どんな姿でも
皆が戸惑って言葉を失うと、ロナンが亜里沙に歩み寄った。
「そこで止まれ」
亜里沙の側に立つエドワードが制するが、ロナンは引き下がらない。
「アリサさんの体調を確認させてください」
エドワードはそれ以上何も言わなかった。
エドワードの横を通り過ぎ目の前に立ったロナンは、失礼します、と言って亜里沙の頬の下辺りに触れ、目を覗き込んだ。
「……何故言ってくれなかったんですか」
どこか悲しげな様子でそう言って、エドワードを振り向く。
「熱が高すぎます。彼女を休ませてください」
「分かってる。……アリサ、もう少し我慢してくれ」
「私は大丈夫です」
言った声が意図せず掠れてしまう。
心配したロナンによって亜里沙はベッドに寝かされた。
エドワードは集まった者たちに、亜里沙のこの状態について簡潔に話した。
これが奇跡の代償である事、その奇跡により致命傷を受けたキーランが一命を取り留めた事、この状態の亜里沙を他の目に触れさせない事、そして、けして他言しないように、と。
皆何も言えず、深刻な面持ちでただエドワードの言葉を聞いていた。
ソフィーが何度かこちらを見たが、その時の顔には、もういつもの亜里沙を気遣う表情が浮かんでいた。
イザベラとエンリクは退室し、ソフィーと翔は亜里沙の世話を焼く為に残った。
ロナンはエドワードと少し離れた所で今後の事について話している。
「記録が無い以上、手立てを講じるのも難しい。それに現状では陛下に知らせるには不安要素が多過ぎる。王都に帰還させるのは得策じゃない」
「帰還させるのはこの遠征がアリサさんにとって大きな負担になるからです。もしもこのまま戻れなかったら……少しでも症状を和らげる為に医療の環境が整った場所にいる方がいいでしょう」
「……アリサ」
エドワードがこちらにやって来て、亜里沙の側に、やはりベッドから一歩離れた位置に立つ。
「お前が話せないと言った部分に、何か糸口があるかも知れない。何でもいい、思い当たる事、話せる事はないか?」
亜里沙は今や呼吸も乱れがちだった。
亜里沙の荒い呼吸音を聞いてか、エドワードの表情が曇る。
亜里沙は翔を見て、エドワードが言った事を伝えた。
「理に触れる、っていうのは言えるんじゃないかな……理に触れる事はタブーで、そういう“話す事が出来ない存在が力を貸してくれた”っていう話なら出来るかも知れない。この状態から抜け出せる可能性があるなら、何でも話すべきだ」
亜里沙は頷いて、翔に言われた通りに話した。
「口にするとこの世界の理に触れる禁忌の存在……? 初めて聞く話だ」
「ですが、そういう存在がいても何ら不思議ではありませんね」
何たって女神が存在しますから、とロナン。
「僕は女神の存在も疑わしいと思っているけどな。神木が実在するから一応は飲み込んでいるが。
だが……それが起こした奇跡というのなら、その存在はどうやってアリサに接触した?」
静寂が訪れる。
まさか、とロナンが呟いた。
「それ、アリサさんの中にいるんじゃないですよね?」
「あ……そうなの、私の中にいる」
ロナンとエドワードの顔が揃って凍り付いた。
「え……? ど、どうしたの……?」
「それがどんなに危険な事か分からなかったのか?
そんな、人智を超えた高次の存在をただの人間が身に宿すなんて、何が起こってもおかしくないだろう」
「……アリサさんが自ら望んだ事ではないでしょう」
「では何故そんな事になったんだ」
「それは……」
亜里沙はあの、透明な鉱石のようなものにびっしり覆われた空間を思い出した。そこでクルスに襲われかけた事を。
どこまで話していいか分からなかった亜里沙は首を横に振った。
「……とにかく、私が望んだ事じゃない。でも、私を助けようとしてくれたの」
再び沈黙が訪れる。
胸が軋んで、亜里沙は重い息を吐き出した。
何やら考え込んでいたロナンとエドワードが亜里沙を見る。
「とにかく、今は少しでも休め。他の事は心配しなくていい」
口調が和らいだエドワードがそう言って、亜里沙は僅かに頷いて目を閉じた。
夜、ふと目が覚めた亜里沙はベッドの上に身を起こした。
休んだからか、少しだけ体が軽い。
相変わらず熱を感じるが、視界は少し慣れてきたようだ。ぼやけたり歪んだりしていたが、それがなくなり、むしろ夜の暗闇でもいつもより見える気がする。
「アリサさん」
こちらに気付いて近付いて来た人物はロナンだった。
「ロナン? 何でここにいるの?」
「それは、心配だったからです」
若干不満そうな声色でロナンが答える。
そしてロナンはベッドに腰掛け、亜里沙の様子を確認した。
「……呼吸が落ち着きましたね。気分はいかがですか?」
