キーランとの出会い
テントから出た亜里沙は「ここへどうぞ」と示された焚き火のそばに座る。
切り株そのもの、という味のある椅子に、わざわざ用意されたクッションは見た限り高そうな代物だ。
膝掛けを渡され、それを掛けると少し寒かったのだと気がついた。
暖かい火のそばで気持ちが緩んだせいか、思わず鼻の奥がツンとなる。
隣に腰を下ろしたロナンが先ほどからずっと亜里沙を気遣ってくれる。ここで泣くのは恥ずかしい。
人知れず唇を噛んで、しつこく出てこようとする涙を堪えた。
「あ、帰ってきましたね」
亜里沙に暖かい飲み物を渡してくれたロナンが、亜里沙の背後を見てそう言った。
続いて「あ」とロナンが声を上げたので振り向くと、背後に真っ黒なマントと服に身を包んだ人が立っていて思わず盛大な悲鳴を上げる。
まるで気配がしなかった。というか物音もしなかった。
こんなに接近されるまで全然気づかなかった。というか飲み物をこぼさなくて良かった。
反射的に立ち上がってその人物と向き直った亜里沙は息を呑んだ。
まず真っ先に意識が引かれたのは、その瞳だ。
(金色……綺麗)
茜色に染まる景色の中で夕刻の色を反射した瞳は、色が混ざり合って目を奪われるようだ。
だがその瞳が金色であることははっきりと分かる。
目を引くのは瞳だけではない。
夕日に縁取られた輝くような白髪に、見たこともないほど整った顔立ちの美少年。恐らく、少年だろうが。
少し幼く見える顔は、そこだけを見ると少女と言われても違和感がない。だが身長は亜里沙よりいくらか高く、その背格好を見るとやはり男性に見える。
つい見入ってしまい、見つめ返された亜里沙は居心地が悪くなって視線を落とした。
その視線の先に、血を流したふわふわの兎が二羽、ピクリともせず少年の左手からぶら下がっている。
亜里沙がひゅっと息を呑み込んだ音は、ロナンの言葉でかき消された。
「キーラン、人の背後に黙って立つものではありませんよ。そんなものを持っている時は尚更」
固まってしまった亜里沙に優しく呼びかけ、ロナンが少年を紹介した。
「彼はキーラン。我々の旅の護衛をしてくれている傭兵です」
亜里沙はハッとして顔を上げた。
「あっ、は、初めまして、鈴木亜里沙です。ら、来訪者、の」
緊張して口が回らなかった。
キーランと呼ばれた少年が、初めまして、と呟く。
亜里沙と目が合ったキーランは一瞬眉を顰めたように見えた。
そしてわずかに首を傾げる。
「スズキ……マリサ?」
「亜里沙です。あ、り、さ」
思ったより強く言い返してしまった。
茉利咲は2歳下の妹の名前だ。
亜里沙の言葉にキーランが目を丸くする。
少しの間何やら考えるように目を伏せたキーランは、再び目を上げて亜里沙を見た。
「アリサ。僕はキーラン・セレン・カンドール」
改めてそう名乗ってくれたキーランは、亜里沙に向かって右手を差し出した。
少々戸惑いながら、同じく右手を差し出す。
握手だったはずだ。最初の一瞬だけは。
握られたと思ったらすっと角度を変えられて上を向いた手の甲に、お辞儀をするように身を屈めたキーランが顔を寄せた。
亜里沙は度肝を抜かれて肩が揺れた。
唇が触れる、と驚いたが何もなく、動作だけだと気がつく。
そしてその手はすぐに離された。
亜里沙は言葉もなったが、ロナンも驚いたようだった。
「アリサさん、こういう事をされますから、気が乗らなければ差し出さなくていいんですよ」
こういう挨拶があるのは知っていたが、自分がそうされるなんて思ってもみなかった。
ロナンがキーランに「手を差し出すよう仕向けるなんて無礼です」と苦言を呈したものの、キーランは聞いていないようだった。
ロナンには目もくれず、何が面白いのか再び亜里沙を見つめてくる。
「あ、あの……」
「ん?」
首をわずかに傾げるその仕草は絵になるが、そうではない。
見つめるのをやめて欲しくて声をかけたのに。
穴が空きそうとはこのことか。
居た堪れなかった亜里沙は、夕食の準備が始まってキーランが目を離してくれたことで助かった。
皆手際がいいが特にキーランは見事で、亜里沙はつい作業に見入ってしまった──兎を捌く時は全力で目を背けたが。
夕食が出来上がる頃にはちょうど日も暮れ、食欲がなかったはずの亜里沙の腹も控えめに鳴り始めた。
兎肉は玉ねぎと共に串焼きとなり、シチューにも投入された。
調理中、ベーコンの匂いがとんでもなく美味しそうで、空腹を感じた亜里沙は手伝いを申し出たが断られてしまった。
せめてシチューを木製の器によそう役目だけは譲ってもらう。
パンのようだが硬く平たい物を渡された後。
ロナンが手を組んで女神イーリスという存在に対する感謝の言葉を呟くと、商人ふたりとキーランもそれに倣う。
四人の短い祈りが済んで、勝手が分からなかった亜里沙は小さく手を合わせて「いただきます」と呟いた。
キーランには聞こえていたようで亜里沙なりの祈りの代わりを真似されてしまい、ロナンと商人たちもそれに続いた。
「アリサさん、お口に合いますか?」
「美味しい!」
空腹も相まってそれはもう最高に美味だった。
「それは良かった」
ロナンの優しい笑みを見て、亜里沙の顔にも自然と笑みが浮かぶ。
するとキーランが、自分の分の串焼きを亜里沙の皿に乗せた。
「明日から数日は移動が続くから、しっかり食べておくといい」
「あ、ありがとう」
ふとロナンを見ると目を丸くしてキーランを見ている。
もしかしたら断るべきだったのか。
「でも、キーランが食べた方がいいんじゃない?」
キーランの皿に串焼きを返す。
するとすぐにまた串焼きは亜里沙の皿に舞い戻った。
「傭兵で護衛っていう事は、戦ったりするんだよね?」
戦う。自分の口から出た言葉だが、恐ろしく馴染みがない。
この世界を救う、とあのドラゴンは話していた。
どんな脅威があるのか想像すら出来ないが。
あの空間で見た存在のようなものが襲ってきたりするのだろうか?
