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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第三章

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子守唄

 しばらくふたりでどこまでも白い空間をぼんやり眺めていたが、亜里沙はふとニーズを振り向いた。


「……でも、キーランの事はどうなの? キーランがニーズの存在を感じてるのは何で?」


「それは、恐らく奴が我の甥……みたいなものだからだろう」


「また甥って言ってる。キーランのお母さんがアストラムで、だからニーズにとっては子孫でしょ?」


 ニーズは亜里沙をまじまじと見た。


「そうか。この世界もお前も、アストラムについて間違って認識しているようだ」


 亜里沙が首を傾げると、ニーズが教えてくれる。


「アストラムは種族であり、それなりの数存在して、現在まで人間とは別の種族としてそれを繋いできたと思っているのだろう」


「違うの?」


「ああ、違う。弟妹たちもその子供たちもアストラムについて詳しい話を残さなかったのだろうな。最後まで生きていたセレネも、あれはそういった事には無関心な奴だったから、多分何も話していないのだ」


「セレネって……キーランのお母さん? 知ってるの?」


「もちろん知っている。我の一番下の妹だ」


「……妹……? え……?」


 亜里沙が混乱すると、ニーズは亜里沙の顔が可笑しかったのか、ふっと笑った。


「まず、アストラムは我を含めて十四人しかいない。我と弟妹たち、つまり女神の子を指す言葉がアストラムであり、種族ではない。その子孫たちで、アストラムの特徴を濃く受け継いだ者がいたから後の世で誤解を招いたのだろうが、アストラムと、アストラムの子やその子孫との間には女神が直接生み出した存在かそうでないかで、大きな隔たりがあるのだ」


一度言葉を切って、ニーズは続けた。


「我が最初に生を受けた後、母は、我を模した十三人のアストラムを作り出した」


「セレネさんも含めて……?」


 ああ、とニーズが頷く。


「我は母の(はら)から生まれたが、弟妹たちは作り出された。だから、我と弟妹たちとでは厳密には違うのだ。キーランも、そういう意味でも純粋に甥とは言えないだろう」


「じゃ、じゃあ……キーランが16歳だから……セレネさんは、ものすごーく長生きした後、王様と結婚したって事……?」


「そうだ。あれは兄や姉とは全く違う性質を持っていて、何を考えているのか我にも分からなかった。よく我に付き纏っていたが、他の兄姉とは距離を置いていたようだ」


 だからと言って我に懐いていたとも言えないが、とニーズ。


「弟妹たちは互いに交配して子孫を生んだ。そしてその子孫たちも交配を繰り返し、血の力が薄れていった。そうして繋いだ先の、その子孫に当たるのが人間なのだ」


「つまり……この世界の人たちは、みんなアストラムの子孫って事……?」


「そうなるな」


 きょうだい同士で交配だなんて、神話の神様みたい、と亜里沙は思ったが口にはしなかった。

 セレネはもしかしたら、種を残す為ではなく、愛を求めていたから国王と結婚したのだろうか。


「じゃあ、キーランがあんなに力が強いのも当然なんだ……」


「ああ……だが、キーランは人間相手には攻撃出来ないのだから、気にかけてやってくれ。お前が傭兵たちに捕まった時も無茶しただろう。今後はもっと用心するのだ、奴の為にも」


 亜里沙は目を見開いた。

 言葉を飲み込むのに一時を要した。

 人間に攻撃出来ない──それを理解した時、背筋が凍った。


「それ……どういう事?」


 亜里沙の顔を見て、ニーズが表情を曇らせた。


「キーランはお前には話しているかと思ったが……」


ニーズは話すべきか迷ったようだったが、亜里沙が無言で見つめると観念した様子で口を開いた。


「弟妹たちは母程ではなかったが力が強かった。だから、自分たちが生み出した子らを間違っても傷付ける事のないよう、世界の守護者となれるよう、自分たちの血に枷をかけたのだ……つまり、呪いだな」


