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狂気

 屋敷に帰った日の夜。

 夕刻頃に出されたと思われる翔の手紙が亜里沙の元に届いた。


 中身は日本語で書かれていた。

 とは言え詳細を書くのは憚られたようで、解読が終わったから亜里沙に城に来て欲しい、という短い内容だった。


 翔はロナンにも手紙を出していて、何が書かれていたのか、亜里沙が城へ行くことについてロナンは反対しなかった。


 ただ、必ず帰ってくるよう念を押され、亜里沙は頷いた。


 その翌日の早朝、亜里沙は城へと向かった。




 城に着くと侍従のテオドールが亜里沙たちを待っていた。


 ふと気になってテオドールに聞いたところ、アストリドは兄と共に翌日帰ってしまうらしかった。

 ただどんな顔をして会いに行けばいいか分からないし、別館でのこともあって城内の雰囲気も良くない。

 会うのは控えた方がいいと言われ、ソフィーに大きな飴の瓶を預けた。

 本当は王に謁見した日も持って来ていたものだ。


 ついでを装ってさり気なく聞いてみると、ヤーラは既に帰され、ルージェンも明日帰国の途につくという話だった。


 エドワードの執務室に着き、部屋の前でソフィーとイザベラと別れる。



 部屋の中にはエドワードと翔、アルバートがいて、アルバートのみ忙しく動いていた。


 亜里沙が部屋の中に入ると、真っ先にエドワードが亜里沙のそばに来た。


「……別館でキーランがしたことを聞いた。お前が無事で良かった……」


 エドワードの手が、亜里沙に触れることを躊躇っているのに気づいて、亜里沙はその指先をほんの少し握った。

 すぐに握り返されて、その温かさにほっとする。


「何もできなかった……そばにいてやれなくて、すまない」


 悔やむように言うエドワードに、亜里沙は首を横に振った。


「私は大丈夫。それに翔くんを助けてくれたんだから、何もできなかった、は違うでしょ」


 エドワードの表情は晴れなかったが、そうだな、と小さく呟いた。


 見つめてくるエドワードの瞳に亜里沙を案じる気持ちが見える。

 そして気のせいか、そこには怯えも含まれているようで、亜里沙は心配になった。


「エドワード様、先に彼女に読んでもらわないと」


 ソファから立ち上がってやって来た翔がそう声をかけると、エドワードの手が離れる。


 よく見るとエドワードも翔も、休息も取らなかったというのが頷けるほど疲労が見て取れる。


「あの、ふたりとも休んで」


「手紙を出してから少し寝たから大丈夫だよ」


 翔はそう言って、ばつが悪そうに亜里沙を見た。


「何も言わなかったこと、ごめん」


 亜里沙は首を横に振る。


「あの星の子、そして九年前の、例の来訪者についても……どちらも茉利咲ちゃんなんじゃないかと思った。確証がなかったから、言えなくて……でもやっぱりそうだったよ」


 翔が日本語で話しているのか分からず、エドワードの様子を窺う。


「エドワード様にはある程度話してある。解読を手伝ってもらうなら、必要だと思って」


「あ……そっか……」


 エドワードはどこまで知ってしまったのだろう。

 アマリアは一体、どれだけのことを書いていたのだろうか。


「ふたりともありがとう。それから……私も思い出したことがあるの」


 亜里沙が言うと、翔の表情が深刻さを増した。


「思い出せたんだね……それについては、後で聞かせて欲しい」


「うん」



 翔が振り向いた先、ソファの間に置かれたテーブルの上。

 そこには亜里沙が想像した以上の羊皮紙の束があった。

 亜里沙は驚愕しながら近づく。


「え……あれ、まさか全部」


 翔が紙の束に埋もれていた本を手に取り、亜里沙に差し出す。


 それは日記と似た装丁の本だった。



