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そして私は、救済の聖女になった。  作者: 五乃ふゆ
第二章

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31/98

その夜

 開いた水門からは思ったよりも勢いよく水が流れ込み、キーランが最初の樽のふちを掴んで傾けた。

 バランスを取るのは難しそうだが、キーランには造作もないことのようだ。樽の中の聖水は一定量ずつ注がれていく。

 聖水を含んだ川の水は堀へと向かい、そして黒い煙を吐き出す巣へと到達した時、不快な音がこだました。

 例えるなら高温で熱されたものに水をかけた時のような音だが、あまりに不快感を覚えるので、もしかしたら堀から這い出せずにいたイドルの悲鳴なのかも知れないと亜里沙は思った。



 そうやってエドワードの指示でキーランが一定間隔ごとに樽の中の聖水を順に注いでいき、この場の誰もがその不快な音に耐えた。


 どのくらいの時間がかかっただろうか。

 グラ以外の馬は落ち着きなくいななき、軽い興奮状態だ。その背に乗った者たちがそれぞれ首筋を撫でたり手綱を引いたりしながら落ち着かせる。

 亜里沙は蒼白な翔の隣に座って、この果てしなく感じる時間が早く終わるよう祈った。



 そうしてやっと、あの音が止んだ。エドワードの指示で騎士が馬を走らせる。


 様子を確かめた騎士は戻って来た。


「水の流れが反対側の水門まで到達しました。ここに戻るまでの間に水位が下がり流れが途絶えたので聖水は問題なく巣に入ったものと思われます。大型のイドルはおらず、全て堀を登れず下に留まっています」


「……よし」


 エドワードは頷き、キーランを振り向く。


「不本意ですが、後は兄上の判断に委ねる事になります」


「行く」


 分かりました、と返事をして、エドワードは亜里沙たちを振り向いた。


「堀の端で待機するように。マクベルド、ふたりから離れるな」



 水門を閉じた後、エドワードとキーラン、エンリクが先に馬を走らせ、騎士が馬車に残った。亜里沙と翔はロナンについて歩く。


 堀のこちら側の端まではすぐに到達できた。

 禍々しい黒の煙はほぼ消えていて、イドルが上げるあの気色の悪い声もこちら側では聞こえない。

 堀の端の方は向こう側と石橋で繋がっており、キーランたちはここを渡って石壁の反対側、堀で囲われた内側の地にいた。


「私たちはここまでです。ここで待ちましょう」


 亜里沙は頷いた。

 恐らく二頭の馬が並んでいるあの辺りが堀の中央なのだろう。


 エンリクと彼の馬の姿は見えないが、エドワードは馬上で、キーランは馬を降りている。


 亜里沙が固唾を飲んで見守っていると、遠く離れた茜色に染まり始めた空中に、強烈なあの光が見えた。

 堀の近くでは空気が唸る音が渦巻いているが、それに混じってあの力が発するスパークのような音が響く。


(また無茶してるんじゃ……)


