呪い
前に出るエドワードの腕を掴んで制止する。
亜里沙の行動を見たキーランがこちらに向かって歩き出した。
「私が話すから」
そう言うと、エドワードはそれ以上動かなかった。
フードの中から向けられる眼差しを感じる。亜里沙に話をさせることに抵抗を覚えるようだ。
だが亜里沙はそれを無視した。
「アリサ」
キーランの静かな声が冷たく耳を刺す。
平民のマント姿のエドワードを見て、ああ、とため息を吐く。
「胸騒ぎがして、迎えに来たんだ。ここで待っていれば会えるかと思って」
「心配かけてごめんね、キーラン」
亜里沙は前に進み出ながら、何でもないように明るい声を出した。
「アリサ……また嘘をついたのか」
この闇の中でも、亜里沙に向けられる視線の鋭さがはっきりと伝わる。
そして目を移したキーランが無言でエドワードの方に踏み出すのを見て、亜里沙は咄嗟に駆け寄った。
正面からキーランの両腕を掴んで止める。
亜里沙を見下ろす目は冷たいが、それでもキーランは亜里沙のなすがままに立ち止まる。
「下がれアリサ」
そばに来たエドワードが強い語気で言うと、亜里沙はそれを覆い隠すように声を張り上げた。
「もうみんな帰って。私、キーランとそこでご飯食べて帰るから、イザベラ以外は帰って」
とにかくエドワードを守りたくて必死だった。
この不穏な様子に、近くまで来ていたマクベルドの護衛たちが顔を見合わせる。
「帰って!」
亜里沙が怒鳴ると、ソフィーが口を開いた。
「護衛の方々、帰りましょう。アリサ様は外で夕食を召し上がるので、旦那様に報告しないといけません。それではバーク卿、ここで失礼いたします」
バーク卿、と偽名で呼ばれたエドワードは何も言えずに立ち尽くした。
「バーク卿、帰ってください。お願いします」
亜里沙は少々荒い口調でおやすみなさい、とつけ加えた。
ソフィーが困惑する護衛たちを追い立てるように屋敷へと向かう。
護衛の姿が遠のくと、イザベラがエドワードのそばに立った。
「私がついていますのでご安心ください」
そうしてようやく、エドワードは諦めた。
「気をつけて帰ってくれ、アリサ。……おやすみ」
イザベラに念押しするように亜里沙を頼むと言うと、エドワードは立ち去った。
一度心配そうに亜里沙を振り向いた姿を見送る。
エドワードが夜の闇に紛れると、亜里沙はキーランを振り向いて腕を離した。
嘘を吐こうとしたのではない。
亜里沙だって悩んで苦しんで、こうなった。
誰ともそういう関係にならないと、その時話した言葉に偽りはなかった。
だがキーランからすれば、そんな事情を聞かされたところで納得はできないだろう。
「キーラン、話そう」
「何を? また嘘を吐いて誤魔化すの?」
「違うよ。とにかく、ちゃんと話そう」
キーランは眉を顰めた。
亜里沙が真剣な眼差しで見つめると、目を伏せてその視線から逃れる。
「……分かった。そこまで言うなら」
そうして、亜里沙とキーランとイザベラは宿に入った。
広場ほどとはいかないが賑わいを見せる食堂の隅の小さなテーブルに、亜里沙たちは向かい合って着席した。
酒が回って倒れ込んだり喧嘩を始める客がいて、宿の護衛たちは仲裁や介抱に忙しい。
キーランが曇った表情のまま無言でいるので、亜里沙は適当なものを注文した。
料理を待つ間、手持ち無沙汰に手首にかけた瓶入りの巾着を弄る。
何をどう話すべきか、食べた後に話すべきか、考えているとキーランが先に問いかけてきた。
「帰らないことにした?」
唐突で驚いたが亜里沙は首を横に振った。
キーランが眉を寄せてため息を吐く。
「……結局アリサが帰ってしまうなら、僕はエドワードを許せない」
「キーラン」
「どこまで受け入れた? 僕がした以上のことをあいつにさせた?」
亜里沙はその不快な質問に眉根を寄せた。
「踏み込みすぎだよ。何でそんなことを聞かれないといけないの」
「なんだ。やっぱり触らせたんだ」
「ちょっとキーラン!」
「そこまでしたのに引き止められなかったんだな、エドワードは」
ついに亜里沙はカッとなって手が出てしまった。
だがキーランの顔を見ると反射的に勢いが弱まり、頬を叩いたはずの手は、ただペチっと小さな音を立てただけだった。
「……それは何をしているの?」
頬に伸びる亜里沙の手を払いのけることもなく、キーランが冷たく問いかけてくる。
亜里沙は腹が立ったが、こんなことをしても意味はないと手を引っ込める。
「誰に何を言われても私は帰るし、エドワード、様はそもそも、私を帰そうと協力してくれてるの」
するとキーランが呆れたように亜里沙から目を逸らした。
