本心
ロナンと共に城の中に入る。
「ひとまず以前の部屋にお連れします」
亜里沙は無言のまま頷いた。
亜里沙を気遣いながら歩き出したロナンの後に続く。
ニーズは先ほどロナンたちが駆け付けた時、限界が来たのか意識を失うように眠りについた。
(まさか本当に、引きずり出そうとするなんて……)
あの様子ならば、キーランは今は追いかけて来ないだろう。
だがこのまま部屋に向かっても、ひとりでいられそうになかった。
その時亜里沙はやっと気がついた。
「ソフィー……」
呟いて足を止める。ロナンが立ち止まって亜里沙を振り向いた。
「ソフィーが知らせに来てくれたんですよ。キーランは彼女には手加減したようですね。ただ急所を攻撃されたわけですから、今は眠っています」
亜里沙の顔を見て、ロナンは提案した。
「様子を見に行きますか?」
ロナンに頷いて、亜里沙たちは行き先を変えた。
ソフィーが寝かされている部屋は、簡素で少し狭いが居心地の良い部屋だった。
付き添っていたメイドをロナンが下がらせる。
ソフィーの顔は怖くなるほど青白く見えた。
駆け寄って確認すると、微弱ながらはっきりと呼吸が聞こえてひとまず安堵する。
「アリサさん」
ロナンはしばらく見守っていたようだが、静かに亜里沙を呼んだ。
「あまり無理をさせたくありませんが、話を聞かせてくれませんか?」
ドアの横に、壁にもたれて腕を組むロナンを振り向く。
その深刻な様子を見て、亜里沙は小さく頷いた。
ベッド横の椅子に亜里沙は腰掛けた。
「それで、キーランは一体何故あんなことを? 揉めた原因は?」
「キーランは……その、やっぱり私が帰ることに反対みたい」
茉利咲のことは王も隠しているし、話すのは躊躇われる。
「ええ、それは見れば分かります。それだけですか?」
「……言えることはそれだけだよ」
ロナンは眉を顰めて亜里沙を見つめた。
亜里沙も見つめ返し、しばらくするとロナンは折れてくれた。
「分かりました……アリサさんが話せないのは、陛下までお越しになった理由とも関係がありそうですね。では、別のことを伺います。キーランが人を攻撃できないのはご存知ですよね」
「あ……う、うん……」
「ですがソフィーは攻撃され、イザベラまでも意識をなくすほどの攻撃を受けたと聞いています。何故キーランが無事でいられたのか、心当たりは?」
「そ、それは」
亜里沙は悩んだ末、隠していた特殊な力を使った、と苦し紛れに口にした。
(女神に愛された子なんて、どう説明すればいいのか分からないよ……茉利咲のこととも関係してくるし)
「特殊な力……? そんな素振りはこれまで一度も……」
「うん……」
「では何故今までその力を使ってこなかったのでしょうか」
「その力を使うと、体が蝕まれてしまうから……」
「なるほど。それで、アリサさんがそれを知っているのはキーランに聞いたからですか?」
どう答えるべきか悩むと、ロナンは声を低くした。
「……貴女の中にいる高次の存在に聞きましたか」
ロナンの表情を窺う。その顔は問いかけているものではなかった。
「うん……そうだよ」
ロナンは一時考えるようにした後、静かに言った。
「その存在のお陰でアリサさんは力が使えるし、奇跡のような回復力もある……ですよね?」
「そう、だね」
言い淀む亜里沙をじっと見て、ロナンは表情を曇らせた。
「貴女は答えを知っていそうなので聞きますが。来訪者の中には何がいるんですか?」
「えっ?」
亜里沙は驚いてロナンを見た。
ロナンは亜里沙のその反応に眉根を寄せる。
「やっぱりそうなのか……」
ハッとして口を閉ざすが、今更だった。
ロナンは深いため息を吐くと、姿勢を起こして亜里沙に一歩近づいた。
「ロナン、あの」
ロナンは亜里沙の言葉を待ってはくれなかった。
「遠征が始まったばかりの頃、ティラ砦で貴女の身が危なかった時、私が何を言ったか覚えていますか?」
亜里沙はすぐにそれを思い出した。
ロナンは亜里沙の中にいる存在と、自分の意識を切り離せと言ったのだ。
「自分とは違う存在だと、ちゃんと意識して、って言ってた。あ、ありがとう……あの言葉があったから、私は無事だった」
亜里沙が礼を言ってロナンを見ると、ロナンはほんの少し微笑みを見せたが、それはすぐに曇ってしまった。
「……私があれを言えたのは、キョウコが教えてくれたからなんです。自分の中に何かがいる、とね」
「え……」
亜里沙は目を見開いた。
