神木
その夜。
翔とソフィーと一緒に夕食を食べ、寝る支度をする。
そろそろベッドに入ろうかという頃、亜里沙の部屋がノックされた。
不審な表情を浮かべたソフィーが応じると、訪ねて来たのはキーランだった。
「アリサ様」
「うん、私が出るよ」
また後で話すという事だったから、訪ねて来たのだろう。亜里沙はドアに近付いた。
「アリサ様、お待ちを」
ソフィーの言葉と同時に開けてしまい、「え?」と振り向く。
ソフィーが急いで厚めの上着を持って来て亜里沙に羽織らせた。
キーランを振り向くと、キーランは体ごと向きを変えて亜里沙から顔を背けている。
突然亜里沙は、以前翔が訪ねて来た時より今日の寝巻きが薄かった事を思い出したが、後の祭りだ。
羞恥心から叫んで屈み込みたかったが、必死で平静を装う。
「……えっと、こんばんは、キーラン」
「うん……」
恐る恐るこちらを見やって、若干ほっとしたような顔をするキーラン。
改めてこんばんは、と言ってキーランは亜里沙に向き直った。
「アリサ、今話せる?」
「うん。入って」
「いや……ここじゃなくて」
キーランは亜里沙の肩越しにソフィーを見たようだった。
「アリサに見せたい物があるんだ」
「……分かった。遠くじゃないなら」
「主城門の外には出ないよ」
亜里沙は頷いて、部屋の外に一歩踏み出した。
「きみはついて来るな」
一瞬自分に言われたかと思ったが、キーランはソフィーを見ていた。
ソフィーを振り向くと、緊張が滲む顔に、だが意思の強い眼差しがあった。
「いいえ、キーラン様。私はアリサ様の侍女です。ただお側に控えております。お話を聞く事はございません」
ソフィーがこんな風に言う事は今までなかったが、もしかしたら温室で話した時に何か思う所があったのかも知れない。
亜里沙は窺うようにキーランを見る。
「分かった」
亜里沙の顔を見たキーランは静かにそう言った。
「お寒くございませんか?」
ソフィーは亜里沙の上着をもう一度整える。
ソフィーのその行動はほんの少し、亜里沙に母親を思い出させた。
「大丈夫だよ」
ソフィーに微笑んで、亜里沙はキーランについて歩き出した。
城から出て向かった先は、教会のような建物──聖堂だった。
近付くと、ふたりの兵士が扉の近くに姿勢を崩して立っており、談笑していた。
「……ん? あっ、キーラン様……!」
「許可は取ってある。通してくれ」
即座に真っ直ぐ立つ兵士に、キーランが言った。
ふたりの兵士は多少訝しげに亜里沙とソフィーを見たが、何も言わずに通してくれた。
聖堂の中はとても荘厳な景色だった。恐らく暗くなければ感動したのだろう。
心許ない灯りしかないので、何よりも不気味さと怖さが勝る。闇に吸い込まれて見えない天井、柱に掘られた顔や、壇上に立つ、ステンドグラスからほのかに差し込む月明かりを不気味に受ける大きな像など、ほとんどが怖い。
「ここから先はきみは入れない」
キーランの言う事は正しいようで、ソフィーは口を引き結んだ。
心配そうに亜里沙を見たが、頷く。
「……ここにおります」
聖堂に並ぶ長椅子の間で立ち尽くすソフィーを置いて、亜里沙は何度か振り返りながらキーランの後に続いた。
聖堂の奥、脇にある扉を通るとそこは廊下で、薄暗い廊下の真ん中に豪華な装飾の両開きの扉がある。
キーランが扉を開けると、暗闇に慣れ始めた亜里沙は一瞬驚いた。
目を見開いて部屋の中を見た亜里沙の口から、感嘆の声が漏れる。
「すごく綺麗……」
そこには、崩れかけた石畳に囲まれた円形の緑の地があり、その中央辺りに一本の真っ白な樹が立っていた。
葉も枝も幹も根も全てが白い。
幹は亜里沙が腕を回しても届かない程の太さで、高さは3mくらいだろうか。
その樹の全てが淡く発光しており、部屋の中に幻想的な雰囲気が漂っている。
樹の根は地を這って、所々石畳を持ち上げていた。
見上げると暗闇に吸い込まれる壁の上の方に細長い窓がいくつかある。この光の弱さでは、外からは見えないのだろうと亜里沙はぼんやり思った。
キーランに促されて部屋に踏み入れる。
樹の根元、絡み合う根っこや周囲の地面にいくつも窪みがあり、そこに薄らと水が溜まっている。
