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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第三章

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立つ鳥跡を濁さず

 ロナンが亜里沙の傷跡の様子を確認していると、エドワードがやって来た。



「目が覚めたんだな」


 亜里沙の顔を見て安堵したように息を吐く。

 無意識に傷跡を隠すように手を当てるとエドワードが眉を顰めた。


「痛むのか?」


「あっ、いえ、痛みはもうないです」


 慌てて頬から手を離す。

 考えてみればもう見られているのだから隠しても意味はないだろう。


「……良かった。体の調子はどうだ?」


「もう大丈夫です」


 そうか、とエドワードは頷いた。


「もうすぐ夕食だが、食べられそうか?」


 そう聞かれて、とてもお腹が空いている事に気付くと同時に亜里沙の腹が盛大に鳴った。思わず自分の腹を見て両腕で庇う。


(何で今鳴るのよ……!)


『腹が減っているからだろう』


 黙っていると思ったら余計な一言が頭の中でこだまする。


 エドワードが小さく笑った気がして見上げると、目が合った。


「食べられそうならしっかり食べておくといい。だがあまり無理はするな。この後また医者を寄越すから出歩かないように」



 エドワードが退室し、少しして医者がやって来た。高齢の男性で、亜里沙よりもふらふらしていて心配になる程だ。

 亜里沙の傷跡やら首筋やら手首にちょっとずつ触れていたが、ロナンに何やらもそもそと言うと、すぐに去ってしまった。

 あれならロナンがしていた事とあまり変わらないのでは、と亜里沙は思った。


「もう動いても大丈夫だそうです」


 そう言いつつ、ロナンはそれに納得していなさそうだ。


「本当なら王都に連れて帰りたい所ですが、アリサさんはそれを望まないでしょう」


「うん……私、行かなきゃ」


 ロナンはため息を吐いた。


「分かりました。ではせめて馬に乗ってもらいましょう」


「馬? でも私乗れないし……飼料とか水とかの問題で、エドワード様だって歩いてるんだよね?」


「キーランもあなたと同じで無理をさせられない状態なので二人で乗ってもらいます。グラを呼んでもらいました。あの馬なら多少の無理がきくので」


「グラ?」


 亜里沙の表情を見たロナンが微笑んだ。


「後で会いに行きますか?」


「いいの? 行きたい! あと、キーランの様子も見に行きたい」


「分かりました。では後で」


 少し言葉を交わして、ロナンは退室した。




 夕食までの時間、亜里沙は先程までの話と、あの意識の中でのニーズとの会話を翔に話して聞かせた。ニーズの事を話すので、言葉は分からなくても憚られた亜里沙は、ソフィーにお願いして部屋を出てもらっていた。

 翔は亜里沙の話を聞いているうちに表情が固くなっていったが、最後の方には再び青ざめていた。


「……それで今、ニーズは起きてるの?」


『起きている』


「うん……さっき起きてから、ずっと起きてるみたい」


『アリサの子守唄が効いたのだろうな。明らかに回復しているのを感じる』


「ニーズにいくつか質問していい?」


『ああ、答えられる事なら』


 伝えると翔は頷いて、少しの間思案した。


「気になった事があって、まずはそれを確かめたい」


 そう言った翔の顔がほんの少し曇った。


「ニーズは祈りを無意識に叶えてしまうんだよね?

そして、祈られた事を忘れてしまう」


『……ああ』


「ニーズは、亜里沙ちゃんの事は茉利咲ちゃんだと勘違いしたから連れて来た」


『……そうだ』


「だけど、俺の事は……連れて来た事さえ覚えていなかった」


『……そうだ、が……何が言いたい?』


 翔はニーズに聞いているというより状況を整理しながら話している様子だ。亜里沙は口を挟まなかった。


「俺を……正確には、“カケルって名前の来訪者”を連れて来るように誰かに祈られて、それで俺を連れて来た可能性はないの?」


 亜里沙は目を見開いた。

 「亜里沙ちゃんと妹を勘違いする位だし」と翔。

 

『そんなはずはない』


 ニーズが即答した。こちらを見る翔に、亜里沙はニーズの言葉をそのまま伝える。


「どうして“そんなはずはない”って言える? 日本人もいたみたいだし、こっちの世界で親しくなった人が恋しく思って祈ったかも知れない」


『我は祈られた事は忘れてしまうが、来訪者の事は覚えている。カケルという名前の来訪者がいた事は一度も……ない』


 不自然な間があった。

 気にはなったが、亜里沙はひとまずその事を翔に伝える。


「じゃあ、今までの来訪者は本当に全員ちゃんと帰った?」


『ああ、間違いなく』


「キョウコさんは帰ったって聞いたけど、その前は? もしかしてこの世界に残った人はいなかった? 例え日本人じゃなくても、もしかしたら家族や親しい人間をあっちに残して来て、その中にカケルって名前の人がいて、会いたいって願った可能性はない?」


