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献花

 亜里沙は白い景色の中浮遊している夢を見た。


 ニーズに意識の中に呼ばれたかと思ったが、それにしては身動きが取れない。


(ニーズ。ニーズ、いる?)


 呼びかけるものの、返事もない。

 仕方なく諦めてそのまま漂った。


 少しすると、誰かに呼ばれているような気がした。


 周囲を見渡すも動けないまま、亜里沙を呼ぶ声だけが増えていく。

 そしてそれはすぐにノイズとなり、倒れる前のあの感覚が亜里沙を襲う。


 ノイズを追い払うように、ぐっと目を閉じた時。




 亜里沙はハッと覚醒した。

 頭を動かすと自分が横たわっているのが分かる。


「大丈夫?」


 翔の焦った声が足元から響いた。

 そばに屈んだ翔が、亜里沙の顔を覗き込む。


「あれ……私どうしたの?」


 周囲を見回す。

 やたらと高く暗い天井が目に入り、少し離れた位置にほっとしたようなイザベラと何を考えているのか分からない表情のヒューゴが見え、背中に当たる硬い質感が気になった。


「目が覚めたか」


 パーシヴァルがそばに立って、やっと頭が回り始め、慌てて身を起こした。

 どうやら祭壇に近い長椅子に寝かされていたようだ。


「あ、ごめんなさい、私」


「早朝から顔色がすぐれなかった上に食事も摂っていなかったそうだね。もう少ししたら城へ送ろうと思っていたところだ」


 大司祭も心配そうにやって来て、パーシヴァルの背後から亜里沙を見守っている。


「もう、大丈夫です」


 ばつが悪い思いで身が竦む。


「睡眠は?」


「ちゃんと寝ました」


 言ってから、ふと昨夜は寝付きが悪かったことを思い出した。

 最終的にはニーズのお陰で眠れたが、纏わりついてくるノイズが邪魔をしたのだ。


(ニーズ、起きてる?)


