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キョウコ


 イドルとは、というロナンの説明に初めて聞くふりをして耳を傾ける。

 内容はほぼニーズが語ったことと同じだった。


「その、巣ってどこにできるの?」


 すると、今まで黙っていたキーランが答えた。


「イドルの巣は王都や都市などの、人が大勢集まる場所にはできない」


 キーランは亜里沙が座る側を歩いており、振り向くと彼の綺麗な顔が見えた。


「どうして?」


「女神イーリスの加護があるからだ」


「加護……」


 その加護は、イドルそのものを抑えるわけではないようだ。


「ただ、巣はできなくても、出てきたイドルは放っておいたら移動して、人を襲う」


「巣が湧く場所は大体決まっているんですよ」


 かつて人が住んでいた廃墟、日が差さない森、放置された亡骸がある場所、大陸の端など、とロナン。


「同じ場所に何度もイドルの巣ができることもあります」


「それ、来訪者が全部どうにかしてきたんですか?」


「まさか」


 ロナンは首を横に振った。


「平常であれば、大陸にある四つの国がそれぞれの軍を用いて要所を巡回するので、それで事足ります」


「じゃあ、来訪者がいなくても」


「そうであれば良かったんですけどね」


「アリサ、イドルを一匹倒すのに、人間の武器じゃすごく時間がかかるんだよ」


 キーランを振り向く。キーランは遠くの風景に視線を傾けながら言った。


「巣を消すのはもっと難しい。時間がかかるから、穢れがひどいと追いつかなくなる」


 亜里沙はつい喉を鳴らした。

 そうなった頃に、来訪者が来るのだろうか。


 この世界は穢れが広がっては収まってを繰り返しているようだ。


「都市の近くでイドルを見かけるようになったら、それは穢れが広がっている証拠だ」


 キーランはのどかな平原の向こうを指し示した。


「あそこに砦があるのが見える?」


「うん……見える」


 黒っぽい石造りの、まさに砦のイメージにピッタリの建造物が、周りの牧歌的な平原に似合わない色彩と存在感を放っている。


「ああいった砦や城塞は、イドルが増加した時に最も被害に遭いやすい場所を守るためにある」


「つまり……あの近くに、イドルの巣ができることがあるってこと?」


 うん、とキーランは重く答える。

 口をつぐんだキーランの代わりにロナンが続けた。


「四つの国がお互いに不可侵なのは宗教的な理由が大きいですが、イドルの存在も、少しはその結束を強めているんでしょうね」



 続けてロナンが語ってくれたキョウコは、まさしく希望と言える、そんな来訪者だった。


 一匹倒すのに人手も手間もかかるイドルを、一人で短時間で消すことができた。

 もちろんもっと時間がかかるイドルの巣だって、短い間に消してしまったのだという。


 彼女はこの世界に現れた時からずっと、まさしく人々に希望を与え続けた聖女のような人だった。

 イドルの脅威に怯える人々を憐れみ、イドルが踏み荒らす地を見て涙を流すような人──



 話を聞いた亜里沙は強い焦燥感と不安に襲われた。


 キョウコのような力などない。

 キョウコはいつ、どうやってそんな力に目覚めたのだろう?

 まさかあの世界にいる時からそんな能力を持っていたはずはないと思うが。


 それに自分は、キョウコのような覚悟は少しも持てていない。

 この世界のために、だなんて。そんな意識はない。


 帰りたいから。


 亜里沙が来訪者の役目を果たそうとする理由など、それ以外になかった。


 もし自分に何かできるならやってあげたい気持ちはある。

 だがその前に自分の身が心配だし、話に聞くだけでもそんな怪物、怖くてたまらない。


 あの暗く重たい存在感を放つ砦を見てしまって、その恐怖はじわじわと現実味を帯びてきているというのに。


 まさか──



「来訪者ってみんな、そうだったのかな」


「アリサ」


 キーランが心配そうにこちらを見上げた気配がする。

 亜里沙は振り向かなかった。


「キョウコさんみたいに最初から力があって……みんな、最初からこの世界のために命をかけてたの?」


 ややあって、ロナンが口を開いた。


「……ええ、記録では、そうなっています」



 では、自分は?


 その話が本当なら、では皆、最初から亜里沙がおかしい事に気がついていたのではないか。


 キーランはともかく、だからロナンも、ルイとベンも、どこか様子がおかしかったのか。


 いや、おかしいのは亜里沙なのだろうか?


「アリサ、気にすることはない」


 キーランはそう言うが、亜里沙は、頭に浮かんだある考えを振り払えなかった。



(私は、間違われたんじゃないの?)


 恐らく来訪者を選んでいるのはニーズだ。だが初めて会った時、ニーズはとても弱っていた。

 何も考えずニーズを抱き上げたのは亜里沙自身だ。


 もし、もしも。

 本当にここに来るべき人ではなく、ニーズを腕に閉じ込めた亜里沙を連れて来ることしか出来なかったのだとしたら?


