対立
亜里沙が手紙を書き終え、イザベラに預ける頃には夕刻も近くなっていた。
殺人、そしてキーランの捜索状況について、ヒューゴが更に情報を手に入れてきてくれた。随分とあっさりやってのけるものだ。
こういうことに関してはイザベラより長けているらしい。
殺人の方は、今日捕まったばかりでまだ期待したほどの進展はなかった。
ただどんなに支離滅裂でも、アイスナーへの聴取は引き続き行われるようだ。
そしてキーランの方は朗報と言える手がかりがあった。
襲撃犯たちの死体が見つかった。
やはり焼かれていて、まるで賊のような出立ちをしていたが、数人の身元が割れたのだ。
「襲撃を計画した者は、準備の時間が足りなかったんでしょうねえ。あの数人だけでかなり絞られるので、あとは殿下を信じて待っていればいいですよ」
それは励ましか、余計なことをするなと釘を刺されたのか、ヒューゴの口調からは読み取れなかった。
「俺たちも何かできるかもしれないから、明日は出かけようか。まずは穢れをどうにかすべきだと思うし」
「えっ? でもいいのかな?」
ドアの辺りで並び立つふたりの騎士を見やる。
「イザベラとヒューゴを連れていれば大丈夫だよ」
翔が言い切ったことに、意外とヒューゴは無反応だった。
「一応俺たちは来訪者だから、穢れに対処するって名目なら許可も出るし。少しでも近づければニーズも感知しやすいだろ? 位置を特定できないかやってみない?」
『確かに、そうだな』
ニーズが同意し、亜里沙も頷いた。
「分かった。もしかして当てがある?」
「当て……というか、心配なことがあるから」
「心配なこと?」
「うん。地下とは言え、今まで人が集まる都市の中に穢れや巣はできたことがなかったって話だろ?」
「そうだね……」
「トランティアの時は穢れが蔓延し過ぎたせいか近くにイドルが直接出現までしたけど、それでも中で発生はしなかった。でもその時でさえ、死者は埋葬されずに焼かれた」
「うん……」
「王都やナイグラードみたいに大きい都市にはすごく大きな墓地があるんだ……地下にね」
「そうなん……、あ」
「骨になったり腐敗が進んで大きく欠損していれば脅威にならないだろうけど、そうじゃない遺体のイドル化が心配だろ? 焼却のための設備は地上にしかないし。それにもしかしたら、そこが穢れの発生源かもしれない」
そこにキーランがいる可能性もあるのだろうか。
そうでなくても墓地に眠る沢山の遺体を放置するわけにもいかない。少し怖いが行くしかない。
「そうだね。行こう」
「エドワード様たちもまずそこを確認するとは思うけど、協力できるかもしれないからさ」
「うん。それで、場所はどこ?」
「一番大きい所でいうと、大聖堂だよ」
「大聖堂……」
まさかこんな形で訪れることになるとは思ってもみなかったが、仕方がない。亜里沙は翔に頷いた。
「うん。というか大聖堂の地下はミイラ化した遺体が結構あるみたいだから、確認するならそこが最優先だと思う」
ミイラについては寒気を感じたのであまり考えないことにした。
夕食後、再び外の雲行きが怪しくなり、辺りに暗さが増してきた頃。
意外な人物が亜里沙を訪ねてきた。
「ルイ! どうしたの?」
騎士に付き添われて部屋を訪れたのはルイだった。
職人組合長のエストランが殺されたことで、商人ギルドもかなり大変なはずだ。
ルイは浮かない顔だったが、亜里沙を見るとどこかほっとしたように小さく笑みを見せてくれた。
「ご無事で何よりです、アリサさん」
ルイはひどく遠慮して部屋に入らなかったので、亜里沙は翔と共に廊下に出た。
ルイは周囲を気にしながら、話せる場所を探しているようだ。
イザベラとヒューゴが少しの距離を置いてついてくるのを見て、ルイはため息を吐いた。
「仕方ありませんね……本当なら間に入られてもおかしくないでしょうから」
「どうしたの?」
「あ……まずは、ソフィーさんがこちらに帰るのに少し時間がかかるので、それをお伝えしにまいりました」
「え、そうなんだ……ロナンに怒られたのかな?」
ルイは答えない。亜里沙は嫌な予感がして、詰め寄るように前のめりになった。
「ねえ、何かあったの? ロナンとソフィーは大丈夫?」
目を見開いたルイは、意気消沈したように項垂れる。
「えっ、ど、どうしたの……まさか、何か」
「いえ、そうではないんです」
そうは言ったもののなかなか切り出さないルイに、翔が声を落として問いかけた。
「もしかして、ギルド内でも対立が起こりましたか?」
ルイが翔を見る。噛み締めるように唇を引き結ぶルイに、翔は更に質問する。
「ソフィーが伝言を頼んだということは、ルイさんはライアンさんを選んだんですね?」
亜里沙は驚いて翔を振り向き、そしてルイを見た。
ルイは観念したように小さく頷く。
「私どもナイグラードの商人ギルド……そこに所属する商人の過半数が……ライアン様に従うことになりました」
「えっ!? ど、どうして?」
ルイのこの様子で、これがただの兄弟喧嘩ではないことが分かる。
いつか翔から聞いた後継争いという言葉が脳裏をよぎった。
どうして、そんなことになってしまったのか。
問い詰めたかったが、できなかった。
ルイの目に涙が浮かぶのを見てしまったのだ。
ルイにとってロナンはマスターというだけではなく、まるで我が子のように成長を見守ってきた存在でもあるのだから。
「……詳しいことは申し上げられません。私どもには私どもの事情というものがございます。ナイグラードのギルドの一員として、理念に従ってそう決断したまでです」
