曰く付き
誰も動かず話さないまま少しの時間が経過した。
最初に口を開いたのはニーズだった。
『何故母がこの世界の真の創造主ではないと考えたのだ? 何故……いつ、我の父がお前たちの世界の者だと気がついた?』
「それは……ええと、まずニーズをどう呼べばいいのかな」
『アリサの好きに呼べばいい』
翔の視線を受けて、亜里沙は少し考えた。
本当の名であるシリウスか、父親だけが呼んだという、しかも馴染みのある日本語のスバルか。
「……ニーズ」
考えたものの、だがやはり呼び慣れた名が口から出てきてしまった。
『ではそれでいい』
ニーズの答えは淡々としていたが、亜里沙が名付けたそれを気に入っている気持ちが伝わってくる。
(もうちょっとちゃんと考えて付ければ良かった……)
分かった、と答えて翔は続けた。
「まず、土台にした世界が存在すると思ったのは、この世界が思ったよりちゃんとしているからだ。文明の方は来訪者に影響を受けた人々が築いたから何とも言えないけど、でも世界だけで考えたら」
『それはどういう意味だ』
「最初に思ったのが女神は意外と人間じみているなってこと。まあ、それは俺たちの世界にある神話の神々なんかもそうなんだけど、あれは人間が考えた話だろ?」
亜里沙は頷いた。
「でもこの世界の女神は実在するのに、話を聞いてると神というより人間みたいな印象を受けるんだよ」
『だが母は神だ』
「うん……だけど、唯一神だとか創造主だとか考えた時に“らしくない”気がしてさ。なんていうか、クルスに影響を受けた来訪者の話を聞いたり、ニーズと話したりキーランを見ていても思うんだけど……幼いだろ?」
『何……我が、幼い?』
「確かに」
不服そうだったニーズは、亜里沙が言うと黙り込んだ。
「それは、女神が幼いから影響を受けたと思った。亜里沙ちゃんの話を聞いても、実際幼かったわけだけど。そんな幼い存在が世界を作ったにしては出来がいいと思ったんだ。もっとめちゃくちゃでもおかしくないのに」
確かに亜里沙や茉利咲は幼い頃、空からお菓子が降って来たり、どこもかしこも虹色の綿雲でできた世界を想像したりした。
そう考えると、この世界はまともだ。
「どんなに破綻していても女神の力なら成り立ってしまいそうなのに、世界だけ見ると意外とそういうこともなくてさ」
『だから、それは父が母を導いたからだ』
「うん。その話が、天から来た神として神話に残ってるんだよね。それで次に考えたのが、その“神”は実は来訪者で、つまり人間なんじゃないかってことだ」
『何故そう思った』
「遠征中に星を見に行った時に、俺たちの世界にある星座をいくつか見つけていたからだよ。その話をニーズに聞いた時、空の一部が共有されてるんじゃないかってニーズは言った」
「あれ……でも」
「本当は世界が繋がる時しか接点がないって話だったよね。じゃああの星座は何だろうって考えた時に、女神を導いた神、女神の夫は来訪者なんじゃないかって思ったんだ」
『……それで、つまりどういうことだ』
「人間ひとりが導いて、本当に世界が一からまともに形成されるなんて思えないんだよ」
「あ……」
「世界が形成されるのに必要なことについての知識が全てニーズのお父さんに備わっていたとして、それを伝えたんだとしても、じゃあ幼い存在がそれを本当に理解できるのかっていう疑問に戻ってくるし」
ニーズが小さく唸る。
『だが母の力は絶大だ。その力をもって作り上げれば知識などはそこまで必要ではなかったかもしれない』
「うーん……そう言われると、この話はそれまでになるんだけど。でも俺はそうは思えなかったんだ」
翔は腕を組んで考えるように目線を下げた。
「ニーズを元にしてアストラムを作ったり、聞いた話を元にして似たような星を浮かべることはできても、生物が生きる世界となると話は変わってくるだろ。だから、元々あった世界を土台にしたって考えた方が納得できる」
『ではそうだとして、その元となった世界から母の加護が消えた時、今よりひどい状況に陥ったらどうなる』
「……最悪の可能性を考えても、それは今の世界が近いうちに迎える未来と、どう変わるの? だってニーズはもう戻らないつもりなんだろ」
ニーズは再び黙り込んだ。
このままでは滅びる今の世界と、加護がない元の世界。
確かに女神を切り離すのは、やってみる価値があることかもしれない。
「女神を切り離すとしたら、ニーズはどうすればいいのかな」
先ほどニーズが翔に問いかけたことを亜里沙も質問した。
「女神にとって重要なのは夫だから、まずニーズのお父さんのことが詳しく知りたい。ニーズからもある程度聞けるだろうけど、知らないことも多いだろうし。そして来訪者だったら……自我に影響を受けないままだったなら、残ってるかも知れないと思って」
亜里沙は目を見開いた。
「……もしかして、日記、とか?」
翔は頷いた。