 亜里沙のハラハラが最高潮に達した時、この距離でもつい目を瞑ってしまう程の強く大きな光が弾けた。




「終わったようですよ」


 ロナンの言葉を聞いて目を開けると、堀から僅かに昇っていた黒い煙は跡形もなく消えている。


 ここからではキーランがどんな状態か分からない。


「ごめん、私行ってくる!」


 言いながら亜里沙は駆け出した。

 後ろから亜里沙を呼ぶロナンの声がしたが、振り返らず走る。



 全速力で走ってその場に膝を付くキーランに近付く。

 エドワードが馬を降りて側に立っている。


「キーラン!」


 キーランが頭を上げてこちらを見た。

 その顔色の悪さに、先程のキーランの姿がよぎって、ただでさえ全力疾走で痛かった胸が更に苦しくなった亜里沙は、駆け寄って側に膝を付いた。


 ほとんど無意識にキーランの顔を挟むように耳に手を当てる亜里沙を、キーランが見つめる。


 亜里沙が自分の行動に気付いた時、キーランは薄く笑みを浮かべた。


「声は聞こえないよ。ありがとう……アリサ」


「あ、そっか……良かった……」


「動けますか、兄上」


「……ああ、大丈夫だ」


 エドワードに支えられてキーランが立ち上がる。

 堀の向こうに居たらしいエンリクが馬で戻って来た。


「ここからあちらの端までの巣は消えています」


 馬で駆け寄りながら言ったエンリクは一度馬を止めた。


「私は先に戻って向こうの端までを確認します」


 エンリクが去って、亜里沙はそっとその場から堀を覗いてみた。

 見える範囲では水などなかったかのように、普通の地面があり、そこには巣の形跡もイドルの残骸も見当たらない。



 キーランが先程のように亜里沙を抱えて馬に乗り、二頭の馬は堀の端まで戻った。


 待機していたエンリクが報告した。


「全て確認出来ました。堀の巣は全て消えております」


 そう言って馬から降りる。


「お見事です、キーラン様」


 キーランに敬意を表するエンリクは心底ホッとしたような顔をしていた。


 キーランは黙ったまま頷き、エドワードは小さくため息を吐いた。




 砦に戻った時、辺りはすっかり暗くなっていた。

 砦内には美味しそうな匂いが漂い、濃い疲労と歓喜が混じった兵士たちから出迎えられる。


 改めて巣が消えた事をエドワードから聞いた兵士たちと食事を準備した農民たちは喜びの声を上げていた。


 亜里沙たちは明日の早朝に城へ帰る事になり、この晩は宿があるという砦近くの集落で明かす事になった。


 食事だけは皆と共に砦で食べる事になり、見張りを除いて集まった兵たちがこんなに多かったのかと圧倒される。


 皆思い思いの場所で食事を摂ったが、亜里沙たちはテーブルと椅子が沢山置かれた食堂のような部屋に、エドワードに招かれる形で同席となった。

 一部の兵士は亜里沙と翔に好ましくない視線を投げかけて来たが、エドワードの近くに座るとその視線が外されたので有り難かった。


 食事の席はとても静かだった。特にエドワードは終始無言だったので、亜里沙はかなり気まずかったし、翔も緊張しているのが分かる程だった。



 食事が終わり、亜里沙たちはエドワードに挨拶をした後集落まで移動した。




 今まで見て来た砦の中で最大のリンネアに比例するように、徒歩で三十分程のこの集落も大きいものだった。

 たどり着いた宿屋では歓迎され、亜里沙はまたしてもひとりで一室を与えられた。


 この歓迎に尻込みしていた亜里沙も、特別に部屋の中で少しベタつく髪や体を洗えるように準備してもらった時には素直にそれを受け入れた。


 肌触りの良いリネンの布で髪をよく拭いたものの、翌朝の心配をした亜里沙は、髪がもう少し乾くまで起きている事にして、とても疲れていたが部屋の外に出た。



 階下の食堂に降りて行くと、そこで何人かの客がいる中で何かを飲んでいるロナンを見つける。


「ロナン」


「おや、アリサさん。まだ起きていらしたんですね」


「うん。何飲んでるの?」


 ロナンの隣に座る。


「エールです」


 確かそれはお酒だ。ロナンは水でも飲んでいるような涼しい顔をしている。

 勧められたが、亜里沙は遠慮した。


「キーランと翔くんは?」


「私が部屋を出る時にはふたりともベッドに入っていましたよ。疲れていたのでしょう、ぐっすり眠っているようでした」


 それを聞いてひとまずホッとする。

 それから少しの間ロナンと他愛のない話をする。談笑とまでは行かないが、張り詰めた気持ちがほぐれるような心地良さがあった。

 本当はこれからの事など色々考えなければならない事があって、それをロナンとも相談すべきだが、疲れていて頭は働いてくれそうにない。



 ほんの少し、ふたりの間に静寂が訪れた時だった。


 不意に、髪に触れられて驚いて振り向く。

 ロナンと目が合うと、ロナン自身も、自分の行動に驚いたような表情を見せた。


「あ……ええと」


 珍しく言葉に迷った様子で、ロナンの手が亜里沙の髪から離れる。


「……風邪を引きますから、よく拭き取ってくださいね」


 そう言ったロナンは、もういつもの落ち着いた様子だった。


「う、うん。分かった」


 亜里沙は後からやって来る強烈な羞恥心に居た堪れなくなり、おやすみを言うと逃げるように部屋へと帰った。

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