砦の日の出
亜里沙の視界にキーランのマントが見えたと思った瞬間足を引っ張る力が消え、腕から切り離された腐肉が勢いよく舞った。
直後、視界の端にあの青白い光が走る。亜里沙は視線を動かした。
キーランの後ろ姿が見え、その足元から苦しそうな唸り声が上がる。
そしてキーランが振り返った時
「アリサ!!」
頭上でロナンが叫んだ。
駆け寄って来たロナンに抱き起こされたのが分かるが、意識が遠のいていく。
「この子……お願い……」
意識が途切れる直前、亜里沙の側に屈んで亜里沙の名前を呼ぶ、キーランの泣きそうな顔が見えた。
何度も名前を呼ばれ、意識が浮上した時、黒々とした見覚えのない木の天井と、亜里沙の右側に心配そうにこちらを見つめるキーランが見えた。
「アリサ……! 僕が分かるか?」
「うん……キーランでしょ……」
頭を動かすとほんの少し痛む。
どうやらベッドに寝ているようで、そしてここは宿屋の部屋のようにも見えるが、どうも壁がゴツゴツし過ぎている。
「あれ……? 王都は……?」
「アリサさん」
左側からロナンがやって来た。ほんの少し顔が険しい。
「気を失う前の事を覚えていますか?」
「……気を失う?」
少しの間思い出す作業が必要だったが、思い出した時、つい、あっと声を上げた。
反射的に体を起こして頭と足が同時に痛んだ。
「あの子は? 女の子はどこ?」
「今は体を激しく動かさないでください」
ロナンが優しく肩を押して亜里沙を寝かせる。
「全然大丈夫だよ、頭と足が少し痛いけど」
正直言うと足はすごく痛かったが。
「それより、あの子は大丈夫だったの?」
「貴女のお陰で助かりましたよ」
ロナンが微笑む。
亜里沙はひどくホッとして、良かった、と声を上げた。
「それで、あの家の巣はどうなった?」
「潰したから心配いらない」
「そっか……」
安堵の息を吐く亜里沙の右手を、複雑な表情を浮かべたキーランが握りしめた。
そうされて、今更ながらキーランに手を繋がれていた事に気付く。
「あ、あの……キーラン、手……?」
キーランは黙ったまま、亜里沙の手を解放してくれない。
顔がみるみる熱くなっていく亜里沙を見かねたのか、ロナンが助け舟を出した。
「キーラン、そろそろ大丈夫でしょう」
ロナンを見やり、亜里沙の手をそっと放す。
「……痕が残らないといいけど……」
「え?」
自分の右手を見た亜里沙はギョッとした。
青痣とも違う、気味の悪い痣が右手のひらに広がっていたのだ。
「え……? これ……」
「イドルを触ったでしょう?」
少女を助けようとして、イドルの腕を掴んだ。
「貴女の怪我はあの少女より酷かったんです。
もしかしたら、貴女の両足とその右手は二度と動かなくなっていたかも知れない」
「ロナン、やめろ」
キーランが強めに言うと、ロナンは口を閉ざした。
キーランは震える亜里沙の肩にそっと触れて、優しく言った。
「もう二度とあんな風にひとりで無茶をしないでくれ。アリサの事は僕が守るから」
心配が伝わってくる眼差しを見上げて、違和感を覚える。
どうしてだろう、来訪者は守る側のはずだ。やっと来訪者らしい事が出来て少しだけ誇らしかった気持ちはすぐに萎んでいった。
キーランは当たり前のように亜里沙を守るというが、自分が求められている役目の事を考えると、その優しさが居た堪れなくなる。
亜里沙は疑問を飲み込んで、小さく、うん、と言った。
その後、ここが街道から少し逸れた地に立つ砦である事、もうすぐ夕刻である事、今日はこのまま砦に寝泊まりして、明日王都へ向かう事を知らされる。
イドルの表皮は基本的に金属ならば問題ないが、金属以外は、特に人間の生身の体は一番弱く、けして触れてはならないと何度も念を押される。