「残っていたとして、どんな形かは分からない。日本語かもしれないし、ぼかして書いてあるかも。もしかしたら暗号かもしれない。でも残ってるなら一番可能性が高いのはこの国かな。まずはこの城の図書館から探してみてもいいと思う」
『そんなものが残っているとは思えないが……』
「残さないような人だったの?」
ニーズは少しの間静かになった。
去ってしまった──恐らく今はもう亡くなった父に想いを馳せているようだ。
『……いや。残っているかもしれない。我が知らされなかっただけで』
翔は頷いて、立ち上がった。
「あんまり時間はかけていられないから早速話してみるよ」
そして亜里沙の隣で様子を見守っていたエドワードに目を向ける。
「エドワード様、少しいいですか」
「ああ」
エドワードが立ち上がる。
ソファからまっすぐ奥へ行った窓辺で、翔がエドワードに話している。日記のことを聞いているにしては少し長いし、エドワードの様子が落ち着かないように見える。
ソファに座る亜里沙の位置からはふたりの言葉は聞こえない。
翔が何かを話していて、エドワードはずっと考え込んでいる。
エドワードは時々迷うように、考えながらその場を行ったり来たりしている。
『アリサ、この世界の姿など、お前は知らなくていい』
ニーズが唐突に言った。この距離なら聞こえるのか、翔がこちらを振り向いた。
(どうしたの突然?)
少しの沈黙の後、ニーズが言った。
『……アリサはそれを知れば抱え込むだろう。もうこれ以上この世界のために、父の世界の者を巻き込みたくはない。もっと早くにそう決断すべきだった』
(でも、もし世界を救う話し合いのために知る必要があったら)
『我だけが話を聞けばいい。またお前が寝ている間にカケルと話そう』
亜里沙はエドワードを見た。
もしかしたらあのふたりは今、この世界についてふたりが立てた仮説を亜里沙にも話すか、迷っているのだろうか。
亜里沙は静かに息を吐いて、立ち上がった。
亜里沙が近づくと、エドワードもこちらを振り向いた。
「どうした?」
「エドワード様、私にもそれを聞かせてください」
『アリサ……』
単刀直入に言うと、エドワードの表情がわずかに強張った。
「……どうしても知らないといけないのか」
この反応はやはり、思った通りだったようだ。
「この世界を救うために、私にもできることがあるかもしれない」
「これを知ることはとても危険なんだ。お前を危険に晒すことなどできない」
「じゃあ翔くんは?」
エドワードは目を見開いて言葉を失った。
だがすぐに亜里沙から顔を背ける。翔が気まずそうに指でこめかみを掻くのが見えた。
亜里沙はエドワードを見つめた。
「エドワード様」
するとエドワードは、亜里沙に目を向けないまま眉間を寄せた。
「……駄目だ」
亜里沙は唖然とした。
先ほどまで迷っている様子だったのに、エドワードはもう話さないと決めてしまったようだ。
「分かりました。じゃあいいです」
淡々と言うと、エドワードは亜里沙を見た。
「図書館の利用許可を私にもください。全ての棚を見られるように」
「何を調べる気だ」
エドワードが厳しく言うが、亜里沙も負けじと眉を寄せる。
「来訪者が日記を残していないか、調べたいんです」
「ああ、それならカケルからもその話を聞いたが」
「翔くんだけでは大変だから、私も探します」
「僕がカケルを手伝う」
とうとう亜里沙はむっとした。
「それは多分私じゃないと分からないし、特徴を説明できません」
勢いで言ってしまったが、だが冷静に考えてみても間違いではないはずだ。
もしニーズの父が残した日記があるならその特徴を知る可能性があるのはニーズだし、説明できないのも嘘ではない。
ニーズは日記が残っているかどうか知らないのだ。
昔見ていたとしてもそれを日記だと認識していないなら説明などできないだろう。
エドワードは表情を曇らせて亜里沙を見つめている。
翔がおずおずと割って入った。
「あの……それが残っているとしたら、今まで誰も読むことができなかったはずです。もしくは秘匿された可能性もありますけど」
『父が何を書いて残したかは知らないが……だがもし創世の頃の記録で誰でも読めるとしたら、とんでもない事態だろうな』
「読めた者がいないか、隠されていた、か」
エドワードは少し考えて、ふと目を丸くした。
「……まさか」
エドワードは自分の机まで戻ると引き出しから何やら取り出した。
翔と共に近くまで行くと、重厚な色の小箱を開けて、中から一冊の本を取り出している。
それは真っ黒な本で、アマリアの日記よりは小さめのものだった。
戻って来たエドワードは亜里沙と目が合うと逃げるように逸らし、翔にそれを渡した。
『これは……』
受け取った翔は亜里沙の顔を見て更に気まずそうにした。
中を開いて目を落とした翔の表情がさっと変わる。
(どう? ああいう本、見たことある?)