 返事はない。何だか気配も遠い気がする。


 嫌な予感がして咄嗟に胸に手を当てる。

 そうすると確かに存在を感じたので、ひとまず安堵した。疲れて眠ってしまったのだろうか。


「アリサ?」


「あっ、はい」


「私はもう行くが、体調が心配だから、調査はほどほどにしてきみも早めに帰りなさい」


「はい」


「それから、分かっていると思うが王都から出ないように。今後も外出時には今日のように許可を得ること。次からはエドワードではなく私に。いいね?」


「は、はい……」


 エドワードのことを聞く間もなく、パーシヴァルは去ってしまった。

 騎士と一部の兵は残るようで、アイスナーの遺体はもうそこにはなかった。



「ここにはお休みいただける部屋がないのです。背中を痛めませんでしたか?」


 申し訳なさそうな大司祭の様子に亜里沙は何だか恥ずかしくなった。確かに硬さが気になったが、そこまでか弱くないつもりだ。


「ぜ、全然、平気です。ありがとうございます」


 安堵したように微笑む大司祭に、ぎこちなく微笑み返す。

 そして亜里沙の隣に座り直した翔を振り向いた。


「私、どのくらい寝てた?」


「ほんの数分だよ。もうすぐ昼になる頃だけど、ひとまず城に帰ろうか?」


 もう一度周囲に目を向ける。聖堂内には今は騎士と兵、司祭のみが行き交っている。


 ふと名前を呼ばれた気がして翔を振り向いた。


「ん?」


「……え?」


 一拍遅れた返事と翔のきょとんとした顔に、亜里沙も目を丸くする。


「今私のこと呼ばなかった?」


「いや……呼んでないよ、誰も」


 イザベラとヒューゴ、そして大司祭に目を向ける。

 その顔を見る限り本当に誰にも呼ばれていないようだ。

 ニーズも眠ったまま起きた気配はない。


 場所が場所だけに背筋が寒くなった。


「とにかく、一旦帰って話し合おう」


 考えなければならないことがある。あの先に──

 だが、今はこれ以上ここでは頭が働かない。


 まるで何かから逃げるような後ろめたい気持ちで、亜里沙は立ち上がった。



 大聖堂を出ると、雨は上がっていた。

 すっとした空気が胸に入って暗い気分が少しだけ晴れるようだ。

 雲間から太陽が覗いて、濡れた石畳に光が降り注いだ。


「あ……ねえ、行きたい所があるんだ」




 亜里沙たちは街並みの目立たない場所、水路の近くに来ていた。

 ここに連れてきてくれたのは翔だ。

 記憶を見た時にぼんやり浮かんだ位置関係をもう一度翔に話すと、亜里沙が何をしたいのか翔は察したようだった。


 そこは記憶で見た限りでは、昼間でさえ人通りがなさそうな寂しい場所だ。

 だが目的の場所に着くと兵士が数人いて、必死に清掃を行っていた。


「あっ、アリサ様、カケル様」


 気づいた兵士たちが手を止め慌てて姿勢を正す。

 彼らに挨拶をして、同じ場所まで降りた。



 掃除の邪魔をしたことを謝罪しながら、兵たちの間を縫って橋の下に入る。

 イザベラとヒューゴは、手を止めたままの兵たちに命じて清掃を再開させた。


「あれ……」


 兵たちのお陰か記憶で見たより随分と綺麗だ。

 そしてそこには、ソルサニアの花が一輪、暗く寂しい場の空気を和らげるように供えられている。


(エドワード……)


 ぎゅうっと胸が締め付けて、思わず服を掴む。


「茉利咲、来たよ」


 誰にも聞こえないように呟いた。翔が亜里沙の隣に並んで、その場所を見つめる。


 ここは茉利咲の墓ではない。茉利咲の体はあの世界に帰ったのだから。

 だが茉利咲は確かにここで、最期を迎えたのだ。


「茉利咲ちゃんはこの世界の花では、ソルサニアが一番好きだったんだよね」


 それはアマリアの記録で触れられていて、アマリア手製の植物図鑑でもソルサニアの説明が一番詳しく記載されていたほどだ。


 だからエドワードはこれを選んでくれたのだろう。

 もう茉利咲はいないが、この花のお陰であの寂しかった最期が慰められたような、そんな気がした。


「ソルサニアの生花って持って帰れないかな?」


「どうだろう。強い花だけど世界を渡れるほどか分からないし、ええと……誰かに見られたらまずい気がする。ブローチとか羽根ペンなら大丈夫そうだけど」


「あ、そっか……存在しない品種だもんね」


「もしかして茉利咲ちゃんに?」


「うん。向こうの茉利咲のお墓にもお供えしてあげたかったんだ」


 そっか、と翔が呟いた。


「……俺も一緒に行っていい? 茉利咲ちゃんのお墓参り」


「もちろんだよ。あ、そうだ、翼ちゃん」


 翔の妹の翼。

 翼は亜里沙とも仲が良かったが、茉利咲とは同い年だし、ふたりは特に仲良くしていた記憶がある。


「良かったら翼ちゃんも一緒に、三人で行こう」


 ほんの数秒、間があった。

 亜里沙が目を瞬くと、翼、と翔が小さく繰り返す。


「ああ……うん、そうだよね」


 不意に宙に目をやった翔を見つめる。一瞬、その表情が翳って見えた。


「翔くん?」


 呼びかけると、翔はすぐに何事もなかったように亜里沙に目を戻した。


「何でもない。城に戻ろうか」


「うん……」


 小さく何かが引っかかったようだった。

 亜里沙は最後に献花されたソルサニアを見る。


 そして一抹の不安を抱えて、城へと向かった。




 亜里沙の部屋に戻って、メイドが用意してくれた昼食を食べる。

 話し合いに入る前に、翔は一度部屋に戻った。


 しばらくして再び訪ねてきた翔を招き入れる。



「やはり状況はほぼ同じでしたよ」


 翔に少し遅れて亜里沙の部屋を訪ねたヒューゴが、部屋に入るなりそう言った。


「拘束されていたエイルセン伯爵とアイスナー。見張っていた騎士はそれぞれ違う人間ですが」


 エイルセンの時の騎士はもういないので当然ですね、と鼻で笑うヒューゴ。

 物騒な物言いに硬直する亜里沙に構わずヒューゴは続けた。


「騎士たちは皆口を揃えて、呼ばれて中に入ると対象は既に銃を手にしていた、と言ったようです。アイスナーが手にしていた拳銃は二発まで連射できるもので、その点もエイルセンとは違いますね」


