大聖堂
初めて入った大聖堂は城の聖堂より何倍も大きかった。
やたらと高い天井を支える冷たい石の柱が何本も奥へと続き、真ん中の通路の両側には長椅子がずらりと並んでいる。
左右にも空間が続いているが、目の前の通路の奥には物々しい祭壇が見えた。
そしてあまり似ていない女神と、アストラムたちを模ったと思われる大きな彫刻、その背後に大きく美しいステンドグラスがあり、遠くに立つ亜里沙をこの距離から圧倒してくる。
灯された明かりが妙に仄暗く陰鬱で、亜里沙は少し気分が悪くなった。
寄ってきた司祭は聖国の司祭と同じ衣装だが、顔つきが全く違う。穏やかで優しく、微笑みを浮かべて亜里沙たちを中へと促す。
一般の民の姿は入り口付近に数人しかなく、イザベラとヒューゴの威圧感であまりこちらを見てもこないので、それだけでもほっとする。
奥の長椅子には貴族の装いの女性と従者が何組か、ばらけて座っていた。
わずかとは言え濡れたマントを取るべきだろうが、まだ少し不安だ。
亜里沙が躊躇うと、司祭は優しく微笑んだ。
「どうぞ、そのままで構いません。ただお体を冷やさないようお気をつけください」
亜里沙と翔は司祭に感謝を述べてそのまま聖堂内に踏み入れた。
祭壇の付近にエンリクのような騎士と、数人の騎士、フードをかぶった少し特別な騎士がいる。
磨かれた石の床に水滴が落ちないか怖々歩きながら近づくと、エンリクのような騎士はエンリクで、特別な騎士はエドワードだった。
振り向いて亜里沙を見たエドワードは目を見開いた。
「もう来たのか。……体調は?」
亜里沙の顔を見て、エドワードが眉根を寄せる。
「大丈夫です」
「朝食は食べてきたか?」
「はい」
亜里沙の嘘を知る三人は口を閉ざしてくれたが、エドワードは心配そうに亜里沙を見つめた。
「もうここに来たのだから見ていくといいが、無理をしないでくれ」
亜里沙はエドワードを安心させるために微笑んで頷いた。ただ口角がちゃんと上がっていたか自信はない。
エドワードこそ大丈夫なのかと視線が逸れた隙に盗み見るが、少なくとも亜里沙よりは平常心を保てているようだ。
ルチアが着ているものに近い厳かなローブを纏った初老の男性がやって来て、亜里沙と翔に向かって丁寧に会釈した。
目も髪も髭も灰色で、神々しい雰囲気をまとい、慈愛に満ちたような顔だ。ルチアには悪いが、この人が聖王と言われたら疑わないだろう。
「ユベール大司祭だ」
エドワードが言うと大司祭は微笑んだ。
「初めてお目にかかります、アリサ様、カケル様。ユベールと申します」
大聖堂に来ることになった時、翔から簡単に聞いていた。
聖国を除く各国には大司祭と呼ばれる人がひとりいて、その国の司祭をはじめとする聖職者たちのトップに立つ。
大司祭は簡単に会える相手ではないが、来訪者であれば何を差し置いても会ってくれるらしかった。
ただ来訪者の扱いについては厳しい決まりがあるので、聖職者たちは自分から挨拶に来たりはしないそうだ。
だから亜里沙が初めて会った聖職者は聖王であるルチアや冷たい司祭たちだった。この話を聞いた時、先にまともな聖職者と会っておけば良かったと少し後悔した。
「降りてみるか?」
亜里沙の体調を気遣いながら、エドワードが優しい声で尋ねる。
『穢れの位置が近くなったと思う。無理をするなよアリサ』
亜里沙は翔が頷くのを確認して、エドワードに返事をした。
「はい。降ります」
大きな女神たちの像の左右には聖職者の像が立ち、その奥のスペースに、地下へ降りる螺旋階段がそれぞれ続いていた。
墓所を汚さないために、螺旋階段の手前で全員がマントを脱いだ。司祭がそれを預かってくれる。
大司祭が先頭に立ち、左の螺旋階段に踏み入れる。続いてエンリク、エドワード。
エドワードに一歩遅れて亜里沙、翔と続いて後ろをイザベラとヒューゴが守る。
目が回り始めるほど降りていくと暗さと陰鬱さが増した。
降り立った先の空間は既に明かりが灯されており、上の大聖堂内部とは違って天井が低めだからか、幻想的な色合いが照らしている。