 中を読んだ亜里沙は、総毛立つような感覚を覚えた。


「ぞっとするだろ……これ全部、文字なんだよ」


 内容はアストリドから聞いたように、まさしく植物図鑑だった。

 だが、アマリアが手描きしたと思われる花の絵が、よく見ると文字の集合体だ。

 小さくて見えにくかったり潰れているものもある、意味不明に並べられた北方の文字。


 植物の特徴を書いた説明文にも、所々に意味の通らない文字が混ざり込んでいる。


 確かに一見すると芸術的に見えなくもない。だがここにはアマリアの執念のようなものが込められている。

 そう感じた亜里沙は身震いした。


「よ、よくこんな……解読できたね」


「解読自体は日記に残されていた解読表があったから、ちょっと複雑だけどそう難しくなかったんだ。文字の抜き出しと順番の把握、あとはこの、解読表に従って文字を置き換える作業量で手間取ったけど」


 翔の声はずっと暗い。疲労だけではない何かがある。



 翔の向かいに、ソファに座る。

 エドワードはアルバートに何か命じると、こちらに戻ってきて、一瞬足を止めた。


 そして、遠慮がちに亜里沙の隣に腰を下ろす。

 どこか思い詰めたようにも見えるその横顔をそっと見る。


 亜里沙はエドワードが心配だったが、翔が整理して差し出してくれた紙の束を取った。


 テーブルの上にはまだ残っていて、エドワードが束ねて並べ替えを始める。


「解読して分かったけど、アマリア様は日記を書くことと暗号文の作成を同時期にやっていたみたいだ。暗号文を本に纏めたのは後になってからみたいだけど。怖いくらい頭が回る子だったんだね」


 亜里沙は最初の羊皮紙に目を落とした。




 誰にも話してはいけないと陛下が言うの。

 でもどうしてこの想いを残さないでいられる? だからこうするしかない。

 今日、私は初めて来訪者に会った。

 記録で学んだ来訪者とは全然違ったわ。あれこそが真の来訪者よ。なんて美しい子なの!

 あの子の名前はマリサ。マツリカっていう花が咲くという意味ですって。マリサは自分の名前が好きで、花が好きみたい。

 大事なお姉さんがいて、名前はアリサ。


 キーランは本当に馬鹿ね。アリサのことを家族家族って一括りにして、名前も覚えないの。

 でもマリサが話さないでって言ったことは絶対誰にも言わないのだから、馬鹿でも取り柄があるんだわ。




 亜里沙は思わず顔が強張った。日記には書かれていなかったアマリアの本音がぶつかってきて、ひどく戸惑う。

 これを、あのアストリドの双子の姉が書いたとはとても信じられない。




 マリサはどうしてあんなのが好きなの?

 最初はカケルの話ばかりしていたのに少しも言わなくなった。そんなにキーランが好き? どうして?

 私がそのヒーローというものになってあげるのに。

 この体が忌まわしい。でも治る見込みはあるってあの医者が言うならそれを信じるわ。


 マリサにオルマの古い言葉では来訪者を星の子と言うのだと教えてあげた。でもあんまり喜ばなかった。アストラムと同じ呼び名だし、気に入らなかったのかしら。

 でも、どんなに綺麗な物語を教えてもマリサはあの馬鹿に夢中なの。ただ顔が綺麗なだけで、アストラムの血を引いただけの、空っぽな人間でしかないのに。




 その後はキーランへの憎しみと茉利咲への想いが交互に綴られる。

 そして、茉利咲の体が元の世界に帰った頃には、読むのが辛いほどの悪意ある言葉でキーランを罵る文が続いた。




 来訪者は一度この世界に来ると、もう二度と同じ人物はやって来ない。

 いいえ、そんなの嘘。絶対に方法がある。必ずそれを見つけてみせる。




 その先を読み続けた亜里沙は、一度去った来訪者を呼ぶ方法としてアマリアが執念深く調べ上げた内容に唖然とした。


(この子……ニーズの存在にまで気づいてる)