 そうなったらこの世界は? 元の世界へ帰るには役目を果たさないといけないのに。



(ニーズ……ニーズ、起きて)


 どうしてもあの時のことを確かめたい亜里沙の呼びかけに、ニーズが応えることはなかった。




 しばらくして、荷馬車は砂利を含んだ道から土の道へと分岐する方へ進んだ。

 

 すっかり気落ちした亜里沙は景色を眺める余裕もなかった。

 初めて会った時に亜里沙を疑ったルイとベンでさえ、今はそんな素振りを見せていない。


 だがもし亜里沙がしたことのせいで、この世界が窮地に陥ったら。


 帰りたいのはもちろんだが、せっかく優しくしてくれた人々から今度は逆に責められるかもしれない。

 そう考えると、肺の辺りが重たくなるようだった。



 来訪者は世が乱れイドルが増えた頃合いで異界、あの世界からひとり、やって来た。その間隔は一定ではなかった。

 皆が戦いに長けていたのではなく、文明に貢献した人や国の重要人物を教育した人などもいたという。


 そういった戦えない来訪者であっても、自然と穢れは減り、世界は安定してきたのだという。


「アリサさんはいてくれるだけでありがたいんですよ」


 そう、ルイが朗らかに笑っていた。


 そんな風に言ってくれるのは嬉しいが。

 それでも、戦えない人たちだって能力ははっきりしていたし、この世界を救いたい気持ちでいっぱいだったのだろう。亜里沙とは違って。

 やはりその前提条件を満たしていない自分は間違われたのではないかという不安は拭えなかった。



「キーラン?」


 足元を囲む荷物をぼんやりと眺めていると、ロナンがそう声を上げた。

 振り返った時、キーランが道の周囲にまばらに生える木々の間に入っていく姿が見えた。


「えっ? どこに行くの?」


 一瞬強い不安を感じて立ち上がろうとして、荷車が道の小石を跳ねてガタンと揺れる。

 踏みとどまった亜里沙にロナンが注意をした。


「危ないから立たないように」


 ロナンを振り向いて小さく謝る。


「キーランはどこに行くんですか?」


 言いながら木々の間を確認する。

 広範囲で広がる木々がまばらな森は、近くであればそこまで視界を遮らないのに、もうその姿は見えない。


「さあ……すぐに戻ってくるでしょう」


 ロナンが小さくため息を吐いた。

 この様子だと、キーランのこういう行動はよくあるようだ。



 落ち着かない気持ちで数分。

 膝を抱えて再び荷物を眺めていた亜里沙の背中に、声がかかった。


「アリサ」


 振り向くと、いなくなる前と同じ位置でキーランが歩いていて、心臓が跳ねた。

 いい加減この気配のなさに慣れないといけないようだ。


「これあげる」


 差し出された、黒い手袋に包まれた手の中に、淡い紫の花が三本握られていた。


「あ、ありがとう……」


 少し戸惑ったが、亜里沙の手に収まるその小さな野花を見ると、硬く沈んだ気持ちがほぐれるようだった。


「アリサは花が好きだろ?」


 どことなくキザな言い回しだが、顔を見ると純粋に気遣ってくれたのが分かる。

 それに花が好きなのは事実だ。


「うん。これ、何ていう花? スミレみたい」


 似ているが、小さな花弁がフリルのような形をしていて違うようだ。


 もう一度キーランを振り向く。

 キーランはわずかに困ったような顔をして、亜里沙を見ただけだった。


「キーランはこういうものにあまり詳しくないんです」


 ロナンが助け船を出す。


「その花はルチアネと言います。葉はちょっとした薬になりますし、花の部分も食べられますよ」


 少し高いが砂糖に漬けると美味しい、とロナンが教えてくれた。


「それは知ってたよ」


 キーランが面白くなさそうに言うと、ロナンが「ええ」と応じる。


「名前だけ覚えていないんですよね」


 反論できず黙り込む表情が拗ねた子供のようで、亜里沙はつい小さく笑った。



 何度目かの休憩で夕方に差し掛かろうとしていた。


「あと二時間も走れば宿に着きますから」


 亜里沙はと言えば、見事に酔っていた。

 荷台から降りて台の縁に掴まり顔を伏せる亜里沙の背を、ロナンが優しく撫でてくれる。


「うう……ごめん、なさい……」


 色々と気を遣わせてしまったし、体力くらいしか自信がなかったのにこの有様、散々である。


 遠くを眺めたら少しは良くなるかと、亜里沙が顔を上げた時だった。



「騒がしいな、どうしたんだ?」


 ロナンが背を撫でていた手を止める。

 確かに、何人かの人の悲鳴みたいなものが聞こえる。それに、何か風が唸るような、そんな低い音が──


「イドルだ」


 キーランの知らせが合図であったかのように、聞いたこともないような獣の咆哮が辺りに轟いた。



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