ヒーローとヒロイン
キーランは困惑した様子で亜里沙を見つめた。
「……アリサ、戦うつもりなの?」
「うん、多分、来訪者だから出来ると思うんだ」
「どうして……アリサは戦わなくていい。僕がアリサを守るから」
また、だ。
リンネア砦ではこれ以上疑問に思っても仕方ないと考えた事だが、亜里沙はもう一度それを口にした。
「どうして、私を守ってくれるの? 私がキーランを助けたっていう事以外に、理由はある?」
あの理由はそもそも順番が違うし、それでは引き下がれないので、あれ以外に理由がなければ亜里沙も譲る気はなかった。
キーランは少しの間の後、口を開いた。
「“ヒーロー”は“ヒロイン”を守るものだから」
訪れる静寂。
「……んっ?」
思わず強めに唸ってしまった。
真剣な顔のキーランに代わってあっという間に羞恥心に襲われる。
羞恥心に加えて至近距離で見つめられていて顔が赤くなっていくのが分かるが、ずっと腕を掴まれているので手で隠す事も出来ない。
(な、何を言ってんのー!?)
亜里沙は口をぱくぱく動かしたが、言葉は遅れて出て来た。
「そ、それは、キーランがヒーローで、私がヒロインとか、そういう事……?」
「ああ。違うのか?」
いや、違うだろう。だがあまりにも綺麗な瞳で見つめられたら否定するのも可哀想な気がしてくる。
「そういう考え方もあるだろうけど……というか、どこから出て来たのそのヒーローとか、ヒロインとか……」
「物語にはよく出て来る。ヒーローはいつもヒロインを守ってる。そう教わった」
誰が教えたんだろう、そんな恥ずかしい──いや、子供の夢みたいな事を、こんな何でも信じてしまいそうな純粋な人間に。
「とにかく、私はそうは思わないから、私もキーランと一緒に戦う」
「……僕と、一緒に?」
再び目を丸くするキーランに何度も頷いてみせる。
羞恥が止まらず顔が赤くなって仕方ない。
「ね、ひとまず放して……」
「亜里沙ちゃん?」
キーランの腕の中でもがくと、翔の声がした。
振り向いた先に怪訝な顔をする翔がいる。
翔の視線はキーランに掴まれた亜里沙の腕に移る。
「あ、翔くん、これは」
誤解のないよう言葉を発するも、翔は聞いていなかった。
「キーラン」
翔は大股でこちらにやって来て、強く名前を呼ぶ。
キーランが目をやると、翔はキーランを見据えて、亜里沙の右腕を掴んでいる手首に手をかけた。
「亜里沙ちゃんが、嫌がってる」
言葉が通じなくても、意図が伝わるようにゆっくり話す翔を見て、キーランは無言で亜里沙から手を離した。
「こういう事は、しちゃ駄目だ」
キーランは黙ったまま翔を見ていた。
翔もそれ以上は何も言わずにキーランを見返す。
少しして、キーランはふたりに背を向けた。
「……アリサ、また後で話そう」
「う、うん……」
キーランが去ると、翔は亜里沙を振り向いた。
「大丈夫?」
掴まれていた部分に視線が注がれるが、袖で隠れている為、見た目には何事もない。
「痛くない?」
「あ、うん、全然! あの、ありがとう」
誤解をさせてしまった事はキーランにも翔にも申し訳なかったが、翔が守ってくれようとした行動がありがたくて、亜里沙はまず感謝を伝えた。
「キーランは、私を心配してくれただけだったんだ。トランティアに行くって聞いて、多分驚いちゃったんだね」
でも、ありがとう、ともう一度繰り返す。
亜里沙が先程の事を気にしていない様子を見せたからか、翔は眉を顰めた。
「……でも、怖いだろ、あんな風に迫られたら。どんな事情があっても」
「あ……そ、そっか」
確かに、言われてみればそうかも知れない。亜里沙自身がもっと危機感を持つべきだった。
だが、どうしてかキーランに見つめられると突き放せないのだ。