 アマリアはニーズを神だと勘違いしていたようだが、来訪者を呼び、また帰らせる存在であると確信を持っていた。

 そして亜里沙も知らなかったニーズの名前について、星の名であることは間違いない、と書かれていた。




 存在が失われた、忘れられた神。

 あれだけの資料を集めさせたのに些細な断片が散らばっていただけ。でも私はあなたを掴んだわ。


 見た目はイドルに似ているはずだけど、名前は難しい。

 一番明るい星エオナスキアだと思ったのに違うみたい。だけどスピカではないはず。

 私の声はあなたに届くはずなのよ。だけどもしかしたらひとりでは足りないかも。かと言って誰かに協力させるにしても、この件は慎重にならないと。


 だめ、全部だめ。いいえ、やっぱり声が足りないわ。

 仕方がない。嫌だけど選り好みをしている余裕はない。




(ここに書かれた名前を全部呼んで試しながら、ずっと茉利咲を連れてくるようニーズに祈ってたの?)


 亜里沙は連なる星々の名を目で追った。体中を悪寒が走り抜ける。


 そしてアマリアは、キーランが傭兵となってから何度か自国に呼び寄せていた。

 茉利咲を呼ぶと言ってキーランにも協力させていたようだ。


 亜里沙は一度紙を持つ手を膝の上に下ろした。


「もう想像がつくと思うけど……亜里沙ちゃんを、正確には茉利咲ちゃんを呼んだのはキーランだ。そしてその方法を教えたのが」


 翔が亜里沙の持つ紙に視線を落とす。


「アマリア様……」


 体の芯が冷えるようだった。

 アマリアは三年前に亡くなった。だからキーランの祈りがニーズに届いたと考える方が自然だろう。


(ニーズ、起きて)


 しばらくしてニーズが起きる気配があった。


(もう大丈夫?)


『ああ……お前は無事か? あれからどうなった?』


(私は無事だよ。ごめん、あの後の説明は待って。キーランが茉利咲を呼んで、ニーズが間違えて私を連れてきたみたいなんだけど、思い出せる?)


『いや……だが、もはやそうとしか考えられないな』


(でも、いくら姉妹で似てるからって)


『ああ、それは我も腑に落ちない点だった。だが、母がマリサの魂をアリサと繋げた時、恐らくその一部がお前の中に焼きつくように残ってしまったのだ。それで我はお前だと信じて疑わなかった』


 翔が驚いて目を見開くのが見えた。


 亜里沙は静かに息を吐いた。エドワードには話せないと思っていた部分だが、翔には詳細を話さないといけないだろう。


(……ニーズの本当の名前は、星の名前?)


 ニーズの緊張が伝わる。だが、ニーズはそれを認めた。


『ああ、そうだ』


 恐らくニーズも、これが落ち着いたら本当の名を教えてくれるはずだ。


 亜里沙はエドワードから手渡された紙の続きを読んだ。




 マリサはもう生きていないかもしれない。

 その可能性がどうしても頭から離れない。だってこんなに祈り続けているのに来ないのだから。

 それに、私とマリサは半身同士。だからこそ感じる。


 マリサが死んでいるならパーシヴァルの婚約者になんかなりたくない。

 薬を飲み続ければ治る見込みがあることを陛下に教えるなんて。

 マリサに会えるなら、パーシヴァルと結婚してもいいと思った。そうじゃないなら耐えられない。

 でもきっと、そのうち私が婚約者になってしまうわ。


 もういい、あの守銭奴に接触して、偽の薬を用意してもらう。もう生きる意味がないもの。そしてカンドルヴィアは、勝手に私をパーシヴァルの婚約者にでもなんでもすればいい。

 あの守銭奴にはあれを教えれば報酬になる。そしてこのことについて口を閉ざすはずだわ。




(あの守銭奴……? まさか、これ)


