声
エドワードの後ろについて、遅れないように小走りになる。
砦内の厩舎から兵士が出してくれた馬の背にエドワードは軽々跳び乗った。そして無言で亜里沙を見下ろす。後ろに乗れという事だろう。
しかしこの艶やかな黒毛の、一目で特別だと分かる馬、今まで見た馬よりもかなり大きい。
もちろん大きいとは言え腕を伸ばせば背中に届くが、亜里沙の腕力ではとてもそこから体を引き上げられる程に力を入れられそうもない。
「台を使え」
エドワードの言葉で馬を出した兵士が即座に踏み台を用意してくれる。
亜里沙は台に乗って何とか両腕で這い上がった。途中エドワードが腕を掴んで支えてくれたので、かなり不恰好ながら跨る事が出来た。
エドワードは早速馬を走らせる。
砦を出ると、先程見た時より川のこちら側のイドルの数は減り、取り残された負傷兵たちも抱えられて砦に向かうところだった。
前方で稲光が見え、それを見たエドワードが「あの馬鹿」と呟く。
「殿下! キーラン様が……」
駆け寄って来た騎士の手前で馬を止める。
「分かってる。それよりも縄は?」
「問題ありません」
「あれが来る前には戻るつもりだが、焦って前に出るなよ」
エドワードが顎で示した先に、堀から這い上がって緩慢な動きでこちらに向かう巨大なイドルがいた。
この距離で、もう圧倒される。ドロドロに腐ったようなその巨体を改めて見ると、昔図鑑で見た首の長い草食の恐竜のようだと亜里沙は思った。こちらは小さく不恰好な翼を持っているし、首の長さはあれより短いが。
そして頭の大きさなら初めて見たあのイドルに近いが、それ以外が桁違いに大きい。
「やはり、行かれるのですか」
不安そうな騎士に頷くと、エドワードは周囲の兵を見渡し、声を張り上げた。
「やつの動きは遅い、臆さず対処しろ。
……この戦い、僕が必ず勝利に導いてみせる!」
だからもう少し耐えてくれ、とエドワードの言葉が終わると、暗く澱んだように感じた空気が変わった。
兵たちは口々に声を上げ、炎の熱とは違う熱気が亜里沙の肌を突き刺す。
エドワードが向かったのは、川が一番狭くなった箇所。そこに三分の一程かかってその先を失った木造の橋の残骸だった。
この先の展開が分かって亜里沙が驚いた時には、馬は既に跳躍していた。
橋が切れた所から、3、いや、4mはあったかと思う川を、馬は特に助走した訳でも勢いよく走っていた訳でもないのに気軽な動作で跳んだ。
亜里沙は奇妙な浮遊感に襲われた挙げ句、陸地の少し手前に着地したせいで思い切り水飛沫をかぶる。
「んぶっ」
可愛くない悲鳴が出て、エドワードの冷たい声が追い討ちをかけた。
「おい、騒いでないで集中しろ。巣が近いぞ」
亜里沙は言われた通り前方に注意を向けた。
巨大なイドルがこちらに向かう、その進行方向にイドルの巣があり、その側に立つキーランの姿が見える。
キーランは巣から出て来るイドルを素早い一撃で薙ぎ払いながら、その合間に巣に向かって手を伸ばす。
イドルを斬る時も、巣に手を伸ばす今も、キーランを取り巻くように鮮烈な青白い光が宙を走り抜ける。
エドワードは馬を駆った。
砦から見た時は弱々しかった炎が今はすっかり消えており、キーランの光を受けてまるで蠢くように巣が震える。
「兄上、あれ、見えてますよね? 一度戻ってください!」
「……まだ、ここまでは届かない。もし間に合わなくても、僕なら大丈夫だ」
嘘だ。亜里沙はキーランの声を聞いて青ざめた。
キーランの声はとても苦しげで、呼吸が荒い。
「キーラン!」
亜里沙が声を上げると、キーランがハッと振り向く。
「アリサ……」
