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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第三章

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代償

 亜里沙は窓の外から弱々しく差し込む茜色の光の中目を覚ました。

 いつの間にか意識は現実に戻っていたらしい。


 体のあちこちが痛く、脱力感がひどいが、自分の体があの状態から回復したのが分かる。


「アリサ様!」


「亜里沙ちゃん」


 ソフィーの震える声と、翔の弱々しい声が聞こえて、亜里沙はそちらに目を向けた。


 ふたりとも泣きそうな顔で亜里沙を覗き込んでいる。


「ご気分はいかがですか? どこか苦しい所や痛い所はございませんか?」


 亜里沙はベッドの上に身を起こした。喉の奥が乾いて引きつるようだ。いち早く気付いたソフィーがすぐに水を飲ませてくれる。

 少しずつ含んで喉を潤した亜里沙はほんの少し咽せた。咳き込むと体が軋むが些細な事だった。


「……もう大丈夫だよ」


 背中を撫でるソフィーに微笑んでみせる。


「良かった……アリサ様……」


「心配かけてごめんね」


「いいえ……アリサ様がご無事ならそれでいいのです」


 安心したように微笑むソフィーの目には大粒の涙が浮かんでいる。


 亜里沙は申し訳ない気持ちでいっぱいになって、次に翔を見た。

 翔の弱りきったような顔に、安堵の色が浮かんでいる。


「翔くんも、心配かけてごめん。私、どれくらい寝てた?」


「きみが気を失ってから、一日経ったよ」


「一日……キーランは? 遠征はどうなったの?」


 翔が不安げに目を伏せる。


「……ごめん、俺に分かるのは、王都から医者と兵士が来たっていうのと、水が運ばれて来たらしいっていう事で……きみの様子を見に王子が何度か来たけど」


「あ……、そっか、ごめん……」


 翔は首を横に振った。


「キーランの様子は見に行けてないけど、俺はあれ以来見かけてないから、まだ寝てるのかも知れない」


 亜里沙は頷いて、同じ事をソフィーに尋ねた。


「キーラン様は時々目を覚まされるようですが、まだお休みになっています。回復に問題はないという事です。それから遠征は……」


 ソフィーは表情を曇らせた。


「そのまま続ける事になりそうです。医者によると少しの衰弱と疲労が見られるものの、アリサ様のお身体に問題はなく、お目覚めが遅くならなければ、やはりトランティアに……」


 眉をハの字にするソフィー。


「いいの、それは分かってたし、私は行きたいと思ってるから」


 ソフィーの為に強がった部分はあるが、確かにトランティアに行かない選択肢は亜里沙の中にはなかった。


 ソフィーは小さく頷く。


「それから、お顔に残った傷についてですが……」


「傷?」


 目を丸くする亜里沙に、ソフィーは手鏡を持って来ておずおずと差し出した。翔がその隣で緊張したのが分かってしまった。


 手鏡を受け取って覗き込んでみると、確かに傷跡がある。


「これ……」


 傷跡に触れてみて、確信した。そこは、亜里沙が激痛を感じて触れた場所だった。

 右目の瞳からほぼ真っ直ぐ下、頬骨の辺り。

 あの時、今でも訳が分からないがそのひび割れの中心にあったのは確かに“無”だった。何も無かったのだ。

 ニーズからは魂の状態に合わせようとした亜里沙の肉体が崩壊しかけたのだと言われた。それはつまり文字通り跡形もなくなる所だったというのか。


 無があった場所は大きく割れていた部分だった。そしてそこには今、皮膚に食い込むように、3cmくらいの大きさの歪な形の傷跡がある。

 そしてそこから三本の線のような傷跡が、まるでひび割れの痕跡のように伸びている。

 いくらかましだったのは、この傷跡が古傷のように時間が経過した色をしている事だった。


 見える部分ではそこに傷がある以外は、鱗があった部分は皮膚が乾燥して剥がれかかっており、額の突起はなくなって、その部分に青痣のようなものが出来ている。


「うわ……」


 受け入れ難い惨状に泣きそうになって思わず漏れた声は、翔とソフィーを心配させたが、亜里沙には態度を繕う余裕などなかった。


「医者の見立てでは傷跡は消えはしなくても時間が経てば薄くなる、という事でした。ですが、医者には話せない事実をあの場にいた者は見ています」


 ソフィーが必死に言葉をかけてくれる。


「あの時、アリサ様が元のお姿に戻られた際に残った傷は確かに赤く膿んでおりましたが、その状態から今の状態までの回復がとても早くて、ですからきっと傷跡は消えます。その時間もそう長くないはずです」


『大丈夫だ、アリサ』


 不意にしたニーズの声に、思わず声が出かかった。


『お前の今の肉体の状態は悪くないし、急速に回復しようとしているのを感じる。その娘の言った通り傷跡は近いうちに消えるだろう』


 しばらくは疲労感が伴うだろうが、とニーズ。


(ニーズ、後で話そ)


 むう、と唸る声がして、ニーズは黙った。

 しかし、眠るような気配はない。


 ソフィーが涙ぐんで、亜里沙の手鏡を持つ手をそっと包んだ。


「アリサ様、きっと大丈夫ですから。お望みなら化粧も出来ますよ。私が出来る事は何でもいたします。アリサ様をお支えします」


 亜里沙はハッとしてソフィーを見た。


「……うん、ありがとうソフィー。大丈夫だよ、びっくりしただけ」


 そのうち消えるとソフィーもニーズも言ってくれるのだ。希望があると知って、亜里沙は暗い気持ちを振り払った。


 しかしこれが化粧で誤魔化せるとは思えない。

 だがこの傷で誰かを驚かせるのも忍びない。


「後で包帯を巻いてくれる?」


 なるべく笑顔を心掛けてソフィーを見ると、ソフィーは、はい、と言って小さく笑みを返した。



 それから他の者を呼んでもいいか確認され、承諾する。

 ソフィーが退室して、ひとまず先程のソフィーとの会話を翔に話していると、すぐにロナンがやって来た。


 部屋に入ったロナンは亜里沙を見ると、足早に側に来る。亜里沙が声を上げるより早く亜里沙を抱きしめた。

 驚いて息を呑む。


「アリサ……良かった……」


 耳元で囁かれた声色に少しの怯えが混じっているのを感じる。


「また……失うかと思った……」


 ほとんど聞き取れない程小さく呟かれた言葉に、亜里沙は小さな引っ掛かりを覚える。

 思わず言ってしまったのか、ロナンはハッとしたように亜里沙を放した。


「……すみません、つい……体は大丈夫ですか?」


「う、うん……ちょっとだるいけど、大丈夫だよ」


 ロナンは小さく安堵のため息を吐いた。


「本当に良かった……もう、無茶はしないでください」


 懇願するように見つめられて、亜里沙は居た堪れない気持ちで俯く。


「……心配かけてごめんなさい」


 すると、ロナンは亜里沙と目を合わせるようにベッドに腰掛けた。

 目線を上げるとロナンの顔がすぐ近くにあって、その表情は険しい。


「アリサさん、こんな事は二度としないと約束してください」


 少し強引な言い方に目を丸くする。


「う、うん、もうしない」


「約束ですよ」


 亜里沙は頷いた。ニーズにもあれだけ言われた事だ。

 何よりまたこんな事があったら危ないのは亜里沙だけではない。翔と一緒に帰れなくなる危険もあるし、ニーズ自身に危険が及ぶのも嫌だった。


「約束する」


 その言葉を聞いて、やっとロナンの表情が和らいだ。

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