ここが墓地でなければ、この優しい灯りで居心地が良いと感じたかもしれない。
この空間は横長に広く、もう一方の螺旋階段とも繋がっている。すぐ横の壁には壁画のようなものが見えたが、正面には石壁をくり抜いた横長の穴が規則正しく並んでおり、勘違いでなければその穴に安置されているのは棺だ。
背筋にぞわっとした感覚が走り、思わずエドワードとの距離を詰める。
「この先は入り組んでいて広いです。先に進みますか?」
大司祭が亜里沙と翔を振り向く。
『確実に近づいているがまだ特定できるほどではない』
「もう少し、奥に行ってみたいです」
「分かりました。では案内いたしましょう」
大司祭について、空間から伸びる三つの通路のうち真ん中に入る。両脇に穴と棺が並んで、その静かな歓迎が想像以上に怖い。
かすかに空気が流れているのを感じるがどこかに通気口が作られているのだろうか。
しばらく迷路のような道が続いた。
最初に通路が交差する場所を曲がって、次に交差したところで、亜里沙はここで迷えると確信した。
「少し驚かれるかもしれません」
大司祭がやんわりとそんなことを言ってきた。
穏やかな物言いだったため全く身構えていなかった亜里沙は、円形になったスペースに出た時、度肝を抜かれた。
「ひっ……!」
思わず小さく悲鳴を上げ、エドワードの背に半分身を隠す。
「……綺麗なミイラだね」
翔が呟くが、その感想には同意できない。
この円形の部屋には、真ん中に立派な棺に安置されたミイラがあった。格好から過去の大司祭だろう。だが何故見えるようにしてあるのか。
その奥の壁がくり抜かれて綺麗に装飾され、まるで彫像のように立っているのもミイラだ。これは司祭のようだが、どうやって立っているのだろう。そして何故見せているのだ。
エドワードが亜里沙を気遣うように視線を向けてきて、自分ひとりだけ驚いた亜里沙は情けなくなった。
「このような部屋がまだ奥にもあります。私では感知できませんが、その穢れは先人の眠りを妨げるものでしょうか?」
『近い。もう少し進んでくれ』
「あ、あの……こっちの方角に進みたいです」
亜里沙はニーズが示している方を指し、大司祭は頷いて左の通路に入った。
「大丈夫か?」
エドワードが小声で聞いてくる。亜里沙は何とか、こくこくと首を振った。
『アリサ、この奥から穢れを感じる』
曖昧に方角を示しながら、ミイラと棺の間を何度も通り過ぎて亜里沙がほんの少し慣れた頃、ニーズが言った。
亜里沙も翔もそこを見たが。
「……行き止まり?」
大司祭を振り向くと、ええ、と頷く。
「この通路はここで行き止まりです」
そこは小さな四角い部屋で、安置されているミイラは聖職者ではなかったようだ。
この部屋は他と比べて少し変わっていて、棺の奥には本棚と絵画が壁を覆い隠すように飾られている。
「近づいてもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
翔と共に壁の方に寄ってみるが、一見しただけでは何も分からない。
「この壁の奥に空間があるんですか?」
翔が大司祭に尋ねる。
「いいえ、ここが墓所の端となりますので、空間はないはずです」
(空間がない……? じゃあどうしてその奥なの? キーランがいるのかと思ったのに……)
ニーズが考え込んで小さく唸る。
「その先なのか?」
そばに来たエドワードに頷くと、エドワードは装飾された壁をじっと見た。
「この上にあるのは……広場だな。特に異変は見られなかったが。この壁はいつ直された?」
「補修が入ったのは四年前です、殿下。大きな亀裂が入り、直していただきました。以前よりも随分と頑丈にしていただいたのです」
「じゃあ補修というより改修なのかな。だから新しく感じるのか……」
翔が眉を寄せて壁を見ている。エドワードも翔の言葉に頷いて再び壁に目を向ける。
確かに、よく見てみれば本棚や絵画の隙間から見える壁は新しいもののようで、とても頑丈そうだ。
「その件の詳細を知りたい。記録を見せてくれ」
「もちろんです。では一度戻りましょう」
