ヒューゴ
三時間ほど歩いて、丘の上に開けた土地に出た辺りで休憩となった。
ソフィーが携帯食を差し出してくれる。
この世界に来た日に食べたパンのようなもの──ただし更にカチカチ──そして、干し肉とチーズのようなもの。味は塩辛い。
「この近くに砦があります。殿下がお戻りになるまでここで待機です」
言って、イザベラが豪快にパンを噛みちぎる。
いつの間にかキーランの姿がなく、もしかしたらエドワードに同行したのかも知れない。
「アリサさん、カケルくん」
イザベラがいるからか、微妙に離れた位置からロナンが声をかけて来た。
「こういう道は歩き慣れていないでしょう? 足の具合は大丈夫ですか?」
「俺もスポーツはやってたし体力はあると思ってたけど、結構きついね」
翔がため息を吐く。
「私も少し足が痛いかも……」
ロナンに自分たちの状態を正直に伝えると、気のせいだろうか、周囲にいた兵士が何人かこちらを見た気がした。
リンネアの件で少しは覚悟していたが、人が大勢集まるとやはり亜里沙と翔に懐疑的だったり良く思わない兵士がいてもおかしくないだろう。
「キョウコさんもこういう道は苦手だったんです。騎士や兵士でも足を取られる事がある道です。来訪者だからと言って、万能ではないのですから、我慢してはいけませんよ」
少しわざとらしい言い方だと思ったが、こちらをチラチラ見ていた兵士は他所を向いてくれたし、単にロナンの気遣いが亜里沙には嬉しかった。
「いざとなれば私が背負って歩きます」
任せろと言わんばかりにイザベラが笑う。その時だった。
「ではその時は私も手を貸して差し上げましょう」
亜里沙は驚いて、後ろを振り返って見上げた。
少しねちこいような、気怠げな声で話しかけてきたその男は騎士だ。ソフィーのような茶髪で茶色の目をしているが、こちらの方が若干暗い。
それよりも暗いのは表情で、笑みは浮かんでいるのに目が全然笑っていなかった。
それに、細身で頬がこけているからか、ものすごく顔色が悪く見える。
亜里沙と翔は反射的に立ち上がった。
「ヒューゴ・ブラハドです。どうぞお見知り置きください」
会釈されたので、挨拶を返す。
それにしても、いつそこに立っていたのだろう。
だが周りを見た限り驚いているのは亜里沙と翔だけのようだ。
微妙にロナンとソフィーが立ち位置を移動した気がする。ヒューゴとの間に隔たりが出来たようで少し安堵した。
「何だ、ヒューゴ? 何か用か?」
イザベラが冷たい声で応じる。
「尊い来訪者様とご一緒出来る貴重な機会を頂きましたから、ご挨拶に伺っただけですよ。イザベラは相変わらず冷たいなぁ」
わざとらしいくらい間延びした言い方に不快感を覚える。
「それにしても今度の来訪者様はお体が弱いのかと心配でなりませんでした。平常ならここに来るまで、半分の時間しかかかりませんからねえ。ですが、見る限りお元気そうで良かった」
それは、亜里沙たちがいるせいで遅くなったという事だろうか。
「……申し訳ありません。この男が二度とおふたりに近付けないようにいたしますので」
亜里沙を振り向いたイザベラが囁いた。
そんなに顔に出てしまっていただろうか。
ハッとして両手で顔を包む亜里沙を馬鹿にするように、ヒューゴは鼻で笑った。
「そんなに警戒しないでくださいよ。来訪者様というお方はみんな揃って馬鹿みたいなお人好しで、全ての人間の善性を信じて疑わないというのが通説でしょう?
