旅の始まり
カンドルヴィア王国の王都、マグヌフィリア。
亜里沙が一行と目指すのがそこだ。
朝、亜里沙は日の出と共に目が覚めた。
自分の部屋のベッドに寝慣れていた亜里沙の体はガチガチに固まっていたし、良い物だと分かる毛布も、暖かい環境で寝る事に慣れた亜里沙には肌寒さを感じさせるものだったが、幾分かスッキリした心地だ。
ニーズに小さく呼びかけてみるが、反応はなかった。
あのお馴染みの体操をして気合いを入れる。この体操に本気を出したのは小学生の夏休み以来、久々だ。
いつまでも落ち込んでいられない。
何としても家に帰りたい。そのために自分が出来る事は何でもやらねば。
テントを出ると、皆すでに起きて片付けをしていた。
残していくものもあるようだが、あっという間に小さく折りたたまれては荷車に積み込まれていく品々。手際が良すぎて手伝うと申し出る事も出来ない。
テントの入り口に立ち尽くす亜里沙に気付いたロナンが作業の手を止めてこちらに来た。
「アリサさん、おはようございます」
「あっ、おはようございます!」
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい、お陰様で」
ロナンは微笑んで頷く。
「申し訳ないが馬の様子を見て来てくれませんか?
餌は足りていると思うのですが、これから重い荷を引かせなきゃなりませんからね」
「任せてください!」
キーランとふたりの商人にもおはようと声をかけ、亜里沙は馬の所へ走った。
馬は昨日見つけた時と同じように草を食んでいた。流れの穏やかな川に顔を寄せて水を飲む子もいる。素人目だが、昨日の様子と変わらないように見えた。
報告に戻る前に撫でてみたいが、怒らせるだろうか。
「よく飼い慣らされているから触っても大丈夫だ」
振り向くとキーランがこちらへ歩いてくる所だった。
「……じゃあ、ちょっと撫でてみたいかも」
キーランは草地から頭を上げた馬にそっと寄り添い、宥めるように首筋を撫でると手綱を引いて亜里沙に近寄った。
「ほら」
亜里沙は恐る恐る、キーランの真似をして側面から首筋を撫でてみた。
「……わっ」
毛は少し硬いが、滑らかさが手のひら全体に広がって、体温が心地良い。
ふ、と笑う気配がして隣を振り向くと、微笑んでいるキーランと目が合う。
いつの間にか至近距離で、眩しくて目が潰れそうだ。
「今度背中に乗ってみる?」
「え、いいの? それは体験してみたいかも……!」
「時間があれば乗馬を教えてもいいな」
「そっか……キーラン、馬にも乗れるんだね」
頷くキーランを見て、亜里沙はほんの少し情けない気分になった。
「すごいね、キーラン。私より年下なのに何でも出来るんだ」
キーランは不思議そうに亜里沙を見る。
「アリサは僕と同じ年齢だろ?」
「えっ……キーランって何歳?」
「16」
顔だけ見て14くらいだと思っていた。だがそんな事はいい。
「私、18なんだけど……」
「え?」
しばしの沈黙の後、キーランは何か自分の中で納得したのか、黙って頷いていた。
何を納得してしまったのだろう。ほんの少し憐れまれた気がするのは亜里沙の気のせいだろうか。
二台の荷馬車が森の中を走る道を出発した。足下はすぐに土の中に砂利が埋まったような道へと変化する。
馬は二頭ずつで荷車を引き、ルイとベンがそれぞれ御者台に乗った。
亜里沙はルイの方の荷台の部分にスペースを作ってもらい、そこに納まる。
可能な限り座り心地が良いようにして貰えたのが分かる。亜里沙に付き合う形でロナンが同じ荷台の端に座った。
キーランは馬車の側を歩いている。
「マスター、このペースですと早くて五日かかりますね」
亜里沙を心配してのルイの問いに、ロナンは首を横に振った。
「いや、帰りは迂回しない。アウルマルクを通ってくれ。三日もかからず王都に着くだろう」
「ああ……大丈夫ですかね?」
「私がいるじゃないか」
何やら不安げなルイに、何でも無さそうに言うロナン。
あなたがいるからこそ、とか、行きは迂回なさったのに、とかルイはぼやいた。
「それに昨日は雲行きが怪しかったじゃないですか。ここらでは降りませんでしたけど。そっちの道だと荷車が危険では?」
「それは、キーランがどうにかしてくれるよ」
「マスターはたまに雑ですよね。何よりアウルマルクの件が心配ですよ」
困ったもんです、と再びぼやくルイ。
「あの……何かあるの? その、アウル……」
「アウルマルク、小さな都市です」
また新しい都市の名前、覚えられるだろうか。
「あそこは職人組合が支配しているんですよ。我々商人ギルドとは折り合いが悪くて」
その組合の事や関係性はいまいち見えて来ないが、ロナンの表情を見る限り大した事はないように見えた。
「それにしても、アリサさんはラッキーでしたね。
マスターが普段こんな風に出歩く事はほとんど無いんですよ」
笑みを浮かべたルイがわずかにこちらに顔を向けた。後ろからベンが相槌を打つ。
「ましてや荷車を使うような用向きですからね。出歩くなら台帳を見ている方がいいと言うような方が」
「それを言うなら幸運だったのは私の方だ」
ロナンは亜里沙に顔を向けた。
「前の来訪者様の事もありますし、私には幸運を引き寄せる女神の加護があるのかも知れません」
そう言って笑みを見せる。
亜里沙はちょうど話題に出た十年前の来訪者の事を尋ねた。
「彼女の役目……ですか?」
亜里沙がそれを聞いてきた真意に気付いたのか、ロナンは慎重に口を開く。
「……十年前にいらっしゃった来訪者様は、名をキョウコと言います」
(日本人!)
亜里沙が目を丸くすると、ロナンは頷いた。
「やはり同郷の方なんですね。黒髪に黒い瞳でしたし、アリサさんと容姿の特徴も似ています。確か、ニホン、でしたか。
私はその場所以外からの来訪者様にお会いした事はないのですが、我々に容姿が似た来訪者様もいたそうですよ。
……キョウコさんは一年間の救世の旅の後、帰っていかれました。何かそういった話を耳にした事は?」
ロナンの質問に、亜里沙はハッとした。
(そうだ……時間はどうなるんだろう? 一年間いなかったら、元の世界でも同じくらいの時間が経つのかな? 季節は同じじゃないみたいだけど……)
亜里沙は考え込んで、首を横に振った。
「ごめんなさい、もし一年もいなかったなら向こうでは事件になって、ニュースになる事もあると思うんだけど、私はその頃子供だったし、キョウコさんという名前にも心当たりがないです……」
なるほど、とロナンは頷いて、話を変えた。
「すみません、キョウコさんが具体的に何をしていたか、という話でしたよね」
亜里沙を見て少し躊躇したあと、ロナンは言った。
「彼女はイドルを浄化する事が出来、聖女と呼ばれていました」




