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一つの事実

 王都に入って王城に到着する。

 指定された時間が迫っていて、亜里沙は慌ただしく移動した。


 移動中さり気なく隣に並んだキーランがこっそり亜里沙に問いかける。


「怪我の痛みは?」


 少し前を歩くロナンに聞こえないように気を遣ってくれているようだ。


「もう大丈夫だよ。キーランは?」


「アリサが助けてくれたから、もう何ともない」


 正確には助けたのはニーズだ。

 亜里沙はキーランとの会話が途切れるとニーズに強く呼びかけてみた。



『……アリサ……もう大丈夫なのか?』


 亜里沙がまさに聞きたかったことを逆に質問された。


(私は大丈夫だよ。キーランも。ニーズは平気なの?)


『ああ、少し消耗してしまったが、問題はない』


(それなら良かった。辛いなら、寝ててもいいよ)


『いや、せっかく起きたのだから、しばらく起きている。お前たちの様子も気になるしな』


 亜里沙はニーズが心配だったが、何も言わなかった。




 久しぶりに謁見の間にやってきた。

 亜里沙以外は入れないらしく、キーランやロナン、ソフィーはもちろん、イザベラまでも両扉の外で別れる。


 心配そうな皆の眼差しを受けながら、亜里沙はひとりで両扉をくぐった。



「アリサ。よく来てくれた」


 玉座に座る王の顔に笑みは浮かんでいないが、相変わらず穏やかで優しい語り口だ。


 そして部屋の中には宰相や騎士の姿もなく、護衛すらもいない。

 本当にふたりきりだ。


 かすかな不安を覚えながら王の前に立つ。

 会釈をすると「楽にしてくれ」と声がかかった。


「ロナンの屋敷では不自由なく暮らせているか?」


「はい、お陰様で」


「祭りはどうだった?」


「あ、はい、すごく楽しかったです」


「そうか」


 王はほんの少し笑みを見せたが、それはすぐに消えた。


 厳しさを含む眼差しで亜里沙を見つめる。


「あ、あの、何か……?」


 居心地が悪くなった亜里沙がついそう聞くと、王は眉根を寄せた。


「きみを呼ぶ知らせを出した後、エドワードが私に会いに来た」


 心臓が強く打った。顔が強張って、無意識に拳を握りしめる。


「あの子があんなことを言い出すなんて……」


 独り言のように呟き、王は玉座の肘掛けに置いた右手で顎髭をさする。


「だが、持ちかけられた条件が悪くなく、判断を委ねてみたらパーシヴァルはあっさり認めてしまった」


 何の話なのか分からないが口を挟むのも躊躇われる。

 王は亜里沙の様子には構わず続けた。


「私には優秀な甥がいるが、このお陰で彼を巻き込む事態にまでなりそうだ……まあ、甥は野心が強いから、彼にとっては願ってもない話だろうが」


 まるで話についていけない。

 だから亜里沙は何を言うべきかも分からず、ただ耳を傾けた。


 王は憂いを帯びた目をちらと亜里沙に向ける。


「きみのせいなのか?」


「え……」


 亜里沙が困惑すると王は顔を正面に戻して、まっすぐ亜里沙を見つめた。


「息子たちにはきみに余計なことを言わないよう釘を刺されたが、どうにも腑に落ちなくてね。王としては悪くない話だが、親としては……」


 王は亜里沙に問いかけておきながら理解させる気はないのか、深いため息を吐いた。


「……あれではあの子ひとりが不幸になるばかりだ」


 亜里沙は理解できないまま、それでもその呟かれた言葉に反応せずにはいられなかった。


「エドワード様は何の話をされたんですか?」


 王はしばらく亜里沙を観察するように眺めた。

 この視線はまるでパーシヴァルのようだ。


「アリサ、この世界に残る気はないのか? 考えは変わらないか?」


 何故それを聞かれるのだろう。

 だが答えは決まっていて、王の真意に関係なく、揺れてはならないものだ。


「……いえ。私は、帰らないと……」


 すると王はため息を吐き、おもむろに口を開いた。


「では、きみにそれを知る権利はないな。もしかしたらと期待したが、私の気持ちが先走ってしまい、余計なことを聞かせてしまったようだ」


 話は終わりだ、とばかりに王は微笑んだ。


「もう分かっているだろうし、きみを信じているが、ここでの話は他言無用だ」


 その柔和なはずの笑みは亜里沙を圧倒して黙らせる。


「本題がまだだったな。何か望むものはないか? 全てを聞き入れられるわけではないが、なるべく叶えてやろう」


 亜里沙は必死で考えを巡らせた。


 翔が言っていたことももちろん頭に残っている。

 それでももう、王が叶えると言った望みの使い道は、亜里沙には一つしか浮かばなかった。


「あの……エドワード様に、害が及ばないようにしてください。何をお話になったのか分かりませんけど、わ、私が、一方的に想っているだけなんです。だから」


「落ち着きなさい、アリサ。私やパーシヴァルがエドワードを害するはずがないし、その理由もない」


 緊張からか、ひとまずの安堵からか、亜里沙の目から涙がこぼれた。

 ぼやけた視界の中で王が眉を下げたのが見えた。


「泣かないでくれ。どうやら怖がらせてしまったようだね」


 王は玉座から立ち上がり、亜里沙の元へやってきた。


 そして優しい笑みを浮かべると、王は亜里沙の頭上に手をかざした。


 驚いて両肩が竦む。しかし王は、亜里沙の額の上辺りをそっと撫でただけだった。


「以前にもこうして、きみの頭を撫でたことがあった」


 そんなことがあっただろうか?


 思い出せず、いつ、と聞こうとした時。

 王は、言った。



「……大きくなったな。あんなに小さかったきみが」



 亜里沙がその言葉を理解するのに、少しの時間を要した。


 小さかったきみ?


 亜里沙は王を見るが、誰かと間違えている様子はない。──いや。


 誰かと間違えているとするなら、亜里沙にはもう、それはひとりしか思い当たらない。


「あ……そうか、きみは覚えていないのだったな。まあかく言う私も、きみの名を間違えて覚えていたわけだが」


 王は、忘れてくれ、と苦笑した。


 覚えていない。名を間違えた。


 やはり王は、()()()()()()()()