『……そんな事はない、絶対に。来訪者はこの世界に残る事は出来ないのだ』


「亜里沙ちゃん、ニーズは何て?」


「絶対、そんな事はない、って……来訪者は、この世界には残れないんだって」


 翔の顔が強張った。


「ちょっと待って……残れないの? 残らないんじゃなくて?」


『そうだ』


 亜里沙が翔に頷いてみせる。翔の眉間に皺が寄った。


「それって、異世界から来た人間はこの世界には残れない、っていう意味?」


 ニーズはややあって、そうだ、と答える。

 亜里沙が伝えると、翔の顔に静かな怒りが浮かぶ。


「それじゃ話が違ってくるだろ。じゃあ、亜里沙ちゃんが危ない目に遭わなくても、俺たちは帰れるってこと?」


「あ……」


『それは……』


 少しの間を置いて、ニーズは小さく言った。


『今までとお前たちとでは事情が違う。それに、入り口を開いているのは我だ。それは何も変わらない。だから我が入り口を開かない限り、お前たちは帰れない。だからもっと穢れが減る必要がある』


「何だよそれ……意味が分からない、詳しく説明してくれ」


『それは……理に触れる事だ、話せない』


 亜里沙が伝えると、翔は顔をしかめた。


「また、“理”……」


『済まない……カケルを連れて来た理由は我にも分からないし、お前たちは穢れを減らさないと帰れない。だが、今までの来訪者については、この世界に残った事など一度もない。それだけは確かだ』


 亜里沙が伝えると、翔は低くため息を吐いた。


「色々腑に落ちないけど……ひとまず話を戻すよ」


 亜里沙ちゃんごめんね、と翔が呟く。

 亜里沙が首を横に振ると、翔は話を戻した。


「じゃあ、俺を連れて来た理由についてだけど、もう一つ確認したい。来訪者じゃなくても、カケルって名前の他の人間に会いたいっていう単純な祈りを叶えてしまったって事はないの? この世界のどこかにそういう名前の人間がいたかも知れない」


『それでは向こうの世界から連れて来る理由にはならないだろう、と思う』


 翔に伝えると、深いため息が返ってくる。


「本当に、色々曖昧だな……この世界についての情報がもっと欲しいけど、今は難しいし」


 翔は苛立ちを抑えるように頭をかくと、再びため息を吐いた。


「……じゃあ、別の事を聞くけど。ニーズは祈りをどうやって聞き分けてるの? 普段誰かの側にいたら会話は聞こえるんだよね? その中に祈りが含まれていたら、それは叶えるの?」


『ああ……それは、少し説明が難しいな。だが、我に祈りが届くというのは我の耳に聞こえればいいという話ではない。祈りは我の魂で感知するものだ。だから耳だけで聞いても意味はない。そしてそれは珍しい事であり、同じ人間の祈りでも一度しか届かない場合がほとんどだ。これは感覚的な事で、理解させるのは難しい』


 亜里沙がその通り伝えると、翔は亜里沙を見た。


「亜里沙ちゃんの祈りなら?」


『それは……確かに、アリサは我と魂の波長が合うようだ。そしてアリサの体に我が入っている特殊な状況だから、他の人間とはまるで違う。アリサの祈りは我に届きやすい』


 亜里沙は緊張で喉を鳴らした。

 翔に話すと、翔は心配そうに亜里沙を見る。


「もしあんな事が起きそうなら、ニーズも亜里沙ちゃんを守るように働きかけて欲しい。亜里沙ちゃんだけに押し付けるなよ」


『……ああ、カケルの言う通りだな。肝に銘じよう』


「それから、魂に届かなければいいって話でも、危険な事に変わりないから、絶対に亜里沙ちゃんに悪い影響が出ないようにして欲しい。

……間違えられた上に危険を冒さないと帰れないなんて言うなら、せめて、さ」


『その通りだ……難しいが、努力しよう』


 静寂が訪れ、亜里沙はおずおずと口を開いた。


「翔くん、ありがとう……ニーズもね」


 翔を見ると、翔はぎこちなく笑みを浮かべた。

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