足元に這い出て来た人型のイドルの背を鋭く突き刺すと同時に手首を捻る。瞬時に青白い光が溢れてイドルが崩れるとキーランは剣を振って汚れを払った。
「エドワード……なぜ彼女を連れて来た」
「こうでもしないと言う事を聞いてくれないからです」
「お願い、キーラン、一緒に戻ろう」
巨大なイドルがこちらを見据えている。
一歩一歩は非常に遅いものの、踏みしめる地響きが初めて見たあのイドルの比じゃない。
尋常ではない振動に、段々バランス感覚がなくなっていくようだ。
キーランの両肩は大きく上下し、顔から血の気が失せている。
「……お願い」
体が勝手に震えて、口から出た言葉も震えた。
キーランは亜里沙の顔を見て、そして目を逸らした。
「……分かった。この巣だけ片付けるからもう少し待ってくれ」
そう言いながら巣を振り向いたキーランは再び手をかざす。そしてこれまでで一番激しい光が迸った。
電気が弾けるような凄まじい音がして、巣が大きく震える。
そして一瞬の静寂の後、少しずつ巣が縮まり始めた。
「うっ……」
キーランが突然唸った。
左手でこめかみの辺りを押さえ、よろめいて片膝を付く。
「キーラン!!」
亜里沙はエドワードが止めるより早く馬を飛び降りていた。
体勢が崩れてほとんど落ちる形だったが、腰を打ち付けても構わずキーランに走り寄る。
「あ……、ああっ……!」
苦しそうに声を上げるキーランにエドワードも言葉を失う。
「キーラン! どうしたの、どこか痛いの!?」
「……声……が……っ、する……っ」
「声?」
亜里沙には何も聞こえない。咄嗟に見上げたエドワードも表情を見る限り亜里沙と同じだ。
しかしキーランは苦しんだ。
苦痛に満ちた悲鳴を上げ、とうとう剣を取り落とす。
両手で庇うように頭を抱えて蹲るキーランを見て、亜里沙は咄嗟に手を伸ばした。
キーランの両耳に手を当てて、自分の胸に庇うように抱きしめる。
「大丈夫……大丈夫だよ……私がこうしてるから……」
キーランに呼びかけながら内心パニック状態でニーズに何度も呼びかける。
しかしニーズの気配がする事はなく、亜里沙の目に涙が滲んだ。
すると、ふいにキーランの悲鳴が止んだ。
まだ呼吸は荒く、呻き声を上げているが、その合間に自分の名前を呼ぶ声が混じっているのを聞いて、亜里沙はほんの少し安心した。
エドワードが馬から降り、素早く剣を抜いて亜里沙の側に立つ。
ドスッと激しい音がして亜里沙が振り返ると、這い出ようとしていた鰐のようなドラゴン型イドルがエドワードの剣の下でのたうった。
剣を抜き、足で蹴って巣の穴に落とす。
イドルは溶けるようにドロドロの中に消え、巣の入り口はどんどん狭まった。
「しっかりしろ、キーラン! このままここに居たらアリサが巻き込まれるぞ!」
苦しそうに呻きながら、キーランは顔を上げた。
亜里沙と目を合わせて薄く口を開く。
「……帰ろう……アリサ……」
「……うん」
亜里沙とエドワードに支えられて立ったキーランは、それでも亜里沙より華麗に馬に乗った。
「……アリサ」
かすかに震える手が差し伸べられる。
その手を取ると、「失礼する」と声をかけられ、亜里沙はエドワードに後ろから抱えられた。
驚いている間に亜里沙は馬に横座りする形でキーランの腕の中に納まる。
エドワードがキーランの後ろに跳び乗り、キーランは亜里沙を抱きしめるように手綱を握った。
ここへ来る時とは比べ物にならない速さで馬は走った。巨体に似合わないスピードに亜里沙は息が詰まりそうだ。
来る時の川も、水飛沫が上がるどころか橋の残骸も飛び越えて陸地に着地する。キーランにしっかり抱きかかえられているとは言え、その反動に軽い吐き気を覚える。
もう、こちら側にイドルの姿は無いようだった。