「うん、だいぶ良くなったよ」
良かった、とロナンは小さく呟く。亜里沙に断りを入れてから首筋に触れる。
「まだ熱いな……」
「でもさっきよりいいよ」
ロナンは答えなかったが、その顔には心配が浮かんでいる。
「ソフィーは寝ていますが、起こしますか?」
見回すと、壁際の床の上に毛布のようなものを敷いて丸くなるソフィーがいた。他に寝れる場所がなかったのだろう。
それにしても、ソフィーの寝ている姿を見るのはなかなか珍しい。
「ううん、大丈夫。キーランは目を覚ました?」
「いえ、そういう報告はまだ受けていません」
「お見舞いに行けないかな……?」
「今からですか? それにまだ体が……」
「うん……でも、だいぶ楽だよ。少しでいいから顔が見たい。すごく、心配で……」
少し思案するように目を伏せた後、ロナンはため息を吐いて目線を亜里沙に戻した。
「……いいでしょう。少しだけなら」
亜里沙は目を丸くしてロナンを見る。
「うん! ありがとう」
ロナンは微笑んで頷く。
マントで厳重に姿を隠して、亜里沙はロナンに付き添われて部屋を出た。
部屋の外では壁にもたれて寝ていたイザベラが、さっと立って亜里沙を振り向く。
「どうされました?」
そして、何もしていないだろうな、と言わんばかりの目線をロナンに投げかける。
ロナンは小さくため息を吐いた。
「何もしていない。キーランの様子を見に行くだけだ」
「では私が代わってお供します」
「イザベラ……」
亜里沙はロナンの気持ちを汲んで、首を横に振った。
「ロナンにお願いしたから、このままでいいよ。ソフィーのことお願いね」
「……はい、承知しました。お気を付けて」
キーランは例の両扉の部屋にいるらしかった。
亜里沙の思い違いでなければこの部屋では戦いが起こったはずだ。
扉の前に兵士がいて緊張する。
ロナンに庇われながら入室の許可を得て入ると、立派な机に羊皮紙を広げて何かを書いているエドワードが真っ先に目に入った。シャツにズボンというシンプルな格好だ。
部屋の中は何事も無かったように綺麗だ。床や壁に所々、理由を考えたくない染みがあるにはあるが。
ソファもあるし、ここは地位の高い人物が使う部屋なのだろう。
部屋の隅にある大きなベッドにはキーランが寝かされている。
エドワードは眉を顰めて亜里沙を見た。
「あまり出歩くな。何より悪化したらどうする」
「キーランのお見舞いに来ました」
エドワードは呆れたような表情になったが、その事を咎めたりはしなかった。
亜里沙はキーランの側に寄った。
不意に足から力が抜けて、意図せずベッドに座る形になった。
ちらと見やると、ロナンとエドワードは何やら難しい顔で小声で話している。
亜里沙はほっとして、キーランを振り向いた。
「キーラン……」
あの時の、頬から熱が引いていく感触が思い出されて、亜里沙は焦ってキーランの頬に触れた。
ちゃんと温かい。
亜里沙が手を引っ込めようとした時、キーランがゆっくり目を開けた。
「……アリサ?」
キーランの目がこちらを見て、亜里沙は安堵して笑みを浮かべて、ハッとした。
フードを被っているし、灯りがあるとは言え薄暗い。それでも、この距離では亜里沙の顔が見えないはずがない。
「それ……どうしたの?」
今度はキーランが手を伸ばして亜里沙の頬に触れる。
嫌悪も過度の驚きもなく、ただ不思議で聞いているといった顔を見て、亜里沙は目を瞬いた。
「これは……ちょっとね」
「そうか、きっと僕を助けてくれたからそうなったんだな……ごめん、アリサ」
「何で謝るの? 無事で嬉しいよ」
「……痛そうだから」
触れるか触れないかの優しい手付きでなぞられたそこには、鱗がある。
「ちょっとヒリヒリするだけだよ」
じわじわと湧き出す羞恥に慌てて、亜里沙は誤魔化すように笑った。
「不気味でしょ? 見た目すごく変わったし」
キーランは再び不思議そうにした。
「何で? どんな姿でもアリサはアリサだよ、全然不気味じゃない」
不意打ちで亜里沙はまた涙が溢れそうになり、慌てて目を押さえた。
ロナンに小さく咳払いされ、ハッとして振り返る。
ロナンとエドワードがこちらを見ているが、亜里沙が何か言う前にキーランが口を開いた。
「エドワード、アリサの体が熱い。ちゃんと休ませろ。用があっても呼び付けるな」
エドワードは顔をしかめたが反論しなかった。
呼び付けられてなんかいないが、再び亜里沙が何か言う前にエドワードが答えた。
「……分かりました」
そしてエドワードは有無を言わせぬ圧を放ちながら手で扉を示した。
「そういう訳ですので、お休みください」
亜里沙は大人しく、キーランとエドワードに挨拶して部屋を出た。