 これが書かれたのはアマリアが10歳の頃、およそ六年前だ。キーランに協力を頼んでから少し後のことだ。


 アマリアの言葉は恐らく商人を指すものだ。

 商人は沢山いる。ギルドもいくつかあるし、オルマにも商人が多そうだ。

 だが亜里沙がよく知る商人と言えば、ロナンだ。


 目を上げて対面に座る翔を見る。

 亜里沙が何を読んでいるのか分かった翔は、否定も肯定もしなかった。


「アマリア様が何を教えたのか分からないし、名前が書かれていないから、何とも言えない。ただ、先を読めば分かると思うけど……その人がしたことは、求められたからとは言えすごく危険なことだよ」


 亜里沙は嫌な胸騒ぎを感じながら先を読み進めた。




 マリサが死んでいるなら、どうなるの?

 もしこのまま祈り続けたら、マリサの代わりにアリサが来るの?


 なんてことをキーランに教えてしまったんだろう。

 ああ、ごめんなさい、ごめんなさいアリサ。

 キーランを呼んでるけど返事がないの。ごめんなさいアリサ。




 亜里沙への罪の意識で苦しむような、懺悔をするような内容が続く。


 だが、12歳になる頃に書かれた内容に目を通した亜里沙はぞっとした。




 アリサに会ってみたい。

 きっとマリサのように神々しいに違いない。

 その力を使う姿はマリサのように美しいに違いない。

 ああ、どうしてそのことに、今になって思い至るの?

 私の体はもう、治らない。

 時間がない。時間がない。時間がない!




 例の商人が用意した“薬”はアマリアの願いを叶えてしまったようだ。

 アマリアはこの頃から考えると、亡くなるまでにもう一年もなかったはずだ。

 焦燥と亜里沙への執着が恐ろしいほどに伝わってくる。




 キーランを呼んだ。もう何度目。

 あの馬鹿、やっと来た。

 何度も記録の束を読み返すうちに、別の可能性が浮かんできた。

 マリサはこの世界に来た時には、すでに死んでいた可能性がある。




 亜里沙は息を呑んだ。


 だからエドワードの様子がおかしかったのだ。

 焦って翔を見る。亜里沙が何を心配しているのかすぐに気づいたらしい翔は小さく首を横に振った。

 やはり来訪者の死については伏せたようだ。


 ではここに書かれたことについてはどう説明したのだろう。


 亜里沙はすぐにでも確認したかったが、アマリアの記録がまだ残っている。

 最後の部分に目を戻した。




 だからキーランに、マリサとの再会を祈る時には、同時にマリサの無事を祈ること、と教えた。

 キーランはどうせマリサが死んだことを理解しないし受け入れない。

 そんなやつに、アリサのことを教え直す価値もない。

 そしてマリサのことを祈ったって、きっとアリサが来る。


 会いたい、アリサ。会いたいわ。マリサのように死なせたりしないだから早く来て。今度こそ離れることがないように方法を沢山考えてあるのよ時間がないのアリサ早く会いに来てアリサアリサアリサアリサ


 私の半身




 亜里沙は思わず紙を取り落とした。


 恐怖からくる寒気が止まらず、気分が悪くなって思わず立ち上がる。

 どこへ行こうというのか自分でも分からないが、亜里沙は部屋を出ようとした。


 エドワードが亜里沙を追う気配がして、振り向こうとした時、後ろから抱きしめられた。


「僕がそばにいる……いさせてくれ」


 囁かれた声に力はなく、だが寄り添う気持ちが伝わってくる。亜里沙は腕の中でエドワードを振り返った。

 亜里沙を見つめる青い瞳を見つめ返して、そっと身を寄せる。


 エドワードは亜里沙の震えが落ち着くまで抱きしめていてくれた。



 落ち着きを取り戻した後。

 亜里沙は再びソファに腰掛けていた。


 羊皮紙は綺麗に纏められて、本とともにエドワードの机にしまわれた。

 視界から消えたことで随分と気が楽になったようだった。


 誰も何も話せないまましばらく経ってから、亜里沙がその沈黙を破った。

 自分が取り戻した記憶について、口を開いた。



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