辛勝
エドワードは集まって来た兵士たちの顔を見回した。
「手前の巣は閉じた! 当面の問題は目の前のあれだ。
あれが川に踏み入れる時、奴の首と前足に縄をかけて引く! 引き倒しさえすれば恐れる事はない!
ここを越えれば勝利まで目前だ!」
満身創痍のようななりで、兵士たちは声を上げた。
亜里沙はその勢いに気圧されながら、胸の奥から染み出した罪悪感で、兵士たちの顔が見られなかった。
「何も出来ない」と言うエドワードの言葉を思い出す。
エドワードは続けて二、三言指示を出すと、一度砦内に入った。
あの厳つい騎士が駆けつけた所でキーランの体が傾き、騎士は慌ててその体を受け止めた。
亜里沙はエドワードの手を借りて馬から降りる。
ロナンと翔もやって来て、エドワードは顎で亜里沙を指した。
「無傷で連れ帰ったぞ」
「……当然でしょう」
ロナンは一度も聞いた事のないような冷たい声で答えた。
エドワードは眉を顰めたものの、その後はロナンを無視した。
砦内の兵たちが寝泊まりする部屋に騎士がキーランを運び入れる。
「我々はあのデカブツを相手してまいります。キーラン様をよろしく頼みます」
一礼して、騎士は急いで出て行った。
ロナンがキーランのマントを外し、衣服を緩め始める。
「アリサさんは水を汲んで来てください。カケルくんが場所を知っています」
亜里沙は頷いて翔と部屋を出る。
翔はずっと暗い顔で、だがキーランが心配な亜里沙にはそれを気遣う余裕がなかった。
翔が教えてくれた場所を走り回り、桶や清潔な布を集め、水を汲む。
しばらくして、まだ呼吸が少し荒いキーランが意識を取り戻した。
「アリサ……」
開口一番亜里沙を呼ぶキーランを安心させるように亜里沙は手を取った。
「ここにいるよ。ちゃんと戻って来たから大丈夫。あの大きいイドルも、今エドワード様と兵士たちが倒そうとしてるから」
キーランは目線を動かして亜里沙を見た。
「……無事で、良かった……」
亜里沙の胸がまた痛んだ。
「どうして……私なら大丈夫だよ……」
泣きそうな亜里沙に対してキーランは微笑みを浮かべる。
キーランの優しい眼差しを受けて、亜里沙はつい、疑問が口からこぼれてしまった。
「……どうして、そんなに私を守ろうとしてくれるの?」
キーランがじっと亜里沙を見る。
「……アリサは、あの声から、僕を守ってくれた」
「声って……さっき言ってた?」
声の事を聞いてみたかったが、今はその時ではないだろう。
亜里沙の言葉に、キーランはわずかに頷いた。
「だから、僕はアリサを守ってあげたい」
「何それ……」
亜里沙は少し可笑しくて笑った。
「それ、順番がおかしいじゃない。キーランはその前から守ろうとしてくれてたでしょ」
キーランは亜里沙を見て、そうか、と微笑んだ。
「……エンフルバルトで出会った時から、そうしてあげたかった」
それでは何の答えにもなっていない。
だけど、これ以上疑問に思うのは何だか可笑しく思えた亜里沙はただ、「ありがとう」と返した。
それから程なくしてキーランは眠った。
だいぶ落ち着いた寝息が聞こえてきて、ホッと息を吐いた亜里沙は部屋の中を見回した。
ここには負傷兵が数人居て、ロナンと翔が手当をしていた。
ロナンは、以前取引で南の国から独自に手に入れていたという聖水を、治療に使っているらしかった。
なぜイドルからの傷が癒え始めるのか疑問を口にした兵士に、ロナンがそう説明していた。
兵士が萎縮すると、ロナンは苦笑で答える。
「巣を消せる程の量ではありませんし、重症の方にはあまり効かないので、そんなに気に病まないでください」
ふたりはこうして、亜里沙が砦を出てから手当をしていたようだ。時折ロナンが様子を見るだけで、翔はひとりで黙々と手当を行った。
何事も器用にこなす翔の手元がぎこちないのは、言葉が通じない中で見様見真似で覚えた事だからだろうか。
翔を手伝おうとした亜里沙だが、思いの外強い力でキーランに手を握られていて、振り切るのが心苦しかった亜里沙はそのままキーランの側についていた。
ある程度の治療が終わった頃、とんでもない轟音が砦の中にまで響いてきた。
その音で目を覚ましたキーランが、驚く亜里沙の手を引く。
「あっ、起きちゃった? 今の音ってもしかして……」
「……多分あいつが倒れたんだ」
キーランはゆっくりと起き上がった。
「キーラン! ダメだよ!」
「もう治った」
いつか見たような光景だ。キーランは亜里沙に微笑んで、立ち上がる。
「……キーラン、あまり無茶をしないでください」
そう言いつつ、ロナンは止める様子でもない。
うん、と言ってキーランは剣を手に取った。
キーランについて亜里沙も外に出た。
その後にロナンと翔も続く。
あの巨大なイドルは、川を跨るように倒れていた。
首とイドルの右前足から何本も縄が伸び、大勢の兵士がまるで綱引きのようにそれを引いていた。縄はイドルに触れている所から徐々に腐食が進んでいるのが見て分かる。
それでも倒す事が出来たその巨体は足は川の中、そして首は川を渡って、頭がこちら側に倒れている。
「頭を狙え!」
厳つい騎士の号令で、兵士たちがイドルの頭に武器を突き刺した。
鼓膜が破れそうな咆哮が轟いて何人かの兵士が怯む。イドルはがむしゃらに頭を振って四肢をばたつかせた。
縄が何本か引きちぎれ、何人かの兵士がイドルの顔に当たって弾き飛ばされた。
亜里沙が声を上げるより早く、隣にいたキーランの姿が消えた。
かと思うと次の瞬間にはザッと大きく地が擦れる音がして、キーランはイドルの頭と首の境に踏み出していた。その勢いのまま上方から斜めに斬り下ろす。
その一撃で、イドルの頭が首から断たれ、直後に例の光が断面から身体中に伝わるように散った。
叫びにもならない奇妙な音が響いた後、静寂が訪れた。
「……大きすぎる」
場にそぐわないキーランの呟きで、止まっていた時が動き出した。
イドルの頭と、首から上半身にかけてあっという間に崩れていき、下半身は黒い煙を立ち上げながら徐々に黒くなって崩れ始めた。
「お、おお……! 倒した……倒したぞ!」
「さすがキーラン様! 我らの英雄だ!」
兵士たちから歓声が上がる。
ロナンが翔の肩を軽く叩いて、今弾き飛ばされた負傷兵を運び始めた。それを見た亜里沙は、キーランの様子をその場から確認する。
心配したが、どうやらもういつもの調子に戻っているように見える。
先ほど弾かれた負傷兵は頭から血を流していたり意識の無い人もいる。
負傷兵が優先だと判断して翔を手伝おうとした時、亜里沙はキーランに呼び止められた。
振り向くと、キーランの肩越しにこちらを見るエドワードと目が合う。その眼差しはどこか、亜里沙を咎めているようだった。




