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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第三章

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和解

 手鏡を持つ手が震えてそっと膝に置く。

 息が詰まった亜里沙の背中を翔が撫でてくれる。


「……もし俺で力になれる事があるなら、何でも言って。ひとりで背負わないで欲しい」


 亜里沙は翔を見た。背中を撫でて貰ったお陰か、ほんの少し落ち着きを取り戻す。


「顔……拭かないとね」


 そう言った翔の顔色が悪い事に、今更気付いた。


「……あっ、翔くん、首のケガ! それと、頭!」


「え? ああ……」


 翔が自分の首に触れた後、後頭部にそっと手を回す。

 一瞬顔が歪んだが、すぐに笑みを浮かべた。


「首の傷は小さいし、頭は……ただの打撲だ、こんなの、何でもないよ」


「ダメだよ、ちゃんと診てもらって……私が勝手な事をしたせいで、ケガさせたんだから」


 翔は亜里沙を見つめたが、やがて観念したように頷いた。


「……分かった」


「ソフィーを呼ぶね……一緒に行けないけど」


「大丈夫だよ。出来ればキーランの様子も見て来る」


「ありがとう……」



 亜里沙はソフィーを呼んで、ドア越しに相談した。

 翔の治療は任せてくれと心強く返されて亜里沙はひとまず安心した。

 だがソフィーは、キーランについてはロナンを通してお願いすると言うに留まった。



 ひとりになって、濡らした布で顔を拭く。

 体の熱が取れないどころか、上がっているような気がする。温められた水だが、その水温が低く感じる程の熱さだ。


 窓の外に目をやる。もうすぐ夕方になる頃だろう。まさか遠征に出た初日からこんな事が起こるだなんて予想も出来なかった。


 少し、額が痛い気がする。鱗が生えている辺りもヒリヒリしする。一体どうやったら元に戻れると言うのだろう。


「ニーズ……」


 声をかけても返事がない。そしてやはり、存在が感じられないような気がして不安になった。



 しばらくして翔が帰ってきた。首と頭に包帯が巻かれている。

 少し窮屈そうだが、怪我の具合は心配ない、と翔は言った。


 キーランは少しだけ様子を見る事が出来て、あんな傷を負ったとは思えない程、ただ寝ているだけに見えたらしい。


「王子が何か聞きたそうにしてた」


 翔が亜里沙のベッドの横に腰掛ける。


「あの時、何があったか話してくれる?」


 翔の表情を見て、話さなければならないと思った亜里沙は素直に全て話した。



 ニーズとの会話やその時起こった奇跡については翔もお手上げ状態だったが、ヒューゴに関しては難しい顔で考え込んだ。


「亜里沙ちゃん……それ、ヒューゴとのやり取りは王子に話そう」


「え!? でも!」


「ヒューゴっていう人が例えば何も失うものがない狂人だって言うなら厄介だけど、多分そうじゃないだろ」


 亜里沙は知る限りのヒューゴの事を思い返してみた。

 今日会ったばかりのほとんど何も知らない人。強いて言えば、人の命を軽く見ていそうだし、すごく嫌な奴。だが、翔の言うようなタイプには確かに見えない。

 何かを得たいから取引なんて言うのだろうから。


「きみのこの姿が国中に知られたら確かに混乱を招くだろうし、きみにとって悪い結果になると思う。でも、そもそもこの姿の原因になった、キーランを治した奇跡についてはもう王子の耳に入ってるんだよね?」


「うん……ロナンが、報告するって言ってた」


「あの場にはヒューゴがいたし、キーランが目覚めない以上簡単に隠せる事じゃなかっただろうしね」


 翔はそう言って、腕を組んだ。


「……やっぱり、得られるメリットよりデメリットが多いしリスクが高いと思うよ」


「どういう事?」


「まず国が混乱して困るのはヒューゴも同じだと思う。きみは何でもするって言ってしまったけど、奇跡の力に関しては、王子に知られている以上勝手にどうこうするのは難しくなってくるはずだよ。それに、奇跡以外では、ほら……」


