暴かれたもの
亜里沙は息が詰まるほど驚愕して、アイスナーから視線を動かせない。
エンリクとヒューゴがアイスナーの生死を確かめている。
少しして、顔を歪めて立ち上がったヒューゴが小さくため息を吐くのが見えた。
アイスナーのそばに屈んだままエンリクがエドワードを見ると、エドワードの静かな声が言った。
「王太子を呼べ」
エンリクの顔が曇る。だがその指示には黙って従った。
「エドワード様!」
亜里沙が強い不安から呼びかけてもエドワードは振り向いてはくれなかった。
誰も聖堂内から出られず、亜里沙は再び長椅子に座って待った。
亜里沙のそばには翔とふたりの騎士がいる。
エドワードは通路の向こうの長椅子に数人の騎士に囲まれ座っていて、隙間から時々横顔が見えるだけだ。
他の騎士たちが監視するように周囲に立つ中、大司祭と司祭たちはパニックに陥りそうな人々を宥めている。
アイスナーの体には布がかけられて、その端から髪や指先が見えた亜里沙は目を背けた。
「どうして……」
項垂れる亜里沙を気遣う翔の視線を感じる。
『あの男、かすかだが妙な感じがした。離れていたから詳しくは分からなかったが』
(今近づけば分かる?)
『いや……あの男が死んで途絶えた。もう確かめられない』
アイスナーが叫んだことが頭を巡る。
エドワードがキーランを襲わせるわけがない。
殺人については、エドワードは命じない、とまでは思わない。こんな世界だし、政治的な判断でやむを得ない場合もあるかもしれない。
だがエドワードはエストランが死んだ知らせを聞いた時、確かに驚いていた。
だからアイスナーに命じたはずがない。
何故こうなったのかは分からないが、これがまずいのは理解できる。
この聖堂内には少なくない人数の市民や貴族がいて、アイスナーの言葉を聞いていた。
殺人の命令も心象的にまずそうだが、何よりまずいのはアストラムの血を引くキーランを襲わせた、という内容の方だろう。
「だから殺すべきだと言ったんですよ」
独り言のように呟かれた言葉で顔を上げる。
「ヒューゴ、やめろ」
イザベラが眉を顰める。亜里沙は構わずヒューゴの言葉に食いついた。
「何それ? ヒューゴは何か知ってたの?」
「いいえ? ただあの状態から、薬でも盛られたのは明白です。誰が奴を解放し銃を与えたのかは判然としないが、何故ここに来たのかは少し考えれば分かることですよ」
「……エドワード様を陥れようとした誰かがいる?」
翔の言葉をヒューゴが肯定する。
「ええ。そして奴を拘束し見張っていた騎士の中に裏切り者がいるということです」
「拘束されて……なんか似てるな、あの時と」
翔が考えながらそう口にすると、ヒューゴが小さく鼻で笑った。
「私も何故か、シーラ砦で自分を撃ったエイルセン伯爵を思い出しましたよ」
ヒューゴは再び、通路の向こうを見やった。
「何にしろこの状況では、殿下はしばらく身動きが取れないでしょうねえ」
「な、何とかならない?」
「さあ。私は一介の騎士に過ぎませんので」
気怠げに答えるヒューゴに、疑いが募っていく亜里沙はつい、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「何でヒューゴはエドワード様に忠誠を誓おうと思ったの?」
「……今それを聞きます? 騎士は皆、王族の方々に従います。何よりも国王陛下に忠誠を誓うんですよ」
「それは建前だろ」
翔の呟きをヒューゴは無視したが、イザベラが見逃さなかった。
「アリサ様が不審に思われたのはお前の言動のせいだ。殿下に害を成す気がないのなら答えて差し上げろ」
イザベラが低く唸るように言うと、ヒューゴは少しの間の後、静かに言った。
「初めてお目にかかった時、幼くして死んだ弟を思い出しましてね」
一時静寂が訪れて、そして亜里沙は目を丸くした。
「……それだけ?」
意外な答えでつい聞き返したが、失礼な質問だったようだ。
「それだけではいけませんかね」
ヒューゴが眉根を寄せた顔に嫌味がなく、ハッとした亜里沙は慌てて首を横に振った。
ヒューゴは気乗りしない様子で続ける。
「事あるごとに、ご自身を陛下や王太子殿下と比べては未熟さを嘆いておいでだが、それでも私はあの方がいいんですよ」
「おい、余計なことを言うな」
イザベラが苦言を呈するが、亜里沙は最後の言葉を聞けて良かったと思った。
ヒューゴが裏切る心配は消えたと思えたのだ。