亜里沙は足の怪我も見てみたが、痛んだスクールソックスの上から見ても分かる惨状で、覚悟した通りの酷いものだった。
単に切り傷のような痕、打撲痕のような痣と、それらとは異なる、黒く気味の悪い痣が広がっている。
キーランが巣を浄化する時に使う力を亜里沙の手足に流してくれたので、穢れによる侵食が止まったとロナンが言っていた。今は見た目が酷いが、イドルの傷を沢山見て来たロナンによると、いずれそれも治るとの事だった。
あの少女の足もキーランがそうして治療してくれたらしい。
砦内の兵士は親切だった。多少の視線は感じたが、それでも居心地の悪さは感じなかった。
夕食や、農家の女性がやって来てベッドを整えたり亜里沙の身の回りの世話をしてもらったり、丁寧に扱ってくれた。
亜里沙のローファーの底がイドルの頭を蹴ったせいなのか表面が少し溶けていて、履いてみると微妙な違和感が気になって仕方ない。両方の靴底を削ってみたらどうだろうと、ヤスリか刃物でも貸して貰えないか兵士に話すと、兵士は亜里沙の靴を持ってどこかへ行ってしまった。
そうしてしばらくして戻って来た靴は違和感もなく、靴底は何か異質だったが綺麗になり、歩き心地もほぼ変わっていなかった。
夜明け、亜里沙はふと目を覚ました。打ちつけた頭と足の物理的な傷はまだ少し痛むが、歩く分にはもう問題なさそうだ。
まだ薄暗いし早いかとも思ったが、目が冴えてしまった亜里沙は誰かを探してみる事にした。
農家の女性から借りた寝巻きを脱いで丁寧に畳み、我慢して汚れきった制服に腕を通す。
昨夜ロナンは忙しそうにしていて、キーランはまたいつの間にかどこかへ行ってしまって居なかった。ルイとベンは砦内の別の部屋にいるらしい。
あまり出歩かないように言われたのを思い出したのは、そこまで大きくない砦内で迷った時だった。
「みんなどこ……」
情けない声が出る。
その時、縦に細長い穴のような窓から差し込む光に気付いた。
その部屋の端に細い螺旋階段を見つけ、上へと上がってみる。
扉に鍵はかかっていなかったが、意外と建て付けが悪くほとんど体当たりで外へ出る
そして、遠くから登る朝日が亜里沙を迎えた。
「わあ……!!」
この世界の日の出は美しく、神秘的な瞬間を見た亜里沙の気持ちは高揚した。しかし
「……あっ、寒っ」
そして思ったより風が強い。
戻ろうと体の向きを変えた時、鋸壁にもたれて目を閉じているキーランが目に入った。
飛び上がるほどびっくりしたが、すんでで堪える。
近寄って側に屈んでみると、静かな寝息が聞こえた。
ホッとして身を起こす。
「でもこんな寒い所で寝てたら風邪引くよ……マントも着てないし……」
少しの間迷ったが、起こす事を決めた亜里沙は何度かキーランに呼びかけた。
全然起きる気配がなく、キーランの肩をちょっとゆすると、キーランが目を開けてこちらを見た。
服越しでもキーランの体が熱い事に気付いた亜里沙は慌てる。
「キーラン、熱あるんじゃない!?」
「ああ……深く眠ってたみたいだ。気付かなくてごめん」
「えっ、いやそんな事はよくて!」
「大丈夫だよ」
焦る亜里沙に対してキーランは微笑む。
「力を使い過ぎるとこうなるんだ。休めば治る」
「え……まさか昨日……」
「休めば治るんだから気にするな。そしてもう治った」
そんなに熱いのに治った?
まさか体を冷やすためにここに居たのだろうか。もしかして一晩中?
いつからキーランはこんなに自分の事に無頓着でいるのだろう?
「体に障るから戻ろう」
何より亜里沙の体を気遣ってくれるキーランに亜里沙の胸が痛む。
キーランに付き添われるように砦内に戻ると、心配したロナンに見つかってあれこれ体調を確認されるのだった。