亜里沙からは中身は見えない。ただ外側が何の装飾もない黒い革張りなのは分かった。
擦れているが、状態は良さそうだ。
『どうだろうか……あんな見た目の本を父が持っていた気もしないでもないが。少なくとも装丁は特別珍しいものにも見えないな』
(やっぱり違うかな。古そうに見えない)
『ああ。ただ……』
ニーズが黙ると、翔が深刻な表情でエドワードに質問した。
「エドワード様、これどうしたんですか?」
「それはいわく付きの本なんだ。誰にも読むことができず、持ち主に不幸をもたらすと言われている」
「えっ」
亜里沙と翔の声が重なった。
「僕が持とうか?」
エドワードはいたって冷静に、緊張した翔に手を差し出す。
「あっ、私が」
「駄目だ」
手を伸ばす亜里沙から遠ざけるように、エドワードが翔の手から本を取り上げてしまった。
これではまるで過保護な保護者だ。
「カケルも気づいたと思うがこの本に使われている紙もインクも特殊で、来訪者の持ち物だったのだろうと言われている。どうだ、見覚えはあるか?」
翔はエドワードに頷いて、亜里沙を見た。
「亜里沙ちゃん、これスケジュール帳だよ……日本製の」
「スケジュール帳?」
「……やはりあちらの世界のものか。何故か国が管理していた物ではなかったらしく、いつの、誰の物なのかも分かっていない。持ち主を変えながら最終的にここに来たわけだ」
「いわく付きというのは?」
「この本に害を与えたり良からぬことに利用しようとした者は皆何かしらの惨事に巻き込まれたそうだ。長らく図書館に保管されていて、その間は特にそういったことは起きていない」
その話を聞いたニーズが呟くように言った。
『……微弱だがその本から、母の力を感じる』
翔が怪訝な表情をする。
(女神の?)
「それを何故エドワード様がお持ちなんですか?」
「数年前に調べ物をしていた時に見つけて」
そして若干言いにくそうに続ける。
「……僕がこれを気に入ったのを知ると陛下が贈ってくださった」
エドワードがねだったのではないだろうし、国で管理されていたそれを個人的に贈ってはいけないのだと亜里沙にでも分かる。
王は本当に我が子に弱いらしい。
「もう一度見てもいいですか?」
「もちろん」
エドワードがそれを翔に渡す時に亜里沙も手を伸ばしたが、軽々と避けられてしまった。
そして翔がそのスケジュール帳を受け取る。
しばらく翔の目はスケジュール帳の上を往復し、数ページ捲った後に眉を顰めた。
「……この世界の言語じゃない」
エドワードが頷くと、翔は亜里沙に目をやった。
「俺たちの世界の言語でもない」
「やはりそうか……数は少ないが、これまで来訪者たちが残した書は各国に保管されている。だがその文字のどれにも当てはまらないのだそうだ」
『何だと?』
ニーズが強い興味を示したので、亜里沙は隙を見て爪先立ちで身を乗り出し翔の手元を覗いた。
エドワードが亜里沙に目をやると同時に、姿勢を戻す。
一瞬だったが、その文字を目にした時、とても懐かしかった。
そして亜里沙は、その文字が読めることに気がついた。
ニーズから懐かしいような寂しいような気持ちが流れてくる。
『あれは……父が書いた文字だ』
翔が驚いてこちらを見る。
亜里沙はニーズを宥めるように、自分の胸にそっと手を当てた。
「それ、私には読める」
そう言うと、エドワードも驚いたようだった。




