祈り
「な、何だよ……仕方ねえじゃねえか……!」
突如貯水槽の方から現れた騎士を見て、傭兵たちは力なくその場に座り込んだ。
「俺たちにあんたたちみたいな力は無いんだ……!
武器も物資も何もかも足りてなかった! 俺たちだって危なかったのに、それでも動けない奴まで助けろっていうのか!」
「いいえ?」
ヒューゴは口の端を歪めた。
「そんな事は言いません。いいんじゃあ、ないですか?
少なくとも私は、誰も彼も救える気でいる救世主気取りの気色悪い連中よりはあなたたちの方がよほど好感を持てますよ」
傭兵三人はお互いに顔を見合わせた。
「じゃ、じゃあ、見逃してくれ!」
しかし、ヒューゴは目を細めて、首を傾げた。
「それとこれとは話が別なんですけどねえ」
言いながら腰の剣をスラッと抜き放つ。
「第一、あなたたちはもう、助かりませんし」
その侵食具合では、とヒューゴは笑う。
「そ、そんな! 俺たちはまだ助かる! こ、この、来訪者に治療して貰えば!」
一斉に振り返る傭兵の顔を見てしまった。
みんな、その顔に強い恐怖が宿っている。
「もうそれだけで構わねえ! 傭兵も辞めるし、誰にも迷惑かけない所に行くから!」
「物資不足の中最初は俺たちも自分の財産から出してたんだ! それももう全部諦めるから!」
ヒューゴはくっくっと喉を鳴らす。
「別にあなたたちの進退に少しも興味ありませんし、自分の財から補うのは当然でしょう?」
戦争なんですからねえ、と強めに吐き捨てて、ヒューゴは剣を持った腕を下から素早く斬り上げた。
奇妙な声が上がって、傭兵のひとりが喉を押さえながら倒れ伏す。
「まあ、相手は人間じゃなくて化け物ですけどねえ」
言いながら今度は斬り上げた腕を振り下ろす。
またひとり倒れた。残った傭兵はもう言葉もなく、大きく震えながらただヒューゴを見上げている。
「やめてよ!!」
亜里沙はほとんど無意識に叫んでいた。
激しい拒絶と嫌悪が胃の底から迫り上がって来る。
ヒューゴは眉をピクリと動かして、亜里沙を見た。
「……はあ? “やめて”? それはご命令で?」
ヒューゴの睨め付けるような視線に息を呑む。
「アリサ……あいつを刺激しちゃ駄目だ」
キーランが荒い息で亜里沙に囁く。
キーランを見上げようとして、亜里沙は巻き込まれるように転倒した。
「……っ! キーラン!!」
「おやおや」
ヒューゴがわざとらしい声を上げる。
傭兵は訝しげにこちらを振り向いた。
「では、来訪者様。ご命令ですから私は何もせずにここで待機しましょう」
そのうち他の者が探しに来るでしょう、とヒューゴは剣を収めて腕を組んだ。
一瞬、傭兵と目が合った。
亜里沙の身が強張った時には、傭兵は短剣を手にこちらに迫っていた。
反射的に倒れたキーランを抱き締める。
「来訪者! お、おれを治療しろ! 早くしろ!!」
「あ……私……でも……」
眼前に迫る短剣に体が震えてうまく言葉が出ない。
「ああ……そう言えば今度の来訪者様は確か力が無かったんでしたかねえ。いや、弱い、でしたっけ?」
亜里沙が見上げると、目が合ったヒューゴの口角が上がる。
「助けてあげましょうか? 誠心誠意お願いされれば命令は撤回されたものと判断いたしますよ?」
「ひっ……! ま、待ってくれ! 力が無いなんて嘘だよな!? そ、そうだ……! この男!」
傭兵は地に横たわる翔の頭を掴んで上を向かせた。
その喉元に短剣を食い込ませる。
うっ、と呻いて翔の目が薄らと開く。
「俺を治療しないとこの男を殺すぞ! 早く治療しろ!!」
「や、やめて……!! 治療するから!」
亜里沙は震えながら立ち上がった。
覚醒した翔と目が合う。その目に映るのは恐怖だ。それでも、翔は小さく口を動かした。
「駄目だ」そう、言われた気がした。
亜里沙は恐怖を押し除けるように拳を握りしめ、傭兵に近寄った。
だが、亜里沙の腕を後ろから引くものがあった。
「キーラン……」
満身創痍で立ち上がったキーランは、亜里沙の腕を引き自分が前に出る。
傭兵の体がビクリと跳ねて、翔の上から逃げるように後退る。
「お前はもう助からない。女神の奇跡でもない限り。そして来訪者にそんな奇跡は起こせない」
「うっ……、うそだ……」
傭兵の顔が苦痛に歪んだ。
「嘘じゃない。もう諦めろ。イドルになる瞬間まで生きていた者はひどく苦しんだ。諦めて言う事を聞けばその苦痛くらいは取り除いてやれる」
「うっ……! う、う、ああっ……!!」
男の顔は恐怖に染まり、荒い呼吸で喉が悲鳴のような音を立てる。
短剣を握りしめる手が震えて、そして男は、凄まじい形相で亜里沙を見た。
