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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第三章

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投げ落とされたものは

 先発した荷馬車を率いる隊が、ティラからは死角の位置に待機していた。隊を率いるのはエンリクだ。


「記録ではこの付近に一箇所、巣が三度発生した場所があったな」


「既に確認済みです。兆しはありませんでした」


 エドワードの言葉にエンリクが答える。

 亜里沙と翔はロナンについて先発隊の荷馬車の近くにいた。指先から冷えていくようで、亜里沙は手を合わせて握りしめた。


「砦に出入りは? 動きはあったか?」


「ありません。しばらく見ていましたが静か過ぎて不気味な程です」


「報告では消息が掴めない傭兵は十二人……全員無事でここに辿り着いているとは思えない」


 エドワードは少しの間考え込んだ。


「……僕が行く」


 エンリクは一瞬何か言いたげにしたが、結局はエドワードに従った。



 ヒューゴを含む騎士四人と兵士たち、合わせて二十人程の隊。エドワードがそれを率いてティラ砦へ向かう事になった。


 亜里沙は翔と共に待機となった──と言うより、最初から居ないもののように扱われた。


 亜里沙はこんな時、これまでの来訪者だったらどうするのだろうと考えた。成長した茉利咲だったらどうしただろう。


「あ、あの!」


 考えた時には、自分でもほとんど無意識にエドワードの前に進み出ていた。


「私も、行きます」


 まずいと思うと同時に、勢いで口にしてしまう。


「亜里沙ちゃん?」


 翔の若干焦ったような声が聞こえる。

 亜里沙が何を言ったのか、何となく察したのかも知れない。


 エドワードは亜里沙を見た。


「必要ない」


「……アリサさん。相手はイドルではありません」


 ロナンが諭すように亜里沙に言葉をかける。


「分かってるけど……でも」


 来訪者だったら、と出かかった言葉を呑み込んだ。

 エドワードの後ろで、馬鹿にしたような笑みを浮かべるヒューゴが目に入る。


「……私も戦います!」


 衝動的に言ってしまってから、何を言ってるんだろう、と自分で思った。

 イドル相手ですら、今の自分ではきっと足手纏いにしかならないのに。


「アリサ」


 キーランが宥めるように名を呼ぶが、亜里沙は引けなくなってしまって、エドワードを見つめた。

 エドワードは眉間に皺を寄せ、小さくため息を吐く。


「では言葉を変える」


 言って、エドワードの声は更に冷たくなった。


「邪魔だ。ここで待機していろ」


「でも!」


「それ以上我儘を言うなら一度王都に引き返してもらう。今ならまだ行程を変えてもさほど支障は出ないからな。最長の道だが、馬を潰してでも急がせればいい」


 辺りがシンとなった。いくらか同情的な色を浮かべた兵士の顔が亜里沙の視界に入る。

 感情的になり過ぎて込み上げてくるものがある。それにエドワードに気圧されまいと見開いていた事もあって、砂っぽい空気が目に染みる。

 亜里沙は間違っても涙なんか見せないと、慌てて俯いた。


 エドワードは亜里沙が引いたと判断したようで、すぐに指示を再開すると、準備を整えて出発してしまった。




 ソフィーに促されて休憩にはうってつけの岩に腰掛ける。

 ソフィーとイザベラは側にいるが、キーランとロナンは遠慮がちに数歩離れた位置にいる。

 亜里沙は隣に座った翔に先程の話を聞かせた。


「相手は人間だからさ……いくらこれまでの来訪者でも、人間と戦ったとか、ましてや人間相手に強かったなんて事はなかったんじゃないかな。今まで聞いた話の限りだと」


 気持ちは分かるけど、と翔は呟いた。


「俺も……焦りは感じるよ」


「ごめんね、ひとりで先走るみたいな事して……」


「何で、きみが謝るんだよ」


 亜里沙は翔の表情を盗み見た。

 翔は顔を曇らせて足元を見ている。


「きみは、勝手に背負わされた事なのに、やろうとしてるじゃないか。こんなに必死になって」


 それはどこか怒りのように感じる呟きだった。



「アリサ様、カケル様」


 翔と一言二言交わしていると、エンリクがやって来た。


 ソフィーの顔色がパッと明るくなる。


「叔父様」


「ああ」


「……えっ? ソフィーのおじさん?」


「はい。姪はよくお仕えしているでしょうか?」


「あっ、はい! すごく良くしてくれています」


 エンリクはホッとしたように頷き、本題に入った。


「何も問題が起きなければ夕刻前には砦は片付くでしょう。周辺にテントを設営する予定です。しかしアリサ様とカケル様は、砦にてお休み頂けるはずです」


 状態にもよりますが、とつけ加える。

 亜里沙が翔にエンリクの言った言葉を翻訳し始めた時、この場に駆け寄る兵士の姿が見えた。



「ヴァーロ卿!」


 この場に残った騎士ではエンリクが一番偉いのだろうか、兵士は真っ先にエンリクの元に走って来た。


「どうした?」


「イドルが出ました!」


「巣は? 殿下はどうなさった?」


「それが……周辺に巣は見当たらないのですが、砦の中から投げられた死体が次々とイドルに変化しているのです。殿下はイドルと交戦中で、死体を投げる傭兵にも呼びかけられましたが、まるで話になりません」