 翔は言い淀んだ。


「俺たちは“来訪者”じゃないし……存在が異質だってだけで、特に何か出来る訳じゃない」


「それじゃあ、あの人、何であんな事を……」


 亜里沙は何とか頭を働かせようとした。

 意識というか感覚というか、妙にふわふわする。熱が引かず、定期的に体が軋むような痛みが強くなっている気がする。


「亜里沙ちゃん……顔色が悪い」


 翔が深刻な表情で亜里沙の顔を覗き込む。


「王子に話そう」


 亜里沙はまとまらない頭で少し考えた後、頷いた。




 それからすぐにソフィーを呼び、エドワードだけに話があると告げた。

 エドワードはすぐにやって来た。


 どうせ見せるのだが、そのままの姿で迎える勇気がなかった亜里沙は再びマントで身を隠す。


 入室の許可を求められて、応じる。

 入って来たエドワードは、ベッドに座る亜里沙の、厳重にマントで包まれた姿を見て怪訝そうにした。


「……それで? 何か話す気になったのか?」


「あの……何て言えばいいか」


 亜里沙はいざ話すとなると、ヒューゴから言われた化け物、イドル、という言葉が蘇って、怖くなった。


 翔に手を握られて、覚悟を決める。


 ベッドから一歩離れた位置に立ったエドワードに顔を向け、亜里沙はフードを取った。


 エドワードが息を呑んだのが分かった。

 相変わらずおかしな視界だが、エドワードの目が見開かれ、顔が強張ったのもはっきり見えた。


 そして、眉を顰め口を軽く手で覆ったエドワードを見て、そんなに不快感を与えるのか、と亜里沙はショックを受けた。



「……その姿は何だ?」


 一時の沈黙の後、エドワードが聞いた。


「キーランの傷を治した時に……こうなってて」


 亜里沙はエドワードの表情を見るのが怖くて、俯いたまま話した。

 少しの間の後、エドワードがそうか、と呟いた。


「キーランを助ける為にそうなったんだな?」


「はい……」


 小さく吐かれた息に安堵が含まれているのを感じて、亜里沙は顔を上げた。


「言い訳になるが、その姿は伝説として語られるドラゴンに似ている。だが僕たちにとってはドラゴンの姿と言えば」


 イドルを連想する、と躊躇いながら、エドワードは正直に告げた。


「だから、少し驚いて、礼を失することをした」


 そしてエドワードは亜里沙をまっすぐに見た。


「すまない、アリサ。そして、キーランを救ってくれた事を感謝する」


 初めて聞くその優しい口調に、亜里沙は驚いた。

 緊張がほぐれると同時に涙が滲む。

 エドワードはほんの少し気遣わしげな顔をした。


「だが、確認させてくれ。キーランの傷はイドルの侵食ではない。臓器を著しく損傷する刺し傷だ。そんな傷を治せた来訪者など記録上では存在しない。もちろん、姿が変わったという記録もない」


「あ……それは……姿が変わったのは私も理由は分からないけど、傷を治した事については、詳しい事は言えないんです」


「そうか……分かった。今はその事はいい。それで、その姿は戻れないのか?」


 亜里沙は頷く。


「どうやって戻るのか分からなくて」


「体に支障は?」


「少し……」


「どんな風に?」


「えっと……熱が高くて、視界に違和感があって、時々体のあちこちが痛みます」


 エドワードは右手の手袋を外し、亜里沙の方に差し出した。

 いいか、と聞かれて頷くと、エドワードは亜里沙の首筋にそっと触れた。


「……尋常じゃない熱さだぞ。どうして起きていられるんだ?」


 とにかく横になれ、と言われて従う。


 横になった亜里沙は、ヒューゴとの事も切り出した。

 話を聞いたエドワードはため息を吐いた。


「分かった。その件はこちらで対処する。アリサは回復に専念してくれ」


 亜里沙は頷いた。まだ不安はあったが、話して良かったという安堵の方が大きかった。


「すまないが、お前を守る為に必要な人間には、この事を知らせないといけない」


「……はい」


「その体の事も放ってはおけない。この場にすぐに集めてもいいか?」


 亜里沙が頷くと、エドワードは早速部屋を出た。

 エドワードと話した内容を伝えると、翔も安堵したように息を吐いていた。




 エドワードが部屋に戻って来た頃には窓の外の景色が茜色に染まっていた。


 亜里沙は身を起こし、フードを被った。

 またあの、姿を晒して驚かれる流れをやるのかと思うと気が重い。


 だが、エドワードは守る為に必要な人間と言っていた。少なくともヒューゴのように嫌悪感を剥き出しにする人物はいないだろう。



 エドワードの後に部屋に入って来たのは、ロナン、ソフィー、イザベラ、エンリクの四人だった。

 キーランはまだ目覚めていない。

 エンリクはテントの設営と料理を監督していて、もうすぐ夕食が出来上がるという時に呼ばれたらしかった。


 エドワードが念の為騒がないように前置きしてから、亜里沙はフードを取った。


 皆一様に、息を呑んで驚愕の表情を浮かべる。

 そんな中、ロナンだけがただ亜里沙を心配しているような深刻な顔をした。

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