神に成り損ねたもの
亜里沙はこの真っ白な空間を見渡した。
確か、意識の中だと言っていた。これは寝ている状態という事だろうか。だとしたらニーズは普段、こんな所にひとりでいるのだろうか?
今はニーズが側にいるので亜里沙は落ち着いていられるが、こんな所にひとりは、どうにかなってしまいそうだ。
「さっきは全然違う景色だったのに」
「ああ……あれは、母の意識が影響したのだ」
ニーズの母。女神イーリス。
「ニーズの意識の中なのに?」
「母と我の繋がりはとても強い。お互いにそんなつもりがなくても、ああして勝手に影響し合ってしまうのだ」
主に、我が影響を受ける方だが、とニーズ。
亜里沙は色々考えながら、その場に座った。
「何をしている?」
「考えてるの。ここからどうやって出るのか、とか、他にも色々」
「ここは我の意識の中だ。入るのは容易いが出るのは難しいかも知れないな」
ニーズは亜里沙の隣に座って胡座をかいた。
「どうして?」
「どうしても何も……我が深く眠っているからだ」
ここは寝ている夢の中、という事だろう。例えるなら明晰夢のようだが、深く考えると頭が混乱しそうだ。
「ニーズはずっと寝てるけど回復してる感じがしないね」
「それは我のせいではない」
またむすっとして、ニーズは小さくため息を吐いた。
「何か聞きたい事があれば今がいい機会だぞ。この中なら我は起きているからな」
「一番知りたいのはここから出る方法だけど」
「お前の体が回復すればそのうちお前の意識も体に引っ張られて浮上するだろう」
恐らく、と余計なひと言を付け加える。
どのくらいの時間がかかるのか亜里沙はそれが非常に気掛かりだったが、こうなっては仕方ない。
亜里沙は聞きたい事を思い浮かべた。
整理するのは苦手なので、思い付いた事をそのまま口にする事にする。
「さっき、女神の意識が影響してたって言ってたけど、私、クルスに似た感じの女の人を見たよ。あれってもしかして」
「母だろうな。と言っても、残像のようなものだが」
「残像……でも何だか……すごく悲しそうだった」
ニーズは答えなかった。隣を盗み見ると、暗い表情で、どこか遠くを見るような目をしている。
「……何で、女神はクルスに似ているの?」
「それは……クルスが、女神の力を具現化した存在だからだ」
「え……どういう事?」
「力の一部が女神から溢れて、それが人のように自我を持ったものがクルスだ。意図せず生み出されてしまったものだから存在が安定しない。だから肉体を欲する」
それに、とニーズは亜里沙に目をやる。
「お前が意識の中ででも首からかけてるそのフロースは、クルスの死骸だぞ」
「……へ?」
亜里沙はショックで口が開いた。
「そのフロースはクルスの死骸だ」
「ちょっ、繰り返さないで! 何それ、どういう事?」
無意識に胸元に手が伸びる。
取ってしまいたいがロナンの事を思えばそれも憚られる。
「フロースは女神の力が溢れて結晶化したもの。クルスは女神の力が溢れて人の形を取ったもの。だからクルスはその命を終えると、穢されてイドルにならない限りは、フロースに形を変える」
それの事だ、とわざわざニーズは亜里沙のペンダントを指す。
「例えば巨大なフロースなど、全てのフロースがクルスだった訳ではない。だが人間がそのように加工する為に削っているのは、小さい結晶だろう。そういうフロースはほとんどがクルスだったもの、だ」
「そ、そういう風に言えば、まだ少しは受け入れられるのに……」
「どう言おうが事実は変わらないだろう」
残念なやつ、と出かかった言葉を飲み込む。
「……そう言えば、フロースは下に伸びて生えるって聞いた」
「ああ、それは事実だ。大樹の根を目指して伸びていく。女神の元に還ろうとしているのだろうな。硬すぎて削れないのも、中に含んだ女神の力を守る為の作用だろう。そして力が還元されるとフロースは脆くなって消えてしまう。そしてまた女神の力が溢れて……と、繰り返されているのだ」
この話を商人ギルドと職人組合が聞いたらどうなるんだろう、と考えて亜里沙は少しゾッとした。
「これ……女神の力が入ってるの?」
「ああ。だからと言って人間がどうこう出来るものではないぞ? 女神の力を手に入れようとした所で、アストラムでもない者には手に余る。こんな力取り込んだら肉体が崩壊する。間違っても食べるなよ」
「食べる訳ないでしょ……」
「まあ、食べた所で女神の力を取り入れられる訳ではないが」
(じゃ何で食べるなって言ったのよ)
「やめろ、聞こえるのだぞ」