「この国の神木だ。枝は削って矢尻に使う。自然と落ちた枝しか使わないから神木製の矢は数が少ない。そこらの窪みに少しだけ溜まっている水は聖水だよ」
確かエドワードが神木製の矢について言っていたな、と考えていた亜里沙は驚いて足元を見回した。
「え、これが聖水?」
亜里沙が説明を求めてキーランを見ると、キーランが教えてくれる。
「聖水は神木の根元に湧き出る水なんだ。長い時間をかけて少しずつ溜まっていく。大昔は氾濫するかのように湧いていたって。この樹が高い位置にあるのも、穢れを洗い流す為なんじゃないかって言われてる。水路でどうにかしようとしたらしい跡も聖堂の外に残ってるよ」
キーランは、だけど、と続けた。
「この国の聖水は年々湧く量が減っていって、今ではほとんど枯渇したと言える状態だ」
「じゃあ、他の国にも……確か、大陸に四つあるって言ってた……この神木がそれぞれの国に生えてるの?」
「ああ、そうだ。宗教が一つしかないのも、この神木が原因なんだ」
一息置いて、キーランは神聖な光を発する樹を見上げた。
「……僕の母はここで死んだ」
「えっ……」
「セレネって言うんだ」
母の名前、と言って亜里沙に微笑むキーランに、どう返していいのか分からない。
キーランは少しだけ溜まっている水の側に屈んで様子を見るように覗き込む。
懐から何か取り出すキーランを眺めながら、亜里沙はやっと口を開いた。
「どうして、ここに連れて来てくれたの?」
キーランは取り出した何かを聖水に近付ける。
それは小さなガラスの器のような物で、チェーンが付いている。
今、それで聖水を掬ったように見えたが気のせいだろうか。
「アリサがアストラムの力の使い方を教えて欲しいって言ったから、連れて来た」
キーランはそう言いながら、亜里沙に近付いて目の前に立った。
「え? ん?」
あまりに自然な動作で首にチェーンをかけられるし、言われた言葉の意味も分からないし、ただ困惑する亜里沙。
キーランはチェーンをかけた後、右手でそっと亜里沙の首筋を撫でるようにした。緊張が走って息が詰まる。
キーランはどうやら、亜里沙の首にかかったフロースのペンダントのチェーンに気付いて、それを持ち上げたかったようだ。
小さな音がして、上着に隠れていたフロースが引き上げられる。
「……フロース。これ、どうしたの?」
「あっ、えっ、ロナンに貰って……」
しどろもどろする亜里沙をキーランがじっと見つめる。
「ロナンが? どうしてこれをアリサに?」
「え……分かんない。フロースの話を聞いた時に色々教えてくれて……その流れで?」
キーランはフロースのペンダントをそっと離した。
沈黙が訪れる。
なぜか亜里沙の心臓がうるさくなり始めた頃、キーランが沈黙を破った。
「僕がアストラムの力を使えるようになったのが、ここだった」
九年前に、と続いた言葉で、亜里沙の心臓が一際強く鳴った。
九年前。ただの偶然なのだろうが、妹が死んだ事とどうしても結び付けてしまう。
「九年前、母はここに倒れていて……母の体は穢れに侵食されてイドルになりかけていた」
亜里沙は息を呑んだ。キーランの治療もあったが、ニーズのお陰で穢れに勝った経緯があるから、勝手にアストラムは穢れないものだと思っていた。
いや、少なくともニーズは穢れないという話だったはずだ。
その疑問にキーランが答えるように続けた。
「アストラムは穢れに強い。だからイドルになる程だなんて、それだけ母が、強い穢れを受けるような事をしたんだろう」
キーランが目を伏せる。樹の光に照らされているせいか、その顔から血の気が失せているように見える。
「僕は体も弱くて力もなかった。母がイドルと化した時、ただ必死で……僕が母を消したんだ。その時は自分がした事を覚えていなかったけど」
キーランが右手を持ち上げる。拳を握って、手を開く。その動作に合わせて静かな青白い光が戯れるように手の周りを舞った。
「母がいなくなってからも力を使えないままだった。でも、ヒーローはヒロインを守るもので、僕がヒーローだと言われてから、時々ここに来てみたんだ」
「それで、思い出した」とキーランは呟いて、亜里沙を見る。
「……力の使い方。アリサに教えるよ」