「アリサ、一度戻ってもいいか?」
「はい、大丈夫です」
「それから、ユベール大司祭」
エドワードは言いにくいことなのか、声を落とした。
「軍を送るから、この周辺にある遺体は全て場所を移すか、燃やして欲しい」
「ああ……仕方ないでしょうね。そのようにいたします」
大聖堂内部に戻って再びマントを身につけ、話を聞いた司祭が記録を探すのを待つ。
亜里沙と翔は祭壇近くの長椅子に並んで座り、エドワードはエンリクと話し込んでいる。
心なしかそばに立ったヒューゴがその会話に聞き耳を立てているようで、亜里沙は少し呆れてしまった。
大聖堂を訪れる人は先ほどと比べてかなり増えていて、だがやはり騎士たちのお陰か、こちらに寄ってくる者はいなかった。
その時、入り口付近から複数の悲鳴が上がった。
その悲鳴を聞いた全員が振り返った先に、薄暗くてよく見えないが細身の男が立っている。
何やらぶつぶつと不気味な声を上げながら、覚束ない足取りでこちらへ向かってくる。
市民も貴族も悲鳴を上げながらその男から距離を取るものの、外に逃げ出す者より残る者が多い。
亜里沙が目を凝らして見ようとすると、エドワードが亜里沙を立たせて背後に隠した。
ヒューゴに促された翔が亜里沙の隣に移動し、騎士たちがエドワードの前に出る。
「何事ですか」
大司祭が驚いて亜里沙と翔のそばにやって来る。
「で……、で、で殿下……第二、王子……」
「……アイスナーか?」
エドワードの訝しげな言葉に亜里沙は驚いて、エドワードの背後、騎士たちの隙間からその男を見た。
霞がかかるような記憶の中に、確かにあんな姿をした男がいる。
「何故ここにいる? 誰が外に出した」
「あ、あ……あなたが、私に、あ、あ、あんなことを、させて……え、エストランが、み、見てしまったから」
エドワードの表情は見えないが、後ろを見やったヒューゴの冷たい顔が目に入った。
「殺しますか?」
「何を言っている、駄目だ」
「殿下、アイスナーは銃を持っています」
エンリクの声の緊張が伝染するように、場の空気が張り詰める。
それを聞いたエドワードは、更に亜里沙を後ろに追いやるように庇った。
『……あの男、何か妙な感じが……』
ニーズの呟きでぞっとしたものを感じた亜里沙は、焦ってエドワードの袖を引いた。
「エドワード様!」
「動くなアリサ」
「あ、ああなたが、え、エドワード、王子、殿下……あなたが私に、め命じたんだ……!」
カチャッと不吉な音がして聖堂内で再び悲鳴が響き渡る。
「殿下。殺すべきです、今」
「駄目だ!」
許可を求めるヒューゴに厳しく言い放って、エドワードがイザベラを呼ぶ。
亜里沙をイザベラに託してエドワードがアイスナーの方に進み出た時、アイスナーが銃を自分に向けているのが見えた。
「アイスナー、銃を下ろせ。話は聞くから」
「エドワード様……!」
思わず走り寄ろうとする亜里沙をイザベラが抑える。
「あなたが……、あ、あなたが命じた! やつをこ、こ殺せと!」
あの細身のどこから出ているのかというほど大きな声が、聖堂中に響き渡った。
「エドワード王子殿下、あ、あなたは、あのアストラムの、傭兵が、じ、邪魔だからっ! 雇った、奴ら、襲撃を命じて、そ、それをエストランが見てしまったから!」
「何……」
「あなたの指示で殺したんだ! 私のせいじゃない! エストランは! 奴を殺せとあなたが私に命じた!!」
「アイスナー」
エドワードが慎重に声をかける。
「もう……わ、私は、おおお終いだ……も、もう……」
「アイスナー!」
エドワードが叫ぶのと、銃声はほぼ同時だった。
アイスナーのこめかみに向けられた銃口が火を吹いて、アイスナーが倒れる瞬間が目に焼き付く。
一息遅れて再び悲鳴が上がった。
アイスナーを止めようと伸ばされたエドワードの手が下ろされ、拳を握るのが見えた。
「ひとりも外に出すな……!」
エドワードが鋭く言うと、騎士たちが即座に動いた。
アイスナーが倒れ伏した石の床に、赤黒く鈍く光る血が広がっていくのが見える。
そして、大聖堂の扉が固く閉じられた。