「私は結局、キョウコが去ってしまうまでその話を信じてあげることができなかった。だからせめて、本当のことを知りたいんです」
言って、更に亜里沙に歩み寄ったロナンは亜里沙の足元に跪いた。
「私はもう騎士ではありませんが、必要なら誓いを捧げます。アリサさんから聞いたことは、けして他の誰にも話しません。ですから、どうか知っていることを教えてください」
ロナンの懇願するような眼差しを受けて、沈黙を選ぶことなど亜里沙にはできなかった。
「誓わなくていいよ。ロナンのことは信じてるから」
ぽつりと呟くと、ロナンはほんの少し眉を下げた。
そして、亜里沙が座る近くにもう一脚の椅子を寄せて腰掛ける。
亜里沙は迷いながら、来訪者の生死については伏せ、クルスの真実を話した。
この世界では死体に群がる亡霊として知られるクルス。その正体は女神の力が意思を持ったものであること。
あちらの世界からこの世界へと繋がる空間を渡る際に、クルスが来訪者の体に入ること。この世界の人間に入らないのは、女神が守っているのを知っているから。
そしてこのクルスこそが、来訪者が力を発揮できた理由であること。
そして、体に入られた者は、その自我がクルスの影響を強く受けてしまうことを。
亜里沙が話し終わると、ロナンの顔に悲痛な表情が浮かんだ。
「かわいそうに……キョウコ……それでは私を愛したことも、彼女の本当の気持ちではなかったんですね」
「えっ、そ、それは違うよ」
「どうして違うと言えるんだ」
静かだが、それ以上反論ができないほど、痛みに満ちた声だった。
亜里沙が口を閉ざすと、ロナンは過去に思いを馳せるように目を伏せた。
「旅の途中、キョウコは何度も私に助けを求めてきた。自分の中に何かがいる。追い出してくれ、と」
まさか、そんな来訪者がいたなど、微塵も思わなかった亜里沙は愕然とした。
ロナンは亜里沙の様子には気づかず続ける。
「だが、そう言った直後にはまたいつもの様子に戻るんだ……問いかけても、疲れていたのだと笑って。それを何度となく繰り返したある時、私はまた、助けを求めてきたキョウコに言ってしまった」
ロナンは亜里沙と目を合わせると、その表情は辛そうに歪んだ。
「なぜこんなことを繰り返すのか、と。自分以外に何かがいて、それが体を支配しているなら、今話しているきみはどうやって顔を出せるんだ……と、彼女を責めるように」
「ロナン……」
「キョウコは私の言葉に傷ついたようでした……それでも教えてくれた。不意に、何かがいると強く意識できる時がある。その時にそれと自分の意識を切り離すようにしている、と。そうすると話せるようになったのだそうです」
そのお陰で、亜里沙とニーズは救われたのだ。
亜里沙とは状況が違うが、その時のキョウコの辛さを思うと胸が締め付けられた。
「さすがにその時は全てを理解することはできませんでしたが、それでも助けなければと思いました。ですが、キョウコはやはり、その直後にいつもの様子に戻ったんです」
ロナンの声が更に弱くなった。
「この世界が好きで、私を愛している、と。それがどうしても、本心であるようにしか聞こえなかった……だから私は結局どうすることもできず……そしてそれ以来、キョウコは中にいる存在の話をしなくなった」
キョウコとはそれきり、とロナンは呟いた。
言葉が見つからない。亜里沙はただ、ロナンを見つめることしかできなかった。
しばらくの沈黙の後、ロナンが誰にともなく言った。
「あの時空の穴に入る時、またこの世界に、私のもとに帰ってくると言った……やはりあれも、本心ではなかったのか……」
亜里沙はそれを聞いてハッとした。
キョウコがあの空間の入り口に入る時であれば、それはクルスが死んで自我が戻っている時だ。
「違うよ、ロナン」
浮かない顔でこちらを見たロナンに、亜里沙は精一杯言葉をかけた。
「その時、中にいたクルスは死んでいるから、それはキョウコさんの本心だよ」
もうロナンとキョウコが再会できる時は来ないだろう。ならばせめてキョウコの本当の気持ちを、誤解させてはならないと思った。
「キョウコさんはまたロナンに会いたかったんだよ。その、世界が簡単に繋がらないから、帰ってこれなかっただけで……でも本気で好きじゃないとそんなこと思わないでしょ?」
ロナンはほんの少し目を見開いて、亜里沙に見入った。
少しの間見つめ合う。
もう少し言葉が必要かと、亜里沙が口を開こうとした時、ロナンは立ち上がった。
亜里沙から顔を背けるようにして、何かを堪えるように口に手を当てる。