「……心配かけてごめんなさい。私ももっと気を付けるね」
「うん……俺こそ、きつい言い方してごめん」
少ししてソフィーが戻って来た。ソフィーは何冊かの本と羊皮紙、それに何か白っぽい棒のような物と装飾が施された何かの角のような物を持っている。
「お待たせしてしまいました! 何かございましたか?」
ふたりのぎこちない様子を見て、ソフィーの眉がハの字になる。
「何でもないの。ちょっとキーランが来てて」
「ああ……キーラン様は、アリサ様がトランティアへ向かわれるのを、良く思われないでしょうね」
「うん……そうなんだよね」
あの過保護な振る舞いでは、やはり周囲にもそう見えるのだ。
ソフィーは亜里沙を元気付けるように笑顔を見せた。
「この国に伝わる童話をいくつかお持ちしました。何か書かれるかと思って、羊皮紙と羽ペンも」
あちらにテーブルがございますから、と言うソフィーについて、亜里沙と翔は移動した。
「あ……読める」
それは奇妙な感覚だった。文字自体は日本語でもなく、アルファベットに似ている気もするが英語でもない。
だが、脳内でちゃんと日本語に変換されるのだ。
そしてこの物語は、亜里沙が幼い頃から慣れ親しんだ童話の一つとそっくりだった。
「どんな風に見えてるの?」
翔に問われて、羊皮紙を広げる。
ソフィーが獣の角のような物をテーブルに置いた。
下が台座のような形をしていて、角の根元を上にして自立する。ソフィーが根元に取り付けられた蓋を開けた。
黒っぽい液体が入っている。インクだろうか。
棒の先が万年筆のように削られており、どうやらこの先をインクに浸して使うようだ。
亜里沙は慣れない手付きで、童話の最初の文を見たまま書き写した。
「“昔々、あるところに”……って、この文字で書いてあるよ」
「文字の見え方は俺と同じなんだね」
翔が本を覗き込んで言った。
「うん。頭の中で自動翻訳でもされてるみたい」
──ニーズによって。
ニーズが寝ていても問題なく話せたり読めたりするのは本当に助かるとつくづく思う。
「なんか……アルファベットと、ルーン文字が混ざったような形だけど」
知ってる言語のどれとも違う、と翔。
先程からソワソワしていたソフィーが、「あの」と声を上げた。
ふたりが振り向くと、ソフィーの頬がほんのり赤くなる。
「もしよろしければ、カケル様に、私たちの言葉を……私で良ければ、お教え出来ます」
亜里沙と翔を交互に見るソフィー。
「いいね、それ!」
亜里沙は嬉しくなって翔にソフィーの提案を伝える。
「それは……うん、きみの負担にならないなら……お願いします」
亜里沙が翔の言葉をそのまま伝えると、ソフィーは嬉しそうに頷いた。
「負担になるなんて、とんでもない! 私もカケル様と直接お話ししてみたいのです」
亜里沙から伝え聞いた翔は、照れ臭さそうに頷いた。
それから時間が許す間、温室で言葉の勉強が始まった。
流石に翔は覚えが早く、一日の挨拶から、相手の調子を尋ねる言葉、自己紹介の言葉など、簡単なフレーズはすぐに習得した。
「……こん、にちは。俺の……名前は、秋原翔、です。はじ……め、まして?」
「はい! こんにちは、初めまして。私はソフィー・ヴァーロです」
初めて会った時のやり直しのようにこの世界の言葉で挨拶を交わすふたりを、亜里沙は微笑ましく眺める。
文字を書くのは亜里沙でも手間取るが、翔は基本の文字の最初の一語から七文字程度まで書けるようになった。
「おふたりともすごくお上手です!」
亜里沙が何か書いたり、翔が挨拶の言葉を練習する度ソフィーは嬉しそうにはしゃいだ。翔の顔にも笑顔が浮かび、亜里沙も本当に久しぶりに楽しく笑えた時間だった。