「お、お前が……! お前のせいであの聖王が……!! そのせいで俺たち……っ、俺がぁっ!!」
男の狂ったような雄叫びが耳を貫く。
亜里沙目掛けて駆け出した男の、短剣を握る腕が突き出される。
亜里沙の脳が状況を理解した時にはもう遅かった。
ドッ、と鈍い音がした。
「…………え…………?」
亜里沙の腕の中に倒れかかってきたキーランを無意識に抱き留める。
ヒューゴの舌打ちが聞こえ、翔の震える声が亜里沙の名を呼ぶ。
亜里沙はキーランを抱えたまま後ろに倒れ込んだ。
腕の中のキーランを見下ろす。
ひどくゆっくりと、キーランの黒い服が更に黒く染まるように、短剣が深く突き刺さるその胸の真ん中からそれがじわりと広がっていく。
亜里沙の目の前で傭兵はヒューゴに後ろから刺されて倒れ伏し、亜里沙は助けを求めるようにヒューゴを見上げる。
「ヒュー……ゴ……アリサには、手を……出すな……」
「ああ、キーラン様、それは触らない方が」
ヒューゴが言い終わる前にキーランは自分の胸に深々と刺さった短剣を引き抜いてしまった。
キーランの服を黒く染めた鮮血が深い傷口から吹き出し、亜里沙の顔にも飛び散る。
「……あーあ。聞いちゃいませんね」
「アリサ……大丈夫、だよ……僕が、守る……」
そこで、キーランの言葉が途切れた。
「…………キーラン…………?」
キーランの顔を見下ろす。
ただでさえ白い顔が、血の気を失ってまるで人形のようだ。
「キーラン? ねえ?」
亜里沙はキーランの頬に触れた。
まだ熱い。だが、急速にそれが冷えていく感覚が亜里沙の手を震えさせる。
「キーラン…………」
いくら名前を呼んでも、キーランは目を開けないし、亜里沙の名前を呼んではくれなかった。
「駄目そうですね。これはもう、間もなく死ぬでしょう。さて、どうするか判断しかねる状況ですが、どうしましょうねえ」
わざとらしい嫌味な声が響く。
「それにしても誰も来ませんねえ……そんなにここが分かりにくいもんですかね」
誰にも言わずに来るべきじゃなかったか、とヒューゴは何事も無かったようにぼやいている。
翔が覚束ない足取りで亜里沙の側にやって来る。
しかし、キーランの側に屈んだだけで、何も言えないようだった。
「やだ……やだよ……キーラン……」
亜里沙の瞳から大粒の涙が溢れ、次々と流れ落ちてキーランの頬を濡らす。
「助けて……助けて!! ニーズ!!」
「……“ニーズ”?」
ヒューゴの訝しげな呟きなど、亜里沙はまるで気にも留めなかった。
亜里沙が無意識に祈ったのはニーズだった。祈ると同時に、その心がニーズの力を抉るように求める。
『アリサ!! 待て!!』
ニーズの驚いたような声が叫ぶ。亜里沙は泣き叫びながらキーランの名を呼んだ。
「あ、亜里沙ちゃん……」
翔の不安げな声も何もかも飲み込んで、一瞬で世界が真っ白になった。何も見えない。熱いのか冷たいのかも分からない。
音も無い真っ白な世界で亜里沙が目を見開いた時、そこに立っていたのは、ひどくキーランに似た、まるでキーランが成長した姿のような、長い白髪で金の瞳を持った青年だった。
ただ違うのは、驚いて亜里沙を見つめるその青年の額から、二本のドラゴンのような角が生えている事だ。
そうか、彼はアストラムだった。
半分ドラゴンで、半分アストラムなのだ。
────。
無意識に名前を呼んだ。だが、いつも呼んでいる名前ではなかった。自分の声がよく聞き取れない。
もう一度声に出そうとしたが、それはもう叶わなかった。
何故なら今、亜里沙の体は少しも亜里沙の意思に従ってくれないのだ。
「よせ、アリサ……我に祈るな……」
青年は驚愕の眼差しで亜里沙を見つめていて、そしてその声は亜里沙の耳元で響く。
──キーランを助けて。
声に出せない代わりに辛うじて絞り出した祈りが、ニーズに届いたかは分からなかった。
「ははっ……これは……驚きましたねえ」
ヒューゴからも驚愕の声が上がる。
ハッと気付けば、亜里沙の体はまた自由になっていた。
ただ、視界がおかしい。体の熱が尋常じゃない。
しかしそんなものはどうでも良かった。
亜里沙には、祈りが通じた確信があった。
根拠などないが、これでキーランが助かったという不思議な確信が。
キーランの胸からは出血が止まっているように見える。
もう一度そっとキーランの頬に触れる。
ほんの少し、血の気が戻ったように感じる。
優しく触れていると、キーランの目蓋が微かに震えて、亜里沙は心の底から安堵した。
そして、ぼやける視界に映り込んだ自分の手の表面に、うっすらと白く輝く鱗が見えた。