 それを聞いたエンリクは眉間に皺を寄せた。


「死体だと……? 恐らく砦の兵士たちなのだろうがどうしてまた急に……」


 キーランがエンリクの前に進み出る。


「相手がイドルなら問題ないだろう」


「キーラン様……しかし」


「イザベラもいるし、僕もいる」


 そう言って、キーランは亜里沙の前に立って、手を差し伸べた。


「一緒に戦おう、アリサ」


 亜里沙の今の力では、まるで役に立たないという事はキーランが誰よりも知っているはずだった。

 それでも温室での一件以来一緒に戦おうと言ってくれるキーランに、亜里沙は泣きそうになる。

 言い表せない複雑な感情で顔が歪むが、亜里沙はキーランの手を取った。



 エンリクの采配でイザベラを含む騎士が更に四人、兵士が更に四十人編成される。別の場所に既に三度確認された巣も警戒しないといけない為そこまで兵を割けないらしく、エンリクの顔は険しい。


 ソフィーはエンリクと残り、亜里沙と翔はキーランとロナンと共にその隊に組み込まれた。



 砦が近付くと次第にツンとした匂いが鼻を刺激し、あちこちから立ち昇る黒い煙のようなものに視野が削られる。


「砦の周囲からも瘴気が出ていますね。瘴気は巣が出現する兆しの一つです。私から離れないでください」


 イザベラが亜里沙と翔に念押しする。


 この砦は確かに亜里沙が今まで目にしたものの中で一番小さい。石造りの四角い建造物が丘陵の上にポツンと佇んでおり、開きっぱなしの門から兵士たちの姿が見えた。


「殿下!」


 イザベラが砦の石壁の中の四角い空間でイドルと化した死体と戦うエドワードを見つけた。


 亜里沙たちが駆け付ける目の前でエドワードはイドルに掴まれる寸前だった。だがエドワードは瞬時にイドルが伸ばした左手首を掴んで引き上げ、同時に踏み込んで腕の下を潜りながらイドルの膝裏を右手の剣の柄で強打するように払いのけた。ドッと音がしてイドルが仰向けに転倒する。亜里沙の頭に一瞬侵食がよぎって息を呑んだが、エドワードも騎士も兵士も金属を身に纏っているのだ。

 エドワードがすかさずイドルの首を目掛けて剣を振り下ろす。しかし、鋭く空を斬る音はしたものの切断するに至らない。剣の形に沿って首が変形したようにも見える。


「代わります!」


 イザベラの吠えるような声がして、エドワードがさっと後ろに下がる。


 剣を抜いて大きく踏み込んだイザベラはその長めの剣を背負うように構えた、雄叫びと共に振り下ろした。

 三度の力強い斬撃で、嫌な音が響き、イドルの首が胴体から離れる。

 すぐに表皮が黒くなるが、崩れる気配はなかった。


「結局こうなるのか」


 エドワードは辟易したように側に来た亜里沙と翔を見やった。そしてすぐに視線を外すと、周囲を見渡す。亜里沙もつられて周りを見た。


 ざっと見た限りイドルは、今ここに倒れた以外では十体程いて、一体に数人がかりで攻撃している。

 見る限り怪我人はいなさそうだ。


 その時、砦内の木造の建物の二階の歩廊から、再び死体が投げ落とされた。

 エドワードが舌打ちする。


「死体は放っておいてそこから出て来い! お前たちも死ぬぞ!」


「う、うるさい! 騙されないぞ! もうこうするしか……!」


 混乱し切ったような声で叫んだ男は建物の中に逃げた。


 目の前に降って来た死体に、亜里沙は声も上げられなかった。

 金属以外の衣服はボロボロ、鎧だけが残ったような形で、見える皮膚がイドルの侵食を受けている。

 みるみる広がるそれに、吐き気を催す。後ろにふらついて、翔に支えられる。

 しかし、背中越しに翔の震えが伝わって来て、亜里沙はハッとした。


「アリサ」


 意思を確認するように、キーランに呼びかけられる。

 亜里沙は歯を食いしばり、頷いて、死体へと一歩踏み出した。

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