「大丈夫ですよ、アリサさん」
ロナンが言って、ぼんやりと串焼きを見つめていた亜里沙は我に返った。
「今の情勢では流石に我々だけなら心許ないですが、キーランがいるので心配いりません」
今の情勢では? その言い方はかなり悪そうだが。
ベン何とかいう商人が大きく相槌を打つ。
「キーラン様は我々の英雄ですから。 この方を雇えるのは、商人ではマスターくらいでしょう」
ルイ何とかさんも頷く。
「キーラン様は来訪者様を除けば我々の唯一の希望と言っていいお方ですから」
「へえ、キーランって凄い人なんだね」
亜里沙の視線を受けてキーランがこちらを見た。
その眼差しの強さにたじろいでしまう。
どう見ても年下だが、生きて来た世界が違うせいか、こんなに強いオーラを感じる人を亜里沙は見たことがない。
オーラなど見えたことはないが、この空気感は他に言いようがなかった。
夕食後、ふと気がついたらキーランの姿がなかった。
亜里沙はロナンやルイとベンを見るが、皆それぞれ忙しそうに動いている。
「ちょっと散歩してきます」
鍋を弄っていたロナンが顔を上げ、亜里沙のそばにやって来る。
「落ち着きませんか?」
それは確かだが、心配そうな顔を見て亜里沙は首を横に振った。
「いや、キーランがいなくて」
ロナンは小さく息を吐いた。
「この辺りはまだ安全なので森に入ってもいいですが、許可できるのは貴女がいた場所までです。くれぐれも他へ行かないこと。特に川は渡らないように」
どことなく物騒な物言いに亜里沙の肩に自然と力が入る。
ロナンと別れ、来た道を引き返すように森を歩く。
月明かりが強かったので灯りは貰わなかった。
(いや、普通に怖い)
何故灯りを断ったのだ。
街灯が灯る道くらいの明るさはあるが、夜の森というだけで不気味だ。あの木漏れ日と空気が心地良かった大自然が、今や魔境に感じる。
午後に通った道の半分まで来たところで、亜里沙は立ち止まった。
姿が見えないので心配だったが、考えてみたらキーランには亜里沙の心配など不要だろう。
「……戻ろ」
振り返った時、ふと川の方から何か見えた。
怖いのも忘れ、目を凝らす。
川向こうに何か青白い光が走ったようだった。
少しの間その正体を探ろうと躍起になった。
怖いもの見たさだったのか。
突然肩を掴まれ、心臓がひっくり返って喉が悲鳴のような音を立てる。
「アリサ」
振り返って、彫刻のように綺麗な顔を目にした亜里沙は腰が抜けてその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
言ったキーランの声が慌てていて、亜里沙は「どうしたのじゃない」と抗議する言葉を呑み込む。
「ここは危ないよ。戻ろう」
少しの間立てないでいると、何を思ったのかキーランは亜里沙を抱きかかえた。
軽々と持ち上げられ、驚愕で発した声が恥ずかしいほど野太い。
「ちょっと大袈裟! 下ろして!」
腕の中でもがくとキーランは下ろしてくれた。
「歩ける?」
心配する顔を見て困惑を覚える。
そんなに弱く見えているのだろうか。
結局、まるでお姫様でも扱うかのように丁重に送り届けられた亜里沙は、テントに入るなり振り向いた。
入口の向こうで幕を持ち上げるキーランの顔に影がかかっている。
浮かんだ微笑を見て亜里沙の鼓動が一つ大きくなった。
「おやすみ、アリサ」
「お、おやすみ……」
キーランが去ってひとりになると思わず大きなため息が出た。
「王子様みたいな人だな」
こんな扱いは慣れないのでいちいち緊張する。
結局あの青白い光の正体も分からなかった。
異世界だし、本物の火の玉かもしれない。
何にせよ、あれが“よくないもの”であるという不吉さは拭えなかった。