しばらくして再び大聖堂の扉が開き、イバンと数人の騎士、兵士たちを従えたパーシヴァルがやって来た。
パーシヴァルの姿を見て人々が緊張したように口を閉ざす。
大聖堂に重たい静寂が訪れて、亜里沙の不安が一層濃くなった。
エドワードとパーシヴァルは長く言葉を交わしたが、やはり亜里沙には聞き取れない。
ただ最後に「連れて行け」と言ったパーシヴァルの言葉は妙に耳に響いた。
駆け寄りたいのを堪えて食い入るようにエドワードを見る。
騎士と兵たちに囲まれたエドワードは亜里沙を一度振り向いて、何かを言った。
やはり聞こえなかったが、亜里沙には何の言葉だったのか分かった。
「大丈夫だ」
それは、こんな時でも亜里沙を安心させようとしたものだった。
やって来た騎士と兵が聖堂内部にいた人々の元へ向かった。
亜里沙はじわっと目に滲んだものを、手の甲で強くこすって唇を噛みしめた。
パーシヴァルはアイスナーの遺体を確認した後、司祭が持ってきた記録に無言で目を通している。
やがて記録から目を上げると大司祭と言葉を交わす。
エドワードとの会話ほど長くはなかったが、大司祭が時々頷きながらその顔を曇らせているのが気にかかった。
そしてパーシヴァルが、イバンと大司祭を従えて亜里沙のそばまでやって来た。
「アリサ、私と一緒にもう一度その部屋まで降りて欲しい」
本当ならエドワードのことを聞きたかった。
だが今聞いても、パーシヴァルは答えてくれないだろう。
「……分かりました」
立ち上がった時、軽い目眩に襲われてわずかに体がふらついた。
「体調が優れないようだが、休まなくていいかい?」
亜里沙を気遣うような優しい声色。
だがやはりパーシヴァルの無表情はどこか冷たい。とても休むと言える雰囲気ではない。
それに、キーランの安否と王都の安全がかかっている。
帰るまでにそう時間の余裕もない。エドワードが身動きが取れない以上、その分亜里沙ができることをしなければ。
「大丈夫です」
「そうか、では行こう。カケルはヒューゴとここで待つように」
心配そうな翔に大丈夫、と囁いて、亜里沙はパーシヴァルについて移動した。
地下へ降りる間際イバンが、鉄の塊がついた武器をどこからか持ってきた。どう見ても殴打用の武器だ。
それを見た大司祭は顔を曇らせたが、何も言わない。
再び大司祭を先頭に、今度は司祭たちが付き従った。
イバンとイザベラの他にも数人の騎士、そして兵たちまでついてくるようだ。
騎士と兵に挟まれて、亜里沙はパーシヴァルに少し遅れて歩いた。
黙々と歩いて再びあの部屋へとやって来た。
『やはり、ここだ。穢れはこの先だ』
ニーズがそう言うので、もう間違いないだろう。
空間もなく、地表にも変わったところのないその地中に、何故か穢れが発生している。
(周りが穢れているから影響された、とかじゃないんでしょ?)
『ああ。範囲は広いが誘発されたものではない。理由は分からないが、そこが発生源だ』
「アリサ、本当にこの先で間違いないかい?」
問いかけるパーシヴァルに頷いてみせる。
するとパーシヴァルは問題の壁に歩み寄り、少しの間隙間から触ったり拳で軽く叩いたりして観察した。
パーシヴァルが振り返ると、その視線を受けてイバンが大司祭に確認を取っている。
「ええ……ですが、本当に危険はないのでしょうか」
心配する大司祭にパーシヴァルが頷く。
「私の予想は当たっているはずだから安心して欲しい、ユベール大司祭」
その柔和な顔に痛ましい表情を浮かべた大司祭は静かに頷いて、司祭、騎士、兵たちが動いた。
壁の周囲の装飾や、遺体が安置された棺をどんどん通路の先へと運び出していく。
本棚は邪魔にならない場所に位置をずらされた。
パーシヴァルは亜里沙を促して通路の奥に下がらせ、その前に立った。
大司祭とイバンも近くにやって来る。
「あの、もしかして壊すんですか?」
見ていれば分かったが、それでも信じられない。
浸水とか、崩落とか、地盤沈下だとか。それに、そのせいで穢れが広まったりでもしたら。
「何を案じているのか分かるが、心配ない。問題は穢れだが、あれは、広がる時には何もしなくても広がるものだ」
パーシヴァルは、そう亜里沙に微笑んだ。そこまで言われては黙るしかない。
中を見ると、いつの間にかあの武器を渡されたイザベラが壁の前にひとり立っていた。
最後に確認するように大司祭を振り向いたイザベラの顔も、ほんの少し強張っている。