そしてルイは、どうかご無事で、と亜里沙と翔に丁寧に挨拶をして去った。
「みんな、ロナンのこと誤解してるんじゃないの……だって、ロナンは議会のメンバーだよ、あんな怖いこと知って、それでもみんなを導いてきたんじゃないの」
「亜里沙ちゃん」
混乱して口走る亜里沙に呼びかけて、翔は一度周囲を確認した。
「とにかく部屋に入ろう。ヒューゴが聞いてるから、もうこの話はしないで」
亜里沙が口をつぐむと、翔はぽつりとこぼすように呟いた。
「ロナンさんを誤解してたのは……俺たちかもしれないよ」
その意味を聞くのが怖くて、亜里沙は聞こえなかったふりをした。
夜から再び雨になった。
ただこの雨は窓に打ちつけるような激しさはなく、雑音を消してはくれない。
ベッドに入ったものの、寝付くことができない。
ずっと耳障りなノイズが纏わりついてくる気がして、亜里沙は頭を抱えて身を丸くした。
ふと誰かに抱きしめられている気がした。この温かさはニーズだ。
まるで幼子をあやして眠りに誘うように、そばにいてくれる気配がする。
もしかしたらニーズの父のカケルが、こうしてニーズを寝かしつけたことがあったのだろうか。
気がつけば亜里沙は、安堵の中で眠りに落ちていた。
翌早朝。
しとしとと降り続く雨の中、亜里沙は外出の準備を整えた。
居ても立っても居られずイザベラを伴って翔を起こしに行く。
部屋の外で壁にもたれて腕を組み、目を閉じていたらしいヒューゴが、ドアを開けるとさっと姿勢を正した。
「おや、アリサさん。……どうされました?」
「おはようヒューゴ」
言いながらヒューゴの前を横切り、その隣のドアをノックする。
訝しげな視線を受けても構わず翔を待った。
既に起きていた翔を急かして城下に向かう。
食欲はなかった。だが顔色が悪いらしい亜里沙を心配した翔とイザベラに言われて、厨房へ寄り道する。
簡単につまめるものを探しに行ったのだが、思いがけない人を目にしてしまった。
人のいない薄暗い廊下を曲がろうとして、ヒューゴから制された。
先頭のヒューゴから押し戻されるように亜里沙と翔は足を止める。ふらついた亜里沙を支えてイザベラが眉を寄せた。
「何をしているヒューゴ」
ヒューゴは目で「静かにしろ」と訴え、廊下の先に耳をそばだてる。
そっと覗くと、こちらに背中を向けて立っていたのはライアンだ。ライアンと向き合って話しているのはアルバートだった。
「駄目です、もうそんな手を使っては」
ライアンが周囲を気にしながら言った。
だがこの距離で亜里沙たちにも聞こえるので少し声が大きいようだ。
早朝で、この辺りはまだ人の行き交いがないからだろうか。
「これ以上勝手なことをしては、下手したら殿下の正当性が損なわれる。兄はそれを見逃してくれる人ではない」
「少し声を落として」
アルバートの声は小さいが、それでも何とか聞き取れるものだった。
「そもそもどうしてあの日失敗したんですか。あなたが日程に間違いはないと言ったんでしょう」
「それは……もう何度も説明しました。とにかく、これ以上私たちだけで動くのは危険です。兄はもう既に私を疑っている。殿下に報告して指示を仰ぎましょう」
「それこそ、これを殿下が知ってしまえば正当性に関わる。この件は隠し通すんです、いいですね?」
「……殿下の言う通り、エストランを引き込むだけで良かったのに……余計なことをしようとしたから殺されてしまったんだ」
「今更何を。もうギルドは動いているようですが?」
「わ、私には、まだ……私はただ兄を止めたかっただけだ……退けたかったわけじゃない……!」
「それを自身の力で成し遂げようとせず、あなたは自分から殿下の手を取ったんです。しっかりしてください。こうなったらもう、あなたが立たないといけないんです」
その後少し言葉を交わして、周囲を気にしながらライアンとアルバートは去った。
「殿下……第二王子殿下、でしょうね。あの方に隠れて何をしているんでしょうねえ。いや、もう失敗したあと、か」
ヒューゴが腕を組んで考えながら、去ったふたりを鼻で笑う。
亜里沙の顔を見た翔がヒューゴを睨んだ。
「どうしてここを通ったんだ」
「おや? 厨房に行くんでしょう?」
「この道じゃなくても行けるだろ」
「ああ……祝祭の少し前から、この辺りがやけにきな臭かったんですよ。なかなか火元が特定できなかったので、こうして時々見回っていましてね。その癖が出てしまいました」
申し訳ありません、とまるで気持ちのこもらない言葉を吐く。
あのふたりを見てしまったのも、きっと偶然ではないのだろう。
「そもそもカケルさん、あなただって伯爵のことを知りたかったんでしょう?」
「それは……!」
「もういいよ、早く行こう」
翔とヒューゴの話を遮って言った。
亜里沙は見たものに蓋をする。
エドワードとロナンがやはり対立していること以外詳細は分からなかったし、これ以上ロナンを疑いたくなかった。
(私は帰るんだから……)
だから、キーランと世界を助けることだけに集中していればいい。
亜里沙はもう厨房に寄る気はなかったが、翔もイザベラも何も言わなかった。
雨天だからか、大した距離ではなかったが城から馬車が出され、大聖堂へと向かう。
柔らかい雨の中、フードをしっかりかぶって馬車を降りた。
石畳を踏むと小さく跳ねる水滴に嫌な記憶が呼び覚まされる。
亜里沙は濡れないように気をつけながら、灰色の雨の景色でも荘厳なステンドグラスを仰ぎ見た。