「アリサも変わってると思うけど、エドワードも相当変わってるんだな」
キーランの呟きが、抑えようとする亜里沙の怒りを煽ってくる。
「ねえ、大事な弟でしょ? さっきから何でそんなに冷たいの? 私に怒るのは分かるけど」
「大事な弟?」
聞き返されて目を見開く。キーランのその表情に違和感を覚えた。
「特に大事だと思ったことはないけど」
当然のように吐き出された言葉にショックを受ける。
「え……家族でしょ?」
「うん」
「だったら、大事でしょ?」
「家族だと大事? ああ……そうだった、きみはそう言ってたね」
「きみは、って……キーランも家族は大事だって思うでしょ?」
「“そう思え”って話なら前にも聞いたよ」
微妙に噛み合わない会話に亜里沙は唖然とした。
意思疎通が困難に感じて軽く脱力する。
キーランは訝しげに亜里沙を見ていて、亜里沙が脱力する理由も理解していないようだ。
何にも心を動かさない、とエドワードが昔のキーランをそう語った。そしてそれは少しずつ変わってきている、とも。
だが本当に変化はあるのだろうか?
亜里沙が言葉を失ってキーランをただ見つめると、キーランは苛立ったようにため息を吐いて立ち上がった。
「どこに行くの」
反射的に鋭く聞いてしまった。
目を離したら何かしでかすんじゃないか、という不安と、ここに至ってもまだキーランを心配し過ぎてしまう心情からだった。
「気分が悪いから外の空気を吸いに行くんだよ。アリサを置いてどこにも行かない」
「え、まさか、また聞こえるの?」
「だとしてもアリサには関係ないだろ」
キーランは声を荒らげ、亜里沙から目を逸らすと、客を避けながら出て行ってしまった。
キーランの姿がドアの向こうに消えて亜里沙が重いため息を吐いた時。
「……ラティファ?」
目立たないマントを羽織って、人の間を縫って階上へ向かうラティファの姿が偶然目に留まった。
キーランとすれ違ったはずだが気づかなかったのだろうか。
言い表せない奇妙な予感がした。こういうのを虫の知らせとでもいうのだろうか。
ほとんど衝動的に、亜里沙は後を追うことにした。
「アリサ様?」
そばに立って近づいて来る酔っ払いを追い払っていたイザベラが声をかけてくる。
「ラティファと話したいの。宿の護衛もいるし大丈夫。イザベラはキーランに伝えてから上がってきて」
「あ、しかし」
「お願いね」
そう押し切って亜里沙は早足でラティファを追って二階へと上がった。
ラティファの姿はもうない。
だが部屋は変わっていないはずだ。
(あれ……? 何で二階に宿の護衛がいないの……?)
一抹の不安を抱えながら部屋に近づいた時、見えていなかった曲がり角の陰に、男がいて驚く。
それはパペット小屋の男だった。黒っぽい衣装に身を包んで、腰に短剣を下げている。
殺気がこもったような目で睨まれた亜里沙は息を呑んだ。
「あ、ご、ごめんなさい……」
そして踵を返す。
その時だった。
「おい! 何をこそこそと……オレたちを探っているのか!?」
ガツンとものすごい衝撃が頭を襲った。
重たい痛みと共に視界が揺らぎ、前のめりに倒れる。
「つっ……」
何とか体勢を立て直そうとするが、痛みと目眩で体が動かない。
「アリサ!!」
キーランの鋭い声がして、続いてイザベラの声がする。
次の瞬間、亜里沙の後ろから金属音と同時に男の悲鳴が上がった。
揺れる視界でも、目の前の木の板にパッと液体が散るのが見える。続いて重たい何かが倒れる大きな音。下の喧騒がここまで響いて、それが掻き消されたことが分かる。
ぼんやりとした灯りの下、赤黒く見えるその飛沫は血だ。
「アリサ」
すぐそばで泣きそうな声がした。
「キーラン、今……まさか……」
目が回る。だがそれどころではない。
イザベラが目の前に屈んで亜里沙を助け起こす。その振動が頭に響いて痛みに顔を歪める。
「うっ……」
だが、苦しそうな声を上げたのは亜里沙ではなかった。
痛みも目眩も無視して振り返ると、亜里沙のそばに膝をつくキーランが、苦痛に顔を歪め自分の胸を強く掴んだ。
顔から血の気が失われて、全身が震えだす。
その奥に倒れて何度も「くそ」と悲鳴のように叫びながらもがく黒い男。そばに落ちた剣の刀身が赤黒く汚れているのを見れば、何が起きたのかは明白だった。
「キーラン……!」
亜里沙はイザベラを振り切ってキーランを支えた。
全身を震わせるキーランから、あり得ないほどの大きさで鼓動が聞こえる。
「な、何これ……何……!?」
鼓動に合わせるようにキーランの口から赤黒い血が吐き出される。血でむせ返って苦しげに咳き込むキーランの姿に亜里沙の頭は真っ白になった。
(ニーズ……ニーズ!!)