「の、呪い……?」


「ああ。血を受け継ぐ全ての者がかかる呪いだ。だが、代を重ねるごとに血の力が薄れ、その呪いの効力は弱まり、今では人間たちが同族同士で争えるまでになったという訳だ」


 ニーズはそう皮肉った。


「厳密には攻撃出来ないというよりも、攻撃しようとすると苦痛に苛まれる。それは容易に乗り越えられるものではなく、実質“出来ない”に等しいのだ。

消耗して力が弱くなった今の我も、ある意味では人間を攻撃出来ないと言えるが」


 亜里沙の顔を見やって、ただ、とニーズは続けた。


「アストラムがかけた呪いを知る人間はほとんどいない。今まではそうやって上手くやって来たのだろう。どうか奴を責めないでやってくれ」


 亜里沙の表情が複雑だったから、ニーズはそう言ったのだろう。


 亜里沙が一番強く感じたのは困惑と怒りだ。

 では、キーランは自分が少しも反撃出来ないのを知っていて亜里沙を助けに来たという事か。

 そして知らなかったとは言え亜里沙はキーランを危険に晒し、死なせる所だったのだ。


「ここを出たら、ちゃんと話さないと……そんな呪いまであるのに、あんなに自分に無頓着なんて」


「ああ……そうだな」


 ニーズが静かに答えた。



 また、しばらく沈黙が続いた。

 この世界に来てからずっと近くにいたからか、会話が途切れても居心地悪さを感じないし、変な空間の中でも落ち着いていられる。


 亜里沙はウトウトし始めたが、隣を見やるとニーズは普段あんなに寝てるとは思えないくらいしっかり覚醒している。

 いや、そもそもここにいる事が、眠っているという事なのだろうが──



「ニーズ……眠くないの?」


「我は今眠っている」


「そうじゃなくて……なんて言うか、この、意識の中が、夢の中みたいなものだとしたら、こんな状態、ちゃんと休めないんじゃない?」


 ふむ、とニーズは思案した。


「その理屈はよく分からないが……では意識の中でも眠れるようアリサが子守唄でも歌ってくれ」


「えっ。私、歌は無理というか……下手というか」


「下手でもいい」


「何で子守唄なの? 女神様が歌ってくれたの?」


「いや、母はそんな事しない。歌ってくれたのは父だ」


 亜里沙は驚いて眠気が飛んだ。


「お父さん!? あ、そっか……お母さんが出産したんだからお父さんもいるか……女神様だからひとりで生んだと思ってた」


 ニーズの父親はどんな神なのだろう。

 興味を持った亜里沙は尋ねてみた。


「お父さんって、どんな神様なの? もしかしたらお父さんもドラゴン?」


「いや、父はドラゴンではない。だが、偉大な人だった。母を導き、子供たちを導き、我を……この世界の全てを愛していた」


「……ニーズ?」


 その、過去のような言い方に一抹の不安を覚える。


「だが、この世界から去ってしまったのだ。母はこの世界を守り続けると父と約束を交わし、大樹となって“眠り”についた。そして今も約束を果たそうとしているが……父を深く愛していたから、父を失ってずっと悲しんでいる。来訪者が来て穢れが弱くなった時など、落ち着いて眠っている時もあるが、悲しんでいる時の方が多いな」


「……じゃあ、あれは……」


 あの、悲しげな啜り泣きのような音を思い出す。

 残像のようなものだとしても、こちらまで悲しくなるような。


「ああ。今も泣いているよ」


 思いがけない言葉を聞いて、亜里沙は眉を顰めた。


「……え?」


 耳を澄ましてみる。だが亜里沙には何も聞こえない。


「ちょっと待って……ニーズ、お母さんの声、今も聞こえてるの?」


「ああ」


「私聞こえないけど」


「当たり前だ。直接聞こえたら今頃狂うか死んでいるぞ。母の声が聞けるのは我だけだと話さなかったか?」


 急に合点がいって、亜里沙は愕然とした。


「それなんじゃ……」


「何だ?」


「それが原因なんじゃないの、なかなか回復出来ないの。だって寝てるのに寝れてないんだもん」


「何だその理屈は……おい?」


 正座で座り直した亜里沙は怪訝な顔をするニーズの腕を引っ張った。


「ちょっと、ここに頭を置いて」


 自分の膝を指差す。


「何故だ」


「いいから。えーと、頭がこっち向きで、足はあっち向きね」


 ニーズは少々面倒そうに移動し、渋々亜里沙の言う事に従った。

 亜里沙はいつかキーランにしたように、ニーズが頭を膝に乗せると、その両耳に手を当てる。キーランには効果があったようだった。だから試してみる価値はある。


「……何をしているんだ」


「いいから目を閉じて」


 不服そうにしながら、ニーズは目を閉じた。


「そう言えば、魂なのに触れるって不思議」


「我の姿が見える者なら触れられる。そもそもここは意識の中だ」


 ふぅん、と答えて、亜里沙は少しでも女神の声が薄れるように、上手くもない子守唄を口ずさむ。



 しばらくして、ニーズの口元に穏やかな笑みが浮かんだ。


「……お前の声は心地良いな」


 亜里沙は驚いて口を閉じたが、ニーズはそのまま寝てしまったようだった。


 子供のような寝顔を見ながら、亜里沙はニーズが安心して眠れる事を願って、再び静かに子守唄を歌うのだった。

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