大きな破壊音と共に、イザベラによって壁が崩されていく。
いくらイザベラが力が強いとは言え、まさかあんな武器であの頑丈そうな壁を壊せるとは。
破片が飛び散って、パーシヴァルの腕が更に亜里沙を下がらせる。
そして、静けさが帰ってきた。
「殿下、ご覧ください」
そこに近づいたパーシヴァルが、壁の亀裂に手をやって指を滑らせた。
「……やはり、この先にフロースが埋まっているな。かなりの量だ」
パーシヴァルに続いて壁に近づいた大司祭が驚いた声を上げる。
「何と……ですがこの上は広場です。周辺にも何も……それに、フロースがあるのに穢れもこの先に?」
「そう、フロースの結晶がある場所にはイドルの巣はできないと言われていたし、都市周辺にフロースが生成されたこともない。穢れはともかく、フロースが奇妙な伸び方でもしていない限り、地中に生成されたことになるな」
亜里沙も恐る恐る近づいて壁を見る。
遠征中にフェイバールの洞窟で見た硬く変質した地層が、亀裂から覗いていた。確かにこれなら、壁が崩されてもすぐにどうこうはならないだろう。
「四年前、改修が入る前にはなかったんだろう?」
「はい、その通りです」
「その時の亀裂についても、前兆となる現象も一切なく、原因が分からない」
「ええ……まさしくその通りです」
大司祭が不安げに答える。
亜里沙の隣で、パーシヴァルが再び変質した壁に目をやる。その時呟いた言葉が、聞こえてしまった。
「溜め込んだものを保管する場所をわざわざ地下に作った……か。だが何故それを隠す?」
思わずパーシヴァルを見上げるが、パーシヴァルは亜里沙に目を向けなかった。
「これ以上こちらからはどうにもできない。上に戻ろう。……大司祭、先人たちの安息の場を荒らしてすまなかった」
「いいえ。民の安全のためには仕方のないことです」
(空間が、あるかもしれない……? でも確かにこれじゃ、どうにも……)
司祭と数人の騎士、兵たちを残して来た道を引き返す。
亜里沙は円形の部屋に入った時、一歩前を歩くパーシヴァルに声をかけた。
「あの……さっきの、どういう意味ですか?」
ここまで散々思い悩んだ末に、そう問いかける。
パーシヴァルが目をやると、察した大司祭と数人の騎士は、イザベラとイバンを残して先に進んだ。
亜里沙は声を落として続けた。
「記録には何が書いてあったんですか?」
パーシヴァルは亜里沙を振り向いてじっと見た。
そして眉一つ動かさず答える。
「特に何も。何の変哲もない修繕の記録だ。ただ積極的に寄進して工事に口出しをした者が分かっただけだ」
「そ、それは誰……」
「金貸しだよ。名を教えてもきみは知らないだろう」
亜里沙がほっとした時、パーシヴァルは言葉を足した。
「だがそれはロナン・マクベルドが身元を隠すときに使う名だ」
そう言ったパーシヴァルの声は、心なしか冷たさを増したものだった。
「私にも隠していることがあるのは知っていた。ある程度は目を瞑ってやれるが……限度はある」
亜里沙にだけ聞こえるような低い声だった。
そこに含まれる怒りに似た鋭い響きに言葉を失う。
何も言えずただパーシヴァルを見上げる。
観察するように亜里沙を見ていたパーシヴァルは、ふと微笑んだ。
「きみも何も知らなかったようだね。この件は私が引き継いで調べるよ」
行こうか、と促されて思わず肩が揺れる。
「そう身構えなくていい。アリサを咎めたりしないから安心しなさい」
パーシヴァルの微笑みは確かに優しい。だが亜里沙は安心などできなかった。
重い足取りでパーシヴァルを追う。
何故かまた、昨夜聞こえたノイズのような耳障りな音が、再び纏わりついてくるようだった。
亜里沙が意識を失ったのは、段々大きくなるノイズを追い払えないまま地上に戻った直後だった。
ひどい目眩がして、一足先に階段を上がった場所で亜里沙を待っていたパーシヴァルに、頭から突っ込むように体が傾いた。
後ろにいたイザベラの腕が胴に回されパーシヴァルの手が肩を支えてくれたのが分かったが、間に合わなかった。部分的に金属の、パーシヴァルの鎧にわずかに打ちつけた額が思うより痛い。
そんなことを思いながら、亜里沙の意識は途切れた。
ここまで読んでいただきありがとうございます
次話から最終章に入ります。
最終章なので、ダーク要素がかなり強まります。ご注意ください。
それでもお付き合いいただけましたら幸いです……!