『どうした……』
幸いニーズはすぐに起きてくれた。
自分を抱えるようにして苦痛に耐えるキーランを思わず抱きしめる。
ニーズが状況を把握する間に人が集まってくる。
「なんてこと……!」
「カイリ? この方に何をしたんだ!?」
サフィナとサイラスの声がする。
「キーラン様はどうしたの? まさかカイリが……」
『アリサ、そのままキーランに接触していろ。我が何とかしてみる』
亜里沙は強くキーランを抱きしめた。
この、キーランの全身が心臓になったかのように脈打つのは呪いのせいなのか。
「オレはっ何もしてねえ! くそ……くそっ、いきなり斬りかかりやがって!」
視界の隅にサフィナがカイリを助け起こすのが見える。
「お前が何かしない限りこの方が斬りかかるなんてことはない! 何をしたんだ!」
「この来訪者が、オレたちを探ってやがった! もうこうなったら口を封じるしかねえ。サイラス、頼む」
「な……何を言ってる、お前は……!」
イザベラが立ち上がる気配がする。
「お、落ち着いてくれ、おれたちはあなた方の敵じゃない」
「サイラス、覚悟を決めろ……! オレたちの故郷と一族のためだろ!」
ぜえぜえと苦しげな呼吸の合間にカイリが叫んだ。
「カイリ、ねえ、落ち着いてよ……そんなことしたら逆に危ないのは分かるでしょ? それにジェーンの立場が」
「このままこいつらを生かして帰らせたら、オレたち全員、あの方から消されちまう!」
それに、とカイリは苦々しく吐き捨てた。
「ジェーンはもう駄目だ……利害が一致しただけでこの国の揉め事なんかどうでもいいのに、オレたちを捨ててあの王子に命を捧げる気でいるだろ! もう見限ってオレたちだけで動くべきだ!」
「殺すしかないわ」
後方からそんな声が近づいてくる。
ラティファの声のようだが、ひどく冷たい。
イザベラが反応すると、落ち着いて、とラティファが言った。
「サイラス、カイリをやって。こんなことでジェーンの足を引っ張るわけにはいかない」
「そんな……カイリ」
「ああ、仕方ない……こいつは生かしておいたらおれたちの邪魔をする」
「な……ちょっと待てよ……待て……!」
「サフィナ、下の様子を見てきて。ランドストル卿、手を貸してちょうだい」
頭上で行き交う声がひどく響いて頭が割れそうだ。
そしてキーランは耐えているが、どうやって耐えていられるのか理解できないほど、これが苦痛をもたらしているのが分かる。
見ただけでもこれほどなのだ。キーランが今死んでいないのは奇跡に他ならないと亜里沙は思った。
「アリサ、手当をさせてちょうだい」
「だめ! 触らないで!」
ラティファが困惑する気配がある。ふと、涼やかな香りが何故か鼻をついた。
サイラスが小さく、くそ、と吐き捨てて、その直後に口を塞がれたかのようなカイリの悲鳴が上がった。
それは断末魔の叫びだと亜里沙には分かってしまった。
ぐっと目を固く閉じ、キーランを強く抱きしめる。
「……ア、リサ……」
苦痛に呻く間に消えいるような声が亜里沙を呼ぶ。
「大丈夫……大丈夫だよ……」
ニーズの力の流れを感じながら、亜里沙は繰り返しそう囁いた。