その横顔に影が差し、辛そうに歪むのを見て、亜里沙はロナンが泣いているのかと思った。
だが。
「……俺がしてきたことは……間違いではなかったんだな……」
何故それが聞こえたのかと不思議なほど、小さく呟かれたその言葉。
その言葉の意味は亜里沙では理解できなかった。
どういう意味か聞いてみることもできなかった。
亜里沙を振り向いてロナンは表情を和らげた。だがその表情からは、少しも温度が感じられない。
「話してくれてありがとう、アリサさん。約束通り、誰にも言いませんから安心してください」
やがてそう言ったロナンの声は優しく、見間違ったのかと思うほど、浮かべられた笑みは穏やかだった。
一抹の不安を覚えながら、亜里沙は何とか微笑みを返した。
「今後のことですが」
もうすっかりいつもの調子で、ロナンが切り出した。
「各地の穢れはほとんど落ち着いたと言っていいでしょう。アリサさんとカケルくんが帰れる日も近いのではないかと思いますが、どうですか?」
「うん、多分……近いと思う」
「ではそれまで屋敷でゆっくり過ごすといいでしょう。その時が来たら教えてください。帰る準備もあるでしょうし、今度こそ揉めずに見送りたいですからね」
「分かった」
キョウコと別れる時についていこうとしたことで、ロナンはキョウコを困らせたと、自分を責めているのではないか。
そう思った亜里沙は口を開いた。
「あ、あのね。ロナンは悪くないよ」
「え?」
目を丸くするロナンを見て、余計なお世話だったかもしれないと焦る。
ただもう言ってしまったので、亜里沙はそのまま続けた。
「ロナンはただ、キョウコさんを愛しただけでしょ……悪くないよ」
その言葉を聞いたロナンは、じっと亜里沙を見つめた。
その穏やかな眼差しが、どうしてか心細く感じる。
やがて、亜里沙の様子を窺うように、ロナンの手が慎重に伸ばされる。
亜里沙はわずかに緊張したが、何故かこの手を拒んではいけない気がして、動かなかった。
だがその手は、亜里沙の頬に触れるか触れないかというところで、すっと下げられた。
離れていくその手を追った視線を上げ、ロナンの目を見る。
憂いを帯びたロナンの目が、眩しいものを見るように細められた。
「あの時……きみがそばにいる日常と……その先の未来を、少しだけ想像した」
あの時。
亜里沙は小さく息を呑んだ。
「あの時もしも、アリサが俺を選んでいたら……俺がキョウコの真実を知ることもなかったんだろうな」
自嘲するような物言いに亜里沙は眉を下げた。
何故か謝りそうになって、慌てて口を引き結ぶ。
ロナンはそんな亜里沙に、ほんの少し意地の悪い笑みを見せた。
「そんな顔をしないでくれ。あれは多分気の迷いだった。きみがあまりに可愛いことをするから」
「……き、気の迷いっていうのは言い過ぎでしょ」
どんな顔をすればいいのか分からず、亜里沙はロナンの意地悪に乗って軽く言い返した。
ロナンはふっと優しく笑うと、窓の外に目をやった。
「もうそろそろ夜が明けますね。体調は大丈夫そうですか?」
「うん、平気だよ」
「屋敷に帰るまではまだ時間があります。このままここにいるとソフィーが起きた時に心配するでしょうから、部屋にお連れします」
今度こそ亜里沙はそれに従った。
朝が訪れ、部屋にソフィーとイザベラがやって来た。
ふたりともまだ辛そうだったが、何よりもまず亜里沙の無事を確認して安堵していた。
それから間もなく、亜里沙はキーランに罰が与えられると聞かされた。
それを聞いた亜里沙は思う以上に衝撃を受けた。
キーランに対して怒りを覚えていたが、処罰だとか具体的な話になるとはっきり自覚した。亜里沙はそんなことまでは望んでいなかったのだ。
ただ多数の者に重症を負わせたため、いくらキーランでも無罪放免というわけにはいかない。
しばらく王族に連なる領主が治める地で大人しくさせる、ということらしい。
名目としては無難に療養になるだろうという話だった。
キーランのことで落ち着かない亜里沙は、翔の様子も気になったし、何よりエドワードの顔が見たかった。
だがエドワードの側近のアルバートからは「今は難しい」と言われてしまった。
聞けばふたりはずっと、休息も取らずに何やら羊皮紙に書き込んでいるらしい。
アルバートからは詳細は聞けなかったが、暗号を解いているのだと思った亜里沙は引き下がった。
そして、亜里沙はキーランとも会えないまま、ナイグラードの屋敷へと戻った。