「……アイスナーを見張ってた騎士は無事?」


 翔が考えながら問う。


「今のところ生きていますよ。この先はどうでしょうねえ」


「そもそもどこに拘束されてたの?」


「ホールの近くに騎士の居館があるんです」


「あんな所から、大聖堂まで? 怪我人は? というか途中で捕まらなかったの?」


「怪我人は幸い、民の中にはひとりも。アイスナーはまず部屋に入った騎士を撃って剣を奪った後、たまたま居合わせた騎士たちをその剣で刺して逃走した。まだ往来が少ない早朝だったため、見回りの目も掻い潜ってどこぞの路地に逃げ込んだんでしょう」


「あの人が剣で騎士に勝てる?」


「まあ甚だ疑問ですよねえ。騎士たちは揃いも揃って寝ぼけていたんでしょうか。とにかく不意を打たれたことと、アイスナーは尋常な様子ではなかったと、刺された騎士たちは言っているそうですけど」


「助かるの?」


「まあ、何とも」


 ヒューゴが言葉を濁すと、翔の表情が曇った。


「じゃあ少なくとも、アイスナーについては騎士が裏切ったわけじゃないってことだよな」


「そうなりますかね」


「それじゃアイスナーは、大聖堂にエドワード様がいたことはどうやって知ったの?」


「今日の訪問は隠されていませんし、居場所を知ることはそう難しくはなかったでしょう」


 一時、沈黙が落ちた。


「……ただ、銃が勝手に宙から降ってこない限り、ほぼあり得ない状況なんですよねえ」


 誰にともなくそう言って、ヒューゴは一層声を低くした。


「空間を渡る……聖王猊下のようなことができる人間がいれば話は簡単なんですがね。さすがに猊下がやったはずはありませんし」


 トランティアでルチアが大樹の根の力を振るったあの時、ヒューゴも見ていたようだ。

 ヒューゴは軽口のつもりだったようだが、翔は真剣に考え込んだ。


「それ、確か移動できてもせいぜい少しの距離だって言ってたやつだね。俺は直接見てないけど、それをすると大変な目にあうんだっけ?」


 翔がこちらを見たので亜里沙は頷いた。


「うん。聖王様、すごく血を吐いてた。内臓、が」


 亜里沙は一瞬呼吸を忘れた。


 小さな記憶のかけらが突然次々と浮かび上がり、そして、シーラ砦で見たあの光景が鮮明に思い出される。


(血……)


 何故今、それを思い出すのだろう。


 大聖堂で後回しにした疑問が、まるで浮かび上がるものを無理矢理にくっつけようとでもしているかのようだ。


「……亜里沙ちゃん?」


 はっと翔を見ると、その肩越しにヒューゴの訝しげな顔が見えた。


 いや、しかしそんなわけがない。あれは大樹の根がないとできないことだ。


 ──いや、大樹の根は、一部を持ち去られたのだ。五年前に。


(違う……いや、そうだとしても)


 持っていたとて、使えるはずがない。

 ルチアは内臓が潰れたとはっきり言っていた。あれは不死であるルチアだからこそできるのだ。


 それにシーラ砦で見たあの血は、心臓を覆うところだった大きな侵食が原因なのだから。


「……そうだよ、聖王様だって死んじゃうって言ってたし」


「そう、だね」


 翔が眉を曇らせて亜里沙を見ている。様子がおかしい原因を考えているような顔だ。


 話を逸らそうとして、駄目だった。

 今度はあの大きな侵食の跡に思考を支配される。


 クルスの力と反応して変質した、侵食の跡。

 その侵食が巣食う左腕は、あの尋常ではないキーランの腕力を、凌ぐほどのものだった。


(普通なら死んでしまう……でももし、体がもっと強ければ)


 不意に、アイスナーから妙な感じがする、とニーズが言っていたことが脳裏に浮かぶ。


(妙な感じ……妙な、感じ……)


 シーラ砦から出発する時も、抱きしめられた腕の中でニーズと会話をした時も。

 妙な感じがする、とニーズは言っていた。


(違う……違う! 全部こじつけだ!)