 亜里沙は口を開いたが声が出ず、強いショックで目眩がした。


『アリサ、しっかりしろ』


 ニーズの困惑する声がして、ふと、何か温かいものに包まれた感覚がした。

 目眩は治まったが、今度は吐き気を覚えて手で口を覆う。


 亜里沙の顔色が悪くなったことに王が気づいた。


「アリサ、どうした? 気分が悪いのか? 話はここまでとしよう」


 王が声を上げて、扉が開かれる。

 呼ばれたソフィーとイザベラが王に言われて亜里沙のそばに駆けつけた。


 ふたりに支えられるようにしながら退室する。

 全身が小刻みに震え、頭の中はぐちゃぐちゃだ。


 だが後ろで扉が閉まって、亜里沙はハッとした。


「ま、待って……待って! まだ話が!」


 亜里沙はふたりを振り切り、両扉にしがみついた。


 扉を守る兵が驚いて、亜里沙を止めようとする。


「この方に触るな」


 イザベラが厳しく言うと、兵は下がった。


「王様! 王様! 話をさせてください!」


「アリサ様」


 両扉を打ちつける拳と扉の間にイザベラの手が差し込まれる。イザベラの手を打ってしまって、亜里沙は反射的に拳を止めた。

 呼吸が段々と浅くなって、再び目眩が起こる。


 すると扉が開かれ、王が再び姿を見せた。


「おっ、王様……あの、話を……」


「アリサ、落ち着きなさい」


 王は深刻な表情で亜里沙を見つめる。


「顔色が悪い。このまま話していてはきみの体に障るだろう。今日のところは休むように」


 そしてソフィーに目を向ける。


「どの部屋を使ってもよい。アリサを頼むぞ」


 どこからともなく侍従と護衛がやってきて、王はそれを伴って去ってしまった。



「アリサ様、少し休んでいきましょう。旦那様とキーラン様はホールに戻られたはずですので、呼んでまいります」


「や、やめて……!」


 全身を悪寒が走り抜ける。こんな状態では、キーランやロナンと顔を合わせられない。


 王が駄目なら、とにかくニーズと話がしたい。

 答えは出ているはずなのに、脳がそれを拒絶しているようで、何度も思考が停止する。

 今はそれが何より腹立たしかった。


『アリサ……』


「こ、ここから離れたい。ここにいたくない」


 亜里沙がそう呟くと、イザベラが躊躇うようにしながら、亜里沙に囁いた。


「実は、殿下がアリサ様をお待ちになっています。お会いになりますか?」


 亜里沙の震えがほんの少し落ち着いた。


「エドワード……」


「アリサ様がお決めください。お会いにならなくても大丈夫です」


 頭は重く、働きを放棄しようとしている。

 亜里沙の全身が、亜里沙の意思に反して拒否しようとしている。王の言葉を理解し、事実を受け止めることを。

 気を抜いたら失神でもして、そして目が覚めたらこのことを忘れているんじゃないかと、そんな危機感がある。


 気を強く持つためにも、顔を見たいと思った。




 人目を忍ぶように移動して、あまり人が通らない通路に入った。

 そこには騎士の他にも数人の護衛がいて、周囲を確認しながら亜里沙を通路の先へと通す。


 その先の部屋に入った亜里沙の元に、ひとりで待っていたエドワードが駆け寄った。


 ソフィーとイザベラに支えられて入ってきた亜里沙の様子にエドワードがひどく驚いている。


「アリサ、怪我がひどいのか?」


 焦ったように頭の怪我を確認しようとしたエドワードの両腕を掴む。


「大丈夫です。怪我は治りました」


 とても冷静ではいられないのに、エドワードの顔を見ると何とか口は動いた。


「では、何があった? まさか陛下から何か言われたのか?」