アストラムという言葉を聞いて、亜里沙はふと思い出した。
「そうだ、ねえ、ニーズは忘れられた存在だって言ってたけど、ニーズの存在を感じ取ってる人がいるよ」
「そんなはずはない」
ニーズは強い口調で言い切った。
その声に含まれていたのは、確信というより、焦りや恐れのようなものだった。
「でも……聖王様が来訪者についての予言をしてるの。それについて翔くんと話してたんだけど、私たち、間違われたのに聖王様の予言では当たってた事になる。だからつまりそれは、ニーズの行動を予知してたんじゃないかって」
「それは……」
「私については、キーランも予知してたよ、現れる場所だけだけど」
ニーズは眉根を寄せて考え込んだ。
「あの女は……聖王は……一度だけ、奴の祈りが我に届いた事があった。我に対してではなくとも、我がその声を聞いてしまったのだ」
「……祈り」
キーランを助けてと願った時、ニーズに「我に祈るな」と言われた事を思い出す。
「我はその時その祈りに応えたいとは思わなかったし、そうしたつもりもなかった。だが、どうやら無意識に奴の願いを叶えてしまっていたようだ。奴が我の行動を予知出来るとしたら、その時に繋がりが出来たからかも知れない。我の存在を奴が認知している訳ではない」
何となく感じる、といった程度だろう、とニーズは言った。
「どんな祈りだったの?」
ニーズは目を閉じ、眉間にぐっと皺を寄せた。
「……永遠の若さと、永遠の生だ」
亜里沙は言葉を失った。やがてニーズはゆっくり目を開けて、憂いのある瞳で宙を見つめた。
「その時の我はまだ肉体を持っていた。だからそんな事が実現されてしまったのだろう」
一息置いて、ニーズは続けた。
「奴の祈りはその時はすぐに忘れたが、思えばその時の事も我の肉体の崩壊を早めたのだろうな。
そして、奴が人として有り得ない年月を生きていると知った時、祈られた事を思い出した。だが我の存在は既に世界に忘れられていたから、偶然の奇跡とでも思うだろう、それ以上の問題は無いはず……そう思った」
まさか行動が予知される程繋がっていたとは、と弱々しく呟く。
「じゃあ……存在が忘れられてるって……ニーズの事を誰にも話しちゃいけないっていうのは……私に、祈るなって言ったのは」
「ああ、意図して世界から我の存在を消した。弟妹たちの力を借りて、な。話してはいけないのはもちろん、我の存在を知られない為だ。祈るなと言ったのは、我がそれを叶えてしまうからだ」
自分の意思とは無関係に、ニーズはそれに応えようとしてしまう。
「お前のあんな祈りを聞いてしまったら、何が起こるか分からなかった。我が消耗している今、奇跡が起こる可能性も無いと思った。だがそれでも我が中にいるのだから、お前の体が危ない事だけは確かだった」
亜里沙はニーズを見つめた。
「祈られると応えるなんて……神様みたい」
「違う! 我は神ではない。だから問題なのだ!」
ニーズは声を張り上げて、亜里沙を振り向いた。
「こんな事が出来る者は、神でなくてはいけなかった。神でない者が、こんな力を持つべきではなかった!」
「ニーズ……」
ニーズはハッとして、亜里沙から視線を外した。
「我の存在が忘れられていなかったら……我に祈りを届けられる者が、誰かの死を願えばどうなる?
何かの滅亡を願えばどうなる?」
沈黙が訪れる。
亜里沙はしばらく考えた後、ニーズを見た。
「でも私は、そのお陰でキーランを助けられたよ。……ありがとう。私の祈りに応えてくれて」
こちらを向いたニーズは、泣いているように見えた。金の瞳が揺れて、寄せられた眉も引き結ばれた口元も涙の代わりに悲痛な心を伝えてくる。
目線を遠くにやってしまったニーズに、謝るべきか慰めるべきか分からなかった亜里沙は、ほんの少し距離を詰めて座り直した。亜里沙の肘が腕に触れて、気付いたニーズはふうと息を吐いた。
ニーズの強張っていた肩から徐々に力が抜けたようだった。
「……まあ、今は我は肉体が無いから以前より心配は減ったが、それでも、魂の一部を失えば大きな奇跡が起こせると気付いてしまった」
「うん……」
「それはつまりお前にとっては肉体の一部、または全部を失うかも知れないという事だ」
「そ、そうだね……」
「もう二度とあんな祈りをするな。次は本当にお前が死ぬかも知れない。今度こそ魂が融合してしまうかも知れない。例えそうならなくとも、我の魂が消耗して異界への扉が開けられなくなる可能性もある」
「……分かった」
亜里沙は肝に銘じるように、ニーズに答えた。