 そう思いながら、ニーズに呼びかける。


「亜里沙ちゃん、大丈夫?」


 翔を無視して、亜里沙は何度もニーズに呼びかけた。

 微弱な気配があるのに一向に答えない。

 苛立つ亜里沙の耳に、再びノイズが響いてくる。


(落ち着いて。そうだとして、だから何? きっと立場的に仕方なかったんだ。だって……)


 立場的に仕方ないから、エドワードを陥れた?

 キーランを襲った犯人だと思わせて?


 それに、あの部屋の壁は大量のフロースによって変質していた。()が口出しした工事によって隠されていた壁。

 その先には空間があるかもしれないのだ。四年前の亀裂も、空間を作ったことによる影響だったのかも知れない。


 そしてそこに、キーランがいるかも知れない。

 その意味は──それが意味することは。



 呼吸が浅くなって、駆け寄ったイザベラが亜里沙の肩を支えた。


「少しお休みになってください」


「じゃあ、俺たちは」


「い、行かないで! ここにいて!」


 きっとこのノイズのせいで思考が飛躍してしまうのだ。

 冷静に考えたら説明できないことの方が多いのだから、まずは落ち着く必要がある。


 だが翔が行ってしまったら、おかしな考えばかりが浮かんで、そしてこのノイズも更にひどくなる気がした。


「……分かった。ここにいるから安心して」


 翔がそう言ってくれて、亜里沙は大きく息を吐いた。

 イザベラに支えてもらってベッドに横たわる。

 亜里沙は何度もノイズを振り払おうとしながら、必死で頭を空っぽにした。




 時間がしばらく経過した。

 翔がずっと亜里沙のそばで、別の話をしてくれたお陰で、おかしな考えも耳を悩ませたノイズも落ち着いていた。


 亜里沙が話し疲れてうとうとすると、手持ち無沙汰になった翔は、あのスケジュール帳を見せてくれと申し出た。



 そして今翔は、亜里沙のベッドの隣に座ってそれを読んでいる。


「翔くん、それ、読める?」


「うん……読めないけど、読める気がして」


 翔が上の空で答える。このやり取りはこれで三度目だ。

 翔の横顔が何だか危うい気がするが、それを取り上げることなど亜里沙には到底できなかった。



 そしていつの間にか、亜里沙はそのまま眠りに落ちていた。




 気がつくと再び白い意識の中。

 何度も亜里沙を呼ぶ声がする。


 今度こそそれを聞き分けようと集中した亜里沙は突然、暗闇の中で覚醒した。



 ベッドの上に飛び起きる。

 もう辺りは暗く、すっかり夜になっている。


 覚醒と同時に、唐突に気がついた。


(これ、あの時と同じ……!)


 この世界に来たばかりの頃、イドルと化した父親に襲われて足を失うことになった少女がいた。

 あの時、離れた場所にいた亜里沙は、ニーズを通してその声を聞いた。

 あの時と同じ──いや、厳密には違う。


 今、ニーズの気配が微弱で、何度呼びかけても起きてくれない。

 そして亜里沙の耳を穿つように、ノイズが大きくなっていた。


(これ……このノイズ……今、ニーズの意識がない。これ、ニーズが誰かの声を拾ってるだけじゃなくて、祈りを聞いて、叶えようとしてるんだ)


 全身にぞわっと鳥肌が立つ感覚と共に、誰が祈っているのか、瞬時に理解した。


 何度も何度も、亜里沙を呼ぶ声。



「キーラン……!」


 悲鳴のような声を上げて、亜里沙はベッドから飛び降りた。



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