 亜里沙はかなりの力でエドワードの腕を掴んでしまっていたが、エドワードは亜里沙の両腕を支えるように手を添えた。


 亜里沙を見つめるその心配そうな顔を見て、先ほどの話がよみがえる。


「……王様に何を話したんですか?」


 エドワードが息を呑むのが分かった。だがすぐに落ち着いた様子で答える。


「取引をしただけだ、大したことではない」


「内容は?」


 引き下がらない亜里沙を安心させるように、エドワードは微笑んだ。


「いずれ僕が賜る領地のことや爵位について、その条件を変えて欲しかっただけだよ。そんなに心配するな」


「本当に?」


「本当だ」


 だったら何故王はそれを亜里沙のせいなのかと疑ったのだろう。

 不幸になるとはどういうことだろう。


「でも王様が、エドワード様がひとりだけ不幸になるって」


「ああ……父上はそういうお方なんだ。情が深い分、子のこととなると心配しすぎてしまう。本当に大したことはない。大丈夫だ」


 腑に落ちないが、残念ながら亜里沙の頭はそれ以上は回ってくれなかった。


 尚すがるように掴みかかってくる亜里沙の腕を、エドワードはそっと撫でた。


「それだけではないんだろう? 何があった? 僕にできることは何でもする。だから何でも話して欲しい」


「それなら……翔くんのことを、手伝ってあげてください」


 それが今の亜里沙に一番必要なことだと思った。

 まだ頭の中は情報の断片が乱雑に散らばっている状態だ。

 それでも翔が今していることが、亜里沙が知りたい真実を暴いてくれる気がした。


「それは、もとよりそのつもりだ」


 エドワードの声が一層優しくなった。


「僕がアリサにしてあげられることはないのか?」


 亜里沙は首を横に振る。

 エドワードに会ったことで落ち着き、少しだけ勇気が湧いてきた。


「いえ……これは私ひとりで向き合わないといけないことだから」


 エドワードを見つめると、亜里沙を心配する眼差しが返ってくる。

 だがエドワードは、やがて「分かった」と口にした。


「顔色が悪いから城で休んでいくといい。必要になったらいつでも僕を呼んでくれ」


 亜里沙は何とか頷いてみせた。



 エドワードと別れ、ひとまず以前使っていた部屋に向かおうと亜里沙は思った。


 だがホールを通る際キーランとロナンの姿が見え、ふたりとも亜里沙に気がついた。


 どう説明していいかも分からない。だから今はふたりに心配されたくなかった。

 どうしようと途方に暮れた時、そのそばにアストリドの侍女の姿が見えた。


「アリサ様、王女殿下がお会いしたいと仰せです」


 亜里沙が近づくと、侍女は挨拶後にそう言った。


「顔色が悪いですね」


 亜里沙の様子にすぐに気づいたロナンがそばにやって来る。

 さり気なくイザベラが立ち位置を変えてくれたことで、ロナンは少し手前で立ち止まった。


「気分がすぐれなければ断っても構いませんよ」


 侍女がロナンの発言に顔を強張らせる。

 キーランの心配そうな視線から逃げるように、亜里沙は侍女を見つめた。


「行きます。連れて行ってください」


 アストリドならば、何も聞かずに休ませてくれるはず。

 ニーズは今は起きているが、必要なら意識の中に押しかけてでも、亜里沙はニーズと話すつもりだ。



 友人であるアストリドからの誘い。

 亜里沙が会うと申し出ると、キーランもロナンもそれ以上踏み込んでは来なかった。


 城内で待つと言うふたりと別れ、アストリドの部屋へと亜里沙は向かった。



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