ぎる。もうあんな風に勝手な行動をしてはいけない。これまで以上に用心しないといけないと自分に言い聞かせる。
『ああ、そうだ。だがあまり思い詰めるな』
うん、と亜里沙が答えた時、ロナンが訪ねて来た。
ソフィーがいなかったのでドアを開けると、イザベラが居て、微妙に遠い位置にロナンが立っていた。
「アリサ様、ソフィーさんがいない時は私がアリサ様に確認するまでドアを開けてはいけません」
幼い子に諭すような口調で言われてしまった。
「何もそこまで警戒しなくても……私はアリサさんに危害を加えたりしない」
「例外はありません、伯爵。アリサ様には、相手が誰であっても関係なく、徹底して頂かなければ」
「分かった……気を付ける。えと、おはよう、ロナン、イザベラ」
ロナンとイザベラが亜里沙に笑みを見せておはようを返してくれる。
それにしてもイザベラはいつ来たのだろう。まさか一晩中ここにいたのだろうか。
心配でイザベラの顔色を盗み見るが、いたって健康的だった。
「もう動けそうですか?」
心配そうなロナンに大丈夫と頷いてみせる。少し怠さはあるが、それは回復しようとしている証だ。
「亜里沙ちゃん、おはよう。大丈夫?」
ドアの音で振り向くと、部屋から出て来た翔と目が合った。すぐにやって来た翔に挨拶を返す。
「うん、もう大丈夫だよ」
「そっか……良かった。昨日あれから戻って来なかったから、何かあったかと思って」
何かあった、と言われて、亜里沙は余計な事を思い出してしまった。亜里沙の意思に反して瞬時に顔が熱くなり心臓が早鐘を打ち始める。絶対顔が真っ赤なので亜里沙は慌てて両手で頬を挟んだ。熱を冷まそうとしたのだが、あんまり効果はない。
「ど、どうしたの? 何かあったの?」
「何もないよ! 何もない!」
「アリサさん?」
ロナンからも不審がられてしまい、亜里沙は「忘れ物した」とあまりにおかしな言い訳をして、焦って部屋に引っ込んだ。
イザベラがドア越しに声をかけて来るが、大丈夫と返すとそれ以上誰も構わないでいてくれた。
(そうだよ……私、キーランとどんな顔して会えばいいの)
『……あの後も普通にしていたのだから、そのまま普通にしていればいいだろう……』
眠そうにしながらでもニーズにはやはりデリカシーがなかった。
(眠いなら寝ててもいいんだよ)
亜里沙がムッとして言うと、ああ、と聞こえたきりニーズの気配は途絶えた。
少ししてソフィーが帰って来て、亜里沙は心底ホッとした。
朝食は、亜里沙の部屋でいつもの三人で摂った。
翔は先程の件については何か察知したのか触れて来なかった。
ソフィーが居たが、時間がないので昨夜貯水槽を浄化した事と、先程ニーズと話した事を翔に共有する。
「それさ……俺たちの体の変化がそのまま残るって事は、下手したら体だけ老けて、元の時間に戻されるって事だよな?」
「……あ!?」
言われてみれば確かにそうだ。
「いや、流石にそんなにかかるとは思ってないけど、でも……」
翔が難しい顔でうーんと唸る。
「てっきりその間は行方不明扱いかと思ってたから、来訪者たちはそんなに滞在せずに帰ってたのかと……キョウコさんの一年も長いけど、でもそうなってくると、これまでの来訪者で、最長でどのくらい滞在したのか聞いてみたいな。記憶はどうなんだろ、残るのかな……」
「私さっき寝ていいって言っちゃった……」
翔は亜里沙の顔を見て慌てた。
「ああ、仕方ないよ。彼には回復してもらわないと」
そこで、後で聞いてみようという話に纏まった。
「でも、ありがとう亜里沙ちゃん。実はそれ、ずっと聞きたかったんだ」
「もしかして、遠慮してた? 聞いてくれて良かったのに……私、鈍いところあるから」
恥ずかしさを我慢して言うと、翔が困ったように笑った。
「……でも実際、俺もいっぱいいっぱいでさ……正直色々考える余裕がない時の方が多いから」
「うん……そうだよね……」
翔の立場を思えば、亜里沙よりも負担が大きい事は容易に想像出来る。
(私がもっと、しっかりしなくちゃ)
亜里沙と翔の話が途切れた時、ずっと静かだったソフィーがおずおずと声をかけて来た。
「あの……私も、良かったらアリサ様とカケル様の言葉を習いたいです」
「え?」
「あ、いえ……聞いてはいけないお話でしたらもちろん聞きません。ですが、その」
「ああ……そっか、ごめん! 仲間はずれみたいにしちゃった」
亜里沙が慌てて謝ると、ソフィーも慌てて首を横に振った。
「違うんです、私、アリサ様とカケル様に近付きたいんです。もう少し親しくなりたくて」
顔を赤らめるソフィーが可愛くて、亜里沙はふっと笑みをこぼした。
翔に聞くと、少し戸惑ったようだったが、賛成してくれた。亜里沙は緊張するソフィーに笑いかける。
「いいよ、翔くんが勉強する時に一緒にやっちゃおう」
「はい……! ありがとうございます!」
ソフィーは花が咲くような笑顔を見せた。
そして亜里沙たちは、ティラ砦を後にした。