それで言うとあなたは……」
亜里沙の頭から爪先までを舐めるように見回す。
「……もう少し振る舞いに気を付けた方がよろしいのでは?」
でないと、と言ってヒューゴの口の端が歪んだ。
「ただでさえ“何も出来ない”ともっぱらの噂なのに……本当に来訪者様なのか疑われてしまいますよ?」
「そこまでだ、ヒューゴ」
イザベラが吠えるように言って、亜里沙とヒューゴの間に立った。
「この私が殿下からおふたりの守護を拝命した事を忘れるな。それ以上無礼な振る舞いをしたら容赦しない」
怖いなあ、と言いつつヒューゴは笑った。
「ああ、でも……イザベラよりもこちらが真の護衛騎士のようだな」
イザベラの後ろからそっと覗く。ロナンを振り向いたヒューゴは「マクベルド伯爵」とわざとらしい丁寧さで呼びかけながら恭しく会釈した。
「こちらには用心しておかないと、人知れず消されてしまいそうだ」
くっくっと喉を鳴らしながらヒューゴは去った。せっかく視線が外れたと思ったのに、今や亜里沙たちは注目の的だった。
妙な空気の中、亜里沙を振り向いたロナンは、いつもの冷静な様子だ。
「大丈夫ですか?」
亜里沙を気遣うロナンに、亜里沙は何も言えずただ頷いた。
ソフィーが「なんて無礼なの」と微かに震える声で呟く。
「あいつは誰にでもああなんです。気にする必要はありませんからね」
イザベラが元気付けてくれるが、明確にぶつけられた悪意に亜里沙はショックを受けていた。
望んで来た訳ではない。そう叫んでしまいたかったが、怖くて出来なかった。
「亜里沙ちゃん?」
翔の心配そうな顔を見て、亜里沙はこれを言うべきか迷った。
だがやはり、ひとりで呑み込むには苦しかった。
亜里沙がぽつりぽつりと話す間、翔は黙って聞いていた。
それから少しして、エドワードが戻って来た。やはり砦に同行していたようで、戻って来たキーランは、亜里沙の顔を見て目を丸くした。
「何かあった?」
亜里沙は言うべきか迷ったが、気が収まらない様子のソフィーが誰よりも先に口を開いた。
「ブラハド卿がアリサ様に無礼を働いたんです。あんなに不躾にじろじろ見て」
ソフィーの悔しそうな訴えを聞いたキーランはイザベラを見た。
「お前がいながら……」
「……申し訳ありません」
「キーラン、私も悪かったの。挨拶してくれただけだったのに、嫌な顔をしちゃったから」
「アリサさんは悪くありませんよ。ヒューゴがそう仕向けたんですから」
ロナンが言った。
キーランは亜里沙の握りしめられた手をそっと取る。
「なるべく僕もアリサの側にいられるようにする。だから心配しないで」
向けられるキーランの優しい眼差しよりも亜里沙が気になって仕方がなかったのは、何かをしきりに囁く周囲の密やかな声だった。
間もなく休憩も終わり、隊列は再び動き出した。
話によると更に三時間程行った先のティラという砦が、どうやら傭兵たちによって占拠されてしまったという事だ。
ティラに一番近いこの砦は二日前、トランティアからの使者によって初めてティラの異変に気が付いたという。小さな巣が出現する頻度が上がっていて、ティラの問題に対処出来ず、偵察をして様子を伺っていたらしい。
そうして掴んだのが、傭兵による占拠、ティラの兵の壊滅という情報だ。
「傭兵たちはトランティアから逃げて来たらしい。ブレストルに雇われて、イドルとの戦闘、近くの集落の防衛を担っていたみたいだけど、集落がやられてから消息が掴めなかった隊がいたそうだから、多分その連中がティラを襲ったんだろう」
亜里沙の隣を歩きながら、キーランが教えてくれる。
「どうしてそんな事したんだろう……」
「トランティアの状況が悪すぎるんだ。いくらパーシヴァルとブレストルが気を配っても、脱走したり、略奪したりする者が現れるのを止める事は出来ない」
亜里沙の深刻な顔を見て、キーランが亜里沙の名を呼ぶ。
「アリサのせいじゃない。だから思い詰めて無茶だけはしないで。僕もアリサと一緒に戦うから」
「……うん。ありがとう」
そして亜里沙はキーランも傭兵だった事を思い出し、聞いてみた。
「僕は大体ロナンに雇われてるから、他の傭兵と一緒になる事は滅多にないよ。ロナン以外だと国王や王族に雇われたりする」
今はロナンに雇われてる、とキーラン。
何気なく振り向くと、少し後ろを歩くロナンと目が合った。
そして、隊列はとうとうティラ砦の目前にやって来た。




